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しびあこ……!

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「わ……」

 見上げたそこには、大きな竜の姿があった。きっと俺を大陸に届けてくれる迎えの人なのだろう。太陽光に反射してキラキラと輝く銀色の鱗がとても綺麗だ。
 竜は一気に滑降して、俺から少し距離を取った場所に着地した。それからブワリと風が吹いたと思ったら、それは一気に人の形へと変化する。
 若木のようなしなやかな脚が現れ、そして滑らかな銀髪が風にそよぐ。

「っ、この馬鹿ホシ……! 父上の甘言に乗りやがって!」

 美少年が俺の胸ぐらを掴んで叫ぶ。

「へ、えええっ、ピッピくん!? なんでっ」

「お前を大陸に返して、俺を竜王の王配に据え置く。例え王配だろうとその実家の権威は上がるからな。父上はそれが欲しくてもう何十年も動いているのさ」

 俺みたいな平民には考えの及ばない世界があるんだろう。それは分かっているものの、どこか辛そうなピッピくんの横顔を見ていると、彼はこの計画に本当に納得しているのかと不安になる。

「ピッピくんはその、こんな無茶な計画に加担する位、やっぱりクロウの事好きなんだ?」

「はあああ? そんな気持ちがあるわけないだろう」

 ピッピくんは心から嫌そうな顔をする。そんな顔をしても許されるのだから、美少年は得だ。
 本気でクロウの事なんてどうでもいいのだろう。ただ家の目的に従っているだけだというのは嘘じゃない。

「これは家の、父上の悲願なんだ。この前はこの計画に抵抗してしまったせいで折檻されたが、父上は僕を大事に思ってくださっている」

 そうかな。本当に息子が大事なら、あんな風に殴っていう事を聞かせるだろうか。

 あんなに必死の形相で、ボロボロになりながらも俺に逃げろと言ってくれていたピッピくんが、どうして今になって父親に協力しているのかも分からない。

 そこにいくつか違和感があるのは気のせいだろうか。

「だけどピッピくん、前に言ってたじゃん。好きじゃないのに傍にいるなんて残酷だ、って」

「政略結婚は別にいいだろ。それに……好かれてないのはわかってるけど少しでも傍にいたいし

 目の前の美少年は唇を尖らせて、ほんの少し頬を染めてそんな事を言う。
 や、やっぱりクロウの事好きなんじゃ……!?

「言っとくけど、クロウの事は好きでもなんでもないからな。僕にだって、好きな相手くらいいるんだよ」

「えっ、クロウじゃなくて!? でもピッピくんが告白したら、誰でもオッケーしちゃいそうだけどなぁ」

 だってピッピくんは、ちょっとその辺じゃ見ないような見目麗しい美少年なのだ。
 それを断るなんてどんな朴念仁なのか。その顔を見てみたいものだ。
 ピッピくんは大人びた表情で、フッと笑った。

「そうだろう。並みの竜人であればこの僕の美貌にひれ伏すだろう」

「さすがにそこまでは言ってないよ!?」

「並みの竜人じゃないんだあの馬鹿は。「いつか自分にも番いが現れるかもしれないから」なんて未来を理由に僕の求愛を断るんだからな」

 それはミルさんも言っていた。いつ反故にしてしまうかも分からない、傷つけるかもしれないのだから恋人を作るなんて論外だと。
 俺はそれを誠実だと思っていたけれど、そうは思わない人もいるんだな。

 というかなんだろう。何か大事なことを見逃しているようでモヤモヤする。よく似た正反対の主張を、ミルさんとピッピくんに聞かされて――

 ピッピくんは居丈高に腕を組み鼻を鳴らした。

「番いじゃないからなんだというのだ。いつか番いが現れようが、それまで僕の魅力で十分にめろめろにして、離れられないようにしてやればいい」

 強すぎるその発言に、気が付けば僕はポカンと口を開けていた。

「番いじゃないからといって、この愛が劣っている訳がないだろう。そうは思わないか、なあミル」

 微笑むピッピくんはそう言い切ると、俺たちから離れた向こう側に視線を向けた。

「ミルさん……」

 いつからそこにいたのか、俺は全然気づかなかった。ピッピくんに呼ばれて、物陰からミルさんが姿を現す。
 申し訳なさそうな、バツの悪そうな顔だった。

「もお~やめてよねぇピッピくん。俺がいるって分かってて言ったでしょ。君の気持ちに応えるつもりはないって言ってるのにさぁ」

「えっ」

「フン。王族はどいつもこいつも臆病すぎる。僕は少しでも可能性があるなら、一生お前に付きまとってやるぞ。その場所に出入りする権利を勝ち取るためならクロウの婚約者にだってなるし、一生お前の側につきまとえるなら、王配にでもなんでもなってやる」

「えっ、ちょ、どういう……ええっ」

 交わされる二人の視線の間、顔を左右に激しく見比べる。

 つまり、ピッピくんが好きな人は……ミルさん?

 まってまって、ここにきてそんな情報知りたくなかったんだけど!?

「だからってピッピくん、自分の父上まで利用するなんてさぁ」

「さあどうするミル。選ばせてやる。このままではクロウに愛想を尽かしたホシを地上に匿ってしまうぞ? クロウの番いを失うか、僕と結婚するか、選べミル」

「なにその選択!?」

「これくらい追い込まないと、お前は本音を言い出さないだろう。将来本物の番いが現れる事を懸念しているのなら、それまで目いっぱい僕を愛する権利をやるというのだぞ。この僕を、だ。光栄に思え」

 己の胸に手を指し当てて、どうだと言わんばかりの上から目線の態度だ。
 こんなに高飛車な態度が似合う美少年を、俺はピッピくん以外見たことがない。でも嫌な感じは全然しなくて、むしろスカッとしてしまう。
 俺達にできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! 憧れるぅ!
 とはいえ言われた方のミルさんは、額を抑えて天を仰いだ。

「もおおお……ピッピくんはさぁ、ホントなんでそんなに俺を追い詰めちゃうのぉ? 嫌いじゃないから困ってるのにぃ」

「知ってる。だからさっさと決断しろと言ってるんだ馬鹿め」

「いつかきみが傷つく結果になるかもしれないのにさぁ。簡単に言わないでくれるぅ?」

「ふん! 殊勝なふりをして。ミルは単に自分が傷つきたくないだけだろう。本当の番いが現れて、僕との結婚を後悔したくないだけだ」

 ピッピくんのその言葉にドキリとしたのは、第三者である僕だった。
 僕もまさにそれが理由で、クロウの元から逃げ出そうとしているからだ。本当の番いが現れて、お払い箱にされる前に。必要とされているうちにここを離れたいんだ。

 傷つきたくないから。

 みじめになりたくないから。

「お前に求愛しているのはこの僕だぞ? もう何十年とお前に振られ続けているこの僕だ。ほんの一時でも想いを通わせて、幸せにしてやろうと思えないのか。僕はお前に番いが現れようとも、その後も僕の方が好きだと言わせてみせるぞ」

 堂々と、おそらく無茶苦茶な事を言っているであろうピッピくんだったけど、どうだと胸を張る姿は煌めいて見える。

 逃げ出そうとした俺とは違う。

 だけどそもそもピッピくんは自分に自信があるのだ。家柄も見た目も良くて、種族の差もない。
 強い光を浴びるその後ろで、薄暗い考えに陥りそうな俺をピッピくんがふいに射貫く。

「なあホシ。お前はこのままでいいのか。ミルが僕との結婚をどうしてもと嫌がるなら、こいつと刺し違えてもお前を大陸に送り届けてやるつもりだ。元々、父上は僕を竜王の王配にしたがっていたしな。だがそれは僕と父上の勝手なたくらみだ。お前はそれに乗るだけでいいのか? ここを離れる事がお前の一番の望みなのか」

 俺はぐっと唇を噛む。

「だって」

「だってなんだ。言ってみろ」

 ピッピくんは腕を組み、顎でくいと続きを促す。
 ミルさんは額を抑えたまま、なんとも情けない顔をしている。
 握った拳をさらに握りこむ。

 ずっと抱えていたこの話を、吐き出したいと思ってはいた。だけど誰にも言えなくて、唯一聞きたかったクロウにはけんもほろろに突き放されてしまったのだ。言ってもいいだろうか。
 つい視線を泳がせてしまう俺が話し出すのを、ピッピくんはただじっと待っていてくれた。

「お、俺、本当の番いじゃなくて……嘘の番いかもしれないんだ……!」
「は? そんな訳ないだろう」

「なんでそんな考えになるのぉ? 嘘の番いなんてさぁ、用意する意味ないじゃあん」

「え」

 二人がかりで一刀両断されてしまい、思わずこけそうになってしまう。
 なに馬鹿な事言ってるんだ、という顔で見つめられては恥ずかしさが込み上げる。

「だ、だって俺は人間で、番いなんて感じ、わかんないし」

「だから竜王の方は分かっている事だよぉ。番い殿が体内に宿った瞬間さぁ、小躍りしたのを俺隣で見てたもん」

「うげぇっ。なんだそれは本当かミル。あのクロウが?」

「そぉ~。気でも違ったのかなって怖かったよぉ」

 えええ……。そ、そんな時期から番いって分かっちゃうの?

「あ、安心して番い殿。竜王が規格外なだけで、普通の竜人は近くまでこないと自分の番いって分からないものだからさぁ」

 じゃ、じゃあ俺本当にクロウの番いなのか? 本当の、本当に?

「ホシは父上に吹き込まれたんだろう。あの顔で神妙に語られると、まるでそれが真実のように感じられるからな。僕も子供の頃から何度も騙された」

「そ、それじゃあ無理やり渡された竜塊を取り出す方法があるっていうのは」

「それは本当だな」

 本当なんじゃん! 

 じゃあやっぱり、何か不都合を隠されてたのかって思っちゃうよ。
 だけどミルさんが申し訳なさそうな声を出す。

「だけどそれについてはさぁ……まあ色々ある訳なんだよねぇ。ほら、竜王陛下。隠れてないでさっさと出てきなよぉ。番い殿、このままだと国に帰っちゃうよぉ?」

 ミルさんが顔を向けた先、王宮の窓の内側からは、黒いうねりのある髪の毛がチラリと覗いていた。それが誰なのかはもう、確かめるまでもない。


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