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私の人生地味じゃない!
父の足跡
しおりを挟む第五十九章
次の日の朝、ノガレを先頭に一行は洞窟へ向かった。魔物が出るという洞窟は小屋からさらに坂を登ったところにあった。
ノガレは足を引きずって歩いていた。ユーグが尋ねると、腰を痛めているのだと答えた。
「そんなことで魔物と戦えるのか」
「もちろんだとも。戦うのは我が法力をもってするのだ。肉の身体など何でもない」
ノガレは青ざめていた顔を妙に上気させ、鼻息まで荒げていた。身にまとったボロを揺すりながら、傾いた身体で坂を登っていく。
ミアレ姫はその後ろ姿を心配げに見ていたが、カラゲルは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「なかなか威勢がいいじゃないか。俺の剣など出番がなさそうだ」
皮肉のつもりで言ったカラゲルの言葉にノガレは手を振って返した。
「剣だと、そんなものが通用する相手ではない。あの魔物と戦うことができるのは我が法力のみ。余計な手出しはせぬことだ」
昨日はすっかり意気消沈していたノガレは洞窟へ近づくにつれ気持ちを高ぶらせ、生気を取り戻していくようだった。
カラゲルは呆れてしまって横目でユーグを見たが、ユーグはいたって真剣な面持ちでノガレの背中を見つめていた。
一行の一番うしろにはクランがいた。ティトの姿は見えない。
昨日の夜のことだ。ティトは誰にも気づかれないようにクランに声をかけた。ティトは他の者たちに聞かせたくない話があるようだった。二人はそっと小屋を出た。
「イーグル・アイになら話してもいいと思って言うんだけど、あの魔法使いの爺さんの娘のこと」
「心当たりがあるのか」
「山の向こうのテン族の土地を行き来しているブンド族にもシャーマンがいるけど、そのシャーマンは元は魔法使いの娘なんだって聞いたことがあるよ。その時は魔法使いなんて冗談でしょと思ったけど、もしかすると……」
ティトは慌てて言い添えた。
「あっ、僕がこれを言ったことは内緒ね。シャーマンの素性をあれこれ言うのは我が部族じゃ嫌がられるからさ。あくまでも噂話ってことで」
嫌がられるどころか、ほとんど禁忌に近いということをクランも心得ていた。シャーマンは過去のすべてを捨ててシャーマンとなるのだ。その過去をあげつらってはならない。
暗い夜空のどこかでオローが鳴く声が聞こえた。クランは洞窟で起こるであろうことと、そのシャーマンの結びつきを直感的に悟った。
「それが、ノガレの言っていたアルテか」
「名前は分からないよ。シャーマンに名前はないでしょ。シャーマンはシャーマンさ。でも、そのシャーマンは時々悪い夢を見て暴れだすらしいんだ。あの爺さんにかけられた魔法の名残じゃないかな」
ティトは少年らしくあどけない顔を何とも言えない嫌悪感にゆがめた。
「しかし、ひどいジジイだよ。自分の娘に魔法をかけて連れ去るなんてさ。あんなの放っておけばいいよ。死ぬまで魔物と戦ってりゃいいんだ」
クランも内心、同意見ではあった。しかし、洞窟に何かがあるような予感もしていた。傲慢な隠者と魔法にかけられた娘、そして、洞窟の魔物。
「ユーグはなんとかしてナビ教をあるべき姿に返そうとしている。ノガレのことを放ってはおけないのだろう。それに、あの様子を見ただろう。ノガレは、もうなかば狂気に陥っている。何をしでかすか分からない。ティトよ、お前に頼みがある……」
ティトはその夜のうちに出発した。クランはハルをティトに貸した。脚の早い馬が必要だった。
姿を消したティトのことを聞かれたクランは部族の民に急用を思いついたらしいと言っておいた。誰もそれを信じなかったが、それ以上詮索はしなかった。
これまでもクランの周囲にはあれこれと意外なことが起こっていたが、それらのことは、もう旅の一行にとって意外なものではなくなっていたのだ。
一行は坂の上の洞窟にたどり着いた。
ノガレは松明を用意した。手まわし良く入り口の脇にその材料が積み上げてあった。それを見ればノガレがこの洞窟に何度となく潜っていることが分かった。
カラゲルはからかうような口調で言った。
「ノガレよ、松明作りも慣れたものじゃないか。お前の法力をもってすれば闇でも目が利きそうなものだが」
「馬鹿な。ちゃんと中には松明掛けを作り、広いところでは篝火も焚けるようにしてある。私はこの洞窟を隅々まで知り尽くしているのだ。どこにどんな魔物が出るのか、そして、どうやって戦うべきか、すべて知っている」
ノガレをどこかインチキ臭いとにらんでいるカラゲルは挑発するような口ぶりになった。
「知っていて倒せないのはどういうわけだ。まさか、わざと手を抜いているわけではあるまい。いつでも倒せるようなことを言う奴に限って大事な時に逃げ出したりするものだが」
ノガレは松明に火をつけた。樹脂が焦げる臭いが立ち昇った。
「若者よ、洞窟の魔物を目にしたら、そんな軽々しいことは口にできなくなるぞ」
松明の火を受けてノガレの目は異様な輝きを示した。何かに取り憑かれている者の目だと、カラゲルにも分かった。
松明をかかげたノガレを先頭に一行は洞窟へ入った。
入り口は岩壁の裂け目のように見えた。幅は狭いが高さは見上げるほどだ。そこかしこに蛇のように蔓草が這って風に揺れている。
少し奥へ行くと道幅は広くなった。その代わり、外の光は入らなくなって暗闇が濃くなった。
ノガレが言ったとおり壁のあちこちに松明掛けが作りつけてあった。ノガレはそれに火を移しながら一行を導いていった。
空気は乾いていた。魔物が住むというが、それらしい物音もしない。
松明の火に照らし出された壁面に細かく白い筋が走っているのが見えた。小さな虫が這った跡のようでもあり、植物の根のようでもある。
それを調べたユーグはクランに言った。
「これはただの洞窟ではないな。どう思う」
クランは壁に走る筋を目で追った。それはいにしえの言葉だった。
クランはベルーフ峰の洞窟を思った。あそこでは無数の蟻の群れが壁面にいにしえの言葉を描いて見せた。いにしえの言葉のあらわれは予期し難いものだ。
ここにあるのは物語の一部と見えたが、壁が崩れ落ちているところもあってはっきりしなかった。
「もっと奥へ行ってよく調べてみないと分からないが、古王国時代の部族の民が使っていた洞窟だろう。彼らの聖地だったのかも知れない」
前を進んでいたカラゲルが振り返って尋ねた。
「こんな辺鄙な山の中にそんな連中がいたっていうのか」
ユーグは言った。
「古王国時代の記録には今は忘れられた部族のことがよく出てくる。もう名前すらおぼろげな部族のことがな。いにしえの言葉の知識が完全ではなくなっている今、彼らがどこでどんな暮らしをしていたかは分からないのだ」
ミアレ姫も壁面の文字に目を見張っていた。よく見ると壁から天井まで文字で覆い尽くされている。ただし、天井の高いところには松明の光も届かず闇が澱んでいた。
「ユーグよ、こうした遺跡は他にもあるのですか。もしや貴重な発見では」
「もちろんです。これらのいにしえの言葉には……ああ、これはひどい。おい、ノガレよ、これはお前がやったことか」
刻まれた文字に構わず松明掛けを作ってあるせいで壁に大きく崩落している部分があった。少し先の通路の広いところでは篝火を焚くために壁面がえぐられていた。
そこにも古代の部族の存在の証しが刻まれていたはずだが、ノガレはそんなことには無頓着のようだった。
「ああ、そうだ。これで洞窟の探索がやりやすくなったのだ。これを作るだけでも私は大変な苦労をしたのだぞ」
ノガレは篝火台に松明の火を移した。油の焦げる臭いがして揺れる火がノガレの横顔を照らした。
「しかし、ノガレよ。お前もナビ教の祭司なら古代の知識に敬意を払うべきではないのか。これを見ろ、壁面が崩れ、煤がついて文字が読めなくなっているではないか」
額の汗を拭ったノガレは乾いた唇をゆがめて、かつての同僚をにらみ返した。
「そんなものが何だというのだ。いにしえの言葉で魔物を倒すことができるというのか。それで姫さまに王国を奪還してさしあげることができるとでもいうのか。必要なのは力だ。すぐに我が法力のほどを見せてやる」
ノガレは松明の火を高々とかかげた。その目がギラギラと光っている。
「ミアレ姫よ、シュメル王の正統なる血脈の継承者よ。我が法力をご覧あれ。我が法力をもってすれば闇の王を追い払うなどたやすいこと。そこなるユーグなど当てにせぬことです。シュメル王もあの時、私を召し抱えておればこんなことにはならなかったのです。思えば姫さまが私のもとへ来られたのも神々の導きによる運命でありましょう。いまや王国の行く末はこのノガレの手にかかっておるのです」
洞窟の天井に響き渡るノガレの声はうわずっていた。洞窟の奥へ進むほどにノガレは気持ちを高ぶらせていくようだった。
やがてノガレは一行を一段と天井の高い広場のようになった場所へ連れて行った。
そこにも篝火台がいくつか作られていた。ノガレは油断なくあたりに目を配りながら松明の火を移していった。
揺れる炎の光がごつごつした岩肌を露出させた天井まで行き渡った時、洞窟に地鳴りのような音が響き始めた。
「来るぞ、下がっておれ。お前たちなどの手に負える相手ではないからな」
ノガレの言葉に一行は後ずさった。
カラゲルは剣の柄に手を当て、ユーグはミアレ姫を守る位置に立った。
地鳴りがしだいに大きくなり、加えて、ヒューヒューと風が吹くような音が聞こえてきた。
クランは青い目を閉じ、低く朗唱を始めた。明暗反転した視野の中に蠢くものがあった。死霊だ。
それらの者たちは遠い古代から行き場を失ってこの洞窟を彷徨っているらしかった。姿さえおぼろげで、水面に映る影のような、風に揺れる水煙のような、透き通ってゆらめく形をしていた。
獲物を捉える鷲の目のように視野を引き絞り集中させて見ると、その者たちは手に剣を持っているようだった。彼らは誰とも知れぬ相手へ剣を振り上げ、振り下ろし、それを繰り返していた。
クランは思った。
ノガレは精霊が見えないと言った。ならば、ノガレが起こした嵐は果たしてミアレの根からしぼり出した力によるものだろうか。そうではあるまい。
「見ろ、あれを。第一の魔物だ!」
ノガレが叫んだ。指差す先の岩陰から、のっそりと四つ脚の魔物が姿を現した。
魔物は巨大な蜥蜴のような姿をしていた。長い尾をのたうたせ、短い脚で地面を這って、こちらへ向かって来る。
よろめく足取りで蜥蜴の前に出たノガレは魔法印を結んだ両手を頭上にかかげた。
「おお、魔物よ。お前など、私の敵ではない。お前を何度倒したことか」
大蜥蜴は口から炎の舌を吐き出した。目がギラギラと赤く光って、ノガレに挑むようだ。
ノガレは両手を振りかざしたまま大蜥蜴と間合いを取っているらしかった。その仕草はなにやら芝居がかって、まるで旅芸人の人形劇を見ているようだった。
「おお、火蜥蜴よ。お前の火など私には効かぬ。お前を倒すのはこの私だ」
そんなノガレの言葉もどこか形ばかりの決まり文句めいていた。
カラゲルは剣の柄に手をかけたまま小首をかしげていた。
「何だあれは。まるでおとぎ話の怪物じゃないか。蜥蜴の化け物とは」
大蜥蜴の背中の鱗が逆立ったかと思うと、口から勢いよく炎が噴き出した。
ノガレは両手の指先をくねらせ、印を結んだ。あたりにもうもうと水煙がたちこめ、炎は消えた。
大蜥蜴は短い脚をバタつかせてノガレへ突進してきた。ノガレは危なっかしい足取りでそれをかわすと、長い尻尾に飛びついた。
「そら、捕まえたぞ、卑しい魔物よ。もう逃しはせぬぞ!」
印を結び直したノガレの手の中にきらめく剣が現れた。それは実体のあるものではなく、光が剣の形となってノガレの手に握られているのだ。
これにはユーグも目を見張った。火球のような揺らぐものならともかく、あれほどに輪郭のくっきりした像を空間に描くことができる魔法をユーグも知らなかった。
「我が正義の剣を受けよ!」
ノガレは大蜥蜴の尻尾の付け根あたりへ魔法の剣を突き立てた。
大蜥蜴は苦痛の叫びとともに、あたりかまわず炎の舌を噴き出した。
カラゲルとユーグはミアレ姫をかばうようにして後ずさったが、不思議と炎の熱は感じられなかった。クランはすでに目を開き、平然としてノガレの様子をうかがっていた。
ノガレに剣を突き立てられた大蜥蜴は一行の見ている前で姿を消した。どこかへ逃げたわけではなく、水面の影が小波にかき消されるように姿が消えたのだった。
後に残ったノガレはぐったりとして、その場にへたり込んでいた。魔物とともに魔法の剣も消えていた。
「いつもこうして逃げられてしまうのだ。急所を間違いなく貫いているはずなのだが」
旅の一行は夢を見させられていたような気分で顔を見合わせた。
カラゲルが呆れ声を出した。
「隠者よ、お前は毎度、魔物に逃げられているのか。それこそ蜥蜴の尻尾切りというやつだな」
ノガレは立ち上がり、疲れたように溜息をついた。
「しかし、私の理にかなった戦いぶりを見ただろう。火には水で対抗し、急所を突く。それで間違っていないはずなのだ。まあ、いい。魔物はまだいる」
次の日の朝、ノガレを先頭に一行は洞窟へ向かった。魔物が出るという洞窟は小屋からさらに坂を登ったところにあった。
ノガレは足を引きずって歩いていた。ユーグが尋ねると、腰を痛めているのだと答えた。
「そんなことで魔物と戦えるのか」
「もちろんだとも。戦うのは我が法力をもってするのだ。肉の身体など何でもない」
ノガレは青ざめていた顔を妙に上気させ、鼻息まで荒げていた。身にまとったボロを揺すりながら、傾いた身体で坂を登っていく。
ミアレ姫はその後ろ姿を心配げに見ていたが、カラゲルは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「なかなか威勢がいいじゃないか。俺の剣など出番がなさそうだ」
皮肉のつもりで言ったカラゲルの言葉にノガレは手を振って返した。
「剣だと、そんなものが通用する相手ではない。あの魔物と戦うことができるのは我が法力のみ。余計な手出しはせぬことだ」
昨日はすっかり意気消沈していたノガレは洞窟へ近づくにつれ気持ちを高ぶらせ、生気を取り戻していくようだった。
カラゲルは呆れてしまって横目でユーグを見たが、ユーグはいたって真剣な面持ちでノガレの背中を見つめていた。
一行の一番うしろにはクランがいた。ティトの姿は見えない。
昨日の夜のことだ。ティトは誰にも気づかれないようにクランに声をかけた。ティトは他の者たちに聞かせたくない話があるようだった。二人はそっと小屋を出た。
「イーグル・アイになら話してもいいと思って言うんだけど、あの魔法使いの爺さんの娘のこと」
「心当たりがあるのか」
「山の向こうのテン族の土地を行き来しているブンド族にもシャーマンがいるけど、そのシャーマンは元は魔法使いの娘なんだって聞いたことがあるよ。その時は魔法使いなんて冗談でしょと思ったけど、もしかすると……」
ティトは慌てて言い添えた。
「あっ、僕がこれを言ったことは内緒ね。シャーマンの素性をあれこれ言うのは我が部族じゃ嫌がられるからさ。あくまでも噂話ってことで」
嫌がられるどころか、ほとんど禁忌に近いということをクランも心得ていた。シャーマンは過去のすべてを捨ててシャーマンとなるのだ。その過去をあげつらってはならない。
暗い夜空のどこかでオローが鳴く声が聞こえた。クランは洞窟で起こるであろうことと、そのシャーマンの結びつきを直感的に悟った。
「それが、ノガレの言っていたアルテか」
「名前は分からないよ。シャーマンに名前はないでしょ。シャーマンはシャーマンさ。でも、そのシャーマンは時々悪い夢を見て暴れだすらしいんだ。あの爺さんにかけられた魔法の名残じゃないかな」
ティトは少年らしくあどけない顔を何とも言えない嫌悪感にゆがめた。
「しかし、ひどいジジイだよ。自分の娘に魔法をかけて連れ去るなんてさ。あんなの放っておけばいいよ。死ぬまで魔物と戦ってりゃいいんだ」
クランも内心、同意見ではあった。しかし、洞窟に何かがあるような予感もしていた。傲慢な隠者と魔法にかけられた娘、そして、洞窟の魔物。
「ユーグはなんとかしてナビ教をあるべき姿に返そうとしている。ノガレのことを放ってはおけないのだろう。それに、あの様子を見ただろう。ノガレは、もうなかば狂気に陥っている。何をしでかすか分からない。ティトよ、お前に頼みがある……」
ティトはその夜のうちに出発した。クランはハルをティトに貸した。脚の早い馬が必要だった。
姿を消したティトのことを聞かれたクランは部族の民に急用を思いついたらしいと言っておいた。誰もそれを信じなかったが、それ以上詮索はしなかった。
これまでもクランの周囲にはあれこれと意外なことが起こっていたが、それらのことは、もう旅の一行にとって意外なものではなくなっていたのだ。
一行は坂の上の洞窟にたどり着いた。
ノガレは松明を用意した。手まわし良く入り口の脇にその材料が積み上げてあった。それを見ればノガレがこの洞窟に何度となく潜っていることが分かった。
カラゲルはからかうような口調で言った。
「ノガレよ、松明作りも慣れたものじゃないか。お前の法力をもってすれば闇でも目が利きそうなものだが」
「馬鹿な。ちゃんと中には松明掛けを作り、広いところでは篝火も焚けるようにしてある。私はこの洞窟を隅々まで知り尽くしているのだ。どこにどんな魔物が出るのか、そして、どうやって戦うべきか、すべて知っている」
ノガレをどこかインチキ臭いとにらんでいるカラゲルは挑発するような口ぶりになった。
「知っていて倒せないのはどういうわけだ。まさか、わざと手を抜いているわけではあるまい。いつでも倒せるようなことを言う奴に限って大事な時に逃げ出したりするものだが」
ノガレは松明に火をつけた。樹脂が焦げる臭いが立ち昇った。
「若者よ、洞窟の魔物を目にしたら、そんな軽々しいことは口にできなくなるぞ」
松明の火を受けてノガレの目は異様な輝きを示した。何かに取り憑かれている者の目だと、カラゲルにも分かった。
松明をかかげたノガレを先頭に一行は洞窟へ入った。
入り口は岩壁の裂け目のように見えた。幅は狭いが高さは見上げるほどだ。そこかしこに蛇のように蔓草が這って風に揺れている。
少し奥へ行くと道幅は広くなった。その代わり、外の光は入らなくなって暗闇が濃くなった。
ノガレが言ったとおり壁のあちこちに松明掛けが作りつけてあった。ノガレはそれに火を移しながら一行を導いていった。
空気は乾いていた。魔物が住むというが、それらしい物音もしない。
松明の火に照らし出された壁面に細かく白い筋が走っているのが見えた。小さな虫が這った跡のようでもあり、植物の根のようでもある。
それを調べたユーグはクランに言った。
「これはただの洞窟ではないな。どう思う」
クランは壁に走る筋を目で追った。それはいにしえの言葉だった。
クランはベルーフ峰の洞窟を思った。あそこでは無数の蟻の群れが壁面にいにしえの言葉を描いて見せた。いにしえの言葉のあらわれは予期し難いものだ。
ここにあるのは物語の一部と見えたが、壁が崩れ落ちているところもあってはっきりしなかった。
「もっと奥へ行ってよく調べてみないと分からないが、古王国時代の部族の民が使っていた洞窟だろう。彼らの聖地だったのかも知れない」
前を進んでいたカラゲルが振り返って尋ねた。
「こんな辺鄙な山の中にそんな連中がいたっていうのか」
ユーグは言った。
「古王国時代の記録には今は忘れられた部族のことがよく出てくる。もう名前すらおぼろげな部族のことがな。いにしえの言葉の知識が完全ではなくなっている今、彼らがどこでどんな暮らしをしていたかは分からないのだ」
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「ユーグよ、こうした遺跡は他にもあるのですか。もしや貴重な発見では」
「もちろんです。これらのいにしえの言葉には……ああ、これはひどい。おい、ノガレよ、これはお前がやったことか」
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そこにも古代の部族の存在の証しが刻まれていたはずだが、ノガレはそんなことには無頓着のようだった。
「ああ、そうだ。これで洞窟の探索がやりやすくなったのだ。これを作るだけでも私は大変な苦労をしたのだぞ」
ノガレは篝火台に松明の火を移した。油の焦げる臭いがして揺れる火がノガレの横顔を照らした。
「しかし、ノガレよ。お前もナビ教の祭司なら古代の知識に敬意を払うべきではないのか。これを見ろ、壁面が崩れ、煤がついて文字が読めなくなっているではないか」
額の汗を拭ったノガレは乾いた唇をゆがめて、かつての同僚をにらみ返した。
「そんなものが何だというのだ。いにしえの言葉で魔物を倒すことができるというのか。それで姫さまに王国を奪還してさしあげることができるとでもいうのか。必要なのは力だ。すぐに我が法力のほどを見せてやる」
ノガレは松明の火を高々とかかげた。その目がギラギラと光っている。
「ミアレ姫よ、シュメル王の正統なる血脈の継承者よ。我が法力をご覧あれ。我が法力をもってすれば闇の王を追い払うなどたやすいこと。そこなるユーグなど当てにせぬことです。シュメル王もあの時、私を召し抱えておればこんなことにはならなかったのです。思えば姫さまが私のもとへ来られたのも神々の導きによる運命でありましょう。いまや王国の行く末はこのノガレの手にかかっておるのです」
洞窟の天井に響き渡るノガレの声はうわずっていた。洞窟の奥へ進むほどにノガレは気持ちを高ぶらせていくようだった。
やがてノガレは一行を一段と天井の高い広場のようになった場所へ連れて行った。
そこにも篝火台がいくつか作られていた。ノガレは油断なくあたりに目を配りながら松明の火を移していった。
揺れる炎の光がごつごつした岩肌を露出させた天井まで行き渡った時、洞窟に地鳴りのような音が響き始めた。
「来るぞ、下がっておれ。お前たちなどの手に負える相手ではないからな」
ノガレの言葉に一行は後ずさった。
カラゲルは剣の柄に手を当て、ユーグはミアレ姫を守る位置に立った。
地鳴りがしだいに大きくなり、加えて、ヒューヒューと風が吹くような音が聞こえてきた。
クランは青い目を閉じ、低く朗唱を始めた。明暗反転した視野の中に蠢くものがあった。死霊だ。
それらの者たちは遠い古代から行き場を失ってこの洞窟を彷徨っているらしかった。姿さえおぼろげで、水面に映る影のような、風に揺れる水煙のような、透き通ってゆらめく形をしていた。
獲物を捉える鷲の目のように視野を引き絞り集中させて見ると、その者たちは手に剣を持っているようだった。彼らは誰とも知れぬ相手へ剣を振り上げ、振り下ろし、それを繰り返していた。
クランは思った。
ノガレは精霊が見えないと言った。ならば、ノガレが起こした嵐は果たしてミアレの根からしぼり出した力によるものだろうか。そうではあるまい。
「見ろ、あれを。第一の魔物だ!」
ノガレが叫んだ。指差す先の岩陰から、のっそりと四つ脚の魔物が姿を現した。
魔物は巨大な蜥蜴のような姿をしていた。長い尾をのたうたせ、短い脚で地面を這って、こちらへ向かって来る。
よろめく足取りで蜥蜴の前に出たノガレは魔法印を結んだ両手を頭上にかかげた。
「おお、魔物よ。お前など、私の敵ではない。お前を何度倒したことか」
大蜥蜴は口から炎の舌を吐き出した。目がギラギラと赤く光って、ノガレに挑むようだ。
ノガレは両手を振りかざしたまま大蜥蜴と間合いを取っているらしかった。その仕草はなにやら芝居がかって、まるで旅芸人の人形劇を見ているようだった。
「おお、火蜥蜴よ。お前の火など私には効かぬ。お前を倒すのはこの私だ」
そんなノガレの言葉もどこか形ばかりの決まり文句めいていた。
カラゲルは剣の柄に手をかけたまま小首をかしげていた。
「何だあれは。まるでおとぎ話の怪物じゃないか。蜥蜴の化け物とは」
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ノガレは両手の指先をくねらせ、印を結んだ。あたりにもうもうと水煙がたちこめ、炎は消えた。
大蜥蜴は短い脚をバタつかせてノガレへ突進してきた。ノガレは危なっかしい足取りでそれをかわすと、長い尻尾に飛びついた。
「そら、捕まえたぞ、卑しい魔物よ。もう逃しはせぬぞ!」
印を結び直したノガレの手の中にきらめく剣が現れた。それは実体のあるものではなく、光が剣の形となってノガレの手に握られているのだ。
これにはユーグも目を見張った。火球のような揺らぐものならともかく、あれほどに輪郭のくっきりした像を空間に描くことができる魔法をユーグも知らなかった。
「我が正義の剣を受けよ!」
ノガレは大蜥蜴の尻尾の付け根あたりへ魔法の剣を突き立てた。
大蜥蜴は苦痛の叫びとともに、あたりかまわず炎の舌を噴き出した。
カラゲルとユーグはミアレ姫をかばうようにして後ずさったが、不思議と炎の熱は感じられなかった。クランはすでに目を開き、平然としてノガレの様子をうかがっていた。
ノガレに剣を突き立てられた大蜥蜴は一行の見ている前で姿を消した。どこかへ逃げたわけではなく、水面の影が小波にかき消されるように姿が消えたのだった。
後に残ったノガレはぐったりとして、その場にへたり込んでいた。魔物とともに魔法の剣も消えていた。
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「隠者よ、お前は毎度、魔物に逃げられているのか。それこそ蜥蜴の尻尾切りというやつだな」
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