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1巻

1-2

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 それから十分ほどが経ち、ロッテの家であるアーリング子爵ししゃく家の馬車が到着したのが、部屋の窓から見えた。
 そうそう、クラウスの家は、ミュラー公爵こうしゃく家……つまり結構なお偉いさんなんだよな。だからこそ好き勝手にやってたんだろうけど。
 ともかく、ミュラー公爵家はこの国、グルルカ王国の東部に位置していて、アーリング子爵家はそのお隣さんだったはずだ。
 だから、馬車でも一週間はかからないくらいだろうか。
 アーリング家の馬車が軽装なのを見ると、その知識は間違いではなさそうだった。
 あの馬車の中にロッテがいると思うと、段々と緊張が増してきた。
 仮にもゲームのメインヒロインの一人だし、当然めちゃくちゃ整った容姿なのだろう。
 前世も含めて、女性経験が少ない俺はやはり緊張してしまっていた。
 自室でソワソワしている俺にアンナが声をかけてくる。

「そこまで緊張なさらなくても大丈夫ですよ。今まで何度かお会いしてるじゃないですか」

 そう言われても会っているのは以前の俺で、今の俺は顔を拝んだことすらないのだ。
 ただ、アンナがはげまそうとしてくれることはうれしかった。
 俺は自分の頬を軽く叩くと気合いを入れ直す。

「そうだよな、ありがとうアンナ」
「い、いえっ! 差し出がましいことを言ってしまい、失礼いたしました!」

 俺が感謝の言葉を述べると、彼女はあわてたように手を横に振って言った。
 ちょっと彼女の頬が赤い。
 うーん、アンナは感謝され慣れてなさそうだもんな。
 これからは、ありがとうはちゃんと伝えていかないとな。
 しっかりと言葉にすることって、コミュニケーションにおいてめちゃくちゃ重要だからね。
 そしてコンコンと部屋の扉が叩かれ、しぶい男性の声が聞こえてきた。

「失礼します、クラウス様。ロッテ様がお見えになられたので、お茶会を始めたいと思います」
「――分かった、今行く」

 もう逃げられないことを悟り、俺はもう一度頬を叩いて気合いを入れると扉を開けた。
 扉を開けると、先ほどの声の主らしき男性が控えていた。
 彼はこの家の執事しつじなのだろう、ぴしっとした黒の執事服を着ている。

「それでは参りましょうか、クラウス様」
「ああ、行こう」

 彼が俺のことをどう思っているのか、その表情からは読み取れない。もしかすると、他の使用人たちと同様に俺を見下しているのかもしれないが、そんなことはおくびにも出していない。
 だがそのことは逆に、彼がとても優秀な執事であることを示している。
 主人に感情を読み取られるってことは、それだけでトラブルになるかもしれないしな。
 俺は彼の後に続いて階段を降り玄関を出ると、停まっている馬車の前まで歩いた。
 俺は貴族の作法とかよく分からないので、とりあえずエスコートしようとか考える。
 開けられる馬車の扉。
 そして中から顔を出した少女は、やはり可憐かれんだった。
 腰まであるあでやかな黒髪と、黒いひとみ
 体つきはスラリとしていて、どちらかと言えば華奢きゃしゃなほうだと思った。しかしアンナのような痩せぎすって感じでもなく、上品な痩せ方だ。
 そしてその顔には確かに、あのゲームの中で見たロッテの面影おもかげがあった。
 そういえば、ロッテはゲーム中でも『傾国けいこくの美少女』なんて呼ばれてたっけ。
 俺は彼女に一瞬見惚みとれてしまったが、すぐに我に返ると、馬車を降りようとする彼女に手を差し出した。

「ロッテ、お手をどうぞ」

 俺がそう言うと、彼女はひどく驚いたような表情になった。
 周りの人間も驚いているようだ。
 ……え? 俺なんかマズいことしちゃったかな? もしかして、彼女はロッテではない?
 そう思うが、彼女はすぐに軽く微笑んで俺の手を取った。

「ありがとうございます、クラウス様」

 よかった、間違いではなさそうだった。
 それから俺たちは、庭に設置されたお茶会会場に向かうと、用意されていた椅子いすに向かい合うように座った。
 ロッテはどことなく緊張しているようだが、それは俺も同じだ。
 女の子って、どんな話をすれば喜ぶんだろう? さっぱり分からん。
 手際よく次々とお茶や菓子が用意されていくが、その一方で俺たちの会話は何も進展しなかった……というか、会話が生まれなかった。
 彼女のほうから話しかけてくることがないとさとった俺は、無理やり話題をひねり出す。

「い、いい天気だね」

 コミュ障かよ、って感じのセリフしか出てこなかった。
 そんな自分に嫌気が差しながらも必死に平静を装う。
 ロッテは硬い表情のままうなずいた。

「そうですね、クラウス様」

 ……これじゃあ会話が続かないよ!
 俺の話題にも問題があったが、彼女のほうも会話を続けようという気がないようだった。
 うーん、どうすっかなぁ。
 しばらく考え、俺は思いきった話をすることにした。

「ねぇ、ロッテってさ、どうしてそんな仮面を被っているの?」

 俺がそう言うと、彼女は驚いた表情になる。
 そしてすぐに警戒けいかいするような顔になった。

「……どうして私が仮面を被っていると思ったのですか?」
「だってロッテ、さっきから苦しそうだ」

 まあその理由の大半は、以前の俺のせいな気もするけど。
 俺の言葉を聞いたロッテは、ひどく驚いた顔をした。

「私が苦しそう、ですか……」
「そうだよ。ずっと苦しそうにしてる」
「……あの。クラウス様は、私をどうしたいのですか?」

 質問の意図が分からない。
 俺は率直に、どういう意味か訊ねることにした。

「えっと、どういうこと?」

 すると彼女は真剣な表情で言った。

「だってこの間まで、クラウス様は私のことを道具としか見てなかったです。なのにいきなり優しい言葉をかけてきて……私にはクラウス様のことがよく分かりません」
「……俺はさ、変わろうと思ったんだ。このままじゃいけないってね」

 俺の言葉に、彼女は目を伏せて細い声で言う。

「それじゃあ、証明してください。その気持ちの証明を」
「……俺は、どうすればいい?」
「一ヶ月です。一ヶ月で、一目見て分かるほどまで痩せれば、証明してくれたと信じます」

 一目見て分かるほどまで痩せる、それもたった一ヶ月で……相当大変なことだ。
 そのレベルとなると、おそらく五キロから十キロくらいの減量だろう。
 でも、確かに覚悟を示すには、そこまでしなきゃならないのかもな。

「……分かった、一ヶ月でちゃんと痩せるよ」

 決心して、俺はそう告げた。
 それを聞いたロッテは、目を見開き俺を見た。

「本気ですか?」
「もちろん」

 それから俺たちは、他愛たわいもない会話をした。
 ロッテはだいぶ気持ちが楽になったのか、それなりにくだけた態度になったと思う。
 短い時間だったけど、少しは仲良くなれた気がする。
 これで俺も死亡フラグから一歩遠のいただろう。
 流石に夜はこの屋敷には泊まらないということで、馬車に乗って帰っていく。
 屋敷を離れていく馬車を見つめながら、俺は思うのだった。
 また一つ、痩せる理由が増えちゃったな、と。




 第二話


 ロッテとのお茶会から、一週間が経過した。
 その間、もちろんストイックに運動を続けて、食事制限も取り入れたダイエットをして……おそらく二、三キロは体重が落ちたと思う。
 まあ、この世界に体重計というものがないらしいから、ちゃんと計りたくても計れないのだが。
 ……って待てよ? 体重計くらいなら簡単に作れるのでは?
 この世界には魔道具というものも存在するらしいし、それなら作れそうだ。
 この一週間はとにかくダイエットすることだけを考えていたから、すっかりそのことに思い至らなかった。
 体重計があったほうが、目標が定めやすくていいだろう。
 そうと決まったら俺は執事……この前のロッテとのお茶会に呼びに来たアウスを部屋に呼び出して、そのことを伝えてみた。

「……体重計、ですか。確かに天秤てんびんはありますが、人のような大きなものを計るときには使いませんね」
「だったら、もっとそれを大きくして、体重を計れるようにすれば売れないかな? 体重が分かれば、健康かどうかも分かるようになるしさ」
「……いったん、ガイラム様に話してみてもいいかもしれませんね。私はいいアイデアだと思います」

 ガイラムとはミュラー公爵、つまり今の俺の父親だ。
 ただ実は、俺はいまだ一回も会ったことがない。
 この太りようだ、見捨てられているのかもしれないな。
 実はこの一週間で分かったことだが、俺が住んでるこの屋敷も、俺に与えられた離れのようなものらしい。
 ただ甘やかされているだけの可能性もあるが、こうまで顔を合わせないとなると、見捨てられているという説はあながち間違いじゃないかもしれない。

「それじゃあ、父上と会いたいんだけど……」
「分かりました。お時間を作ってもらえるかうかがってまいります」

 そう言ってアウスはお辞儀をすると、部屋から出ていった。
 これで体重計を作れれば、俺のダイエットのモチベももっと上がるだろう。
 それに、売ったお金で筋トレグッズなんかも買えたりして。
 そして俺はしばらくの間、体重計をどう作るか思案しつつ筋トレを続ける。
 一日に決めている筋トレの回数……といってもこの体だと腕立ても腹筋も十回が限界だが、それを終えると、俺はタオルで汗をぬぐって庭に出る。
 公爵家の騎士団から借りた木剣ぼっけんを持って、庭の向こうまで走るのが日課となっているのだ。
 庭といってもかなり広いので、庭の端までは二キロくらいある。
 そしてそこでいつも、素振すぶりをしたりスキルの検証をしたりしているわけである。

「――はあ、はあ……マジでこの体貧弱すぎるな。たった二キロジョギングしただけでこれだ」

 目的地に着いた俺は、はいが痛みをうったえるほどの荒い呼吸をしながら、庭の芝生しばふに身を放り投げる。
 今日は天気がよく涼しい気候なので、走るにはちょうどいいはずなんだがな。
 そんなのを全く無視するかのように、俺の体からは大量の汗がダラダラと流れてくる。

「……とりあえず素振りを百回やって、スキルの検証をしよう」

 そして俺は、騎士団の人に教えてもらった型をなぞるように素振りする。
 この体じゃ、意外と木剣も重いんだよなぁ。
 ブンッブンッと木剣を百回振るうと、俺は再び地べたに座って《スキルの書》を出した。


 ユニークスキル
 《スキルの書》 (レベル1:98/100)
    スキルを使用することによって熟練度が上がる。
     熟練度1:魔石(小)からスキルを得る。
     熟練度1:スキル使用時、威力増加(小)が付与される。
     熟練度2:************


 ノーマルスキル
 《惰眠》 (レベル3:159/1000)
    過剰な睡眠を取ることによって熟練度が上がる。
     熟練度1:快適な睡眠を得ることができる。
     熟練度2:睡眠中、大量のエネルギーを吸収できる。
     熟練度3:睡眠中、自然治癒(小)を得る。
     熟練度4:************


 《剣術》 (レベル1:15/100)
    剣状の物質を振るうことによって熟練度が上がる。
     熟練度1:剣の扱いがほんの少し理解できる。
     熟練度2:************


 初日に確認したときから、新しく《剣術》というスキルが増えている。
 木剣を何度も素振りしていたから、このスキルを入手したんだろう。
 二日目から木剣をにぎったとき、なんとなくこう振ったほうがいいってのが理解できたが、それはこの熟練度1の効果のおかげだったらしい。
 そして《スキルの書》にも、経験値が少し入っていた。
《剣術》と、あとは《惰眠》を使用したことで経験値が入ったんだな。
《惰眠》は常時発動のスキルだから、ちょっと寝すぎるだけで《スキルの書》の経験値が入るのは美味しいかもしれない。
《スキルの書》はそろそろレベル2に上がるし、何が解放されるのかも楽しみである。
 しかしまだスキルの効果を止める方法が見つかっていない。
 このままだと、《惰眠》の能力でダイエットがはかどらないんだよなぁ……
 今は一応痩せてきているが、いつ停滞期に入るか分からないし。
 でも分からないものはどうしようもなく、俺はため息をついて《スキルの書》をしまった。
《スキルの書》は念じればすぐ出てくるし、念じればすぐに虚空こくうに消えていくので、こういうときもかなり便利だ。
 さて、あとは走りながら離れの屋敷まで帰るだけだな……って、それが一番つらいんだが。
 疲れた体を無理やり立たせた俺は、おっせおっせと再び庭を走るのだった。


 ランニングから帰ってきた俺が食堂で一人、夕飯を食べていると、アウスが入ってきた。

「明日のランチはガイラム様とご一緒することになりました。そのときにしっかりと体重計のことを話せ、とのことです」
「……なるほど、分かった。それじゃあ準備を進めておいてくれ」

 アウスは頷いてその場を離れていく。
 再び一人になった俺は、ポツンとさみしく夕飯を食べ終えるのだった。


 部屋に戻ると、アンナがまだベッドメイクしている途中だった。
 彼女は俺が入ってくるのに気が付き、慌てたように頭を下げる。

「すっ、すみません! すぐに終わらせるので!」
「いや、ゆっくりで大丈夫だよ。それより、明日父上との会食があるんだけど……ついてきてくれるか?」
「……ガイラム様との会食、ですか。もちろんついていきますけど……クラウス様は大丈夫なのですか?」

 心配するような視線を送ってくるアンナ。
 やっぱり俺と父の関係はあんまりよろしくないらしい。
 でも、絶対にこのままじゃダメだ。

「ああ、やっぱりさ、家族なんだしちゃんと向き合わないといけないしね」

 俺がそう言うと、アンナは感動したように頷く。

「本当にクラウス様は変わられましたね……今のクラウス様なら、ガイラム様もお認めになられるはずです!」

 そうだといいけど。
 俺は父の性格とか一切知らないし、どうなるかなんてさっぱり分からない。
 でもこのクラウスとして生きることになった以上、ちゃんと話し合わないとな。
 今のまま、ディスコミュニケーションした感じだと、辛いのは俺自身だし。

「まあともかく、明日は準備もあって早いし、今日はもう寝るよ」
「そ、そうですよね! それじゃあおやすみなさい、クラウス様」
「ああ、おやすみ」

 そして俺はロウソクの火を消すと、ベッドに入った。
 少し緊張するけど、まあ何とかなるだろう。
 そう思いながら、やっぱりなかなか寝付けないのだった。


  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 次の日、俺は父たちの住んでいる屋敷のほうに向かった。
 流石公爵家の敷地と言うべきか、俺が住んでいた離れからメインの屋敷までは、馬車での移動だった。
 徐々にその全容が見えてくると、その大きさが離れとは比にならないことを知った。
 流石にでかすぎるだろ……あれはちょっと引くレベルだ。
 ガタガタと音を立て、馬車が屋敷の前に停まった。
 そして扉が開くと、さっと現れたメイドが俺の手を取って降ろしてくれた。
 彼女は妙齢みょうれいの女性で、いかにもな細メガネをかけている。

「いらっしゃいませ、クラウス様」

 綺麗きれいな所作だが、その瞳にはあまりいい感情は見えない。
 でもその感情は、うちの離れの使用人とは違ってちゃんと隠されている。アウスと同じくらいは隠せているかな。
 俺が元々日本人で、空気読みのスキルを持っていたから読み取れただけで、普通なら気付かないのだろう。
 俺に続いてアンナが降りてきたところで、俺はメイドに言う。

「ああ、それじゃあ早速父上のところに案内してくれ」
「かしこまりました」

 そしてメイドの後をついていきながら、俺の心臓はバクバクと脈打っていた。
 やっぱりいざこうなると、めちゃくちゃ緊張するよなぁ。
 しかし俺はその緊張を一切見せず、毅然きぜんと振る舞いながら歩く。
 流石にそんな緊張してるなんてバレたくないし。
 それに、アンナがついてきてくれているのも心強い。
 するとチラリと後ろを見てきたそのメイドが、片眉かたまゆをぴくっと動かした。

「……クラウス様、改心されたというのは本当ですか?」
「ん? ああ、本当だよ」
「そうですか。今日、ガイラム様はクラウス様の処遇を決めるとおっしゃっておりましたので、お気を付けて」

 処遇を決める? ってことは最悪追放ってこともあるのか?
 流石に現時点で放り投げられたら俺は餓死がししてしまうし、それだけはけなければ。
 ……いや、でもゲームのときは公爵令息の肩書はあったから、ここで追放されることはないのか?
 まあ、何が起こるか分からないことに変わりはないか。
 俺は気を取り直して再度気合いを入れると、メイドの後をついていく。


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