3 / 6
第一章 幸せな今
私の真実
しおりを挟む
それから数日後。
私は忙しい芽衣子さんに代わって、大きな商店へメリケン粉(小麦粉)を買いに行くことになった。かき入れ時に抜けても平気なのは、給仕に不慣れな私だけ。威張って言うことではないけれど、樂斗さんはドジなところも可愛いと言ってくれる。
無事に買い物を終えて店を出た途端、私は黒い車から降りてきた黒服の男達に囲まれてしまう。
「お前が鷹花だな」
いかにも怪しい人達に、自ら名乗るはずがない。
「失礼ですが、あなた方は? ……キャッ」
いきなり車に連れ込まれそうになった。
買い物かごを振り回したせいで、メリケン粉が零れて辺りは粉だらけに。
「お前達、何をしている!」
「樂斗さん!」
「チッ、官憲か。相手が悪い」
偶然通りがかった彼に、私は助けられた。
けれど襲われた理由がわからず、震えが止まらない。
私の名を呼ぶ彼らは何者?
私はどこから来たの?
黒服の男達は、私の過去を知っているのだろうか?
正体不明の男達に狙われた怖さと、以前の自分を思い出せない焦り。その日の夜に体調を崩した私は、樂斗さんの勧めもあって、回復後もなるべく店に出ないようにしていた。
「ええー、鷹花ちゃん、今日も休みかぁ。これじゃあ、なんのために来たのかわからないよ」
「芽衣子さんはきっついもんな。まあ、コーヒーだけは美味しいけど……わぶっ」
階下から聞こえる声にも恐怖が募る。陽気に笑う彼らの中に、黒服の男の仲間がいるとしたら?
本来なら今頃は、お客様の冗談に笑っていたはずだ。給仕として役に立たなくても精一杯勤めていたし、お店のことは好きだった。淹れたてのコーヒーと甘い香りに包まれたあの場所にいると、心が落ち着くから。
お客様の元気な声と店の明るい雰囲気には、いつも救われていた。
『私は決して一人じゃない』
そう感じるほど、カフェは私の日常だった。
「日常?」
ふと、頭の中にある光景が浮かぶ。
白い壁に白い天井、鋼鉄製の無機質なベッド。薄茶の髪の眼鏡をかけた白衣の男性が何かを話しかけるが、顔がぼやけてよくわからない。
頭が痛む。
あの人は誰?
そして、私はいったい――。
「鷹花、変わりはないか? 巡回を強化しているが、男達の目撃情報が少なく、なかなか捕まらない」
「樂斗さん!」
「そんな顔してどうした。また具合が悪くなったのか?」
「いいえ。大丈夫だから、心配しないで」
「それならいいが、くれぐれも無理はするなよ。俺が君を必ず守るから」
樂斗さんは心配症だ。
それでなくても私は、好きな人に無理をさせていた。彼は同僚と担当地域を交代し、私が襲われないように警戒してくれているのだ。
心苦しくてうつむく私に、交代で様子を見に来た芽衣子さんが笑ってくれる。
「弟は武道の達人だから、大船に乗ったつもりでいなさい」
「でも、樂斗さんにもしものことがあれば……」
「そんなことを言ったら、同じ言葉を返されるわよ。相手を大事に思うのは、鷹花だけじゃないってこと。男なら好きな子の一人や二人、守れなくてどうするの」
「いえ、好きな子が同時に二人はちょっと……」
芽衣子さんと笑い合う。
だけど、彼女が去っても不安な気持ちは拭えない。
早く思い出さなくちゃ。
浮かび上がらない記憶の底に、ヒントはあるはずなのに!
「樂斗さん……ごめんなさい」
何もわからない自分が歯がゆくて、思わず呟く。仕事を終えて戻ってきた樂斗さんは、いつものように私の頭をポンポンと撫でてくれた。その優しい仕草に、無性に泣きたくなってしまう。
――好きになったのが、あなたで良かった。私が記憶を取り戻しても、一緒にいてくれますか?
半月後。
私は元通り、カフェで給仕として働くことになった。
急に襲われたあの日以来、男達の姿は見かけない。目の前で黒い車が停まることもないので、車を見るたびビクビクしたり隠れたりするのは、もうやめよう。
ただでさえ店は繁盛しており、常に人手不足だ。私が欠けるせいで、お客様の楽しい時間を壊してはならない。
そんな中、事件は起こった。
表の通りで慌てたような声がする。
「あの車、真っ直ぐ突っ込んでいくぞ!」
叫び声が聞こえた次の瞬間、一台の車が猛スピードでお店の正面扉に激突した。あろうことか車はまだ、動きを止めない。
「うわあっ」
「ひゃあ」
「危ないっ!」
混乱の中、反射的に身体が動く。
私は持っていたお盆を放り投げ、車の前に走り出た。大事なお客様と芽衣子さんに怪我をさせてはならないと、その一心で。
車に向かって手を伸ばした直後、私の手に車のボンネットが激突。ぐしゃりと歪む。
――いえ、歪んだのは車の方だ。
「ひぃっ」
「車を一撃で?」
「ば、化け物だーー」
飛び込んできたのは、緑色の車だった。運転席から出てきた人が「急にブレーキが効かなくなった」と青ざめている。どうやら黒服の男達とは関係ないらしい。
だけど私は、お店にいた人のざわめきの方が気になった。みんなに恐怖を与えてしまったことと「化け物」と言われたことで、ある映像が頭の中でめまぐるしく再生されていく。
私は――……!!!
「鷹花、あんた平気なの! とにかく二階へ。手当てをしなさい」
芽衣子さんの言葉に、私は素直に従った。
お客様を怯えさせてはいけない。ただそれだけを考えていたのだ。
二階へ上がり、後ろ手にふすまを閉めた。
その瞬間、涙が溢れて止まらない。
切望していた過去の記憶が、こんなにも忌まわしいものだったなんて――。
◇◆◇
私の名前は鷹束鷹花(たかつか ようか)。
鷹束財閥の総帥である父と、華族の母との間に生まれた。幼い頃は一人娘として、何不自由ない生活を送っていた記憶がある。けれど、原因不明の事故で両親が亡くなると、穏やかな生活は一変した。七歳の時、実の叔父の手で見知らぬ場所に連れて行かれたのだ。
「本当にいいんですか?」
「ああ。若い身体の方が、適合性があっていいだろう」
「確かに。おっしゃる通りですね」
白衣の男達が叔父に媚びへつらい、小さな私を見て笑う。
叔父は、双子の兄であった私の父の片腕として事業を切り盛りしていた。しかし、私の両親亡き後は早々に私を引き取り、財産と屋敷をそのまま引き継ぐ。そして「静養」との名目で、自身が所有する山奥の研究所へと私を放り込んだのだ。
私は忙しい芽衣子さんに代わって、大きな商店へメリケン粉(小麦粉)を買いに行くことになった。かき入れ時に抜けても平気なのは、給仕に不慣れな私だけ。威張って言うことではないけれど、樂斗さんはドジなところも可愛いと言ってくれる。
無事に買い物を終えて店を出た途端、私は黒い車から降りてきた黒服の男達に囲まれてしまう。
「お前が鷹花だな」
いかにも怪しい人達に、自ら名乗るはずがない。
「失礼ですが、あなた方は? ……キャッ」
いきなり車に連れ込まれそうになった。
買い物かごを振り回したせいで、メリケン粉が零れて辺りは粉だらけに。
「お前達、何をしている!」
「樂斗さん!」
「チッ、官憲か。相手が悪い」
偶然通りがかった彼に、私は助けられた。
けれど襲われた理由がわからず、震えが止まらない。
私の名を呼ぶ彼らは何者?
私はどこから来たの?
黒服の男達は、私の過去を知っているのだろうか?
正体不明の男達に狙われた怖さと、以前の自分を思い出せない焦り。その日の夜に体調を崩した私は、樂斗さんの勧めもあって、回復後もなるべく店に出ないようにしていた。
「ええー、鷹花ちゃん、今日も休みかぁ。これじゃあ、なんのために来たのかわからないよ」
「芽衣子さんはきっついもんな。まあ、コーヒーだけは美味しいけど……わぶっ」
階下から聞こえる声にも恐怖が募る。陽気に笑う彼らの中に、黒服の男の仲間がいるとしたら?
本来なら今頃は、お客様の冗談に笑っていたはずだ。給仕として役に立たなくても精一杯勤めていたし、お店のことは好きだった。淹れたてのコーヒーと甘い香りに包まれたあの場所にいると、心が落ち着くから。
お客様の元気な声と店の明るい雰囲気には、いつも救われていた。
『私は決して一人じゃない』
そう感じるほど、カフェは私の日常だった。
「日常?」
ふと、頭の中にある光景が浮かぶ。
白い壁に白い天井、鋼鉄製の無機質なベッド。薄茶の髪の眼鏡をかけた白衣の男性が何かを話しかけるが、顔がぼやけてよくわからない。
頭が痛む。
あの人は誰?
そして、私はいったい――。
「鷹花、変わりはないか? 巡回を強化しているが、男達の目撃情報が少なく、なかなか捕まらない」
「樂斗さん!」
「そんな顔してどうした。また具合が悪くなったのか?」
「いいえ。大丈夫だから、心配しないで」
「それならいいが、くれぐれも無理はするなよ。俺が君を必ず守るから」
樂斗さんは心配症だ。
それでなくても私は、好きな人に無理をさせていた。彼は同僚と担当地域を交代し、私が襲われないように警戒してくれているのだ。
心苦しくてうつむく私に、交代で様子を見に来た芽衣子さんが笑ってくれる。
「弟は武道の達人だから、大船に乗ったつもりでいなさい」
「でも、樂斗さんにもしものことがあれば……」
「そんなことを言ったら、同じ言葉を返されるわよ。相手を大事に思うのは、鷹花だけじゃないってこと。男なら好きな子の一人や二人、守れなくてどうするの」
「いえ、好きな子が同時に二人はちょっと……」
芽衣子さんと笑い合う。
だけど、彼女が去っても不安な気持ちは拭えない。
早く思い出さなくちゃ。
浮かび上がらない記憶の底に、ヒントはあるはずなのに!
「樂斗さん……ごめんなさい」
何もわからない自分が歯がゆくて、思わず呟く。仕事を終えて戻ってきた樂斗さんは、いつものように私の頭をポンポンと撫でてくれた。その優しい仕草に、無性に泣きたくなってしまう。
――好きになったのが、あなたで良かった。私が記憶を取り戻しても、一緒にいてくれますか?
半月後。
私は元通り、カフェで給仕として働くことになった。
急に襲われたあの日以来、男達の姿は見かけない。目の前で黒い車が停まることもないので、車を見るたびビクビクしたり隠れたりするのは、もうやめよう。
ただでさえ店は繁盛しており、常に人手不足だ。私が欠けるせいで、お客様の楽しい時間を壊してはならない。
そんな中、事件は起こった。
表の通りで慌てたような声がする。
「あの車、真っ直ぐ突っ込んでいくぞ!」
叫び声が聞こえた次の瞬間、一台の車が猛スピードでお店の正面扉に激突した。あろうことか車はまだ、動きを止めない。
「うわあっ」
「ひゃあ」
「危ないっ!」
混乱の中、反射的に身体が動く。
私は持っていたお盆を放り投げ、車の前に走り出た。大事なお客様と芽衣子さんに怪我をさせてはならないと、その一心で。
車に向かって手を伸ばした直後、私の手に車のボンネットが激突。ぐしゃりと歪む。
――いえ、歪んだのは車の方だ。
「ひぃっ」
「車を一撃で?」
「ば、化け物だーー」
飛び込んできたのは、緑色の車だった。運転席から出てきた人が「急にブレーキが効かなくなった」と青ざめている。どうやら黒服の男達とは関係ないらしい。
だけど私は、お店にいた人のざわめきの方が気になった。みんなに恐怖を与えてしまったことと「化け物」と言われたことで、ある映像が頭の中でめまぐるしく再生されていく。
私は――……!!!
「鷹花、あんた平気なの! とにかく二階へ。手当てをしなさい」
芽衣子さんの言葉に、私は素直に従った。
お客様を怯えさせてはいけない。ただそれだけを考えていたのだ。
二階へ上がり、後ろ手にふすまを閉めた。
その瞬間、涙が溢れて止まらない。
切望していた過去の記憶が、こんなにも忌まわしいものだったなんて――。
◇◆◇
私の名前は鷹束鷹花(たかつか ようか)。
鷹束財閥の総帥である父と、華族の母との間に生まれた。幼い頃は一人娘として、何不自由ない生活を送っていた記憶がある。けれど、原因不明の事故で両親が亡くなると、穏やかな生活は一変した。七歳の時、実の叔父の手で見知らぬ場所に連れて行かれたのだ。
「本当にいいんですか?」
「ああ。若い身体の方が、適合性があっていいだろう」
「確かに。おっしゃる通りですね」
白衣の男達が叔父に媚びへつらい、小さな私を見て笑う。
叔父は、双子の兄であった私の父の片腕として事業を切り盛りしていた。しかし、私の両親亡き後は早々に私を引き取り、財産と屋敷をそのまま引き継ぐ。そして「静養」との名目で、自身が所有する山奥の研究所へと私を放り込んだのだ。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる