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エピローグ

気づかなかった、いくつものこと

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 魔王の専属料理番となってから、半年が過ぎた。

 調理場のみんなは今まで通り接してくれるし、時には料理のアドバイスを求めてくる。頼られるのは嬉しく、毎日がとっても充実していた。

 そんなある日、もふ魔が私を呼びに来る。

「ぎぃー、きゅっき」

「こっち、ってどこまで行くつもり?」

 黒い毛並みのもふ魔に、慌ててついていく。最近可愛い姿を見ないな、と思ったら急にこれなのだ。

 今歩いているのは、ドワーフのところへ向かう道。地下にできた巨大な穴の周り、つまり土の壁に沿って少しずつ進んでいる。

 もふ魔はドワーフのいる鍛冶場かじばを通過し、さらに下へ。
 さすがに不安になって、聞いてみた。

「ねえ、この下に何があるの? もう一匹はどこ?」

 二匹はいつも一緒なのに、今回はこの一匹だけ。そのことに何か、関係があるのだろうか。怪我けがなどしていないといいけれど。

「きゅいきゅ」
 
 もふ魔はある小さな扉の前で、急にとまる。

「着いた? ここってこと?」

「きゅい」

 入り口は狭く、バスケットボールくらいのもふ魔がちょうど通れるくらいの大きさだった。私だと、ってぎりぎりくぐれる程度かな? 

 つぶらな瞳で期待を込めて見つめられたら、応じないわけにはいかない。
 私はもふ魔に続き、中へ入った。

「……あら、案外広いのね」

 扉を抜けた先は、私が立てるくらいの高さの小さな部屋だった。天井にある蜘蛛くもの巣を除けば意外と清潔で、壁には明かりが灯っている。

 がらんとした部屋の、奥にいたのは――。

「えっと……もう一匹のもふ魔、よね? そばにあるのは、たわし?」

 元気そうだから、お留守番をしていたと思われる。その周りには、焦げ茶色のたわしが点々と転がっていた。

「ぎー! きゅっき」

 そのもふ魔が呼ぶので近づくと、たわしが動いた。

「きゅ」

「きゅい」

「きゅー」

「え? これって――」

 ちっちゃな『もふ魔』だ!
 色や大きさは前世のたわしにそっくりで、丸くもふもふした身体に、申し訳程度の角が付いている。

「か、可愛かわ……」

 あまりの愛らしさに、絶句してしまう。

 その時、私を案内してくれた方のもふ魔が飛び跳ねて、たわし――じゃなく、『ちびもふ魔』の横に誇らしげに並ぶ。
 
「きゅーい」

「待って。お留守番がお母さんなら、あなたはお父さん? もしかして、ご夫婦だったの!?」

「きゅい」

「きゅーい♪」

 当然のように返事をされた。
 私は、衝撃の事実にようやく気づく。

 普段から仲がいいと思っていたら、なんともふ魔はオスとメス。
 そして、この三匹の『ちびもふ魔』は彼らの子供!
 
「ええっと、まだ小さいから生まれたばかり?」

「きゅい」

「ここは、あなた方のおうち?」

「きゅい」

「お子さんを見せるため、わたくしをここまで連れてきてくれたのね?」

「きゅーい」

「嬉しいわ! それから、ご出産おめでとう」

「きゅいきゅきゅー」

「ぎぃー、きゅいきゅきゅー」

「ありがとうって、わたくしの方こそありがとう」

 可愛いの集合体を目にしたおかげで、心が温かい。
 帰りは上りでつらくとも、午後の仕事も頑張れそうだ。



 焦げ茶色のちびもふ魔にヒントを得て、今日のおやつはモンブラン。

 土台は小さなロールケーキをスライスして、上の部分は栗ではなく、ごく少量の黒芋にカスタードクリームを混ぜて仕上げた。
 なんとかそれっぽいものができたから、良しとしよう。

「色も茶色で、いいわよね?」
 
 魔王は丸いケーキに怪訝けげんな顔をしたものの、今日も完食してくれた。

「うむ、悪くな……いや、美味しかった」

 慌てて言い直したのは、この前の私の発言を気にしているからだと思う。
 それは、五日ほど前のこと。
 

 *****


 食堂でルーと会食した魔王は、「悪くない」との感想を述べた。対してルーは、「すっごく美味しかったよ」と褒めちぎってくれる。

 まあ、メインがルーの好きなスペアリブだったから、わからなくもないけれど。
 
 ただ、手間をかけた料理の感想が「悪くない」では、作りがいもない。
 虫の居所が悪かった私は、ルーが立ち去った後、とうとう魔王に意見した。

「悪くない、ではわかりません。気に入ったら、美味しいと言ってください。でなければ、そのメニューは今後一切出しません」

 冷静になって考えると、雇われている身でこれはない。
 魔王は私の偉そうな物言いをとがめず、すぐにうなずく。

「わかった。思うことがあれば、遠慮なく申せ」

「え? いいんですか?」

「ああ」

「ただの使用人なのに?」

「人間界では『妻』と紹介したが?」

「あれは演技でしたよね。そう言えば、あの時髪が長かったのは、どうしてですか?」

「人間の抱く魔王のイメージは、ああではないのか?」

「え? じゃあ、短い今が本来のお姿?」

「決まっておらぬが、こっちの方が手入れが楽だ」

 まさか、たったそれだけの理由で?

「他にもあるか? せっかくだから、聞いてやる」

「ええっと……そうだわ! これ、まだ消してもらっておりません」

 胸元の魔法陣を見せるため、深く考えずにシャツのえりを広げた。
 間の悪いことに、そこへ吸血鬼が来てしまう。

「魔王様、先ほどの書類……人間! そうやって偉大なお方を誘惑するとは、けしからん!!」

「誘惑? ……違っ、あの、これは……」

「言い訳は無用です。さっさとここから出て行きなさい!」

 誤解を正してもらおうと魔王を見れば、なぜか片手で口をふさいでいる。
 頬がうっすら赤いのは、私の気のせい?

「だいたい、罪人だった分際で……なっ」

 胸の刻印に目を走らせた吸血鬼は、なぜか言葉を失った。
 彼は私ではなく、魔王に向き直る。

「魔王様! どうして『罪人』でなく『所有』の印を? いつの間に書き換えたのです?」

「え? 書き換えられた覚えはありませんが」

「お前は黙っていなさい! ……え? 今、なんと?」

「ですから、書き換えられた覚えはない、と言いました」

「魔王様!」

 慌てる吸血鬼の視線を、魔王は冷静に受け止めている。

「ま、そういうことだ」

「そういうことって……。では、魔王様は初めから、この者を処分なさるおつもりはなかったのですね?」

「クリストラン、いちいち言わねばわからぬか?」

「……いいえ。出過ぎたことを申しました」

 悔しそうな吸血鬼。
 だけど、私にとっては新事実。
 
 ――だったらこの刻印は、魔界で私を護るため?

「我のもの」とか、「魔王様の刻印」だとか。今になってそのセリフの意味が、ようやくわかる。

 ――『罪人』ではなく『所有』の印なら、消す必要などないのでは?

 そんなことを考えた自分が恥ずかしく、顔が熱くなった。
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