悪女は愛より老後を望む

きゃる

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第一章 地味な私を放っといて

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「じゃあ、ハンナ。貴方は香水を入れる瓶の方をお願い。母は赤が好きだから、赤い色で」
「わかりました! それならお任せください」

 私は店主の勧めた香りをかぐため、リゼルを引っ張りカウンターの方に移動した。彼はかなり嫌がり抵抗している。男の子だから、恥ずかしいのかしら?

「げえー、くっせえ。何なんだ、このわざとらしい臭いは」
「香水なんてこんなものよ?」

 たぶん、だけど。
 王女だった頃は既に用意されていたから、よくわからない。今は全く付けないし。でも、どれか一つは選ばないといけないから、我慢してもらいたい。

「こちらなどいかがでしょうか? 男性にも女性にも人気の品です」
「そうね、いいかも」

 ムスク系の香りを勧められた。あまり好きではないけど仕方がない。
 適当に選ぼうとしていたら、なんとリゼルが声を出す。

「そっちはダメだ。嘘くさい。一番右だ、右!」
「ほう?」

 店主がおや? という顔をする。
 聞いてみたところ、右の方が混ざり物が少ない植物系で、自然の香りなんだとか。その分当然値段が張る。これは……薔薇の香りね?

「あんたにはそれだろ」
「いえ、私ではなくて……」

 言いかけて考える。信頼関係を築くには、頭ごなしに否定をしてはダメだ。私は泣く泣く購入を決めた。店主はもちろん大喜び。あの小さな香水一瓶で、新しい本がいったい何冊買えたのだろう? ということは、なるべく考えないようにしておく。

 店を出た私とハンナは、リゼルを連れて警備兵の詰め所へ。頭を下げさせ、盗った物を机に置く。既に届けが出ていたらしく、全て持ち主に返されることになった。

「他人の物を盗むのは良くないことだけど、そうしなければならない事情もあるわ。この国の法が、全てをカバーできているわけではないと思うの」

 詰め所では、リゼルよりもそう力説した私の方が怪しまれて、素性を詳しく聞かれてしまう。仕方なく身分を明かし、葡萄に白鳥という我が家の紋章入りの短剣を見せた。すると、兵の一人が隣の兵を小突こづく。理由を聞けば、王都にもワインを納めていたことが幸いし、ベルツワインの生産者としてうちを知っていたとのこと。
 結局、保釈金の代わりに兵の宿舎にワインを一たる納めることであっさり許してもらえた。それなら私の分を回せばいい。お父様お兄様、今ちょっとだけ見直しましてよ?



 リゼルを王都の屋敷に連れ帰った私は、彼の汚れた身体を侍女に洗わせようとした。激しく抵抗するから、てっきりお風呂嫌いなのかと思ったら……違ったみたい。

 ――少年は少女で、リーゼという名だった。

「リゼルと言うのは嘘?」
「女の名前だと、危ないだろ」
「それもそうね」

 女同士なら遠慮は要らない。
 ハンナと一緒になって、頭の天辺からつま先まで磨き上げる。リーゼは十二歳の女の子。泡の下から金色の髪と実は白かった肌がのぞく。ハンナが茶色の髪で愛らしい顔なら、金髪のリーゼは可愛いけれど将来確実に美人になるよね? という整った容貌だ。実の親に売り飛ばされそうになったのは、そのためだろう。だからといって、それが正しいことだとは絶対に思わない。

 男の子でなくてホッとした。女の子だと身近に置いても危険はないから。もしも彼女が男の子で、恩義を感じて「好きだ」などと真剣に告白されたら、私はその日に消えてしまう。年下だって油断してはいけないのだ。現に前回……まあ、私のことはこの際置いといて。今は彼女に気を配ろう。

「何でオレがこんなこと」
「オレじゃなくて、わ・た・し」
「生きるためには、オレって言ってた方が安全なんだよ」
「今まではそうかもね。でも、うちに危険はないわ。だからすぐに直してちょうだい」
「いつ放り出されるかわからねーから、このままでもいいだろ」
「放り出す? まさか。こうなったら老後も一緒よ」
「老後って、まだまだ先じゃねーか」

 残念ながらもうすぐよ。正しくは、老後ではなく隠居生活。二十一歳になったら、私は領地の片隅でひっそり暮らすつもり。
 もちろんリーゼが望むなら、解放してあげよう。だけど私は、妹ができたようで嬉しかった。もしくは、決して持つことが叶わない我が子だろうか? 何だか生きがいを見つけた予感がする。
 縁側用の買い物はできなかったけれど、その日の私は幸せな気持ちで床に就いた。


 翌日、朝食の席でリーゼを兄のヨルクに紹介する。ヨルクは彼女と私を交互に見やると、目を丸くした。

「ええっと、ミレディア。この子はどこの子かな?」
「街でスカウトしてきたの。うちで引き取ろうと思って」
「は? 私が家を空けていた間にいったい何が……。ミレディア、人間は犬や猫とは違うんだぞ」
「当たり前だわ。一緒にしないで!」

 兄の言葉に怒るかと思ったリーゼは、私達のやり取りを無言でじっと眺めるだけ。彼女がおびえないよう、私は後ろに寄り添った。けれど兄はムッとしている。

「いや、だから。勝手に連れて来てはダメだろう?」
「父親はいない。母親は不明。それでも?」
「だけど、子供を引き取るって……。その責任は誰が負う?」
「責任なら、大人になるまでは私が。成人した後は本人に。うちになら働き口もあるはずよね」
「だからって、こんなに小さい子を」
「小さいって言っても十二歳だし、もうすぐ十三歳よ? 奉公にだって上がれる年齢だわ」
「そんなになるのか? もっと幼く見えたが」

 ヨルクったら、さっきから失礼よ。
 貧しい生活をしていたから、リーゼが痩せているのは仕方がないと思う。少年だと思っていたのが少女で力も弱かったから、昨日は私でも取り押さえることができたのだ。 

「ええっと、リーゼと言ったっけ。君の得意なことは何? どんな仕事がしてみたい?」
「お兄様!」

 席を立ったヨルクが、リーゼの正面に回り話しかけてきた。かがんできっちり目を合わせるところが、我が兄ながら尊敬できる。もしかしてリーゼ、顔が強張こわばってる? 大人の男性が怖いのかしら?
 私はリーゼの背後から、励ますよう彼女の両肩に軽く手を添えた。大丈夫よ、何かあったら私が兄をぶっ飛ばすから。

「オレに何ができるかわからない。でも、食い物と温かい寝床は欲しい」

 リーゼが小さくつぶやいた。その声を聞き、兄が戸惑うように顔を上げる。問いかけるような目を向けたから、私は兄の顔を見てしっかり頷いた。ヨルクには、後から詳しく説明しよう。

「……そうか。リーゼ、それなら契約成立だ。うちの食事はまあまあで、寝床はきっと温かい」

 そう言って手を差し出した兄を、私は誇らしく感じた。リーゼの小さな手がヨルクの大きな手に重なった瞬間、感動のあまり私が少しだけ泣きそうになったことは、二人には秘密だ。
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