108 / 132
最終章 冒険者5~6か月目
103話 作戦と奇策
しおりを挟む「それと、はるかさん」
もう喋らないという意思表示を破られ、しかたなく目を開ける。「珍しい」が続いたからだ。普段であれば、岩見はそう何度もレールを外さない。
「ちょっとしたお願いなんですけど、いいですか」
けれど、ミラーに映る岩見の表情はいつもどおりのものだった。その調子で淡々と時東に告げてよこす。
「しばらく行くのやめてください。その、はるかさんがお邪魔してる食堂」
「なんで?」
笑顔が剥がれかけたことを自覚したまま、問いかける。なんでそんなことを言われないといけないのか、まったく意味がわからなかった。
「ご存じないならご存知ないでいいと思うんですけどね。はるかさんの責任ではないですし。ただ、揉めるとちょっとよろしくないので。このご時世、ネット発信の情報は怖いですから。炎上、拡散」
「いや、だから、岩見ちゃん。話が見えないんだけど」
「まぁ、大炎上してるのは、はるかさんの自称ファンのほうなんですけどね。食堂はとばっちりというか、気の毒がられているというか」
「だから!」
読めない話に声を尖らせると、岩見が瞳を瞬かせた。
「あれ、珍しいですね。はるかさんが声を荒げるの」
「……岩見ちゃんが、まどろっこしい言い方するからでしょ」
「はるかさん、エゴサしないですもんね。いや、しないほうがいいと思うんで、それはいいんですけど」
あくまでものんびりとした口調を崩さない岩見に、しびれを切らしてスマートフォンを手に取る。
自分の名前で検索はしない、と。随分前から時東は決めている。
見たくないものを見てメンタルを崩すなんて馬鹿らしいし、なにを撮られようとも、なにを書かれようとも、どうでもいいと思っていたからだ。
「はるかさんの名前とその食堂の名前で検索したら、引っかかるんじゃないですかね。まぁ、はるかさんは本当に悪くないと思いますけど。知らないってことは、お相手もはるかさんに物申すつもりはないんでしょうし」
事務所に守られた、手の届かない芸能人の時東はるかには、影響はない。だから、どうでもいいと傲慢に思っていた。でも。
なにが嘘でなにが本当なのかもわからない、文字と画像の羅列。ただひとつはっきりとしていることは迷惑をかけたということだった。
じっと画面を見つめたまま、時東は小さく息を吐いた。
――怒ってる、かな。それとも、悲しんでるかな。
けれど、悲しんでいるという表現は、自分の知る彼と合わないな。そう思い直した直後、いつかの夜に見た静かな横顔を思い出した。ぐっと胸が詰まる。
そうやって、ひとりですべてをなかったことにするのだろうか。それとも、彼の傍にいる幼馴染みが彼を癒すのだろうか。
逢いたい、と思った。謝罪を告げたい気持ちも、罪悪感ももちろんある。だが、逢いたいという欲求のほうが強かった。こんなふうだから、自分は駄目なのだ。声にならない声で笑う。
いつも、いつも。自分のことばかりで余裕がない。五年をかけて、大人になったふりで、余裕があるように見せかけることはうまくなった。けれど、それだけだ。根本的なところは、きっとなにも変わっていない。
――俺はおまえが嫌いだ。もう無理だ。だから勝手にしろよ。勝手に一人でやってくれ。俺も美波も、おまえと一緒にやっていけない。
あの当時の記憶と一緒に封印した声が、数年ぶりに鼓膜の内側から響いた。スマートフォンを閉じて、顔を上げる。
「南さん、俺の連絡先、知らないもん」
「あ、そうなんですか」
「俺も知らない」
「えぇ? 合鍵持っていて、お家に置いてもらっていて、連絡先なにも知らないんですか? ラインとか……、知らなそうですね、すみません」
勝手に納得して謝ったものの、岩見の声は笑っている。
「なんか、いつものはるかさんで安心しました。なにをそんなにその食堂に肩入れしてるのかなって、ちょっと不安だったんですけど。いつもどおりでしたね」
いつもどおり。普段だったらなにも思わないそれに、妙にカチンときてしまった。
「いつもの俺って、なに?」
いつもどおり。笑顔で遠ざけて、壁を作って、特定の誰とも親しくせず、誰とも連絡先を交換せず、だから、行き詰っても、相談できる誰かもいない。
自分のせいで迷惑をかけただろう相手にさえ、ドライな距離を保ち続ける。それがいつもどおりの時東はるか、か。
「はるかさん」
宥める呼びかけに、時東は我に返った。どうかしているのは、今の自分だ。いつもどおりを貫けなくなろうとしている。
「僕の発言が気に障ったのなら謝りますけど。予定キャンセルとか、無理なこと言い出さないでくださいね」
そんなことはできるわけがないと承知している。意識して、時東は深く息を吐いた。そうしてから、にこりとほほえむ。
「言うわけないって。今日は夜まで生放送。明日も朝から収録二本。それに、どう考えても、俺が今押しかけたほうが迷惑でしょ。岩見ちゃんが言ったとおり」
「ですよね。うん、そう思います」
「落ち着いたころに菓子折りでも持っていこうかな。いらないって言われちゃいそうだけど」
岩見のほっとした相槌に軽口を返し、時東はもう一度目を閉じた。いつもどおり。自分は、南の家にいるときも、いつもどおりなのだろうか。
安らぐ。落ち着く。安心できる。実家のことを評しているような感想だ。だが、そうなのだ。あの場所が、自分は好きだ。あの人のいる、あの場所が。どうしようもなく好きになってしまっている。
否定して、否定して、有り得ないと嘲って、けれど、すとんと染み入ってしまうのだ。
もうすでに身体の一部になったみたいだ。あの人は、間違いなく、自分の中の特別な枠組みに入っている。
それがどういった枠組みなのかは、わからないけれど。
もう喋らないという意思表示を破られ、しかたなく目を開ける。「珍しい」が続いたからだ。普段であれば、岩見はそう何度もレールを外さない。
「ちょっとしたお願いなんですけど、いいですか」
けれど、ミラーに映る岩見の表情はいつもどおりのものだった。その調子で淡々と時東に告げてよこす。
「しばらく行くのやめてください。その、はるかさんがお邪魔してる食堂」
「なんで?」
笑顔が剥がれかけたことを自覚したまま、問いかける。なんでそんなことを言われないといけないのか、まったく意味がわからなかった。
「ご存じないならご存知ないでいいと思うんですけどね。はるかさんの責任ではないですし。ただ、揉めるとちょっとよろしくないので。このご時世、ネット発信の情報は怖いですから。炎上、拡散」
「いや、だから、岩見ちゃん。話が見えないんだけど」
「まぁ、大炎上してるのは、はるかさんの自称ファンのほうなんですけどね。食堂はとばっちりというか、気の毒がられているというか」
「だから!」
読めない話に声を尖らせると、岩見が瞳を瞬かせた。
「あれ、珍しいですね。はるかさんが声を荒げるの」
「……岩見ちゃんが、まどろっこしい言い方するからでしょ」
「はるかさん、エゴサしないですもんね。いや、しないほうがいいと思うんで、それはいいんですけど」
あくまでものんびりとした口調を崩さない岩見に、しびれを切らしてスマートフォンを手に取る。
自分の名前で検索はしない、と。随分前から時東は決めている。
見たくないものを見てメンタルを崩すなんて馬鹿らしいし、なにを撮られようとも、なにを書かれようとも、どうでもいいと思っていたからだ。
「はるかさんの名前とその食堂の名前で検索したら、引っかかるんじゃないですかね。まぁ、はるかさんは本当に悪くないと思いますけど。知らないってことは、お相手もはるかさんに物申すつもりはないんでしょうし」
事務所に守られた、手の届かない芸能人の時東はるかには、影響はない。だから、どうでもいいと傲慢に思っていた。でも。
なにが嘘でなにが本当なのかもわからない、文字と画像の羅列。ただひとつはっきりとしていることは迷惑をかけたということだった。
じっと画面を見つめたまま、時東は小さく息を吐いた。
――怒ってる、かな。それとも、悲しんでるかな。
けれど、悲しんでいるという表現は、自分の知る彼と合わないな。そう思い直した直後、いつかの夜に見た静かな横顔を思い出した。ぐっと胸が詰まる。
そうやって、ひとりですべてをなかったことにするのだろうか。それとも、彼の傍にいる幼馴染みが彼を癒すのだろうか。
逢いたい、と思った。謝罪を告げたい気持ちも、罪悪感ももちろんある。だが、逢いたいという欲求のほうが強かった。こんなふうだから、自分は駄目なのだ。声にならない声で笑う。
いつも、いつも。自分のことばかりで余裕がない。五年をかけて、大人になったふりで、余裕があるように見せかけることはうまくなった。けれど、それだけだ。根本的なところは、きっとなにも変わっていない。
――俺はおまえが嫌いだ。もう無理だ。だから勝手にしろよ。勝手に一人でやってくれ。俺も美波も、おまえと一緒にやっていけない。
あの当時の記憶と一緒に封印した声が、数年ぶりに鼓膜の内側から響いた。スマートフォンを閉じて、顔を上げる。
「南さん、俺の連絡先、知らないもん」
「あ、そうなんですか」
「俺も知らない」
「えぇ? 合鍵持っていて、お家に置いてもらっていて、連絡先なにも知らないんですか? ラインとか……、知らなそうですね、すみません」
勝手に納得して謝ったものの、岩見の声は笑っている。
「なんか、いつものはるかさんで安心しました。なにをそんなにその食堂に肩入れしてるのかなって、ちょっと不安だったんですけど。いつもどおりでしたね」
いつもどおり。普段だったらなにも思わないそれに、妙にカチンときてしまった。
「いつもの俺って、なに?」
いつもどおり。笑顔で遠ざけて、壁を作って、特定の誰とも親しくせず、誰とも連絡先を交換せず、だから、行き詰っても、相談できる誰かもいない。
自分のせいで迷惑をかけただろう相手にさえ、ドライな距離を保ち続ける。それがいつもどおりの時東はるか、か。
「はるかさん」
宥める呼びかけに、時東は我に返った。どうかしているのは、今の自分だ。いつもどおりを貫けなくなろうとしている。
「僕の発言が気に障ったのなら謝りますけど。予定キャンセルとか、無理なこと言い出さないでくださいね」
そんなことはできるわけがないと承知している。意識して、時東は深く息を吐いた。そうしてから、にこりとほほえむ。
「言うわけないって。今日は夜まで生放送。明日も朝から収録二本。それに、どう考えても、俺が今押しかけたほうが迷惑でしょ。岩見ちゃんが言ったとおり」
「ですよね。うん、そう思います」
「落ち着いたころに菓子折りでも持っていこうかな。いらないって言われちゃいそうだけど」
岩見のほっとした相槌に軽口を返し、時東はもう一度目を閉じた。いつもどおり。自分は、南の家にいるときも、いつもどおりなのだろうか。
安らぐ。落ち着く。安心できる。実家のことを評しているような感想だ。だが、そうなのだ。あの場所が、自分は好きだ。あの人のいる、あの場所が。どうしようもなく好きになってしまっている。
否定して、否定して、有り得ないと嘲って、けれど、すとんと染み入ってしまうのだ。
もうすでに身体の一部になったみたいだ。あの人は、間違いなく、自分の中の特別な枠組みに入っている。
それがどういった枠組みなのかは、わからないけれど。
0
お気に入りに追加
310
あなたにおすすめの小説

転生したら神だった。どうすんの?
埼玉ポテチ
ファンタジー
転生した先は何と神様、しかも他の神にお前は神じゃ無いと天界から追放されてしまった。僕はこれからどうすれば良いの?
人間界に落とされた神が天界に戻るのかはたまた、地上でスローライフを送るのか?ちょっと変わった異世界ファンタジーです。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
外れスキル《コピー》を授かったけど「無能」と言われて家を追放された~ だけど発動条件を満たせば"魔族のスキル"を発動することができるようだ~
そらら
ファンタジー
「鑑定ミスではありません。この子のスキルは《コピー》です。正直、稀に見る外れスキルですね、何せ発動条件が今だ未解明なのですから」
「何てことなの……」
「全く期待はずれだ」
私の名前はラゼル、十五歳になったんだけども、人生最悪のピンチに立たされている。
このファンタジックな世界では、15歳になった際、スキル鑑定を医者に受けさせられるんだが、困ったことに私は外れスキル《コピー》を当ててしまったらしい。
そして数年が経ち……案の定、私は家族から疎ましく感じられてーーついに追放されてしまう。
だけど私のスキルは発動条件を満たすことで、魔族のスキルをコピーできるようだ。
そして、私の能力が《外れスキル》ではなく、恐ろしい能力だということに気づく。
そんでこの能力を使いこなしていると、知らないうちに英雄と呼ばれていたんだけど?
私を追放した家族が戻ってきてほしいって泣きついてきたんだけど、もう戻らん。
私は最高の仲間と最強を目指すから。
レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~
喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。
おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。
ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。
落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。
機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。
覚悟を決めてボスに挑む無二。
通販能力でからくも勝利する。
そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。
アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。
霧のモンスターには掃除機が大活躍。
異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。
カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる