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第一章

第二十二話 日常の戦場・その三

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 バスタブの中の白く濁った湯船に浸かりながら、ライリーは呆けていた。

「はぁ…」

 暖かい風呂に肩までしっかり浸かる。かつての戦場では考えられないことだ。
 自らの魔法で精製した簡易シャワーのようなものしか浴びられなかったのだ。
 衛生面から見ても、こちらの方がいいに決まっている。
 にも関わらず、ライリーはどこか落ち着かないような心持ちだった。
 心の奥底の部分に、どうしても解きほぐれない部分があるのを、彼女自身も感じていた。

(……なんだろ、この感覚)

 それらは今までの人生で感じたことが無かった。





「向こうでも頑張っているそうじゃないか、鼻が高いぞ」
「ライリーもずっと勉強してきたからね、報われたわね」
「え、ええ…」

 食事の席では、両親が労いの言葉をかけてくれた。
 彼らの立場にしてみれば、当然のことだろう。
 愛娘が勉学に励んだ結果、上級将校へ上り詰めることも夢ではないポジションに就いた。
 そこで武勲まであげたとなれば、誇らしい事この上無いだろう。
 しかしライリーには、そのことに触れて欲しくはない気持ちがあった。
 最前線に立っている人間以外には、たとえ称賛であっても戦場について口にはして欲しくはなかった。

「どうした、ほとんど手をつけていないじゃないか?」
「え、あ、いや…大丈夫です。いただきます」

 しかしそんな内心は悟らせまいと、ライリーは急いで食事を掻き込んだ。
 もはや味もわかったものでは無かったが、そうする他はなかった。






 気晴らしに散歩とでもと、ライリー外に出て新鮮な空気を吸った。
 近所の通りのベンチに腰掛け、青空や通行人たちを眺めていれば、落ち着くはずだった。
 幸にして今日は休日、しかも天気もいいとなれば、笑顔の家族連れを見ることも少なくはなかった。
 しかし未だに気持ちが晴れる事はなかった。

「…どうなっちゃったの、私」

 ライリーは一人、虚空を見つめながら呟いた。
 空は雲一つない快晴だというのに。道行く人々は皆笑っているというのに。
 ライリーの心は虚しく、目に映るもの全てが酷くつまらなく見えた。
 それどころか人々が話す内容や笑顔を見ていると、どこか憤りを感じることさえもあった。

「ねえ、大丈夫? そんな所に座り込んじゃってさ」

 突如として、ライリーの真横に男が座り込んだ。

「なんか暇してるの? 時間あるならさ、俺と一緒に遊んでかない?」

 いかにも軽薄そうな見た目と口調であり、常にこうした態度で女を口説いている事が感じられた。
 鬱陶しい事この上ないといった表情で、ライリーはその場を立ち去ろうとした。

「あ、ねぇちょっと…」
「話しかけないで。近寄られると鬱陶しいのよ」

 男の目も見ず、いかにも不愉快そうにライリーは言い放った。
 大抵の男はこれで引き下がるはずだった。

「な、なんだよテメェ!」

 その発言が癇に触ったのか、男はライリーの方を乱暴に掴んだ。



「‼︎」



 その瞬間、ライリーは男の手首と襟と掴み返し、重心を下にしながら足を払って相手を転ばせた。

「ってぇ!」

 戦闘に関しては完全に素人である男は、簡単に地面に転がる事となった。
 すかさずライリーは相手の腹に膝を置き、完全に相手の抵抗できる機会を奪った。
 体の中心に全体重を乗せられては男は起き上がって逃げることは出来ないであろう。
 間髪入れずにライリーは相手の顔面に拳を入れた。

「ぐえっ!」

 鍛え上げた軍人の拳には、たとえ男でも敵う訳がない。
 ここまでの一連の流れは、士官学校で嫌と言うほど身に付けさせられた。
 周囲の人間はざわつき始めた。細身の女性がナンパ男を圧倒しているのだから、当然だろう。

「も、もうやめ…」
「……」

 無言のままライリーは立ち上がり、掌に術式を展開した。
 それは人一人を消炭に変えるには十分すぎるほどの威力であり、すでに発する高温は周りの空気を歪ませていた。
 確実に相手を抹消できうる炎魔法を宿した掌を、ライリーは躊躇うことなく男の方に向けた。

「ひぃぃぃぃぃっ‼︎」
「や、やめろ!」

 野次馬の一人が、すかさずライリーを止めに入った。

「もうよせ、殺す気かよ‼︎」
「……え?」

 その瞬間、ライリーは突如として我に帰った。
 気がつけば拳は血に塗れ、掌は確実に人を殺せる魔法の残滓がまだ強く残っていた。
 通行人が止めに入らなければ、ライリーは確実に男を殺していただろう。

(うそ…これ、私が?)

 自身の行動に、ライリーは愕然とした。
 丸腰の民間人に向けて魔法を放つなど、常識で考えればあり得ない行為である。にもかかわらず、ライリーは無意識でも他人を全力で持って蹂躙しようとした。

「……‼︎」

 背筋が急に寒くなり、ライリーはその場から逃げ出した。



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