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第一章 幸せな今

私の真実

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 それから数日後。
 私は忙しい芽衣子めいこさんに代わって、大きな商店へメリケン粉(小麦粉)を買いに行くことになった。かき入れ時に抜けても平気なのは、給仕に不慣れな私だけ。威張いばって言うことではないけれど、樂斗らくとさんはドジなところも可愛いと言ってくれる。

 無事に買い物を終えて店を出た途端、私は黒い車から降りてきた黒服の男達に囲まれてしまう。

「お前が鷹花ようかだな」

 いかにも怪しい人達に、自ら名乗るはずがない。

「失礼ですが、あなた方は? ……キャッ」

 いきなり車に連れ込まれそうになった。
 買い物かごを振り回したせいで、メリケン粉が零れて辺りは粉だらけに。

「お前達、何をしている!」
樂斗らくとさん!」
「チッ、官憲か。相手が悪い」

 偶然通りがかった彼に、私は助けられた。
 けれど襲われた理由がわからず、震えが止まらない。

 私の名を呼ぶ彼らは何者?
 私はどこから来たの?
 黒服の男達は、私の過去を知っているのだろうか? 

 正体不明の男達に狙われた怖さと、以前の自分を思い出せない焦り。その日の夜に体調を崩した私は、樂斗さんの勧めもあって、回復後もなるべく店に出ないようにしていた。

「ええー、鷹花ようかちゃん、今日も休みかぁ。これじゃあ、なんのために来たのかわからないよ」
「芽衣子さんはきっついもんな。まあ、コーヒーだけは美味しいけど……わぶっ」

 階下から聞こえる声にも恐怖がつのる。陽気に笑う彼らの中に、黒服の男の仲間がいるとしたら?

 本来なら今頃は、お客様の冗談に笑っていたはずだ。給仕として役に立たなくても精一杯勤めていたし、お店のことは好きだった。れたてのコーヒーと甘い香りに包まれたあの場所にいると、心が落ち着くから。

 お客様の元気な声と店の明るい雰囲気には、いつも救われていた。

 『私は決して一人じゃない』

 そう感じるほど、カフェは私の日常だった。

「日常?」

 ふと、頭の中にある光景が浮かぶ。
 白い壁に白い天井てんじょう鋼鉄こうてつ製の無機質なベッド。薄茶の髪の眼鏡をかけた白衣の男性が何かを話しかけるが、顔がぼやけてよくわからない。

 頭が痛む。
 あの人は誰? 
 そして、私はいったい――。

「鷹花、変わりはないか? 巡回を強化しているが、男達の目撃情報が少なく、なかなか捕まらない」
「樂斗さん!」
「そんな顔してどうした。また具合が悪くなったのか?」
「いいえ。大丈夫だから、心配しないで」
「それならいいが、くれぐれも無理はするなよ。俺が君を必ず守るから」

 樂斗さんは心配症だ。
 それでなくても私は、好きな人に無理をさせていた。彼は同僚と担当地域を交代し、私が襲われないように警戒してくれているのだ。

 心苦しくてうつむく私に、交代で様子を見に来た芽衣子さんが笑ってくれる。
 
「弟は武道の達人だから、大船に乗ったつもりでいなさい」
「でも、樂斗さんにもしものことがあれば……」
「そんなことを言ったら、同じ言葉を返されるわよ。相手を大事に思うのは、鷹花だけじゃないってこと。男なら好きな子の一人や二人、守れなくてどうするの」
「いえ、好きな子が同時に二人はちょっと……」

 芽衣子さんと笑い合う。
 だけど、彼女が去っても不安な気持ちはぬぐえない。

 早く思い出さなくちゃ。
 浮かび上がらない記憶の底に、ヒントはあるはずなのに!

「樂斗さん……ごめんなさい」

 何もわからない自分が歯がゆくて、思わずつぶやく。仕事を終えて戻ってきた樂斗さんは、いつものように私の頭をポンポンと撫でてくれた。その優しい仕草に、無性に泣きたくなってしまう。

 ――好きになったのが、あなたで良かった。私が記憶を取り戻しても、一緒にいてくれますか?



 半月後。
 私は元通り、カフェで給仕として働くことになった。
 急に襲われたあの日以来、男達の姿は見かけない。目の前で黒い車が停まることもないので、車を見るたびビクビクしたり隠れたりするのは、もうやめよう。
 ただでさえ店は繁盛はんじょうしており、常に人手不足だ。私が欠けるせいで、お客様の楽しい時間を壊してはならない。

 そんな中、事件は起こった。
 表の通りで慌てたような声がする。

「あの車、真っ直ぐ突っ込んでいくぞ!」

 叫び声が聞こえた次の瞬間、一台の車が猛スピードでお店の正面扉に激突した。あろうことか車はまだ、動きを止めない。

「うわあっ」
「ひゃあ」
「危ないっ!」

 混乱の中、反射的に身体が動く。
 私は持っていたお盆を放り投げ、車の前に走り出た。大事なお客様と芽衣子さんに怪我をさせてはならないと、その一心で。

 車に向かって手を伸ばした直後、私の手に車のボンネットが激突。ぐしゃりとゆがむ。

 ――いえ、歪んだのは車の方だ。

「ひぃっ」
「車を一撃で?」
「ば、化け物だーー」

 飛び込んできたのは、緑色の車だった。運転席から出てきた人が「急にブレーキがかなくなった」と青ざめている。どうやら黒服の男達とは関係ないらしい。

 だけど私は、お店にいた人のざわめきの方が気になった。みんなに恐怖を与えてしまったことと「化け物」と言われたことで、ある映像が頭の中でめまぐるしく再生されていく。

 私は――……!!!

「鷹花、あんた平気なの! とにかく二階へ。手当てをしなさい」

 芽衣子さんの言葉に、私は素直に従った。
 お客様をおびえさせてはいけない。ただそれだけを考えていたのだ。



 二階へ上がり、後ろ手にふすまを閉めた。
 その瞬間、涙があふれて止まらない。
 切望していた過去の記憶が、こんなにもまわしいものだったなんて――。


 ◇◆◇


 私の名前は鷹束鷹花(たかつか ようか)。
 鷹束たかつか財閥ざいばつ総帥そうすいである父と、華族の母との間に生まれた。幼い頃は一人娘として、何不自由ない生活を送っていた記憶がある。けれど、原因不明の事故で両親が亡くなると、穏やかな生活は一変した。七歳の時、実の叔父おじの手で見知らぬ場所に連れて行かれたのだ。

「本当にいいんですか?」
「ああ。若い身体の方が、適合性があっていいだろう」
「確かに。おっしゃる通りですね」

 白衣の男達が叔父にびへつらい、小さな私を見て笑う。
 叔父は、双子の兄であった私の父の片腕として事業を切り盛りしていた。しかし、私の両親亡き後は早々に私を引き取り、財産と屋敷をそのまま引き継ぐ。そして「静養」との名目で、自身が所有する山奥の研究所へと私を放り込んだのだ。
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