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拉致される ~社畜・遠藤アキヒコの話②~

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 手足が重く身体が動かない目覚めはもう日常だ。朝食代わりに飲んでいるエナジードリンクがあっても、もうスッキリと一日働くことは難しい。きっと昨晩も寝落ちしただろうから、起きたらシャワーを浴びて始発電車に飛び乗ろう。
 夢うつつにそう考えていたら、脇腹に思わぬ衝撃を感じて一気に目が覚めた。
「痛……っ! な、に……?」
「起きろ! いつまでも寝てんじゃねえよ! 起きて村まで行くぞ! 立って歩け」
 どうやら横に立つむさくるしい男に蹴られたらしい。日本人、ではない明らかに太い骨格に顔面も身体も毛むくじゃらの半裸の男は、唾をその辺に吐き出して俺を見ていた。
 よく見ればここは俺の部屋では無いし、ただ土の上に転がっていただけらしい。流石に自分の置かれた状況が分からず、寝る前の記憶を辿っていく。そうだ、あの古いビル、奇妙な看板、真っ白な空間にいた二人の――。
「異世界、縁結び……相談所……?」
「ブツブツうるせえよ!」
「ぐ……っ!」
 精神的な暴力には慣れていても、肉体的な暴力には無縁の生活だった。こんな風に気軽に他人に蹴られるなんて、正直言って痛いし怖い。
 あれが夢なのか現実なのかまだ分からないが、確かにここに来る前に不思議な二人と出会っていたはずだ。運命の相手がどう、異世界がどうとか言っていた。痛む体を縮こまらせながら、混乱する頭の中を整理する。
「あん? この程度でなに怯えてんだあ? まあいい服着てっからなあ、元は貴族の坊ちゃんかあ? 顔は殴らねえから安心しろ。黒髪黒目なんて貴重種だからな。その宝石みてぇな目玉一個くり抜いて好事家に売りに出したら……暫く遊べるだろうなあ」
 粘ついた笑顔で値踏みされ、身体が勝手に震えた。なんだ? 一体何が起こっているんだ? 確かあの二人は、俺を運命の相手の所に送り届けると言ってなかったか? こいつが? ……いや、確か別れ際に相手は竜だと言っていた。人間じゃないのかよとも思ったが、少なくともきっとこいつはそれじゃない、確信はないもののそんな気がする。
「俺もツイてるぜ。ここで寝てるお前を見つけた時は金にならねえ男かと思ったが、黒髪黒目なら話は別だあ。聖女伝説の残るこの大陸じゃあ、高値で取引される逸材よ。くくく……次の奴隷商人が来るまでは、村で丁重に扱ってやるぜ」
 夢か、現実か。ただ蹴られた部分が熱を持ったようにジクジクと痛む。歩く足を止めようとする度に無駄に飛ばされる怒声に身体がすくむ。幹の太い巨木がうっそうと茂る森の中を歩きながら、これは本当に現実なのかもしれないと冷や汗をかいていた。

※※※

 盗賊村、とは何かで聞いた事がある。漏れ聞いた会話の断片から判断するに、どうやら俺を見つけてしまった大男は、この村の一員らしい。女も子供もいる様子のこの村で、俺は次の奴隷商が来るまではここで飼われるらしい。次にどの村を襲おうか、あっちの国の視察団が護衛が弱くて良い、そんな話を笑顔でしている村が現代日本にあるわけが無い。
 宛がわれた掘っ立て小屋で膝を抱えてうずくまる。視線をずらしていくと、自分の足首に嵌めらた錆びついた鉄の足枷が目に入った。その先には笑えるほどに大きな鉄球がついていて、子どもの頃に見たアメリカのコメディ映画で同じようなものを見た気がする。まさか自分が付ける事になるとは思わなかったけれど。
 一歩足を踏み出せば、その鉄の重みが足首に強くのしかかる。こすれる鉄の輪は、想像以上に肌をひりつかせるものだと知りたくも無かった。これをはめ込まれたまま、土地勘の無い世界で、一人ここから逃げ出すは難しいのかもしれない。
 恐ろしい程の夜の静寂、遠くに聞こえる獣の遠吠え、何も見えない真っ暗闇は、ここが自分のいた世界では無いと突きつけてくる。これもまた疲れから来る夢なんだと信じたかったけれど、悲しい事に夢ではないと脇腹の打痕が伝えてくるのだ。
「これから……どうなるんだ?」
 狭い小屋の中で呟く。自分の言葉が反響して、気付きたくなかった異世界での孤独感に、ジワジワ不安が膨らんでいくのが分かる。人買いに売られて、俺はどうなるんだろうか。黒目を抉り取れば随分金になると言っていた。ではここを逃げ出ても恐らくまた別の人間に摑まる可能性も高い。そもそも土地勘も金も無い自分が、逃げてもこの世界で生きて行けるのだろうか。
 夢なら覚めて欲しい、そう強く願ってもこの状況に何の変化も無かった。
 元の世界に戻りたい。会社に消耗されながらも、それでも好きなものを食べ、好きなものを飲んで、愛用のベッドで抱き枕と共に眠る穏やかな生活。ああ、最後に食べたあのから揚げとビール、もっと味わっておけばよかった。
 不安感からか、呼吸が徐々に浅くなってくる。回数が増えて鼓動が早くなるこの症状は馴染みがあり過ぎだ。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせても、それで改善したことは今までの人生で一度も無い。
「……っ、ぐ……、はぁっ、はぁっ」
 苦しい、酸素が、欲しい。
――カタン
 一人きりの空間に、割って入った小さな音。そのほんの小さな音に過敏に反応して、死に体のはずだった身体が勝手に振り向いた。
「だいじょうぶか」
 そこになっていたのは、木の枝のように細い手足の少年だった。七歳位だろうか、きっと自分の半分も無いだろう少年は、木で出来た器を持って俺の傍に寄ってきた。
 うずくまる俺の背中にそっと手のひらを乗せて、その小さな手で撫でてくれる。
「……はあ……っ、……っ……?」
 よく言う、人のぬくもりが効いた訳では無いと思う。そんな単純に改善するならば、今までとっくにこの症状は治っていたはずだ。
 それなのにこの子供が背中をさする度に、肺を押しつぶされるような苦しさがどんどん抜け居ていく。普段であれば短くても30分は続くこの発作が、あっという間に消えていった。
「……なんで……」
 呆然としながら起き上がり、その子供をじっと見つめる。少年はわずかに口角を持ち上げると、側に置いていたらしい器を渡してきた。
「しごと、終わるの遅くなった。すまない」
 受け取らずにじっと見ていると、器をぐいと押し付けられた。食べろ、という事なのだろうか。湯気が立つそれを見ればスープか小さな具材が浮いていて、見たところ具沢山という様子でもなさそうだ。
「ありがとう……。貰うよ」
「おまえは痩せすぎだ。もっと、食え」
 自分より明らかに痩せている少年に痩せすぎだと言われて、そのおかしさに思わず噴き出す。
「……笑ったほうが、かわいいな。なまえは、何と言うんだ」
 そういって二コリと笑う奇妙な感性の少年は、見れば随分顔立ちが整っていることに気が付いた。黒髪から覗く瞳は綺麗な緑色で、か細い少年の体躯に反したようなその力強い輝きに、俺はほんの少しだけ見蕩れた。
 この村にいる人間とも少し違う気がする。何だろう、一体何が違うのか、この暗闇ではその違いはよく分からない。
「……アキヒコだよ」
「アキフィ……コ?」
「ああ、アキでいい」
 発音しにくいのだろうか? 少年は何度か俺の名前を小さく反復していた。ブツブツと呟く少年はなんとも可愛らしいものだ。その間に、俺は受け取ったスープに口を付けた。
 塩気があるだけの薄味のそれは、お世辞にも美味しいとは言い難い。だがあたたかい水分が腹の中に入るだけでホッとする。
 飲み干して、まだ呼び名を練習しているらしい少年をジッと見てみた。着ているのは粗末な服。砂利の混じる村の中だというのに素足で過ごしているようだ。だがサラサラとした銀髪が美しく、汚れた顔もよく見れば整っている。
「え……?」
 俺はそれを見て動揺した。少年の足元には、自分と同じ足枷が嵌っていた。鉄球が付いたそれが、自分とは違い両足に。それを付けたまま歩いているのか? 俺は慌てて少年の足首に手を伸ばした。
「良かった……。痛めてないな」
 少し赤くなっているだけで、そこから血が出て無かった事にホッとした。不思議なことだが、怪我が無いなら一番良い。
「手が……触れているな」
「あ、え? ああ、悪いな、嫌だったか?」
 何の気なしに触れてしまったが、ひょっとしてNG行為だっただろうか。異世界独特の、何か習わしがあるのかもしれない。少年はプイと顔を背けた。
「嫌ではない。俺に触れるものが居るとは思わなかったからな」
 見ればその耳は赤く染まっていた。照れている、だけ? 足に触っただけなのに、何故かそんな反応をされるとは思わず、何故か俺まで照れてくる。理由は全く分からないが、その照れを払拭したくて小柄なその少年をギュッと抱きしめた。
「は、はなせ……! こら!」
「君の名前は? 俺の名前は教えたけど」
 観念したのかぐったりとする少年を、抱き枕のように抱きしめ直す。子供の体温は少し高いというからそのせいなのか、なんだか急激な眠気に襲われる。
 ああ、今日は散々な一日だった。変な神様に異世界に飛ばされるし、俺を商品として売り飛ばそうとするやつらに捕まるし。ああ、夢ならさっさと覚めて欲しい。
 瞼が重く、もうこの眠りに抵抗するのは難しい。腕の中の子供の熱は、俺に安心と睡眠を与えてくれるのだろう。この子はなんだかとても落ち着く、良い匂いがする。 
「アキ……おれの名前は――――」
 意識を失う直前に、何か呟かれた気がする。それ以上は何も考えられなくて、俺はすとんと眠りに落ちた。
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