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第五章

第十四話 世界

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「そんな甘っちょろい男の何が良いというんだ! 俺は幾度となく、全てを手に入れて来たんだ。富も、名声も、力も、何もかもを、それこそ後世に神話として語り継がれるほどにだ! にも関わらず、お前は何故そんなにも俺を拒絶するんだ‼︎」

 虫唾が走るといった表情で、エレナはレイを見た。

「貴方の様な、見せかけだけの強さに縋る男なんて、私は大嫌い。力も名声も問題じゃない。レイ様の、誰かを助ける、弱いものを誰よりも慈しむ優しさを、私は誰よりも好きになったの。
 強いだけの人や名家の生まれなんて、私の周りには沢山いた。いいえ、そんな人たちしか私たち姉妹の周りにはいなかったわ。それは私やお姉ちゃんだけじゃない、大佐や…もういないライリーやイリーナも同じだったはず。
 私達は、貴方のように強さを振りかざして他者を隷属させることを正当化する人と、真正面から戦うレイ様を心の底から愛したの。
 今の貴方は、レイ様なんかじゃない。レイ様の姿をした偽物よ! 本物のレイ様はどこ?」

 わなわなと手を震わせながら握り締め、レイは叫んだ。

「ふざけるな! 俺が、俺だけが本物のレイ・デズモンドだ。神に等しく、そして神の間に座することを許された、唯一の人間…それが俺だ」

 そしてレイは大剣を振り上げた。

「そうまでして俺の物になりたくないか…いいだろう。ならば、死ね。完全に吸収し切れるまで、何度でも魂ごと殺し続けてやる」
「て…てめぇ、エレナに何を…」

 サリーがよろめきながらも起き上がってきた。しかしその身体はすでに満身創痍である事は明白だった。足元はおぼつかず、立っているのもやっとであるのが目に見えている状態だった。

「くくく…まだ起き上がってくるか。しかし、俺には勝てないのが明白なのが、まだわからないのか?」

 一瞬にしてレイはサリーとの距離を詰め、その顎にアッパーを喰らわせた。

「がっ…!」

 サリーの体は子を描くようにして吹っ飛び、地面に激突した。叩きつけられたサリーは今度こそ起き上がることもままならず、その場に倒れ伏せた。口からは夥しい血が流れ、同時に欠けた歯も何本が出てきた。

「剣を使うまでもない。武器なしで嬲り殺しにしてやるよ」
「き、貴様…女の顔を殴るとは…一体どうしてしまったんだ!」

 マリアも再び立ち上がろうとしていた。しかし肩口を大きく傷つけられた状態では、サーベルを持つこともままならない状態だった。
 そんな状態で立ち上がってくるマリアを、レイは鼻でせせら笑った。

「やれやれ、貴女もしぶといですね。仕方ない、今度こそ起き上がれなくして差し上げます」

 そして展開した軽い衝撃魔法によって、マリアの体は遥か後方に吹っ飛んだ。

「うあっ!」

 壁に激突しながらも、マリアは必死に崩れ落ちまいとした。
 そんな姿を嘲笑いながら、レイは一歩ずつマリアに近づいていった。

「俺に隷属する存在など、地べたを這いずり回っていろ」

 レイはマリアの胴にミドルキックを放った。脇腹にクリーンヒットし、マリアの体でボキリという音が響いた。確実に肋骨の何本かが折れた。

「がはっ…!」

 今度こそマリアは地面に崩れ落ちた。呼吸することすらままならない様子で、脇腹を押さえながら身を捩り、苦しげに悶えた。
 その様子が愉快で仕様がないといった具合に、レイは声を上げて笑った。

「あっははは! 苦しいですか? 苦しいですよねぇ。もっとそのお美しい顔を歪ませてくださいよ、上官殿!」

 マリアの顔をレイは踏みつけた。苦痛と屈辱でマリアの目には涙さえ浮かんでいた。
 とその時、何かがレイは腰のあたりに微かな痛みを感じた。

「…?」

 後ろを振り返ると、そこには脇腹に小さなナイフを突き立てたエレナの姿があった。勇気と力を振り絞ったのだろう、微かに両手が震え、腰が引けていた。
 にも関わらず、不意打ちであった事と、ナイフに込められた魔法術式のせいで、微かながらレイの体に傷を付ける事には成功したようだった。
 その様子に、レイは湧き上がる怒りを隠せないようだった。振り返り、そのナイフの頭身を握り締めながら吐き捨てた。

「…どこまでも俺を怒らせるのが上手い女だ。いいだろう、一瞬で殺してやる予定だったが、気が変わった。貴様もとことん苦しめて、それから吸収してやる」

 エレナからナイフを引っ手繰ると、そのまま彼女の右足に突き立てた。そしてそれだけでは飽き足らず、その刺したナイフを思い切り回転させ、傷口をよりズタズタにした。

「う、あああああああっ‼︎」

 かつてない激痛に、エレナは絶叫した。

「くくく…苦しんでいるようだな。どんな戦場に行っても、傷つけられる事は無かっただろう。どうだ、初めて負う傷の痛みは」
「…これくらい屁でもないわ。もっと痛くて苦しい思いを、私はしてきたもの。それはレイ様も同じ。今の貴方ではなくね」
「懲りない女だ。もっと苦しめないと分からないか?」

 レイは全く躊躇う事なく、エレナに向かってナイフを振り回した。腕・肩・脇腹と、ありとあらゆる箇所をに斬り付け、その度にエレナは深い傷を負い、辺りに返り血を撒き散らしていた。

「や、やめ…ろ…エレナ…逃げ…レイ…なんで…」
「で、デズモンド…やめろ…何故なんだ…!」

 サリーとマリアが地面に蹲りながら、力なく呻いた。しかしその声はレイに届く事は無く、ただひたすらに目の前のエレナを痛ぶるだけだった。

「はぁ、はぁ、はぁ…!」
「……」

 数分後。レイは肩で息をしていたが、エレナは未だ微動だにせず立っていた。どれだけ傷を負っても生き一つ切らさず、毅然とした瞳でレイを見つめていた。

「こ…このクソ女が…!」

 ついにレイは大剣を構えた。

「いいだろう。脅しではなく、本当に殺してやる‼︎」
「どうぞ」

 エレナはいまだに表情一つ変えることは無かった。それがさらにレイを苛立たせ、ついにレイはその大剣を頭上にまで振り上げた。



『大丈夫、俺が守るよ』
『…ありがとうございます』



 突如として、レイの頭にフラッシュバックする物があった。
 それは過去の戦場での記憶。遠い日に見た、エレナのあの優しげな笑顔だった。

「ころ…し、て…や…」

 いつしか、剣を握るレイの手が震えていた。その剣を振り下ろせば、確実の目の前の疎ましい女を殺す事ができる、なのにレイはどうしてもそれが出来なかった。
 そしてエレナは優しく微笑んだ。それはレイが良く知る、初めて出会った時から決して変わることの無い、あの慈愛に満ちた笑顔だった。

「…やっと、私の知るレイ様に戻ってくれましたね」
「エ、レナ…」
「大丈夫。私は、いつでもあなたの味方ですよ」

 そうしてエレナは、優しくその両手を差し伸べた。





 ドシュッという音が響いた。





 レイは、その大剣でエレナを袈裟斬りにした。
 一瞬にして心臓を叩き斬ったであろう一撃で、辺り一面に夥しい血が流れ落ちた。
 最後の言葉を残すこともなく、エレナはそのまま地面に倒れ伏した。


 それは、世界が止まったような一瞬だった。




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