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第三章

第五話 全ての人の理想

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「お待ち下さい、姉上!」

 足早に帰るマリアを、ニコラスが後ろから呼び止めた。

「せっかくお越しになったのですから、せめてもう少し…」
「いらんと言ったろう。私はやらねばならんことがある」

 ニコラスは軽く溜息をついた。

「なぜお父様に対してああも反抗的なのです? 今は我ら一丸となり、王国の安寧を脅かす輩を一掃せねばならない時でしょうに」
「…ニコラス、貴様本気で言っているのか? これ以上戦争を続けることが本当に正しい事だと思っているのか?」
「姉上は国を守る事が間違っていると仰るのですか! 血の祝祭で犠牲になった者達の悲しみを無下にするのであれば、私も許しませんよ!」
「守るなとは言っていない! ただこの戦争は明確な侵略行為だ‼︎  元を正せば他人種と我々の戦いは、開拓時代から始まっているのは知っているだろう。このまま戦乱が長引けば、咎を受けるのは我々の方だ!」
「我々が悪ですと? そんな戯言を言うのは売国者だけだ! 戦いを仕掛けてきたのは奴らなのですよ!」
「兵士だけならともかく、民間人まで躊躇いなく殺して蹂躙する、国内では差別がまかり通り人死にさえ起こる、そんな事が悪でなくて何だと言うのだ‼︎」
「そんな者は一部の人間だけだ! 誇張して正当化しないで頂きたい!」
「現実を見ろ、ニコラス! 差別も虐殺も、今この瞬間に起こっている事なのだ! それを引き起こしているのが現政権である事に、何故目を向けようとしないのだ‼︎」

 ニコラスは頭を抱えた。

「姉上はこの国を愛しておられないのですか⁉︎ 仮にも貴女は王家の血を引く者なのですよ」
「わかっているさ。私は王妃であり、国を守り愛する義務がある。だからこそ、国が蛮行に及ぶのを黙って見過ごすわけにはいかんのだ!」
「…やれやれ、どうしてそう左翼的思想に毒されてしまったのか。世俗の血が混じっているからですか?」
「ーーーーーー‼︎」

 マリアはニコラスの頬を平手で強く打った。

「…見損なったぞ、ニコラス。貴様、そこまで堕ちたのか!」

 よく見ればその手は震え、眼には涙を溜めていた。

「もういい、貴様らには頼らん。せいぜい操り人形でいる事だ」

 そう吐き捨て、マリアは去っていった。
 ニコラスはその様子を、ただ呆然と眺めるしかなかった。

(姉上…)


 ディミトリの官邸にて、マリアは思索していた。
 あくまで行政特区であり独立国家ではない現在のディミトリは、アズリエル王国の族国といった扱いである。
 しかしここでアズリエル王国の西側大陸侵攻に参戦するとなれば、国内の猛烈な非難だけでなく、民衆における武装蜂起に口実を与え、さらなる混乱を招くこととなるだろう。
 とはいえ大陸側に与して王国に反旗を翻すとなれば、もはやディミトリは今度こそ跡形も残らないほど叩き潰される事になる。
 ディミトリ・ラファトという最強のカリスマを失った今、戦争になった場合の勝算はほぼゼロに近かった。
 二度に渡る世界的対戦の敗退は、最悪の場合を考慮すれば世界地図からディミトリ特別行政特区が消え失せる危険性さえあり、これ以上現地民に無駄な血を流させるわけにはいかなかった。

(どうすればいい…)

 この状況を打破するには、圧倒的な力が必要だった。
 大陸側も、アズリエル側も一気に鎮圧できるほどの、人智を超えた強大な力が。
 それを持つものを、マリアはただ一人だけ知っていた。

(結局、奴に頼るしかないのか…)






 サリーの語ったところによれば、アズリエルの傀儡政権であるジェフリー・アベドに対し、遂に亜人種たちが怒りを爆発させた結果との事だった。
 それに乗じて世界情勢はさらに過激化し、最終的には大陸間の戦争にまで発展した。
 要人暗殺という形で全世界に宣戦布告をした以上、多くの死傷者が出るのは避けられないというのがサリーを含めた教会の中枢たちの意見だった。
 日頃ニュースでは、戦況の過激化や戦死者の増加、或いは互いの国のトップの攻撃的姿勢や差別主義を引き合いに出した貶め合いが繰り広げられていた。
 それらは否応無く、そして確実に、民衆の不安と他人種への憎悪を煽っていった。

(…また戦争が始まるのか)

 レイは忸怩たる思いでそれらのニュースを見つめていた。

(マスメディアは煽るばかりだ)

 レイの考えは事実であった。
 戦争自体に反対するような意見は少なく、むしろ戦争を賛美するような記事が目立った。

「…また、始まるんですね」

 エレナもまた、沈痛な面立ちでそれらのニュースを見つめた。
 彼女は戦争の犠牲者たちを、誰よりも間近で見つめてきた。
 彼女の思いがレイには痛いほどわかった。

「あれだけの戦争があって、大佐が勇気を出して事実を世界に広げたのに…まだみんなわからないのか?」

 そんな折、突然レイを呼び出すコール音が鳴り響いた。
 発信者はレイもエレナも良く知る人物だった。
 微かに戸惑いを覚えながらも、レイは術式画面を開き応答した。

『久しぶりだな、デズモンド。元気そうじゃないか』

 マリア・アレクサンドルの上半身が画面に映し出された。

「ご無沙汰しております、大佐。そちらもお元気そうで何よりです」
「大佐…お久しぶりです」
『もう大佐と呼ぶのはよせ…とっくに私は除隊しているし、今やお前らも私の部下ではない』
「そうでしたね…遅ればせながら、ディミトリ特別行政特区総督への御就任、おめでとうございます」

 レイたちがこうしてマリアと話すのは久しぶりの事だった。
 手紙のやり取りは何度かあったが、それも数回の話であった。
 お互いの多忙さが距離を遠くしていた。

『めでたい事など何もないさ。要するに王国からの放逐だし、面倒事は常日頃から山積みだ』
「でしょうね。お察し致します…それで、総督閣下が私を直接呼び出すとは、一体何事です?」
『総督なんて呼び名もやめろ、気分が悪くなる。普通にマリアと呼べ。コーヴィックもだぞ」
「あ、はい…えと、マリアさん……慣れないなぁ」

 どうにもエレナは戸惑い気味のようだ。


『…ニュースはもう見ているな?』
「はい。また戦争が始まった。世界は、また戦争を望んでる。俺たちが払った大きな犠牲を、また忘れようとしている』
『そこまで知っているなら話が早い。単刀直入に言う。力を貸してくれ』
「…俺に、ディミトリの軍勢に加われと?」
『そうは言わん。お前の立場だって知っている。何処か特定の勢力に与するような事があれば、お前だけでなくコーヴィック家の立場まで危うくなるだろう。
 ただ単に、お前にはこの戦争を終わらせて欲しいだけだ。手段は問わない』
「…ご存知でしょう。俺は勇者なんかじゃない、ただ一人の非力な人間だ。
 かつての仲間を救う事が出来なかった、俺自身も深い闇に堕ちるところだった。微かな人間を救うだけで手一杯ですよ」
『それは嘘だ。お前は私が知る中で誰よりも強く、そして勇ましい人間だ。
 敵味方共にただ一人の犠牲も出さずにベインを攻略した功績を、まさか忘れたとは言わせんぞ』
「……」
『私から奪ったカイン・クラムの大剣は、未だにお前が持っているんだろう? その剣を今こそ振るう時だ』
「冗談はやめてください。俺はもう誰かを殺すなんて懲り懲りだ」
『わかっているさ。しかしその剣を私から奪っても、お前は誰一人傷つけなかったじゃないか。
 我々凡人は、理想へ近づくために犠牲を払わなければいけない…しかしお前は違う。レイ・デズモンド、お前の力は桁外れだ。その力があれば、誰一人成し得なかった我らの理想を叶えられるかもしれんのだ。誰一人犠牲にする事なく平和を掴むという、全ての人が抱く理想をな』
「…俺が、ですか」
『 お前自身も、その力を知っているはずだ』
「……」

 しばしの沈黙が流れた。

『話が長くなったな。動くつもりになったら、連絡をくれ』

 そう言って通信は途切れた。
 レイの中には、ある一つの言葉が残っていた。

(全ての人が抱く理想を……俺が叶える?)






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