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第三章

第六話 教皇

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 マリアとの通話の後、奇妙な沈黙が流れた。

「…あの人も、何を考えているんだ。俺はもう、ただの民間人なのに」

 そう言って奇妙な空気を打ち払おうとした。
 しかしエレナは言った。

「…私も、この戦乱はレイ様にしか止められないと思います」
「…エレナ?」

 その瞳は、いつになく強い輝きが宿っていた。

「あなたは強い。ディミトリ・ラファト亡き今、恐らくはこの世界で誰よりも。
 その事を、ご自身でもお分かりのはず」
「……」

 エレナの言う通り、レイ自身にも自覚はあった。
 この世界の尺度では測りきれない程の力を、レイは有している。
 だからこそレイは自分自身が恐ろしく、そして呪わしかった。少しでも間違えば、その力は多くの人間を破壊し、また多くの憎しみを生むことを身を以て知っているからである。

「お伝えするのが遅れてしまいましたが…私、ティアーノ方面への異動が決定しました」
「え?」
「無国籍医師団の一員として、内戦の続くティアーノでの怪我人たちを癒してこいと…教皇府からの命令です」
「そんな…危険だ! 今のあそこは無法地帯だ。教会の人間だって、安全が保証されてるわけじゃない!」
「わかっています。それでも、私はそこにいる人間を助けたいと思います。教会で医学に従事しているものとして」
「そんなこと言ったって…!」
「戦争が終わらない限り、私だけでなく無数の人間の命が危ぶまれます。誰かがこの状況を打破する必要があるんです。強大な力を持った誰かが」
「…それが俺だって言うのか?」
「そうです。それは誰よりも強い力と、誰よりも優しい心を持ったレイ様にしか、成し得ないことです」

 しばしの間、レイは俯いて考えた。

「……わかったよ。なんとか頑張ってみる」
「レイ様…!」
「ただまずは、直接教皇猊下にお許しを頂くしかない。世界規模の戦乱に介入するとあってはな」


 その翌日の朝。
 レイとエレナはアルマ教主国の中枢である教皇府にて、その最高権力者である教皇ケルビン・ラマーへの謁見が許された。
 通常であれば教皇は公の場にも姿を現わす事は少ないが、コーヴィック家の人間と、南北戦役を集結させた勇者の願いというだけあって、早々に受理された。
 ただその願いが教会のトップ層に受け入れられるかどうかは、まるで別問題であった。教会内部が保守派とアラニストに分断されている事は周知の事実であり、それがアルマ教主国を一枚岩でなくしている原因である。

 広々とした謁見の間にて、レイとエレナは教皇を始めとする幹部たちの到着を待った。
 部屋のありとあらゆる場所に教会の僧兵たちが配置され、迂闊に身動きできないような圧迫感を醸し出していた。
 幹部たちが座する椅子は頭上に置かれ、レイたちを大きく見下ろす形になっていた。
 そうして待つ事数分後、レイたちが見上げる階段の上に続々と幹部たちが現れた。
 その場に配置された兵士たち、そしてレイとエレナもその場に手をついて跪いた。
 中央の玉座とも言える椅子に、最後に現れたケルビン・ラマー教皇が座った。

 現アルマ教主国の最高権力者、ケルビン・ラマー。
 短く刈りそろえた髪の毛や髭は既に真っ白になり、顔にも多くの皺が刻まれてはいるものの、その両目にはいまだ衰えない意志とカリスマ性を常に覗かせている。
 そしてこの教会内で最も異質なものとして、彼の黒々とした肌の色が挙げられるだろう。
 ケルビンは元々ネロ族の生まれであり、また幼少期より聖ミロワ信仰を受けて育ってきた。
 その生い立ちからアラニストの筆頭として活躍した経験を持ち、全ての差別撤廃を目指した前教皇から、教皇の座を直々に明け渡されたという逸話を持つ。
 それを快く思わない者たちは幹部を始め多く存在した。純粋種が多くを占める教会の中枢は、アラニスト達を時に異端と見なす向きさえあった。
 そうした内部分裂を未然に防いだのが、現教皇の政治手腕でもあった。
 歪みを抱えながらではあるが、アルマ教主国の平和と平等は彼によって保たれていると言っても過言では無いのだ。

「面を上げよ、レイ、エレナ」

 二人は教皇の顔を見た。
 優しさと強さが同居した、不思議な目だ。

「話は聞いておる。レイ・デズモンドよ、この戦乱を止めるため、西の大陸へ渡ると申すのだな?」
「はい…誰も殺す事なく、この戦いを終わらすことが出来るのは、私の他にはおりません故に」

 教皇の横にいる男が、鼻でせせら嗤った。

「はっ、世迷い言を。襲い来る数多の兵を相手にして、誰も殺さんだと? 貴様正気か?」

 レスリー・サマラ枢機卿。教会の実質的ナンバー2であり、現保守派の代表とも呼べる存在だ。

「我々は永久中立国家であり、どの国にも力を貸さん。その事は貴様もわかっていよう。その上で、そのような言葉を吐くというのか?」
「恐れながら、その通りでございます。誰にも遺恨を残す事なく戦いを終わらすという、全ての人の夢…どうか、私に賭けてみては下さりませんか」
「気でも狂れたのか! その悪魔の化身が如き力に、人の聖なる願いを託せだと? 思い上がりも甚だしいわ!」

 その横に控える男も、さも見下したような目付きでレイとエレナを見下ろした。

「よく聞くがいい、レイ・デズモンドよ。貴様のその力は、この世の摂理を超えたものとも呼べるものだ。
 本来ならば異端審問会に掛け、時と場合によっては粛清の対象とも成り得るのだぞ。
 それをやらんのは、コーヴィック家の後ろ盾がある事、貴様がまだ教会にとって無益では無い事、貴様を葬る事の難しさが原因なだけであり、貴様本人への温情など我等は欠片も持ち合わせておらぬ。
 それがわからぬほど、貴様の頭も呆けてはおるまい?」
「…承知しております」

 アンドレ・カクタス異端審問官。彼が保守派に抱き込まれているのは明白だったが、異端審問会の半数近くは彼と同じく保守派層に既に買収されており、レイのような者に対する冷遇は珍しいことではなかった。

「猊下、このような戯言に付き合う必要もありますまい。この者の処遇は我々に任せ、どうぞご公務の方にお戻りください」

 白々しささえ感じる慇懃さで、レスリーは教皇に語りかけた。
 枢機卿を始めとする保守派は、教皇が唱えるアラニズムに真っ向から異を唱えている、つまりは公に教皇の政策を批判しているのだ。そのような立場でありながら、媚びを売るような態度を見せるのは些か滑稽にすら映った。

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