輪廻のモモ姫

園田健人(MIFUMI24)

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第一章 神生みの時代

メメント・モリ

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 最初に黒い靄のようなものを吸い込んだのはミクラだった。口を手で覆いながらその場に倒れたミクラは、息も絶え絶えの様子で苦しみ出した。
「ミクラさん!大丈夫!?」
 モモの心配する声も空しく、ミクラの耳にはまったく届いていない。身体から漏れ出した黒い靄は、ミクラの全身を包んで覆い隠してしまった。

「ちょっと、ミクラさんになにしたんだよ!」
 モモは怒りの形相で老婆を睨んだ。
「その娘は人ならざるものへと変わり果てるのさ。おまえも仲良くそうなるから安心おし」
 老婆は不気味な笑みを浮かべるも、モモとカグツチの平然とした様子に違和感を持ち始めた。
(おかしいね……とうに呪いを吸い込んでいるはずなのに、この二人にはまるで効いておらぬ)
 老婆は軽く歯軋りした。
「おまえ……なぜ平然としておる。さっさとその娘と同じように、呪いをその身に受けよ!」
「えっ……呪い?私は全然平気だよ」
 その時、眠っていたカグツチの身体から眩い光を放つ炎が発せられた。炎は洞窟内の暗闇を一瞬で消し飛ばすほどの勢いである。
「お、おまえたち……まさか王たる資格を持つ者か?そんな高位の人の子が、なぜ穢れた地を訪れたのだ?」
「うるさいな、私たちは悪い人から逃げてるって言ったのに。ミクラさんをもとに戻してよ!」
「もう手遅れじゃ。その娘は解けぬ呪いを全身に受けておる」

 モモは地面に落ちていた鎧の残骸を見た。おそらく、老婆を退治しようと訪れた兵士の鎧だと思われる。そこには大人の身長ほどの大きな弓が落ちていたため、モモはその弓を手に取り、矢筈を弦に掛けて見せた。
「そんな大弓を子供のおまえが引けるわけ……」
 するとモモは軽々と弓を引き、狙いの照準を老婆に合わせた。老婆の表情が引き攣り、みるみると青褪めてゆく。
「ま、待てっ!妾を殺めても娘の呪いは解けぬぞ」
 しかし、モモは老婆の言葉にまったく耳を貸さず、モモが放った弓は老婆の肩を貫いて、身体と共に洞窟の壁へと吹き飛んだ。老婆は苦しみながら喀血し、眼前にいたモモを睨んだが、モモの妖しい光を帯びた瞳を見た瞬間に血の気が引く。
(なんとこの小娘、“タタリ”を浄化してその身の力に変えているのか。この容赦のなさ……恐ろしや。怒らせてはいけないものを怒らせた代償がこれか……罰(バチ)が当たったという報いであるか)

 モモは老婆に近付き、肩に刺さった矢を掴んでクルクルと円を描くように動かして見せた。
「ひぎゃあああああああっ!」
「……ミクラさんをもとに戻せ」
「ゆ、許してたもれ!この呪いは自らの意思を持つゆえ、妾ではどうにもできぬのじゃ」
 モモは老婆の首を手で絞めた。瞳はさらに暗い輝きを増し、弱った羽虫のように手足を震わせる老婆をその瞳で凝視する。あまりの恐怖で老婆は気を失いそうになった。
「ならば貴様を贄として呪いを解いてみせよう」
 モモはそう言うと老婆の髪を掴み、ミクラが倒れている場所まで引き摺った。
「呪いが解けるまで、この黒い靄をすべて吸え」
 モモはミクラから漂う煙のような靄の中に老婆を放り投げた。すると、靄の中からミクラの掠れた声が聞こえた。
「モモ……モモ様……お気を確かに……呪いの憎しみを受け入れてはなりません……私は……私は大丈夫ですから」
 モモの耳にミクラの言葉が届くと、妖しく輝いていた瞳の光は失せ、しばらくすると正気を取り戻した。

「あ、あれ……どうなっちゃったの?」
 周囲の黒い靄はすでに消え失せており、老婆が地面に倒れているのが見えた。モモは慌てて老婆に近寄る。
「お婆さん、ごめんなさい……こんなことするつもりじゃなかったのに」
 気を失っていた老婆は、モモの声で目を覚ました。
「長きに渡り、巫女としてこの洞窟を侵入者から守っておったが、ついに王たる資格の者が呪いをその身に受けてしもうた。もはや新しい世の到来は避けられぬ」
 老婆はモモの手を強く握りしめながら話し掛けた。
「……いいね、よくお聞き。あそこに眠る赤子から発せられた炎は、やがてこの国のすべてを焼き尽くす。その炎を見た者は、ある意識が心の中に芽生え始めるのさ。その意識こそ人間が最も恐れ、永遠に背負うことになる呪いの根となるんだよ」
「それはなに……?」
「“死”だ」
 その言葉を聞いてモモは首を傾げた。当時、人間は「死」というものを明確に認識しておらず、重い怪我か病気の一つだと思っていたのである。
「人は死の存在を知ると、その不安から多くの罪を犯す。そして大いなる存在に縋ろうとする。その大いなる存在となるのは、国を治める王たる資格を持つ者だけじゃ」
 老婆はそう言うと、苦しそうに息を吐きながら絶命した。
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