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上京した理由
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食堂の椅子に座っていた私は、真希さんの帰りを今か今かと待っていた。星 真希さんは101号室の住人で、この『生玲荘』の大家さん。プロのスタイリストでもある彼は、現在、お仕事の都合で出張している。102号室に住む弟の慎一さんによると、今夜戻る予定なのだとか。
真希さんは、すごく親切だ。
東京に出てきて間もない私に、いろんなことを丁寧に教えてくれる。電車の乗換えやスーパー、安くて美味しいお店など。面倒見が良くて話し方も優しいから、私はすぐに頼ってしまう。
『ひよこは生まれて最初に見たものを親と認識する』って聞いたことがあるけれど、まさにそんな感じ。まあ私は、ひよこどころかたまごにもまだ、なっていないんだけど……
そんなわけで、私はオネェである真希さんに絶対の信頼を寄せている。だから、餡蜜――山田お姉さんにいいように使われたり、201号室に入れない状況も彼……彼女? なら何とかしてくれるはず。
なのに――
夜の11時を過ぎたというのに、真希さんはなかなか帰って来ない。まあ、都会は終電も遅くまであるだろうし、夜道も外灯が明るいから心配はしてないんだけど。
東京に出て気がついたこと。それは、夜がとても明るいということ。夜の10時前に暗くならないし、コンビニ以外のお店も夜中まで開いている。駅前はビルがいっぱいあって電気が煌々とついているから、昼間のように明るい。電車もなんと11時や12時まで走っていて、バスやタクシーもいっぱい止まっている。夜の9時で唯一の交通手段であるバスが無くなる実家とは大違い!
東京に出て思ったこと。みんな、そんなに頑張らなくてもいいのに……。一生懸命働いている人たちが、この国を支えてるってわかっている。毎日が忙しいから、夜しか遊びに行く時間がないということも。平日の夜でもいろんな所に行けるし、飲み屋も遅くまで開いているから、寄って帰る人もいるんだろうな。もちろんほとんどの人が、残業で遅くなっているんだろう。
電車は夜でも混んでいる。都会に来るまでは、どの時間帯でも人が多いなんて知らなかった。車両もギュウギュウ詰めで、のんびりしてたら乗り遅れるし、降りられない。会社や学校に行くだけでも、何だかすごく疲れてしまう。
大きなお世話かもしれないけれど、休日くらいは頑張り過ぎずに、自分をいたわり身体を休めて欲しい。
そんなとりとめのないことを考えていたら、夜の12時を回っていた。
遅い時間だけど真希さん大丈夫なのかな? 男の人でも綺麗だから、痴漢なんかに遭わないといいんだけど……
餡蜜さんの部屋にそのまま泊めてもらえば良かったな。遅くなって疲れている真希さんを、慎一さんの部屋に移動させるのは申し訳ない。
餡蜜さんこと山田お姉さんは、今日もスナックでアルバイト。さすがに何日も居座るのは悪いので、彼女が出掛ける前にお礼を言って部屋を出てきた。ちゃんと掃除して、洗濯物もとりこんで畳んでおいた。
百合さんは執筆中のようで、そういえば昨日から姿を見かけていない。真鈴ちゃんは、今日はバイト終わりにお友達の家に泊まりにいくのだそうだ。みんなとてもいい人たちで、会えば気さくに話しかけてくれる。
今思うと、餡蜜さんが私にあれこれ用事を言いつけてきたのは、気を遣わせないようにするためだったのかもしれない。だって、彼女の身の回りの世話を引き受けることで、私は遠慮なく部屋を使わせてもらっていたから。
山田お姉さんは寝る時もセクシーな恰好なので、目のやり場に困った。朝帰りの時は廊下でそのまま寝るから、部屋にひきずって入るのが大変だった。けれど振り返ってみれば、それはそれで意外に楽しかった気がする。
慎一さんに愚痴ってしまって悪かったな。
おおらかでセクシーな山田お姉さん――餡蜜さんと呼ばないと怒られるんだった。彼女がアルバイトから帰ってきたら、もう一度きちんとお礼を言うことにしよう!
アルバイトといえば、私は駅前のファミリーレストランで働くことにした。シフト制で空いている時間に入れるそうで、店長も優しかった。お金を払えばご飯も食べられるみたいだし、制服があるので着ていく物にも困らない。時給もそれなりだし、ここから近いから夜でも安心。さすがは真鈴ちゃん情報だ。明日の夕方からってことだったので、人生初のバイトを頑張らないといけない。
女子校時代はアルバイト禁止。
そうでなくとも通学に時間がかかっていたから、バイトなんて無理だった。高校を卒業してからは暇な時間があったけど、何だか気が抜けてまともな生活をしていなかった。家でゴロゴロしていたのを、親もよく許してくれたものだと思う。
自分に言い訳ばかりして、楽な方に逃げていた私……大変なのはみんな一緒だったのに。弱い私はなかなか立ち直ることができずに、ダラダラした生活を送っていた。
友達はみんな頑張っていた。
家が潰れた子は私の他にもいたけれど、言い訳せずに一生懸命生きていた。世の中にはもっと大変な人たち……東日本大震災や集中豪雨、火災の被害に遭われた方などがたくさんいらっしゃる。頭では理解しているし、報道だって見ていた。なのに私は嘆くばかりで、前に進めていなかった。
勉強が遅れたのも、最後のインターハイに調整が間に合わなかったのも、仕方のないことだった。あの頃は生きることに精一杯で、涙を呑んだ子は大勢いる。反対に地震のおかげで奮起して、自分が将来やりたいことが決まったという子も周りにたくさんいた。
周りの友達の進路がどんどん決まっていく中、私は目標のない自分に戸惑い気ばかり焦っていた。学校の先生はそんな私を見捨てずに、親身に相談にのって下さった。それなのに、私は自分だけが一人、取り残されたような気がしていた。
地震以降環境がガラリと変わり、ある日突然、見知らぬ場所に放り込まれたような、そんな感じを覚えていた。
東京に出てきたのは、弱い自分を変えたかったから。知り合いのいない土地で、一からやり直してみたかった。両親はわがままを言う娘に反対せずに「頑張れ」と笑顔で送り出してくれた。
私は勉強ができるわけでなく、それほど美術が得意だったわけでもない。元々スポーツ一本で頑張ろうと思っていたから、他に取り柄もない。イラストレーターを目指したきっかけも、そういえばあの時感動した絵本があったな、というくらいの単純な理由。
こんな私が『イラストレーターの卵』を名乗ってもいいのか甚だ疑問だ。だけど真希さんは、初めて会った私に「ようこそ」と笑いかけてくれた。「好きなことを職業にしたいだなんて素敵じゃない……あなたは『たまご』なんだから、その期間も楽しめばいいのよ」と、そんなふうにも言ってくれた。
やっぱり私、ひよこみたい?
真希さんのこと、おネェさんじゃなくってお母さんだって思ってたりして……
真希さんは、すごく親切だ。
東京に出てきて間もない私に、いろんなことを丁寧に教えてくれる。電車の乗換えやスーパー、安くて美味しいお店など。面倒見が良くて話し方も優しいから、私はすぐに頼ってしまう。
『ひよこは生まれて最初に見たものを親と認識する』って聞いたことがあるけれど、まさにそんな感じ。まあ私は、ひよこどころかたまごにもまだ、なっていないんだけど……
そんなわけで、私はオネェである真希さんに絶対の信頼を寄せている。だから、餡蜜――山田お姉さんにいいように使われたり、201号室に入れない状況も彼……彼女? なら何とかしてくれるはず。
なのに――
夜の11時を過ぎたというのに、真希さんはなかなか帰って来ない。まあ、都会は終電も遅くまであるだろうし、夜道も外灯が明るいから心配はしてないんだけど。
東京に出て気がついたこと。それは、夜がとても明るいということ。夜の10時前に暗くならないし、コンビニ以外のお店も夜中まで開いている。駅前はビルがいっぱいあって電気が煌々とついているから、昼間のように明るい。電車もなんと11時や12時まで走っていて、バスやタクシーもいっぱい止まっている。夜の9時で唯一の交通手段であるバスが無くなる実家とは大違い!
東京に出て思ったこと。みんな、そんなに頑張らなくてもいいのに……。一生懸命働いている人たちが、この国を支えてるってわかっている。毎日が忙しいから、夜しか遊びに行く時間がないということも。平日の夜でもいろんな所に行けるし、飲み屋も遅くまで開いているから、寄って帰る人もいるんだろうな。もちろんほとんどの人が、残業で遅くなっているんだろう。
電車は夜でも混んでいる。都会に来るまでは、どの時間帯でも人が多いなんて知らなかった。車両もギュウギュウ詰めで、のんびりしてたら乗り遅れるし、降りられない。会社や学校に行くだけでも、何だかすごく疲れてしまう。
大きなお世話かもしれないけれど、休日くらいは頑張り過ぎずに、自分をいたわり身体を休めて欲しい。
そんなとりとめのないことを考えていたら、夜の12時を回っていた。
遅い時間だけど真希さん大丈夫なのかな? 男の人でも綺麗だから、痴漢なんかに遭わないといいんだけど……
餡蜜さんの部屋にそのまま泊めてもらえば良かったな。遅くなって疲れている真希さんを、慎一さんの部屋に移動させるのは申し訳ない。
餡蜜さんこと山田お姉さんは、今日もスナックでアルバイト。さすがに何日も居座るのは悪いので、彼女が出掛ける前にお礼を言って部屋を出てきた。ちゃんと掃除して、洗濯物もとりこんで畳んでおいた。
百合さんは執筆中のようで、そういえば昨日から姿を見かけていない。真鈴ちゃんは、今日はバイト終わりにお友達の家に泊まりにいくのだそうだ。みんなとてもいい人たちで、会えば気さくに話しかけてくれる。
今思うと、餡蜜さんが私にあれこれ用事を言いつけてきたのは、気を遣わせないようにするためだったのかもしれない。だって、彼女の身の回りの世話を引き受けることで、私は遠慮なく部屋を使わせてもらっていたから。
山田お姉さんは寝る時もセクシーな恰好なので、目のやり場に困った。朝帰りの時は廊下でそのまま寝るから、部屋にひきずって入るのが大変だった。けれど振り返ってみれば、それはそれで意外に楽しかった気がする。
慎一さんに愚痴ってしまって悪かったな。
おおらかでセクシーな山田お姉さん――餡蜜さんと呼ばないと怒られるんだった。彼女がアルバイトから帰ってきたら、もう一度きちんとお礼を言うことにしよう!
アルバイトといえば、私は駅前のファミリーレストランで働くことにした。シフト制で空いている時間に入れるそうで、店長も優しかった。お金を払えばご飯も食べられるみたいだし、制服があるので着ていく物にも困らない。時給もそれなりだし、ここから近いから夜でも安心。さすがは真鈴ちゃん情報だ。明日の夕方からってことだったので、人生初のバイトを頑張らないといけない。
女子校時代はアルバイト禁止。
そうでなくとも通学に時間がかかっていたから、バイトなんて無理だった。高校を卒業してからは暇な時間があったけど、何だか気が抜けてまともな生活をしていなかった。家でゴロゴロしていたのを、親もよく許してくれたものだと思う。
自分に言い訳ばかりして、楽な方に逃げていた私……大変なのはみんな一緒だったのに。弱い私はなかなか立ち直ることができずに、ダラダラした生活を送っていた。
友達はみんな頑張っていた。
家が潰れた子は私の他にもいたけれど、言い訳せずに一生懸命生きていた。世の中にはもっと大変な人たち……東日本大震災や集中豪雨、火災の被害に遭われた方などがたくさんいらっしゃる。頭では理解しているし、報道だって見ていた。なのに私は嘆くばかりで、前に進めていなかった。
勉強が遅れたのも、最後のインターハイに調整が間に合わなかったのも、仕方のないことだった。あの頃は生きることに精一杯で、涙を呑んだ子は大勢いる。反対に地震のおかげで奮起して、自分が将来やりたいことが決まったという子も周りにたくさんいた。
周りの友達の進路がどんどん決まっていく中、私は目標のない自分に戸惑い気ばかり焦っていた。学校の先生はそんな私を見捨てずに、親身に相談にのって下さった。それなのに、私は自分だけが一人、取り残されたような気がしていた。
地震以降環境がガラリと変わり、ある日突然、見知らぬ場所に放り込まれたような、そんな感じを覚えていた。
東京に出てきたのは、弱い自分を変えたかったから。知り合いのいない土地で、一からやり直してみたかった。両親はわがままを言う娘に反対せずに「頑張れ」と笑顔で送り出してくれた。
私は勉強ができるわけでなく、それほど美術が得意だったわけでもない。元々スポーツ一本で頑張ろうと思っていたから、他に取り柄もない。イラストレーターを目指したきっかけも、そういえばあの時感動した絵本があったな、というくらいの単純な理由。
こんな私が『イラストレーターの卵』を名乗ってもいいのか甚だ疑問だ。だけど真希さんは、初めて会った私に「ようこそ」と笑いかけてくれた。「好きなことを職業にしたいだなんて素敵じゃない……あなたは『たまご』なんだから、その期間も楽しめばいいのよ」と、そんなふうにも言ってくれた。
やっぱり私、ひよこみたい?
真希さんのこと、おネェさんじゃなくってお母さんだって思ってたりして……
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『綺麗になるから見てなさいっ!』(*´꒳`*)アルファポリス発行レジーナブックス。書店、通販にて好評発売中です。
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