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第四章
第一話 過去の姿
しおりを挟むアズリエル総行政府近くにある教会の地下には、ジョセフィーン・メイ内務長官とフランシス・トロワ司法長官、そしてレイの姿もあった。そしてすぐ横の術式モニター上にはマリアやエレナ、それにサリーの姿も表示されていた。
やがてコツコツと階段を下る音がし、新たな来客を告げた。
「やあ、揃っているかい?」
ニコラスが現れると、その場にいた全員が跪いた。
「陛下…よくぞお越しくださいました」
「構わないよ、皆座るといい」
近くにあった椅子にニコラスは腰掛けた。落ち着いた様子ではあるものの、背筋がピンと伸びた姿は高貴な生まれを思わせるものであった。
「ニコラス陛下…この度は無茶なお願いをお聞き頂き、心より感謝いたします」
レイは頭を下げた。
「気にしないでくれ。君のおかげで、私も父への考えを改める事が出来たのだからね」
イリーナが死んだことで、その革命は終わりを告げた。要塞周囲を覆っていた防護術式が解けたことで各国の軍が大挙して押し寄せたが、すでに敵兵はほぼ全員が撤退しており、レイたちと人質以外にはほぼ誰も残ってはいなかった。
アズリエルに帰還する際も、ニコラスは無口であった。目の前で起きた事が、あまりにもショッキングであったからだ。敵だと思っていた人間の、本当の心の叫び。それは外の世界をほぼ知らないニコラスにとっては、衝撃であった。
(…我々は、本当に正しい戦いに身を置いているのか?)
そんな疑問符が、ニコラスの頭の中に浮かび始めていた。
その数日後、ニコラスはマリアに呼び出された。
それは極めて珍しい事であった。基本的にマリアが王族を嫌っているためか、彼女の誘いというのは王族全体を招いて行う会議のようなものがメインであり、特にディミトリの総督に赴任してからは、その傾向が強くなった。
そのマリアがニコラス個人を呼び出すというのは、滅多に無い事である。よほど重要なことがあることを匂わせていた。
「姉上…御用とは何でしょうか?」
リチャードも既に夕食を終え、食卓には既に人気が失せた後であった。二人の前には湯気を立てたティーカップがありはしたが、二人とも口をつける気配は全くなかった。
「うむ…その前に、客人は私以外にもいる。入ってきていいぞ」
ドアを開けて入ってきたのは、レイ・デズモンドであった。何やら神妙な面持ちでニコラスの方を見据えているようであった。
「君は…」
「お元気そうで何よりです、陛下」
「…その節はありがとう、感謝しているよ」
「痛み入ります……陛下」
レイはニコラスの足元に近寄り、膝をついて首を垂れた。
「率直に申し上げます…陛下は現王リチャード陛下をどのようにお考えですか?」
「…父上を?」
「…はい」
「……良き父であり、王の責務を果たしていると、思っているよ」
ニコラスはレイから目を逸らした。
「恐れながら申し上げます。それは本当に陛下の御心そのままでしょうか?」
「え?」
「私は陛下の嘘偽りなきお言葉を頂きたいのです。どうか私の目を見て仰ってください」
「……」
ニコラスは返答に窮した。本当のことを言えば、現在の自分の立場は危うくなる。しかし心の奥に浮かんだ疑問を無視できるほど、ニコラスは鈍くはなかった。
「…わからない。私は…この戦争は必要なものだと父上に教わったし、疑いもしなかった。国内の事についてもそうだ。非純粋種に対しては厳格な法規制が必要であり、それに対する歴史的背景があるのだと…だが…」
「…ならばイリーナの姿は、貴方の目にどう映られましたか?」
「……」
その問いに、ニコラスは目を伏せることしか出来なかった。今まで心の奥底では、彼らを見下していた節さえあった。しかしあの瞬間に目の前で聞いた彼女の言葉は、紛れもなくニコラスと同じ人間のものであり、その悲劇は容赦無く彼の心を刺した。
「リチャード王陛下が仰るように、彼女のような非純粋種が人間としての劣等種であるならば…あなたは何故眼を伏せていらっしゃるのですか?」
レイは立ち上がり、ニコラスを見据えながら言った。
「単刀直入に申し上げます…ニコラス陛下。現体制は既に限界です。国内の経済は悪化し、格差は拡大する一方。人種間の軋轢も最高に達しております。今も続く西側への派兵による軍備増強で国費も膨れ上がるばかりです。
外交面でも最悪だ。シーアとの蜜月といくつかの西アガルタ諸国を抱き込んでの東アガルタ連合への侵攻が、ティアーノを始めとする幾つもの列強諸国の反発を招いております。このまま戦乱が続けば、間違い無くアズリエルは叩き潰されるでしょう」
「……何が言いたいのかね」
「陛下には、新しい王になって頂きたい。そして元リチャード陛下には御退陣頂くのです」
それはニコラスにとっては衝撃的な言葉だった。
「馬鹿な、それは事実上の謀反と同じじゃないか!」
「そうかもしれない。しかし、もうこれ以外に手は無い。今こそアズリエル王国が、正しき方向を向けるように」
「…買いかぶりだ。私は、まだ王の器など…」
「それは間違いですよ。この王家以外の外の世界の人間を見、そしてその声を聞いた貴方なら、その資格はあるはず」
「……」
確かにニコラスはまだ若かった。王位継承権一位であるとはいえ、若干二十歳で王位を継承し、国を治めるなどと言うのは前代未聞の出来事である。
しかしこのまま現状を看過できるほど、状況は甘くないとの考えもニコラスにはあった。
「…民も政治家たちも、私についてきてくれるかどうか」
「リチャード王に疑問を持つ政治家なら山とおります。マリア提督、ケルビン教皇といった各国のトップもおります。ニコラス陛下の味方は、数多くいらっしゃるのですよ」
「……」
しばしの沈黙が流れた。
「…ニコラス、お前なら判るはずだ。腹違いの私にすら優しかった、お前になら」
それは、マリアが8歳になる前後の話。
好色家でもあったリチャード王の不義の子であるマリアの存在が認知され、現在の王家が身元を引き受けることになった時であった。
マリアの母である側室はすでに病に倒れ、幼くして天涯孤独の身になってしまったマリアを放っておくわけにはいかないと、王室統制局からも意見が出ていたこともあり、リチャードはマリアを認知し育てていく他に手段は無かった。
女中や側近たちは皆、マリアに対しては腫れ物に触るようであった。気を使い優しい笑顔を見せてくれるものは少なく、みなマリアの見ていないところで後ろ指を指すか、背後でヒソヒソ話に躍起になっていた。
マリアは孤独だった。母が死んですぐに連れてこられた豪邸の中では、皆が好奇や偏見の目を向けてくる上、肉親である父親でさえ、マリアに向ける目は辛辣だった。
『貴様が娘になるマリアか…まぁ、我の面倒にならなければいい』
暗く濁り、熱の失せた両眼。それは親が子に向けるものとはまるで異なる物だと、幼いマリアにも理解できた。
(お母さま…)
ただ一人で窓の外を見つめるだけの日々が続いたある日、一人の少年が声を掛けてきた。
『あなたが、ぼくのお姉さまですか?』
その少年には見覚えがあった。玉座に座るリチャードの横に座っていた少年。マリアは瞬間的に察知していた。彼こそはリチャードの正式な嫡子であり、次の正当なる王になる子供であると。
『わーい! お姉さま、お姉さま♪』
『あ、あの…あなた、名前は…』
『ニコラス!』
ニコラスはただ無邪気に喜ぶだけであった。彼にとっては唯一の、年の近い肉親。それはマリア以外にいなかった。
彼が成長してからも、ニコラスは彼女を慕い続けた。リチャードからの教育により、彼が推し進める人種的隔離政策の正統性を教え込まれても、それは変わることがなかった。彼らの価値観で言えば、マリアなどは迫害の対象になってもおかしくはないのだ。
「王家の嫡男でありながら、お前は最後まで私を差別もしなかったし、ずっと姉として見てくれた…そんなお前になら、差別や、それにより起こる戦乱の無意味さを理解できるはず」
「……」
「何が一番誇り高い選択か…決めるんだ」
やがてニコラスは立ち上がり、宣言した。
「いいだろう。その大役…受けてみよう」
マリアは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下!」
「ようやく、昔の優しかったニコラスが戻ってきたな…」
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