上 下
1 / 15

知らない場所

しおりを挟む



『イオリちゃん、しょうらい、ずっといっしょにいようね』
 そう言った少年の顔を、伊織はもう何年も思い出せずにいる。






「いやいやここどこ」

 神田伊織、十八歳。彼女いない歴十四年。四歳のころにできた彼女が果たして本当に彼女に入るかどうかはさておき、伊織は平和に暮らしてきたはずだった。かわいらしくてツンデレなかわいい幼馴染がいるわけでもなく、まじめで優しい文学少女な委員長と仲良くなるわけでもなく、ただ伊織は淡々と平和に生きてきただけだった。帰宅部で特に用事もなく、そのまま高校から帰ろうと思っていた帰り道、突然足元のマンホールが光ったかと思えば全く見知らぬ土地にいたのだ。

「いや何ここマジで意味わかんない」

 鬱蒼と生い茂る森の中に突然ワープさせられて動揺しない人間がいたら目の前に来てほしいのだが、どうにも人間という生き物自体が今現在見えない状況だ。誰でもいいから説明してほしい。
 ここは〇国ですとかNPCみたいな人間でもいいから。幻覚でも見ているならば匂いはアスファルトと車の排気ガスの匂いがするはず。だがそんな淡い期待は裏切られて匂いまで完全に木々と土の匂いだ。

「……ええ、なに……? 遭難……?」

 住宅街から突然森に移動させられて遭難も何もないが、誰もいない中でそう判断せざるを得ない。ぱっと見て分かる深い森の中で人口建造物も、人の通った形跡すらない。樹海ですら人が通った形跡ぐらいはあるし、そのあたりに人の持ち物が転がっている。少し歩いてみたが、道どころかうまく歩ける気配すらない。足元も見えないほどの鬱蒼と生い茂る草花に足を取られて、足元がどうなっているのかも分からないのだ。ぬかるんでいるのか、乾燥しているのか、足元に生き物がいるのかどうかもわからない。目の前に広がる色は大体が緑色。時折見える赤色やオレンジ色は花や得体の知れない植物ばかりだ。
 試しにかき分けて歩いてみると数歩歩いただけで何かに躓いて転んだ。派手に転んでシャツが汚れたがもうそれどころではなかった。足元に転がっていたのは動物の死骸だったのだ。

「おえ、」

 蛆や蠅、虫がたかった死骸を見て吐き気を催したが、今ここで吐いてしまっては唯一の栄養素を失ってしまう。今ここにあるものは幻覚だと思い込んで歩くしかない。かろうじて伊織の背丈ほどの草花たちは人間に害のない植物ばかりだったことが唯一の救いだった。触れただけでかぶれたり、毒をまき散らすような植物がないだけマシだった。けれどそれだけだ。上を見上げても背丈の高い木々が覆いつくし、視界のほとんどが植物のみ。木々の間から鳥の声が聞こえて、少なからず生き物が存在していることにほっと息を吐いた。

 けれどそれにしたってなにもない。辺り一面の緑に辟易してくる。座ろうにも足元が見えないのだからどうすることもできず、唯一持っていた鞄をぎゅうと握りしめた。ポケットから取り出した携帯電話は圏外だった。

「当然かあ……」

 もうここで死んでしまうのではないだろうか。こんな何もない山奥で、誰にも見つからずひっそりと死んで、誰にも見つかることなく自然に還っていく。そんなのは嫌だった。とにかく道でもなんでも、人間の気配がするものにたどり着きたい。その一心で歩き進める。足元が見えないから走ることもできないが、大きく一歩一歩確実に足を進めていった。

「せめて動物かなんか……ああ、生きてる方がいいな……」

 先ほどみたいに死骸は勘弁だ。確かに動物は動物だが、虫もできたら勘弁してほしい。

「ここがどこなのか……せめて近所であってほしいなあ」

 マンホールの先が一体どこにつながっていたのかも分からないが、もしかしたらあの光ったマンホールに落ちてしまって流されたのかもしれない。

「えうそ、下水って森に繋がってんの?」

 そんなはずがないのだが、そう考えることしかできなかった。伊織は背後を振り返る。通ってきた草の根は伊織の足によって踏まれ、折れている。伊織が現れたあの場所には、人が通ったと思しき道がなかったのだ。そう考えたら誰かに連れて来られたと考えることもおかしければ、夢遊病のように己で歩いてきたと考えるのも妙な話だ。せめてどうしてここにいるのか、それだけでも知ってから死にたい。

「誰かいませんかー!」

 叫んで誰かいるならよし、いなかったらただの体力の無駄だがしょうがない。何もしないよりは行動あるのみだ。

「誰も……誰もいねえ……」

 当然のように返ってくる声もなく、とにかく勘で進んでいく。陽が沈んでいき、辺りが暗くなってきたころ、ようやく少し開けた場所に出た。

「やった、やっと休める……」

 休みなく歩き続けたせいでもう足は限界だった。お気に入りのスニーカーも制服のズボンも汚れきっている。木の根に座りこんで改めて空を見上げた。落ち着いたせいなのか腹がぐうと音を立てた。こんなときでも腹は減るものだ。残念ながら食べられそうなものと言えば鞄の中に入っていた飴ぐらいだ。包みを外して飴を頬張る。水すらもない状況でこれからどうしたら良いものか分からない。足は疲弊しきっているがこのまま歩いて水場か、行けたら人里まで降りたい。

「せめてサバイバルの本とか読んでおけば……いやこんな状況めったにないか」

 せめて生き残りたいとは思う。齢十八で、こんなよくわからない場所で死にたくはない。太陽が沈むとわずかに寒くなってきて体が震えるが火さえも起こせない。制服のジャケットを脱ぎ、地面へと敷いて横になった。硬いが鞄の上に頭を乗せる。仰向けになって空を見上げると、満天の星空がそこに広がっている。日本に生まれて一度もこんなに星空が広がっているのを見たことがない。月と思しき金色の星の真横に、月よりもわずかに小さなまったく同じ星がある。

「月がふたつ……」

 ここは異世界なのだと、伊織の知る地球ではないのだとはっきりとここで知ることになった。途端に息苦しくなって、涙がこみ上げてくる。ここで一体どうしたらいいのか、伊織には分からなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】俺の嫁はどうも悪役令息にしては優し過ぎる。

福の島
BL
日本でのびのび大学生やってたはずの俺が、異世界に産まれて早16年、ついに婚約者(笑)が出来た。 そこそこ有名貴族の実家だからか、婚約者になりたいっていう輩は居たんだが…俺の意見的には絶対NO。 理由としては…まぁ前世の記憶を思い返しても女の人に良いイメージがねぇから。 だが人生そう甘くない、長男の為にも早く家を出て欲しい両親VS婚約者ヤダー俺の勝負は、俺がちゃんと学校に行って婚約者を探すことで落ち着いた。 なんかいい人居ねぇかなとか思ってたら婚約者に虐められちゃってる悪役令息がいるじゃんと… 俺はソイツを貰うことにした。 怠慢だけど実はハイスペックスパダリ×フハハハ系美人悪役令息 弱ざまぁ(?) 1万字短編完結済み

【完結】狼獣人が俺を離してくれません。

福の島
BL
異世界転移ってほんとにあるんだなぁとしみじみ。 俺が異世界に来てから早2年、高校一年だった俺はもう3年に近い歳になってるし、ここに来てから魔法も使えるし、背も伸びた。 今はBランク冒険者としてがむしゃらに働いてたんだけど、 貯金が人生何周か全力で遊んで暮らせるレベルになったから東の獣の国に行くことにした。 …どうしよう…助けた元奴隷狼獣人が俺に懐いちまった… 訳あり執着狼獣人✖️異世界転移冒険者 NLカプ含む脇カプもあります。 人に近い獣人と獣に近い獣人が共存する世界です。 このお話の獣人は人に近い方の獣人です。 全体的にフワッとしています。

【完】ちょっと前まで可愛い後輩だったじゃん!!

福の島
BL
家族で異世界転生して早5年、なんか巡り人とか言う大層な役目を貰った俺たち家族だったけど、2人の姉兄はそれぞれ旦那とお幸せらしい。 まぁ、俺と言えば王様の進めに従って貴族学校に通っていた。 優しい先輩に慕ってくれる可愛い後輩…まぁ順風満帆…ってやつ… だったなぁ…この前までは。 結婚を前提に…なんて…急すぎるだろ!!なんでアイツ…よりによって俺に…!?? 前作短編『ゆるだる転生者の平穏なお嫁さん生活』に登場する優馬の続編です。 今作だけでも楽しめるように書きますが、こちらもよろしくお願いします。

【完結】伝説の勇者のお嫁さん!気だるげ勇者が選んだのはまさかの俺

福の島
BL
10年に1度勇者召喚を行う事で栄えてきた大国テルパー。 そんなテルパーの魔道騎士、リヴィアは今過去最大級の受難にあっていた。 異世界から来た勇者である速水瞬が夜会のパートナーにリヴィアを指名したのだ。 偉大な勇者である速水の言葉を無下にもできないと、了承したリヴィアだったが… 溺愛無気力系イケメン転移者✖️懐に入ったものに甘い騎士団長

【完結】異世界転生して美形になれたんだから全力で好きな事するけど

福の島
BL
もうバンドマンは嫌だ…顔だけで選ぶのやめよう…友達に諭されて戻れるうちに戻った寺内陸はその日のうちに車にひかれて死んだ。 生まれ変わったのは多分どこかの悪役令息 悪役になったのはちょっとガッカリだけど、金も権力もあって、その上、顔…髪…身長…せっかく美形に産まれたなら俺は全力で好きな事をしたい!!!! とりあえず目指すはクソ婚約者との婚約破棄!!そしてとっとと学園卒業して冒険者になる!!! 平民だけど色々強いクーデレ✖️メンタル強のこの世で1番の美人 強い主人公が友達とかと頑張るお話です 短編なのでパッパと進みます 勢いで書いてるので誤字脱字等ありましたら申し訳ないです…

【完結】ゆるだる転生者の平穏なお嫁さん生活

福の島
BL
家でゴロゴロしてたら、姉と弟と異世界転生なんてよくある話なのか…? しかも家ごと敷地までも…… まぁ異世界転生したらしたで…それなりに保護とかしてもらえるらしいし…いっか…… ……? …この世界って男同士で結婚しても良いの…? 緩〜い元男子高生が、ちょっとだけ頑張ったりする話。 人口、男7割女3割。 特段描写はありませんが男性妊娠等もある世界です。 1万字前後の短編予定。

転生したら乙女ゲームの攻略対象者!?攻略されるのが嫌なので女装をしたら、ヒロインそっちのけで口説かれてるんですけど…

リンゴリラ
BL
病弱だった男子高校生。 乙女ゲームあと一歩でクリアというところで寿命が尽きた。 (あぁ、死ぬんだ、自分。……せめて…ハッピーエンドを迎えたかった…) 次に目を開けたとき、そこにあるのは自分のではない体があり… 前世やっていた乙女ゲームの攻略対象者、『ジュン・テイジャー』に転生していた… そうして…攻略対象者=女の子口説く側という、前世入院ばかりしていた自分があの甘い言葉を吐けるわけもなく。 それならば、ただのモブになるために!!この顔面を隠すために女装をしちゃいましょう。 じゃあ、ヒロインは王子や暗殺者やらまぁ他の攻略対象者にお任せしちゃいましょう。 ん…?いや待って!!ヒロインは自分じゃないからね!? ※ただいま修正につき、全てを非公開にしてから1話ずつ投稿をしております

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

処理中です...