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番い様に乾杯③ ~リンの場合~
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長屋通りから抜けて向こう、町の中でもメインストリートと言える大通りがある。綺麗に碁盤の目に並んだこの町は、城下町らしくずっと向こうには大きなお屋敷が見える。といっても精々三階建てのその建物は、和風なような中華風なような瓦屋根が遠くに見えるだけだ。大きな門とそれを守るだろう憲兵が前に立ち、俺には一生縁の無い場所でしかない。
今日の仕事場は、ワーンさんから紹介されたものだ。
裏手に回り、店の中に声をかける。
「すいません~! 今日働く予定のリンですけど」
「ああ……ワーンの……、っこれは……聞いてたとおりだが驚いた」
くるりと振り向いたおじいさんは、狐の獣人らしい。ふさふさとした尻尾と、顔を覆う藁色の毛が随分白い色が混じっていた。
「いやいや、じゃあ話は聞いてるかい? 今日はうちに隣国から大事な団体さんが来る予定だ。有翼種だから驚かないように。あとは……そうだね、絶対に表に出たらいけないよ」
俺の周りに居る人があまりに親切だから忘れそうになるが、この世界では純粋な人間は恐らく俺しかいない。つまり異質な存在故に、嫌悪を抱く人たちもいるらしいとは聞いている。だから裏方に徹しろ、という訳だ。
「分かりました。洗い物でもなんでもやりますんで、よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げてそう言った。
それでも仕事を貰えるだけありがたいし、俺には養わないといけない男もいるのだ。その当の本人は、俺たちの行く先に心配していない様子だが俺は違う。やはりなんだかんだ言って、惚れた相手は楽をさせてやりたいじゃないか。
ライヤーが働かないなら、俺が働けばいいだけ。働く気のない姿は見ていて腹が立つけれど、それでも離れようという気は湧かない。
言われたとおりに団子を捏ねて、一つずつ串に刺していく。軽く炙って下準備は終了だ。
「おや、もう終わったのかい。仕事が早いね。……そうだね、そっちのネギを刻んでくれるかい」
「はーいっ」
日は高くなり、昼食どきだ。茶屋らしくどんどん人が入ってきて、看板娘らしいタヌキの娘さんがフロアをせわしなく動いて回る。煮込みうどん、天そば、かと思えばあんかけチャーハンなどの注文が飛び交って、店主はその容貌に見合わない俊敏さで鍋を振るった。
「鴨せいろ、一丁あがり」
「はーいっ、お待たせしましたぁ~鴨せいろでぇ~す」
次々と客をさばく二人の横で、俺は下げられた大量の皿を洗ったり、奥から食材を取りに行ったりとちょこちょこと動き回る。昔バイトしていたファミレスを思い出して、ほんの少し懐かしくなった。
「はーい、リンくんだっけ? お疲れさまぁ」
客並みが落ち着くと、タヌキの娘さん――ルディがほうじ茶を出してくれた。ニコニコと愛想の良い彼女は、俺の容姿に驚いたりしなかった。
俺たちは一旦暖簾を下ろした店の一角で、少し遅い昼食を取る。餃子なんて久しぶりに食べたが、めちゃくちゃ美味い。
ガツガツとレンゲを口に運んでいると、前に座ったルディが声を潜めた。
「午後からはね、大口さんが来るから気をつけて」
「気をつける? 他国の団体が来るって聞いたけど……」
「そう、有翼のやつらとうちの国は仲が良くないの。神の寵愛の深さを誇る、嫌なやつらよ」
俺は首を傾げた。この世界では一神教の上、生きるひとたちと神は距離が近いのだと聞いたことがある。だけど寵愛を競うという意味がよく分からない。
「でもうちにはリンがいるからね。神の寵愛ならこっちの方が上よ」
「え? どういう――」
「ルディ。……ルディ。明日使う食材の買い出しをしておいで」
店主が明らかに俺の言葉を遮った。そしてルディはその声にハッとした顔になって席を立つ。
一体何だと言うんだろうか。不自然な態度に見えなくも無いが、俺は今日限りのアルバイトの身だ。あまり深入りしないでおいた方が良いと判断する。
「リン。午後からは絶対に表に出てきてはいけないよ。昼と同じように、裏方を頼むよ」
「分かってます。俺、しっかり働きますからね」
大げさに力こぶを作ってみせると、店主はにっこりと笑ってくれた。
しかしこの店の餃子はホントに美味い。もりもりと頬張りながら、ライヤーは餃子を食べたことがあるだろうかと考える。食に大して興味のないあの男は、俺の作る野菜炒めだってうまいと言って食べてくれるけれど……餃子を買って帰ったら喜ぶだろうか。その旨を店主に伝えると、彼は孫でも見るように目を細めた。
「本当に、リンは良い子だねぇ。よその世界から来て苦労しているだろうに真っ直ぐで働き者だ。いやはいや、リンのツガイ様は幸せ者だよ」
あれ、ツガイがいるなんて言ったっけ? そんな疑問は、帰ってきたルディの元気な声で霧散した。
「さあ、もうすぐ団体さんも来る予定よっ! みんなで頑張りましょうね! 三人で強力して蹴散らしちゃいましょ! えいえい、おー!」
「ルディ、儂はお前さんが一番心配だよ。おしとやかにの」
和やかな時間も終わり、少し早いがと前置きをされ、言われるがまま暖簾をかけにいく。
念のため被るようにと渡されたつばの広い帽子でも、明るい外の日差しは完全には遮らない。
しかし隣国の人たちは有翼……つまり鳥ってことか。けんか腰のルディには悪いが、どんな見た目なのかほんの少しワクワクしている俺がいる。
「もう空いているか?」
暖簾を掛けたところで後ろから声を掛けられた。
「いや今準備中なんですけどもう少しで――」
反射的に振り向くと、そこにはこの世界では見たことの無い、自分によく似た人間の顔があった。いや、顔面偏差値的には俺よりも格段上だけれど。
男は欧米人のような彫りの深い顔立ちと長身で、まるで騎士のような格好をしている。だけど俺と決定的に違うのが、背中に大きく生えている羽根だろう。天使のようにも見える十人程度の集団が、この江戸のような町並みを背景に立っていた。
驚きに目を見張っていると、慌てた様子でルディが出てきた。
「はーい、隣国の皆様いらっしゃいませぇ! こちらで城に向かう前にこちらで休憩されると聞いておりますのでぇ、ずいっとお入りくださぁい」
さっきまで隣国のやつらは蹴散らすと息巻いていたルディだが、さすがはプロ根性だ。ニコニコといつも以上に愛想を振りまき、店内へと団体を誘導する。
「ふん……汚らわしい獣風情が。我ら有翼種に気安く話しかけるな」
先ほど俺に話しかけてきた人物が、ルディにそう暴言を吐き捨てる。はあ? なんだこいつら。綺麗なのは顔だけか。
一言言い返してやりたくなるが、怒りを堪えた様子のルディがそっと俺に目配せをしてくる。おとなしくしてろって?
促されるままに奥へと引っ込むが、怒りが収まらない。
そりゃ最初は驚いたものの、今ではこの町の人たちを大切に思っている。見た目だけで差別をするなんて、なんてやつらだろう。
「まったく、その辺の獣と変わらないなこの国は。和平の為で無ければ一度だって来たくないものだが……陛下のお考えは理解できん」
「なに、そう言うな。獣も飼い慣らせば役に立つ、そういう事だろう。ああ、しかし臭い臭い。神に愛されない種族は全く、哀れなものだな。なあ、そこの娘……いや、娘か? 獣の顔では男か女かわからん。女の格好をした男かもしれん。どれ、私が触って調べてやろうか」
眉間に皺を寄せたルディに男が近づき、その腕を取った。
「な、なにするんですかっ、やめてください!」
「なあに、その服を剥ぎ取れば、女か男か分かるかもしれないからな。おっと、毛むくじゃらでは何も見えぬか?」
店内に下卑た笑いが湧き上がる。着ている服だけは紳士的な癖に、どちらが獣だというのか。俺はいても立ってもいられずに奴らの前に飛び出した。
「やめろよ! 嫌がってるのが見て分からないのか!」
震えるルディを、後ろに隠すようにして立ちはだかり、キッとやつらを睨み付ける。
「な……、お前は同胞……? いや、翼がない……だと?」
俺の顔を隠すものは何も無い。奴らとよく似た人間の顔だが、背中に何も無いと分かったのだろう。
「神子様……」
「なんと神子様だ。いや、まさかこの国にご顕現なさった……!?」
何を言っているのか。訝しむ俺の手を、やつらの一人が熱っぽい表情で握りしめた。ぞわっと背中に悪寒が走る。こいつはさっき、暖簾をかけていた俺を見下していたはずだ。
「神子様、我らと共に参りましょう。神と酷似した我ら有翼種であれば、こんな獣くさい国よりも落ち着いて暮らせます。なに、何もご心配はいりませんよ。神子様がいらっしゃるだけで国は栄え民は喜ぶ――ご安心ください、こんな汚い茶屋で働かせるような事もさせません」
畳かけるように言葉を浴びせられるが、俺の怒りはピークだ。
こいつらが信仰している神が、俺をこの世界に送ったあの神様たちと同じなのかは分からない。だけどきっと人間に近い姿なのだろう。だからこそ、こいつらは神によく似ているからと言ってルディたちを下に見ているという事か。
「ふざけるな!」
だから何だ、俺はルディたちの味方だ。姿かたちが似ているだけで、こんな奴らの仲間になんてなりたくない。
「神子様、何をお怒りで? ああ、お迎えが遅くなったことをお怒りでいらっしゃいますか。おい、お前達は先に神子様を連れて国へ戻れ。この国の王への謁見は私一人居れば良いだろう」
この中で一番偉いだろう人物が、俺の意見を無視した指示を周囲に出す。その途端両側から腕を掴まれ店の外へと連れ出された。なんだよこれ、拉致じゃないか。
鍛えているのか、抵抗しようにもびくともしない。俺を助けようと手を伸ばすルディ達を、店に残った男は剣を出して脅した。
「ちょ……っ、行かないって……、離せ……!」
「おとなしくしてくださらないのであれば、獣の一匹や二匹、切り捨ててしまうかもしれませんねぇ。こんな国に来ていますが、私とて王位継承権のある身。多少の切り捨ては認められましょう」
「……っ!」
おとなしく従わないならルディ達を殺す。明らかにそう宣言するこいつが隣国の王子様だって? 人の命を何とも思わないこんなやつが?
「……わかった。行くから――」
王子とやらがニヤリと笑う。ああ、まさかこんな事になるなんて思わなかった。頭に浮かぶのはライヤーの事だ。俺がいなくなっても一人で生きていけるだろうか。仕方なくでも働いてくれるだろうか。少しは寂しがってくれるだろうか。
目に熱いものがこみ上げる。
「行かれては困るな、リン。ダンナを置いてどこに行くつもりだ?」
「ライヤー……!?」
聞き慣れた重低音に顔だけ振り向くと、そこにはいつもと同じ、黄金色の美しい毛を纏わせたライヤーが立っていた。だけど普段の着流しではない。金糸と銀糸を織り込まれた羽織に、縦縞の袴をきっちりと締めた姿があった。その脇には同じく袴姿のワーンさんが控え、反対側には長屋で馴染みの顔も普段と違う表情で立っていた。
「手を離せ、無礼者。そちらの方はライヤー・マージュリ……この国の時期王位継承者であるライヤー様のツガイであるぞ」
俺を拘束していた男達を蹴り倒すと、ライヤーは俺をギュッと胸に抱きしめる。
「ライヤー……? ライヤーは、王子様だったのか?」
「ぶは、王子様か、ああそうだな。父親がこの国を治めてるだけだがな」
ニートじゃなかったのか? 長屋で寝転がる男がそんな立場にあるなんて、誰が思おうか。抱きしめられた胸の中はライナーの体臭が満ちていて、俺はその嗅ぎ慣れた匂いにホッとしてしまう。
「な……っ獣どもめ! 神子様がツガイだなどと恐れ多い……! 何を根拠にそのような勝手を抜かすか!」
「あぁ? お前らこそ人の国で何勝手な事言ってンだ? 神子が現われた国こそが、神の意志だって言い伝えがあるだろうが。何勝手に攫おうとしてたんだ? あ? 生きてこの国から出られると思うなよ」
「く……っ!」
地を這うような重低音に、周りの温度が数度下がったようだ。俺を抱きしめる腕は力強く、それだけ俺を守ろうとしてくれる……という事だろうか。
いつもヘラヘラとしているライヤーの新しい一面に、俺はこんな場面だというのに心臓の高鳴りを感じてしまう。
「今回は和平の定期交流、だったか? 帰れ。この国で殺される前にな。時期城主のツガイを奪われかけて、和平など継続できるか。」
ライヤーの声で周囲を見渡すと、いつの間にかできた人だかりは、みな殺気立った顔をしていた。普段のおおらかな獣人達が、噛み殺さんばかりに目をギラつかせている。
号令一つですぐにでも有翼種たちを手に掛けそうな、そんなギリギリの危うさを、やつらも恐らく感じ取ったのだろう。
「くそ……っ! だが覚えていろ……! 我々は神子様を諦めた訳では無いからな!」
天下の往来で起こるこの騒ぎに、人垣が徐々に増えていく。不自然な程静かに、割れた人波の中を彼らは走り去っていった。
「行っ……た……、のか?」
緊張の糸がふつりと切れる。思わずライヤーの胸にもたれかかると、喉から機嫌の良い唸りが響いてくる。
「あーもう終わりだ。神子は無事に俺の元に戻った。みんなありがとよ」
ライヤーがそう言って片手を上げると、大きな拍手が起こる。
「ライヤー様おめでとう!」
「よっ、三国一の果報者! 神子様がツガイだなんてこの国の繁栄は待ったなしだね!」
「ツガイ様に捨てられないように、そろそろ働けよ!」
やいやいと飛んでくるヤジに、ライヤーは「うるせー」と言ってシッシと手を振った。それを見てまた皆笑って……さっきまでの臨戦態勢が嘘のように穏やかな顔に戻り、人々は各々の行く先へと戻っていった。
そんな中、のほほんとした声が飛び込んでくる。
「本当に、愛しあうって素晴らしいよねシヴァン」
「うっせ」
「こんな場面に遭遇できるんだから、神って良いと思わない? ね? ね?」
「……うっせぇ」
バッとそちらを見れば、銀色の長髪をした穏やかそうなテイル、そして赤髪のシヴァンがいた。俺をこの世界に送ってくれた、神様たちだ。
「はあ? なんでこんなところにいるの?」
そして周囲にいたはずのライヤーも、あったはずの街並みも全てどこかにいってしまって、周囲は見渡す限り真っ白な何も無い空間だ。
そこにぽつんと、俺と神様たちが立っている。
「シヴァンの説得と、君の様子を見に。普段はこんな風に送り届けた後は関わる事が事がないんだけどね。ほら、君は僕らと姿が似ているからね……この世界で、うまくやれてるか心配だったんだ」
姿が似ている。さっきのやつらと同じような事を言われて、心がモヤついた。
相手は神様だし、ライヤーと出会わせてくれた恩人ではある。だけど。
「見た目なんて問題じゃない。要はどれだけお互いが相手に寄り添えるか、だろ。ライヤーは獣面だし、働かないし、自分勝手だけど……だけど俺自身を見て必要としてくれてるんだ。運命だからじゃない、そんな思いやりのある相手と一緒にいて、愛情が湧くのは当然だろう」
棘のある俺の言い方に、神様たちは気を悪くした様子も無い。
それどころか銀髪のテイルさんはニコニコと笑顔を振りまいている。その反面、赤髪のシヴァンさんの方は困ったような照れたような不思議な顔をしている。
「あーほら。シヴァン、ね? この子も幸せそうだろう? 君の杞憂だよ」
「うっせ……」
二人の間で何かあったのだろうか。だけど漂う空気は甘ったるくて、仲が良さそうならなによりだ。
「ねえシヴァン。どんな逆境にあっても愛し合うんだよ。運命だから愛が芽生えるんじゃない。愛が芽生えると分かっているから、それを運命と呼ぶんだ」
今の俺なら神様の言葉が分かる気がする。
そうだよ、誰かに決められたから、俺がライヤーを好きな訳じゃない。
周りから見て駄目なツガイだろうと、あいつを愛せる事が幸せなんだ。
「俺……幸せですよテイルさん」
彼は極上の微笑みを浮かべ、そして視界は再び光に包まれた。
「あ……れ?」
「おい、どうしたリン。立ったまま寝ぼけてんのか」
神様たちと出会ってた時間は、こちらの時間ではほんの一瞬だったようだ。
わざわざ会いに来てくれたようで、なんだか見せつけられた気がする。
俺はライヤーの身体にぎゅっと抱きついた。
「お、おお? どうしたリン」
「んー? 好きだなって!」
駄目亭主だけど、ライヤーがツガイで良かった。そんな幸せを再確認できた俺は、思わず笑顔を振りまいた。
「……リン」
「ん?」
何故かライヤーの喉がゴクリと鳴った。
ん、んん?
「よっし、んじゃ仕事も終わりだな? そろそろ帰るか」
「は、え? ちょ……!」
肩に担ぎ上げられて、ライヤーはノシノシと歩いた。道順からして、俺たちの長屋だろう。
「リン様、今までのご無礼をお許しください。若様がどうしてもこの生活でツガイ様との愛を育みたいと言って聞かないので……」
歩きながら、後ろからそう言うのはワーンさんだ。ケラケラと明るく快活な彼女に畏まられると据わりが悪い。
「ゆ、許すよ! てか、ワーンさんが丁寧だと変な感じだから! いつも通りにして!」
「ん、そうかい? ありがとうねぇ。全く、この若には困ったもんだよ」
あっはっは、とコロリと態度を変えるワーンさん。なんだろう、この切り替えの速さは。正直ついていけないんだが。
「全くうるせぇな、ワーンは。お前ンとこの倅はお前に似なくて良かったな。お庭番がそんなに煩くちゃあ仕事になんねぇンじゃねえか?」
「うちの子も、まさか若におむつを替えて貰える日が来るとはねえ。ありがたくて涙がでるよ。末代まで語り継がなくちゃあね」
そんな軽口を叩いている間に、あっという間に身柄は長屋へと到着した。
ワーンさんが俺の肩をポンポンと叩く。
「リン、明日はムリでも……明後日にはまた会おうねぇ。お屋敷の部屋はとっくに整えてある。祝言の用意をして待ってるから、まあ、死なない程度に頑張るんだよ」
「へ……?」
「余計な事を言うな、ワーン。さっさと帰れ」
「へ? どういう事?」
ライヤーは俺を抱えたまま、乱暴に扉を開けた。土間を挟んですぐに小上がりの室内だ。朝しきっぱなしだった布団の上に放り投げられて、俺はその後の展開を悟った。
「ま、まって? え、まだこんなに日が高いのに?」
「可愛い事を言うお前が悪い。あとはだな……お前が、あいつらを……振ってくれたから最高に気分が良い」
「あいつら……隣国のひとたち? まってくれ、何がどうなってるんだ? 俺が神子とか言われたんだが」
ライヤーが高そうな羽織をバサバサと脱ぎ捨てる。面倒くさいと言わんばかりに、雑に足袋を放り投げ、袴も脚で隅に寄せた。
「ん、ああ。そうだ。神は自分によく似た異世界人を、何十年かに一度この世界に寄越すと言われてる。彼らは神子と呼ばれ、国に繁栄をもたらすとされる。……俺はお前と会った瞬間、俺のツガイだと分かっていたが、有翼のやつらの方がお前の姿と近い。だから……その、な」
この男が口もごるのは珍しい。歯切れ悪く紡ぐ言葉は、俺が心変わりしそうだって思われてた……って事? 俺にとっての運命で、ツガイなはずの目の前の男は、そんな風に疑ってたんだ?
「ふーん、自分が嫌われるかって心配しかしなかったんだ? あーあ、まあこんなうじうじしたヤツがダンナだなんて、情けなくて嫌かもな。なーんて」
嘘だけど。大好きだけど。
だけどそう言い切る前に、脱ぎかけたままのライナーに押し倒される。
「情けないダンナで悪かったなリン? じゃあ、ダンナらしくこの身体をしっかり悦ばせてやんねぇとなあ? あ?」
怒りを孕んだようなその目の光りに、俺は自分の失言を悟った。
「ひう……っ、も、ムリ、出ない……っ、出ないぃ……!」
後ろから貫かれ、後孔に太いものを出し入れされながら、くたりと力の抜けたペニスを扱かれる。何度も達しているそこからは、とろとろとした雫が垂れるだけだ。
身体の力も抜けきって、もう上半身はぺたりと肘をついている。
獣人らしく体力バカのライヤーは、日も沈んで随分経つというのに俺を離そうとしない。
「いけるいける。出なくてもイけるだろ? どこだっけ、ここかぁ?」
「んあああ、や、ああ、ちがうう……っ! あ、あああ……っ!」
肉壁の中、一番気持ちの良い部分を絶妙に避けてライヤーは身体を揺さぶった。奥をゴツゴツと突かれるのも気持ちが良いけれど、浅いところを円を描くようにして刺激されるのが好きだと、こいつは知っているはずなのに。
「お願い……、ライヤ、おねがい……っ、すき、すき……っ」
絶頂に届きそうで届かない、そのもどかしさから抜け出したい。その一心でライヤーの名前を呼ぶと、背後からため息が聞こえた。
「ったく……。可愛いから全部許されると思うなよ。許すけどなぁ」
「ん、なにそれ……っ、ふ、あ、そこ……! ア、いい……、いいぃ……っ、あああ!」
一番気持ちの良いやり方で、狭い内部を擦られた。
肉同士がぶつかる音、そしてぐちゅぐちゅと泡立った音が結合部から聞こえる。
「ん、ん、ふ……っ、んぁ……、ン……」
お互いの粗い呼気を吸い込むようにして、体勢的に苦しいキスをした。大きな舌が口の中を弄って、身体の全てがライヤーのものになったようだ。
「んンぁ……! や、だめ……っ、また、イ、ああああ、イく……!」
「ぐ……っ」
与えられた絶頂に、受け入れているそこを思わずキュウと締め付けた。何も出ない絶頂はどこまでも深く、チカチカと白く光る視界と共に、身体は勝手に小刻みに震えた。
奥にドプドプと叩きつけられるのは、ライヤーの白濁だろう。
「は……、あ……あ」
日が沈み、そして空がまた白む。
ワーンさんの忠告空しく、彼女の迎えがくるその翌日まで、俺は見事に抱き潰されたのであった。
※※※
用意されていたのは紋付き袴、のようなものだ。白無垢じゃなかっただけ良しとするべきなのだろうか、俺よりも格段に似合う男が、共に座敷の上座で酒を飲んでいる。
じっと見つめていると俺の視線に気づいた男は、隣でニンマリとわらった。
「なんだぁ? 惚れ直したか?」
「け、結婚するなんて! 聞いてない……っ!」
抱き潰された身体をあの遠くに見ていた城の中にあっさり連れてこられた。身を清められ、食事を与えられ、気がつけば祝言を挙げていたのだ。
嫌いではないし、そりゃ好きに決まってる。ノーと言えない自分が悪い。だけど俺が好きだと言ったのは仕事も無いニートのライヤーであって、この国の時期城主である男だなんて。
まだ自分の理解が追いついていないまま、あっという間に式を挙げてしまった事への憤りがある。
「約束しただろ。リン、お前がな」
「はあ!? 俺が何を――」
「ダンナと言われたかったら働けってな。その約束を守って、俺は城主として働くぜ? 最高のダンナだろ?」
魚のように口をパクパクする俺を、ライヤーはにやりと笑った。
「神子サマと、俺のツガイに――乾杯!」
杯を掲げるライヤーの声に、広い座敷一杯に詰めかけた人たちは嬉しそうに続いた。
「……まったく、もう……」
仕方が無い。惚れた方が負けなのだ。
杯に満たされた酒をぐいっと煽り、俺は寄ったフリをしてその暖かい毛並みに顔を埋めた。
空からは季節外れの桜の花びらが舞い散った。座敷の皆がワッと窓辺へ集まった。
手に乗せた途端光となって消えるそれは、神からの贈りものだと皆は無邪気に笑う。
俺の脳裏にはあの赤毛と銀髪の神様が浮かぶ。あの二人も幸せになればいいのに。
温かなツガイの身体に抱きしめられながら、俺はもうきっと会うことの無い神様たちの幸せを願った。
―― リンの場合 : 終わり――
今日の仕事場は、ワーンさんから紹介されたものだ。
裏手に回り、店の中に声をかける。
「すいません~! 今日働く予定のリンですけど」
「ああ……ワーンの……、っこれは……聞いてたとおりだが驚いた」
くるりと振り向いたおじいさんは、狐の獣人らしい。ふさふさとした尻尾と、顔を覆う藁色の毛が随分白い色が混じっていた。
「いやいや、じゃあ話は聞いてるかい? 今日はうちに隣国から大事な団体さんが来る予定だ。有翼種だから驚かないように。あとは……そうだね、絶対に表に出たらいけないよ」
俺の周りに居る人があまりに親切だから忘れそうになるが、この世界では純粋な人間は恐らく俺しかいない。つまり異質な存在故に、嫌悪を抱く人たちもいるらしいとは聞いている。だから裏方に徹しろ、という訳だ。
「分かりました。洗い物でもなんでもやりますんで、よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げてそう言った。
それでも仕事を貰えるだけありがたいし、俺には養わないといけない男もいるのだ。その当の本人は、俺たちの行く先に心配していない様子だが俺は違う。やはりなんだかんだ言って、惚れた相手は楽をさせてやりたいじゃないか。
ライヤーが働かないなら、俺が働けばいいだけ。働く気のない姿は見ていて腹が立つけれど、それでも離れようという気は湧かない。
言われたとおりに団子を捏ねて、一つずつ串に刺していく。軽く炙って下準備は終了だ。
「おや、もう終わったのかい。仕事が早いね。……そうだね、そっちのネギを刻んでくれるかい」
「はーいっ」
日は高くなり、昼食どきだ。茶屋らしくどんどん人が入ってきて、看板娘らしいタヌキの娘さんがフロアをせわしなく動いて回る。煮込みうどん、天そば、かと思えばあんかけチャーハンなどの注文が飛び交って、店主はその容貌に見合わない俊敏さで鍋を振るった。
「鴨せいろ、一丁あがり」
「はーいっ、お待たせしましたぁ~鴨せいろでぇ~す」
次々と客をさばく二人の横で、俺は下げられた大量の皿を洗ったり、奥から食材を取りに行ったりとちょこちょこと動き回る。昔バイトしていたファミレスを思い出して、ほんの少し懐かしくなった。
「はーい、リンくんだっけ? お疲れさまぁ」
客並みが落ち着くと、タヌキの娘さん――ルディがほうじ茶を出してくれた。ニコニコと愛想の良い彼女は、俺の容姿に驚いたりしなかった。
俺たちは一旦暖簾を下ろした店の一角で、少し遅い昼食を取る。餃子なんて久しぶりに食べたが、めちゃくちゃ美味い。
ガツガツとレンゲを口に運んでいると、前に座ったルディが声を潜めた。
「午後からはね、大口さんが来るから気をつけて」
「気をつける? 他国の団体が来るって聞いたけど……」
「そう、有翼のやつらとうちの国は仲が良くないの。神の寵愛の深さを誇る、嫌なやつらよ」
俺は首を傾げた。この世界では一神教の上、生きるひとたちと神は距離が近いのだと聞いたことがある。だけど寵愛を競うという意味がよく分からない。
「でもうちにはリンがいるからね。神の寵愛ならこっちの方が上よ」
「え? どういう――」
「ルディ。……ルディ。明日使う食材の買い出しをしておいで」
店主が明らかに俺の言葉を遮った。そしてルディはその声にハッとした顔になって席を立つ。
一体何だと言うんだろうか。不自然な態度に見えなくも無いが、俺は今日限りのアルバイトの身だ。あまり深入りしないでおいた方が良いと判断する。
「リン。午後からは絶対に表に出てきてはいけないよ。昼と同じように、裏方を頼むよ」
「分かってます。俺、しっかり働きますからね」
大げさに力こぶを作ってみせると、店主はにっこりと笑ってくれた。
しかしこの店の餃子はホントに美味い。もりもりと頬張りながら、ライヤーは餃子を食べたことがあるだろうかと考える。食に大して興味のないあの男は、俺の作る野菜炒めだってうまいと言って食べてくれるけれど……餃子を買って帰ったら喜ぶだろうか。その旨を店主に伝えると、彼は孫でも見るように目を細めた。
「本当に、リンは良い子だねぇ。よその世界から来て苦労しているだろうに真っ直ぐで働き者だ。いやはいや、リンのツガイ様は幸せ者だよ」
あれ、ツガイがいるなんて言ったっけ? そんな疑問は、帰ってきたルディの元気な声で霧散した。
「さあ、もうすぐ団体さんも来る予定よっ! みんなで頑張りましょうね! 三人で強力して蹴散らしちゃいましょ! えいえい、おー!」
「ルディ、儂はお前さんが一番心配だよ。おしとやかにの」
和やかな時間も終わり、少し早いがと前置きをされ、言われるがまま暖簾をかけにいく。
念のため被るようにと渡されたつばの広い帽子でも、明るい外の日差しは完全には遮らない。
しかし隣国の人たちは有翼……つまり鳥ってことか。けんか腰のルディには悪いが、どんな見た目なのかほんの少しワクワクしている俺がいる。
「もう空いているか?」
暖簾を掛けたところで後ろから声を掛けられた。
「いや今準備中なんですけどもう少しで――」
反射的に振り向くと、そこにはこの世界では見たことの無い、自分によく似た人間の顔があった。いや、顔面偏差値的には俺よりも格段上だけれど。
男は欧米人のような彫りの深い顔立ちと長身で、まるで騎士のような格好をしている。だけど俺と決定的に違うのが、背中に大きく生えている羽根だろう。天使のようにも見える十人程度の集団が、この江戸のような町並みを背景に立っていた。
驚きに目を見張っていると、慌てた様子でルディが出てきた。
「はーい、隣国の皆様いらっしゃいませぇ! こちらで城に向かう前にこちらで休憩されると聞いておりますのでぇ、ずいっとお入りくださぁい」
さっきまで隣国のやつらは蹴散らすと息巻いていたルディだが、さすがはプロ根性だ。ニコニコといつも以上に愛想を振りまき、店内へと団体を誘導する。
「ふん……汚らわしい獣風情が。我ら有翼種に気安く話しかけるな」
先ほど俺に話しかけてきた人物が、ルディにそう暴言を吐き捨てる。はあ? なんだこいつら。綺麗なのは顔だけか。
一言言い返してやりたくなるが、怒りを堪えた様子のルディがそっと俺に目配せをしてくる。おとなしくしてろって?
促されるままに奥へと引っ込むが、怒りが収まらない。
そりゃ最初は驚いたものの、今ではこの町の人たちを大切に思っている。見た目だけで差別をするなんて、なんてやつらだろう。
「まったく、その辺の獣と変わらないなこの国は。和平の為で無ければ一度だって来たくないものだが……陛下のお考えは理解できん」
「なに、そう言うな。獣も飼い慣らせば役に立つ、そういう事だろう。ああ、しかし臭い臭い。神に愛されない種族は全く、哀れなものだな。なあ、そこの娘……いや、娘か? 獣の顔では男か女かわからん。女の格好をした男かもしれん。どれ、私が触って調べてやろうか」
眉間に皺を寄せたルディに男が近づき、その腕を取った。
「な、なにするんですかっ、やめてください!」
「なあに、その服を剥ぎ取れば、女か男か分かるかもしれないからな。おっと、毛むくじゃらでは何も見えぬか?」
店内に下卑た笑いが湧き上がる。着ている服だけは紳士的な癖に、どちらが獣だというのか。俺はいても立ってもいられずに奴らの前に飛び出した。
「やめろよ! 嫌がってるのが見て分からないのか!」
震えるルディを、後ろに隠すようにして立ちはだかり、キッとやつらを睨み付ける。
「な……、お前は同胞……? いや、翼がない……だと?」
俺の顔を隠すものは何も無い。奴らとよく似た人間の顔だが、背中に何も無いと分かったのだろう。
「神子様……」
「なんと神子様だ。いや、まさかこの国にご顕現なさった……!?」
何を言っているのか。訝しむ俺の手を、やつらの一人が熱っぽい表情で握りしめた。ぞわっと背中に悪寒が走る。こいつはさっき、暖簾をかけていた俺を見下していたはずだ。
「神子様、我らと共に参りましょう。神と酷似した我ら有翼種であれば、こんな獣くさい国よりも落ち着いて暮らせます。なに、何もご心配はいりませんよ。神子様がいらっしゃるだけで国は栄え民は喜ぶ――ご安心ください、こんな汚い茶屋で働かせるような事もさせません」
畳かけるように言葉を浴びせられるが、俺の怒りはピークだ。
こいつらが信仰している神が、俺をこの世界に送ったあの神様たちと同じなのかは分からない。だけどきっと人間に近い姿なのだろう。だからこそ、こいつらは神によく似ているからと言ってルディたちを下に見ているという事か。
「ふざけるな!」
だから何だ、俺はルディたちの味方だ。姿かたちが似ているだけで、こんな奴らの仲間になんてなりたくない。
「神子様、何をお怒りで? ああ、お迎えが遅くなったことをお怒りでいらっしゃいますか。おい、お前達は先に神子様を連れて国へ戻れ。この国の王への謁見は私一人居れば良いだろう」
この中で一番偉いだろう人物が、俺の意見を無視した指示を周囲に出す。その途端両側から腕を掴まれ店の外へと連れ出された。なんだよこれ、拉致じゃないか。
鍛えているのか、抵抗しようにもびくともしない。俺を助けようと手を伸ばすルディ達を、店に残った男は剣を出して脅した。
「ちょ……っ、行かないって……、離せ……!」
「おとなしくしてくださらないのであれば、獣の一匹や二匹、切り捨ててしまうかもしれませんねぇ。こんな国に来ていますが、私とて王位継承権のある身。多少の切り捨ては認められましょう」
「……っ!」
おとなしく従わないならルディ達を殺す。明らかにそう宣言するこいつが隣国の王子様だって? 人の命を何とも思わないこんなやつが?
「……わかった。行くから――」
王子とやらがニヤリと笑う。ああ、まさかこんな事になるなんて思わなかった。頭に浮かぶのはライヤーの事だ。俺がいなくなっても一人で生きていけるだろうか。仕方なくでも働いてくれるだろうか。少しは寂しがってくれるだろうか。
目に熱いものがこみ上げる。
「行かれては困るな、リン。ダンナを置いてどこに行くつもりだ?」
「ライヤー……!?」
聞き慣れた重低音に顔だけ振り向くと、そこにはいつもと同じ、黄金色の美しい毛を纏わせたライヤーが立っていた。だけど普段の着流しではない。金糸と銀糸を織り込まれた羽織に、縦縞の袴をきっちりと締めた姿があった。その脇には同じく袴姿のワーンさんが控え、反対側には長屋で馴染みの顔も普段と違う表情で立っていた。
「手を離せ、無礼者。そちらの方はライヤー・マージュリ……この国の時期王位継承者であるライヤー様のツガイであるぞ」
俺を拘束していた男達を蹴り倒すと、ライヤーは俺をギュッと胸に抱きしめる。
「ライヤー……? ライヤーは、王子様だったのか?」
「ぶは、王子様か、ああそうだな。父親がこの国を治めてるだけだがな」
ニートじゃなかったのか? 長屋で寝転がる男がそんな立場にあるなんて、誰が思おうか。抱きしめられた胸の中はライナーの体臭が満ちていて、俺はその嗅ぎ慣れた匂いにホッとしてしまう。
「な……っ獣どもめ! 神子様がツガイだなどと恐れ多い……! 何を根拠にそのような勝手を抜かすか!」
「あぁ? お前らこそ人の国で何勝手な事言ってンだ? 神子が現われた国こそが、神の意志だって言い伝えがあるだろうが。何勝手に攫おうとしてたんだ? あ? 生きてこの国から出られると思うなよ」
「く……っ!」
地を這うような重低音に、周りの温度が数度下がったようだ。俺を抱きしめる腕は力強く、それだけ俺を守ろうとしてくれる……という事だろうか。
いつもヘラヘラとしているライヤーの新しい一面に、俺はこんな場面だというのに心臓の高鳴りを感じてしまう。
「今回は和平の定期交流、だったか? 帰れ。この国で殺される前にな。時期城主のツガイを奪われかけて、和平など継続できるか。」
ライヤーの声で周囲を見渡すと、いつの間にかできた人だかりは、みな殺気立った顔をしていた。普段のおおらかな獣人達が、噛み殺さんばかりに目をギラつかせている。
号令一つですぐにでも有翼種たちを手に掛けそうな、そんなギリギリの危うさを、やつらも恐らく感じ取ったのだろう。
「くそ……っ! だが覚えていろ……! 我々は神子様を諦めた訳では無いからな!」
天下の往来で起こるこの騒ぎに、人垣が徐々に増えていく。不自然な程静かに、割れた人波の中を彼らは走り去っていった。
「行っ……た……、のか?」
緊張の糸がふつりと切れる。思わずライヤーの胸にもたれかかると、喉から機嫌の良い唸りが響いてくる。
「あーもう終わりだ。神子は無事に俺の元に戻った。みんなありがとよ」
ライヤーがそう言って片手を上げると、大きな拍手が起こる。
「ライヤー様おめでとう!」
「よっ、三国一の果報者! 神子様がツガイだなんてこの国の繁栄は待ったなしだね!」
「ツガイ様に捨てられないように、そろそろ働けよ!」
やいやいと飛んでくるヤジに、ライヤーは「うるせー」と言ってシッシと手を振った。それを見てまた皆笑って……さっきまでの臨戦態勢が嘘のように穏やかな顔に戻り、人々は各々の行く先へと戻っていった。
そんな中、のほほんとした声が飛び込んでくる。
「本当に、愛しあうって素晴らしいよねシヴァン」
「うっせ」
「こんな場面に遭遇できるんだから、神って良いと思わない? ね? ね?」
「……うっせぇ」
バッとそちらを見れば、銀色の長髪をした穏やかそうなテイル、そして赤髪のシヴァンがいた。俺をこの世界に送ってくれた、神様たちだ。
「はあ? なんでこんなところにいるの?」
そして周囲にいたはずのライヤーも、あったはずの街並みも全てどこかにいってしまって、周囲は見渡す限り真っ白な何も無い空間だ。
そこにぽつんと、俺と神様たちが立っている。
「シヴァンの説得と、君の様子を見に。普段はこんな風に送り届けた後は関わる事が事がないんだけどね。ほら、君は僕らと姿が似ているからね……この世界で、うまくやれてるか心配だったんだ」
姿が似ている。さっきのやつらと同じような事を言われて、心がモヤついた。
相手は神様だし、ライヤーと出会わせてくれた恩人ではある。だけど。
「見た目なんて問題じゃない。要はどれだけお互いが相手に寄り添えるか、だろ。ライヤーは獣面だし、働かないし、自分勝手だけど……だけど俺自身を見て必要としてくれてるんだ。運命だからじゃない、そんな思いやりのある相手と一緒にいて、愛情が湧くのは当然だろう」
棘のある俺の言い方に、神様たちは気を悪くした様子も無い。
それどころか銀髪のテイルさんはニコニコと笑顔を振りまいている。その反面、赤髪のシヴァンさんの方は困ったような照れたような不思議な顔をしている。
「あーほら。シヴァン、ね? この子も幸せそうだろう? 君の杞憂だよ」
「うっせ……」
二人の間で何かあったのだろうか。だけど漂う空気は甘ったるくて、仲が良さそうならなによりだ。
「ねえシヴァン。どんな逆境にあっても愛し合うんだよ。運命だから愛が芽生えるんじゃない。愛が芽生えると分かっているから、それを運命と呼ぶんだ」
今の俺なら神様の言葉が分かる気がする。
そうだよ、誰かに決められたから、俺がライヤーを好きな訳じゃない。
周りから見て駄目なツガイだろうと、あいつを愛せる事が幸せなんだ。
「俺……幸せですよテイルさん」
彼は極上の微笑みを浮かべ、そして視界は再び光に包まれた。
「あ……れ?」
「おい、どうしたリン。立ったまま寝ぼけてんのか」
神様たちと出会ってた時間は、こちらの時間ではほんの一瞬だったようだ。
わざわざ会いに来てくれたようで、なんだか見せつけられた気がする。
俺はライヤーの身体にぎゅっと抱きついた。
「お、おお? どうしたリン」
「んー? 好きだなって!」
駄目亭主だけど、ライヤーがツガイで良かった。そんな幸せを再確認できた俺は、思わず笑顔を振りまいた。
「……リン」
「ん?」
何故かライヤーの喉がゴクリと鳴った。
ん、んん?
「よっし、んじゃ仕事も終わりだな? そろそろ帰るか」
「は、え? ちょ……!」
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「リン様、今までのご無礼をお許しください。若様がどうしてもこの生活でツガイ様との愛を育みたいと言って聞かないので……」
歩きながら、後ろからそう言うのはワーンさんだ。ケラケラと明るく快活な彼女に畏まられると据わりが悪い。
「ゆ、許すよ! てか、ワーンさんが丁寧だと変な感じだから! いつも通りにして!」
「ん、そうかい? ありがとうねぇ。全く、この若には困ったもんだよ」
あっはっは、とコロリと態度を変えるワーンさん。なんだろう、この切り替えの速さは。正直ついていけないんだが。
「全くうるせぇな、ワーンは。お前ンとこの倅はお前に似なくて良かったな。お庭番がそんなに煩くちゃあ仕事になんねぇンじゃねえか?」
「うちの子も、まさか若におむつを替えて貰える日が来るとはねえ。ありがたくて涙がでるよ。末代まで語り継がなくちゃあね」
そんな軽口を叩いている間に、あっという間に身柄は長屋へと到着した。
ワーンさんが俺の肩をポンポンと叩く。
「リン、明日はムリでも……明後日にはまた会おうねぇ。お屋敷の部屋はとっくに整えてある。祝言の用意をして待ってるから、まあ、死なない程度に頑張るんだよ」
「へ……?」
「余計な事を言うな、ワーン。さっさと帰れ」
「へ? どういう事?」
ライヤーは俺を抱えたまま、乱暴に扉を開けた。土間を挟んですぐに小上がりの室内だ。朝しきっぱなしだった布団の上に放り投げられて、俺はその後の展開を悟った。
「ま、まって? え、まだこんなに日が高いのに?」
「可愛い事を言うお前が悪い。あとはだな……お前が、あいつらを……振ってくれたから最高に気分が良い」
「あいつら……隣国のひとたち? まってくれ、何がどうなってるんだ? 俺が神子とか言われたんだが」
ライヤーが高そうな羽織をバサバサと脱ぎ捨てる。面倒くさいと言わんばかりに、雑に足袋を放り投げ、袴も脚で隅に寄せた。
「ん、ああ。そうだ。神は自分によく似た異世界人を、何十年かに一度この世界に寄越すと言われてる。彼らは神子と呼ばれ、国に繁栄をもたらすとされる。……俺はお前と会った瞬間、俺のツガイだと分かっていたが、有翼のやつらの方がお前の姿と近い。だから……その、な」
この男が口もごるのは珍しい。歯切れ悪く紡ぐ言葉は、俺が心変わりしそうだって思われてた……って事? 俺にとっての運命で、ツガイなはずの目の前の男は、そんな風に疑ってたんだ?
「ふーん、自分が嫌われるかって心配しかしなかったんだ? あーあ、まあこんなうじうじしたヤツがダンナだなんて、情けなくて嫌かもな。なーんて」
嘘だけど。大好きだけど。
だけどそう言い切る前に、脱ぎかけたままのライナーに押し倒される。
「情けないダンナで悪かったなリン? じゃあ、ダンナらしくこの身体をしっかり悦ばせてやんねぇとなあ? あ?」
怒りを孕んだようなその目の光りに、俺は自分の失言を悟った。
「ひう……っ、も、ムリ、出ない……っ、出ないぃ……!」
後ろから貫かれ、後孔に太いものを出し入れされながら、くたりと力の抜けたペニスを扱かれる。何度も達しているそこからは、とろとろとした雫が垂れるだけだ。
身体の力も抜けきって、もう上半身はぺたりと肘をついている。
獣人らしく体力バカのライヤーは、日も沈んで随分経つというのに俺を離そうとしない。
「いけるいける。出なくてもイけるだろ? どこだっけ、ここかぁ?」
「んあああ、や、ああ、ちがうう……っ! あ、あああ……っ!」
肉壁の中、一番気持ちの良い部分を絶妙に避けてライヤーは身体を揺さぶった。奥をゴツゴツと突かれるのも気持ちが良いけれど、浅いところを円を描くようにして刺激されるのが好きだと、こいつは知っているはずなのに。
「お願い……、ライヤ、おねがい……っ、すき、すき……っ」
絶頂に届きそうで届かない、そのもどかしさから抜け出したい。その一心でライヤーの名前を呼ぶと、背後からため息が聞こえた。
「ったく……。可愛いから全部許されると思うなよ。許すけどなぁ」
「ん、なにそれ……っ、ふ、あ、そこ……! ア、いい……、いいぃ……っ、あああ!」
一番気持ちの良いやり方で、狭い内部を擦られた。
肉同士がぶつかる音、そしてぐちゅぐちゅと泡立った音が結合部から聞こえる。
「ん、ん、ふ……っ、んぁ……、ン……」
お互いの粗い呼気を吸い込むようにして、体勢的に苦しいキスをした。大きな舌が口の中を弄って、身体の全てがライヤーのものになったようだ。
「んンぁ……! や、だめ……っ、また、イ、ああああ、イく……!」
「ぐ……っ」
与えられた絶頂に、受け入れているそこを思わずキュウと締め付けた。何も出ない絶頂はどこまでも深く、チカチカと白く光る視界と共に、身体は勝手に小刻みに震えた。
奥にドプドプと叩きつけられるのは、ライヤーの白濁だろう。
「は……、あ……あ」
日が沈み、そして空がまた白む。
ワーンさんの忠告空しく、彼女の迎えがくるその翌日まで、俺は見事に抱き潰されたのであった。
※※※
用意されていたのは紋付き袴、のようなものだ。白無垢じゃなかっただけ良しとするべきなのだろうか、俺よりも格段に似合う男が、共に座敷の上座で酒を飲んでいる。
じっと見つめていると俺の視線に気づいた男は、隣でニンマリとわらった。
「なんだぁ? 惚れ直したか?」
「け、結婚するなんて! 聞いてない……っ!」
抱き潰された身体をあの遠くに見ていた城の中にあっさり連れてこられた。身を清められ、食事を与えられ、気がつけば祝言を挙げていたのだ。
嫌いではないし、そりゃ好きに決まってる。ノーと言えない自分が悪い。だけど俺が好きだと言ったのは仕事も無いニートのライヤーであって、この国の時期城主である男だなんて。
まだ自分の理解が追いついていないまま、あっという間に式を挙げてしまった事への憤りがある。
「約束しただろ。リン、お前がな」
「はあ!? 俺が何を――」
「ダンナと言われたかったら働けってな。その約束を守って、俺は城主として働くぜ? 最高のダンナだろ?」
魚のように口をパクパクする俺を、ライヤーはにやりと笑った。
「神子サマと、俺のツガイに――乾杯!」
杯を掲げるライヤーの声に、広い座敷一杯に詰めかけた人たちは嬉しそうに続いた。
「……まったく、もう……」
仕方が無い。惚れた方が負けなのだ。
杯に満たされた酒をぐいっと煽り、俺は寄ったフリをしてその暖かい毛並みに顔を埋めた。
空からは季節外れの桜の花びらが舞い散った。座敷の皆がワッと窓辺へ集まった。
手に乗せた途端光となって消えるそれは、神からの贈りものだと皆は無邪気に笑う。
俺の脳裏にはあの赤毛と銀髪の神様が浮かぶ。あの二人も幸せになればいいのに。
温かなツガイの身体に抱きしめられながら、俺はもうきっと会うことの無い神様たちの幸せを願った。
―― リンの場合 : 終わり――
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