95 / 131
第四章
第一話 過去の姿
しおりを挟むアズリエル総行政府近くにある教会の地下には、ジョセフィーン・メイ内務長官とフランシス・トロワ司法長官、そしてレイの姿もあった。そしてすぐ横の術式モニター上にはマリアやエレナ、それにサリーの姿も表示されていた。
やがてコツコツと階段を下る音がし、新たな来客を告げた。
「やあ、揃っているかい?」
ニコラスが現れると、その場にいた全員が跪いた。
「陛下…よくぞお越しくださいました」
「構わないよ、皆座るといい」
近くにあった椅子にニコラスは腰掛けた。落ち着いた様子ではあるものの、背筋がピンと伸びた姿は高貴な生まれを思わせるものであった。
「ニコラス陛下…この度は無茶なお願いをお聞き頂き、心より感謝いたします」
レイは頭を下げた。
「気にしないでくれ。君のおかげで、私も父への考えを改める事が出来たのだからね」
イリーナが死んだことで、その革命は終わりを告げた。要塞周囲を覆っていた防護術式が解けたことで各国の軍が大挙して押し寄せたが、すでに敵兵はほぼ全員が撤退しており、レイたちと人質以外にはほぼ誰も残ってはいなかった。
アズリエルに帰還する際も、ニコラスは無口であった。目の前で起きた事が、あまりにもショッキングであったからだ。敵だと思っていた人間の、本当の心の叫び。それは外の世界をほぼ知らないニコラスにとっては、衝撃であった。
(…我々は、本当に正しい戦いに身を置いているのか?)
そんな疑問符が、ニコラスの頭の中に浮かび始めていた。
その数日後、ニコラスはマリアに呼び出された。
それは極めて珍しい事であった。基本的にマリアが王族を嫌っているためか、彼女の誘いというのは王族全体を招いて行う会議のようなものがメインであり、特にディミトリの総督に赴任してからは、その傾向が強くなった。
そのマリアがニコラス個人を呼び出すというのは、滅多に無い事である。よほど重要なことがあることを匂わせていた。
「姉上…御用とは何でしょうか?」
リチャードも既に夕食を終え、食卓には既に人気が失せた後であった。二人の前には湯気を立てたティーカップがありはしたが、二人とも口をつける気配は全くなかった。
「うむ…その前に、客人は私以外にもいる。入ってきていいぞ」
ドアを開けて入ってきたのは、レイ・デズモンドであった。何やら神妙な面持ちでニコラスの方を見据えているようであった。
「君は…」
「お元気そうで何よりです、陛下」
「…その節はありがとう、感謝しているよ」
「痛み入ります……陛下」
レイはニコラスの足元に近寄り、膝をついて首を垂れた。
「率直に申し上げます…陛下は現王リチャード陛下をどのようにお考えですか?」
「…父上を?」
「…はい」
「……良き父であり、王の責務を果たしていると、思っているよ」
ニコラスはレイから目を逸らした。
「恐れながら申し上げます。それは本当に陛下の御心そのままでしょうか?」
「え?」
「私は陛下の嘘偽りなきお言葉を頂きたいのです。どうか私の目を見て仰ってください」
「……」
ニコラスは返答に窮した。本当のことを言えば、現在の自分の立場は危うくなる。しかし心の奥に浮かんだ疑問を無視できるほど、ニコラスは鈍くはなかった。
「…わからない。私は…この戦争は必要なものだと父上に教わったし、疑いもしなかった。国内の事についてもそうだ。非純粋種に対しては厳格な法規制が必要であり、それに対する歴史的背景があるのだと…だが…」
「…ならばイリーナの姿は、貴方の目にどう映られましたか?」
「……」
その問いに、ニコラスは目を伏せることしか出来なかった。今まで心の奥底では、彼らを見下していた節さえあった。しかしあの瞬間に目の前で聞いた彼女の言葉は、紛れもなくニコラスと同じ人間のものであり、その悲劇は容赦無く彼の心を刺した。
「リチャード王陛下が仰るように、彼女のような非純粋種が人間としての劣等種であるならば…あなたは何故眼を伏せていらっしゃるのですか?」
レイは立ち上がり、ニコラスを見据えながら言った。
「単刀直入に申し上げます…ニコラス陛下。現体制は既に限界です。国内の経済は悪化し、格差は拡大する一方。人種間の軋轢も最高に達しております。今も続く西側への派兵による軍備増強で国費も膨れ上がるばかりです。
外交面でも最悪だ。シーアとの蜜月といくつかの西アガルタ諸国を抱き込んでの東アガルタ連合への侵攻が、ティアーノを始めとする幾つもの列強諸国の反発を招いております。このまま戦乱が続けば、間違い無くアズリエルは叩き潰されるでしょう」
「……何が言いたいのかね」
「陛下には、新しい王になって頂きたい。そして元リチャード陛下には御退陣頂くのです」
それはニコラスにとっては衝撃的な言葉だった。
「馬鹿な、それは事実上の謀反と同じじゃないか!」
「そうかもしれない。しかし、もうこれ以外に手は無い。今こそアズリエル王国が、正しき方向を向けるように」
「…買いかぶりだ。私は、まだ王の器など…」
「それは間違いですよ。この王家以外の外の世界の人間を見、そしてその声を聞いた貴方なら、その資格はあるはず」
「……」
確かにニコラスはまだ若かった。王位継承権一位であるとはいえ、若干二十歳で王位を継承し、国を治めるなどと言うのは前代未聞の出来事である。
しかしこのまま現状を看過できるほど、状況は甘くないとの考えもニコラスにはあった。
「…民も政治家たちも、私についてきてくれるかどうか」
「リチャード王に疑問を持つ政治家なら山とおります。マリア提督、ケルビン教皇といった各国のトップもおります。ニコラス陛下の味方は、数多くいらっしゃるのですよ」
「……」
しばしの沈黙が流れた。
「…ニコラス、お前なら判るはずだ。腹違いの私にすら優しかった、お前になら」
それは、マリアが8歳になる前後の話。
好色家でもあったリチャード王の不義の子であるマリアの存在が認知され、現在の王家が身元を引き受けることになった時であった。
マリアの母である側室はすでに病に倒れ、幼くして天涯孤独の身になってしまったマリアを放っておくわけにはいかないと、王室統制局からも意見が出ていたこともあり、リチャードはマリアを認知し育てていく他に手段は無かった。
女中や側近たちは皆、マリアに対しては腫れ物に触るようであった。気を使い優しい笑顔を見せてくれるものは少なく、みなマリアの見ていないところで後ろ指を指すか、背後でヒソヒソ話に躍起になっていた。
マリアは孤独だった。母が死んですぐに連れてこられた豪邸の中では、皆が好奇や偏見の目を向けてくる上、肉親である父親でさえ、マリアに向ける目は辛辣だった。
『貴様が娘になるマリアか…まぁ、我の面倒にならなければいい』
暗く濁り、熱の失せた両眼。それは親が子に向けるものとはまるで異なる物だと、幼いマリアにも理解できた。
(お母さま…)
ただ一人で窓の外を見つめるだけの日々が続いたある日、一人の少年が声を掛けてきた。
『あなたが、ぼくのお姉さまですか?』
その少年には見覚えがあった。玉座に座るリチャードの横に座っていた少年。マリアは瞬間的に察知していた。彼こそはリチャードの正式な嫡子であり、次の正当なる王になる子供であると。
『わーい! お姉さま、お姉さま♪』
『あ、あの…あなた、名前は…』
『ニコラス!』
ニコラスはただ無邪気に喜ぶだけであった。彼にとっては唯一の、年の近い肉親。それはマリア以外にいなかった。
彼が成長してからも、ニコラスは彼女を慕い続けた。リチャードからの教育により、彼が推し進める人種的隔離政策の正統性を教え込まれても、それは変わることがなかった。彼らの価値観で言えば、マリアなどは迫害の対象になってもおかしくはないのだ。
「王家の嫡男でありながら、お前は最後まで私を差別もしなかったし、ずっと姉として見てくれた…そんなお前になら、差別や、それにより起こる戦乱の無意味さを理解できるはず」
「……」
「何が一番誇り高い選択か…決めるんだ」
やがてニコラスは立ち上がり、宣言した。
「いいだろう。その大役…受けてみよう」
マリアは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下!」
「ようやく、昔の優しかったニコラスが戻ってきたな…」
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

転生した体のスペックがチート
モカ・ナト
ファンタジー
とある高校生が不注意でトラックに轢かれ死んでしまう。
目覚めたら自称神様がいてどうやら異世界に転生させてくれるらしい
このサイトでは10話まで投稿しています。
続きは小説投稿サイト「小説家になろう」で連載していますので、是非見に来てください!

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる