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第四章

第九話 英雄の覚醒

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 突如としてディミトリ特別自治区に現れた”勇者”レイ・デズモンドに似た存在に、住民は心の底から恐怖した。
 ”それ”は突如として、その巨大な力を無差別に振い始めた。民衆、軍人、政府要人、民家、基地…全ての人や物体を分け隔てなく殺し、破壊した。

「早く民間人を避難させるんだ!」

 当然の如く駐留軍が総動員で止めにかかったが、その力はレイ・デズモンドと同等の力を誇っていた。

「撃てえっ!」

 その号令で、一斉掃射が始まった。
 持てるだけの全ての火力を以って、ディミトリの軍勢はレイと同じ姿の男を排除しようとした。機銃や砲撃といった高火力な兵器の攻撃に敵は包まれた。
 しかし、その総力を用いた攻撃をもってしても、彼を傷つけることは出来なかった。その強靭な防護術式によって、全ての外的干渉は全て無効化されているようだった。

「なっ⁉︎」
「どけ! 雑魚がいくら束になっても、無駄死にが増えるだけだ!」

 そこに現れたのは、現ディミトリ行政自治区総督であるマリア・アレクサンドルであった。

「そ、総督!」
「私なら時間稼ぎぐらいにはなるだろう。その間に民間人を少しでも退避させるんだ!」
「し、しかし…」
「これは総督命令だぞ」
「…わかりました。全員行くぞ!」

 そうして他の兵たちは去っていき、最後にはマリアとレイのコピーだけが残された。

「奴と姿形は一緒でも、纏う空気が違う…元より生きてる感覚がない。貴様は何者だ?」

 答えはなかった。その目は常に虚で、生者の輝きを一切宿してはおらず、まるで機械人形の様であった。

「まあいい…最大限の抵抗はさせてもらうぞ!」

 マリアがそう叫ぶと、レイの周囲の温度が一気に氷点下を超えた。

「砕け散れ‼︎」

 展開された術式と共に、レイは絶対零度に包まれた。すべての細胞が活動を停止する温度、その中でレイは巨大な氷塊の中に氷漬けにされた。
 しかしそれも徒労であった。ぴしり、ぱきりと音が鳴り響き、その氷塊に徐々に亀裂が走っていった。やがてそれはガラスが砕けるような音を立てて、派手に瓦解していった。
 レイに似た男は、全くダメージを受けていないような表情で、マリアに斬りかかってきた。

「ぐっ!」

 すんでのところで反応できたものの、その重圧にマリアは思わず膝をついた。

「確かに強い…だが本物なら、とっくに私は剣ごと真っ二つになっているところだ!」

 鍔迫り合いの状態から剣を受け流し、マリアもまたレイに横一文字に斬りつけた。

「時間稼ぎくらいは出来そうという事だな…安心したぞ」





 アルマ教主国においても、その姿は確認された。
 レイ・デズモンドに似た男が市街地に突如として現れ、その力を突如として振るい始めた。建物も人も、ありとあらゆるものがなす術なく破壊されていった。
 この緊急事態に、教会はルークスナイツ全部隊を出動させ、鎮静化を図った。しかしレイに似た男に対しては、いかなる兵器や魔法を効果がなく、ただ兵たちの犠牲が増えるだけであった。
 そんな中で、既にエレナを安全な場所に避難させたサリーが、部下を引き連れて到着しようとしていた。

「状況は⁉︎」
「最悪です、第三、第四小隊が一瞬で壊滅させられました…奴の力は桁違いです!」

 その数百メートル先では、既に力を開放しているレイに似た男の姿が見えた。その顔はすでに返り血で赤く染まっており、何の感情も見出せないその回には、サリーも恐怖すら覚えた。

「こいつ…レイじゃないのか?」

 そう言って、サリーは剣を構えた。

「ここから先はあたしが相手だ。全員援護に回りな」
「はっ!」

 そう言って、サリーの部下たちは一斉に補助魔法をサリーにかけた。これで彼女の身体能力、魔力共に何倍も膨れ上がり、レイになんとか対抗できるくらいにはなっているはずだった。

「おらぁっ!」

 一気にサリーは、レイに似た男に切り掛かった。その斬撃を彼は受け止めはしたものの、サリーは怯まずに二手三手と一気に攻め込んでいった。

(本物なら剣を使わずに紙一重で躱しているはず…本物に比べりゃ弱いってことだな)

 ステップバックし、サリーは渾身の力を込めて火炎術式を展開した。

「消し炭になれ!」

 その瞬間、レイに似た男は巨大な火柱に包まれた。それは対象を灰にするまで燃やし尽くすサリーの最強の魔法であり、下手をすれば死体さえ残らず燃え尽きる代物である。
 だが、彼は無傷であった。その防護術式を以ってして、最強の火炎魔法さえ無力化した。

「なるほどな…いいぜ、気の済むまで相手してやるよ」











 レイは堕ちていった。いや、もしかしたら昇っているのかもしれなかった。
 色彩はなかった。それは漆黒でも純白でもない、ただ”無色”ということだけが知覚できた。
 進んでいるのか、それとも揺蕩っているだけなのか。
 それさえもわからないまま、レイはただその空間を彷徨っていた。



 突如として、レイは意識を取り戻した。
 瞼を開けて飛び込んできたのは、青空とコントラストを成す様々な色彩だった。赤、青、黄、緑…数えきれない花弁が宙を舞っていた。
 優しく暖かな風が吹き、空気中には蜜のような甘い香りが漂っていた。

(ここは…)

 何の前兆もなく、レイは目覚めた。気がついたときには、もうその場に佇んでいたのだ。

(そうだ…俺は、リチャードに…加藤玲に殺されて…)

 その直前にあった出来事を、レイはハッキリと記憶していた。リチャード王…真の加藤玲と自らのクローンたちの戦いに敗れ、最終的には命を落とした。

(ここは…天国、なのか?)

 天国。そう呼ぶに相応しい様な、楽園のような風景が目の前には広がっていた。色鮮やかな花々は一面に咲き乱れ、レイの視界を華々しく彩っていた。
 現生の苦難や煩悩といったものをまるで切り離したような、夢のような景色だった。

(見覚えがある…ここは)

 記憶の奥底にあった。加藤玲がトラックに撥ねられた直後、なくなる意識の中で見たのがこの光景だったはずだ。しかしそれがレイ本人の記憶なのか、それとも移植された加藤玲の記憶なのか判別できなかった。
 そしてレイは、目の前の風景の中に、人影を見つけた。記憶の中では後ろ姿しかなかったが、今は遠くからレイに向かってはっきりと微笑みかけていた。

「おじい、ちゃん…?」

 そう、それは間違いなく加藤玲の祖父であった。生前の記憶そのままに、レイに向かって優しく笑っていた。

「おじいちゃん!」

 気がつけば、レイは駆け出していた。

「おじいちゃん、おじい、ちゃ…」

 しかし、祖父の眼前まで来て、レイはふと立ち止まった。

「…いや、違う…そういえば、俺は加藤玲じゃないんだったな…」

 レイに告げられた事実。加藤玲の記憶を移植されたクローンであるという事実を、レイは既に知っていた。

「すまない…俺は、あんたの孫じゃない。孫の…加藤玲の紛い物にすぎないんだった」

 レイは拳を固く握りしめた。
 すると祖父は優しく語りかけた。

「玲…お前は間違いなく、私の孫だよ。それが例え記憶を移植されたクローンでも、同じ孫には変わらんのだよ」
「! おじいちゃん…知ってるのか? 俺が、加藤玲の…」
「知っているとも。玲が現世で死んでからアズリエルで生まれ変わり、そしてお前を作り出した…そして今まさに、自らの理想郷を作らんと、自らに仇なす者共を粛正せんとしていることもな」
「…!」
「今こそお前に告げねばなるまい…私の真実を」









 私は元々、お前のいた世界の住人ではないのだよ。


 俺の…?


 そう、もともと私は…アズリエルの人間だ。


 …!


 かつてジョルジュ・ネルディームと呼ばれた男は、自らが作り出した最強の肉体に、異世界より呼び寄せた魂を定着させた。それにより、地上最強の存在を作り出すことに成功した。呼び出された存在・加藤玲という男は、その残虐性を遺憾なく発揮し、ただジョルジュが命ずるままに殺戮と破壊を繰り広げていった。
 ジョルジュは慢心していた。自らの知能を過信して疑わなかったのだ。自分の研究は成功し、今や自らを嘲笑した存在を纏めて消し去ってしまえる。それが裏切りを招いたのだ。
 加藤玲に寝首をかかれる形で、ジョルジュは殺された。それにより、リチャード・アレクサンドルと名を改めた加藤玲による統治が始まることとなる…だが、リチャードにも一つ知らんことがあったのだ。


 知らないこと?


 当時、ジョルジュの魔法研究は他より遥かに先を行っていた。その中には魂の召喚や、並行世界への移動といった…”事象の坩堝”を自在に旅するような魔法も、密かに研究されていたのだよ。


 ⁉︎


 ジョルジュは死の間際、自らの魂に魔法をかけた。その死後もジョルジュ・ネルディームとしての記憶を維持したまま、異なる世界へと転生できるようにな。
 実験段階であり、未だ効果は未知数であった魔法ではあったが、なんとか成功した。彼は”事象の坩堝”を長い時をかけて彷徨い、ついにはある世界にたどり着いた。そこは日本と呼ばれる国…終戦直後の荒れ果てた場所だった。


 日本…⁉︎


 そう。運よくジョルジュは戦災孤児として生まれ変わることができ、身元は誰にもわからなかった。親の顔や血筋さえも定かではないのだ、彼は自由に名乗ることができた…そして本名のジョルジュ・ネルディームをもじってこう呼ばれた…根津穣治ねづじょうじとな。


 !!! じゃあ、おじいちゃん…おじいちゃんは…


 そう、私は…ジョルジュ・ネルディームの転生体なのだ。
 前世の記憶を持ちながらえた私は、いつの日かアズリエルに舞い戻り、復讐するつもりでいた。今度こそ完璧な兵器を作り上げ、世界の全てを我が物にしてやるとな。
 しかし、私にも計算外のことがあった。魔法が全く使えなかったのだ。これは、その世界に存在する全てに魔力を持たせる遺伝子がないことが原因だった。これには私も頭を抱えた。研究が行えないばかりでなく、自らの武器である魔法が使えないという事だった。
 途方に暮れながら、ただ戦後の荒れ果てた土地を生き抜いていた時…私は、お前の祖母と出会うことになる。


 おばあちゃん…


 あの頃は皆一人では生きていけなかった、それは私も例外ではなかったよ。傲慢で偏屈な私にも、妙子は…おばあちゃんは辛抱強く気に掛けてくれた…そうしていつしか互いに惹かれ合い、結婚していた。気が付けば、お前の母…結衣が生まれていた。


 母さんが?


 ああ。そうしていく内に、自分の中の何かが変わり始めていたのがわかったよ。
 かつては誰も私を受け入れようとはしなかった。自らの知識や研究が最先端だと主張しても、誰もが私を嘲笑し、軽蔑した。だからこそ私は世界に対して憎悪しか持っておらんかった…
 しかし力を全て失い、妙子と出会い、結衣が生まれて…いつしか心の中には平穏が生まれていた。きっと私は、初めて愛し愛される関係性というものを、初めて築くことができたのだ。


 ……


 そうして私は歳を重ねて、気づけば結衣が結婚するような年になるまで老いていった。そして孫が産まれたとき、本当に私は嬉しかった…しかしその名前を聞いた時、私は腰が抜けるほど驚いたし、恐怖した。”加藤玲”…それはかつて異世界にて呼び出され、暴虐の限りを尽くし、さらには私を殺した人間だった。
 心底私は、神の仕組んだ因果とやらを呪ったよ。私の血を分けた孫が、最終的には私を殺すことになるとはな。
 だからこそ私は、お前に…玲には本当に親身になって接した。玲にとっての未来が少しでも変わるように、将来あんな残酷な奴にせんために…しかし年齢には勝てなかった。お前の成長を見届けぬうちに、私は寿命で現世を去ってしまった。
 幸いにして、私の魂自体は未だ滅びず、こうして事象の坩堝の中に小さな小宇宙を形成することができた。肉体の枷を外れさえすれば、前世で引き継いだ魔力を行使することができた。そうして幾つかの並行宇宙を観測することができた。
 そうして私は玲の行く末を知った。私の死後、歯車が狂うままに堕落していくのを…そして転生したアズリエルで、王として君臨していき、その残虐性をさらに強めていくのを。


 おじいちゃん…


 玲よ、忘れないでくれ。
 人を憎めば、その分の憎しみが跳ね返ってくる。そうしてまた人を憎んでいく…終わりのない負の連鎖だ。
 しかし、少しずつでいい…人を慈しみ、愛していけば、その分誰かが必ず心を開いてくれる。おばあちゃんや結衣がそうであったようにな。
 どんなことがあっても、私はここでお前を見つめている…もう一人のお前の事もな。


 もう一人の、加藤玲…


 私はいつでもここにいる。お前を見守っている。お前が私のために頑張ってくれた時、私は本当に嬉しかったんだ。それを私は伝えられなかった…
 だから、お前が伝えて欲しいんだ。もう誰も憎まないでほしい。人を、自らを信じることは無駄ではないという事を、私の代わりに…


 そうは言っても、俺はもう死んでるんだぞ? 一体どうすれば…


 心配はいらん。この術式を授けよう。これが、お前に授ける最後の力だ。


 こ、これは…⁉︎


 この時をずっと待っていた。それは、真の勇者因子…心に抱く意志や強さを、そのまま魔力や肉体の強さに反映させるもの。発掘された当初は遺伝により劣化していたが、私がここでずっと復元していたのだ。
 今のお前ならば、もう一人の玲と互角以上に戦えるはずだ。本当の愛や信念を知る、今のお前ならばな。
 さあ行くんだ、玲。今こそ覚醒の時だ。人の都合で望まれ、作られた偽りの”勇者”ではない…真に人を救う”英雄”の目覚めだ。


 うん…ありがとう。


 さらばだ、玲よ。もう二度と会えなくとも、ここでお前を見守っていることを、忘れないでおくれ。


 俺も忘れないよ…さようなら、おじいちゃん。










「ふっ…勇者と呼ばれた男も、案外呆気ないもんだな」

 心臓からサーベルの刃を引き抜き、玲はもう一人の自分を嘲笑った。

「さて、特等席で見物させてもらうぜ。世界が俺のものになっていく様をな」

 玲の眼前に広がる術式スクリーンの前では、今まさに多くの人間たちが足掻こうとしている最中であった。強大な力を前に彼らは必死に持てる力の全てを注ぎ込んで抵抗したが、それでも彼らはなす術なく蹂躙されていった。

「くくく…もうすぐだ。もう少しで俺の、俺だけの世界が誕生する…はっはっは…‼︎」



 突如として、それは起こった。



 レイの体が眩く輝きだし、彼を縛り付けていた十字架は音を立てて崩れ落ちた。

「⁉︎」

 玲は驚いて後ろを振り向いた。そこには、眩く光り輝くほどの魔力を放つレイが立っていた。

「な…⁉︎」
「お前は必ず止める…それが、俺が受け継いだ意志だ!」
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