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鏡よ鏡、鏡さん
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クロウの作った小屋の中には、小さな鏡が置いてある。
身支度をするために用意されたものだし、それ以上でもそれ以下でもない。見つめるその鏡の中には、いまいちパッとしない、平凡な男が一人映っていた。
もう少し見た目が綺麗だったら。
それとも自分で窮地を切り抜けられる位賢かったら。
ナージュのように堂々と振る舞えていたら、違っていただろうか。
その冷たい表面にひたりと手を当てても答えは出てこない。揺れる蝋燭の明かりに照らされて普段より更に貧相な表情をしている男は、見たことないくらい卑屈な笑みを浮かべていた。
――本能から来る偽の感情なのではないかと疑った事は?
――適当な人間がお前だったという可能性はないか?
ピッピパパの言葉が、あれからずっと頭の中で繰り返されている。
違う、そんな訳がないと否定しながらも、もしそうなら国に帰れると考えてしまっている。だけどそれと同時に、クロウの顔を思い出してそれらの思考は打ち消される。
だってクロウはそんな人じゃない。
だけど頭の中で誰かが囁くんだ。
――本当に?
カタンと扉が開けられる音がして、ハッと顔を上げた。
「なんだホシ、起きていたのか」
俺が起きてたら困ることでもあるのか? そんなとげとげとした言葉が思わず口から出そうになって、慌てて口をつぐむ。
確かに普段ならもう寝ている時間だ。日の出と共に起きて日暮れと共に家に帰るような暮らしをしているからだ。
だけどそれは俺だけで、クロウは王宮に行けばそれなりの暮らしができている。
クロウの生活は、普段となにも変っていないんじゃないか。疑心暗鬼になってる俺は、つい突っかかったような事ばかり考えてしっている。
嫌だな。僕はこんなに嫌な人間だっただろうか。
胸の中がざわざわと落ち着かなくて、隣に座ってきたクロウの顔が見られない。
なんとか無理矢理「お帰りなさい」と絞り出した。少し掠れてしまい、我ながら変な声になってしまったけど。
「どうした? 今日は護衛騎士が途中で変ったと報告があったが、何かおかしな事があったか」
ああ、いつもの騎士さんがいなくなっていた件はそう処理されていたのか。ピッピパパも偉い人らしいし、何か裏で手を回していたのかも知れない。
竜王を欺く事すら可能なのだと、暗にそう言われている気がした。
あのまま話が違う方向に流れていたら、あっという間に拉致されていたかもしれない可能性に改めてぞっとした。
俺は唇を笑みの形に歪めて、意識して目元を細める。
「……なにも。なにも変ったことはなかったよ」
クロウは少しだけ俺の顔を見て、それから「そうか」と言った。
強大な竜人という種族、その彼らを統べる男とは思えないはにかんだ顔を見せる。
俺は本当にこの人の番いなのだろうか。
本当に、望まれてここに来たのだろうか。
この人に必要とされて――愛されているのだろうか。
生まれ始めた猜疑心は留まるところを知らない。
俺は今、ちゃんと笑えているかな?
「食事は?」
「いや今夜はいい。王宮で済ませた」
仕事の一環なのだろうけれど、クロウの本当の居場所がここではないのだと思い知らされる。
ここは俺だけの檻なのか。いつも近くにいる騎士は、俺が逃げ出さないように監視している?
俺は自分の考えに蓋をして、首を振った。
夜に考え事なんかするものじゃない。真実がどうであれ、おかしな方向に考えが行ってしまうものだと俺は知っている。
「クロウ……俺、先に寝てるね」
いたたまれず寝室へと向かいかける腕を、クロウに掴まれる。
「ホシ。何かあったのか。話してみろ」
「いや、なにも」
「目を合わせないな。ホシはいつも私の目を見るのに」
その指摘に言葉も出ない。
ほんの短い付き合いだというのにクロウは、俺の事を俺自身より分かってくれている。ただそれだけで、グッと胸にこみ上げてくるものがある。
クロウが与えてくれるこの気持ちが、本当の本当に本物なのなら俺も悩まないのに。だけど今は何の確信も確約もない。ピッピパパに揺さぶられたのは分かってるけど、真実がどこにあるのか分からない事だけは確かだ。
それを知っているのはただ一人、このクロウだけだ。
俺は下唇を噛み、漏れそうになる不満を飲み込んで、なんとかクロウと視線を交す。
「……クロウ。俺の事が好きなんだよな?」
なんとも情けない声で、女々しい言葉が零れてしまった。
聞きたいことも聞くべき事も、他にいくらでもあったはずなのに。
クロウは表情を変えることなく、淡々と告げる。
「当たり前だろう。お前は私の運命の番いだからな」
番いだから。番いだから好きなのだとクロウは言う。例えそれが真実だろうと、今それは一番聞きたくなかった言葉かもしれない。
俺がこの男に好かれているのは、番いだから。
番いとして利用価値があるから好かれている。番いとして振る舞うために、こうして側に置いているんじゃないのか?
崩れそうになる足を、グッと踏みしめて耐える。
笑え、笑え。笑え。
「そっかあ。ありがとな」
掴むクロウの手をさりげなく剥がして、俺は普段よりも早足で寝室へと向かった。もうクロウは追ってくる事はなかった。その事にホッとしつつも落胆しているのだから、俺は一体何がしたいんだろう。
小さな部屋の、大きなベッドにごろりと寝転がる。
「お互い悪くない話、かぁ」
今日ピッピパパの提案は、クロウに内緒で俺を大陸に送るという計画だった。
俺は慣れ親しんだ人間の世界で生きる事ができる。そして俺のいなくなったあとはピッピくんが改めてクロウの婚約者に返り咲き、王配として生きる事ができる。
つまり確かにお互い損をしないのだ。
「竜塊も、取り出すことが出来るっていうし」
飲まされてからまだわずかな時間しか経ってないため、まだこれは体内で馴染みきれていない状態らしい。今の俺は人間から竜人へと身体が変化している段階で、竜塊を取り出せばただの人間に戻れるとピッピパパは言う。
「そんな話、ここじゃ誰もしてくれなかった」
ミルさんも、ルンルンちゃんも、もちろんクロウも。もう飲んでしまったからにはどうしようもない受け入れろと、ただそれだけで押されてここまできた。
きっと竜塊を戻せると言ったら、俺が逃げると思ったのかも知れない。まあ確かに、逃げるけど。だから彼らの判断はあながち間違いでもない。
「でもさ、知ってるのと知らないのと、教えないのは雲泥の差じゃん……」
寝転がった天井は、もうすっかり見慣れたものだ。
だけど何度寝転がって寝ようとしても寝られないまま、クロウが寝室に来たら寝たふりをしようと思う考えは杞憂に終わる。
その晩クロウは寝室に来ることがなく、俺はいつの間にか一人で朝を迎えたのだった。
身支度をするために用意されたものだし、それ以上でもそれ以下でもない。見つめるその鏡の中には、いまいちパッとしない、平凡な男が一人映っていた。
もう少し見た目が綺麗だったら。
それとも自分で窮地を切り抜けられる位賢かったら。
ナージュのように堂々と振る舞えていたら、違っていただろうか。
その冷たい表面にひたりと手を当てても答えは出てこない。揺れる蝋燭の明かりに照らされて普段より更に貧相な表情をしている男は、見たことないくらい卑屈な笑みを浮かべていた。
――本能から来る偽の感情なのではないかと疑った事は?
――適当な人間がお前だったという可能性はないか?
ピッピパパの言葉が、あれからずっと頭の中で繰り返されている。
違う、そんな訳がないと否定しながらも、もしそうなら国に帰れると考えてしまっている。だけどそれと同時に、クロウの顔を思い出してそれらの思考は打ち消される。
だってクロウはそんな人じゃない。
だけど頭の中で誰かが囁くんだ。
――本当に?
カタンと扉が開けられる音がして、ハッと顔を上げた。
「なんだホシ、起きていたのか」
俺が起きてたら困ることでもあるのか? そんなとげとげとした言葉が思わず口から出そうになって、慌てて口をつぐむ。
確かに普段ならもう寝ている時間だ。日の出と共に起きて日暮れと共に家に帰るような暮らしをしているからだ。
だけどそれは俺だけで、クロウは王宮に行けばそれなりの暮らしができている。
クロウの生活は、普段となにも変っていないんじゃないか。疑心暗鬼になってる俺は、つい突っかかったような事ばかり考えてしっている。
嫌だな。僕はこんなに嫌な人間だっただろうか。
胸の中がざわざわと落ち着かなくて、隣に座ってきたクロウの顔が見られない。
なんとか無理矢理「お帰りなさい」と絞り出した。少し掠れてしまい、我ながら変な声になってしまったけど。
「どうした? 今日は護衛騎士が途中で変ったと報告があったが、何かおかしな事があったか」
ああ、いつもの騎士さんがいなくなっていた件はそう処理されていたのか。ピッピパパも偉い人らしいし、何か裏で手を回していたのかも知れない。
竜王を欺く事すら可能なのだと、暗にそう言われている気がした。
あのまま話が違う方向に流れていたら、あっという間に拉致されていたかもしれない可能性に改めてぞっとした。
俺は唇を笑みの形に歪めて、意識して目元を細める。
「……なにも。なにも変ったことはなかったよ」
クロウは少しだけ俺の顔を見て、それから「そうか」と言った。
強大な竜人という種族、その彼らを統べる男とは思えないはにかんだ顔を見せる。
俺は本当にこの人の番いなのだろうか。
本当に、望まれてここに来たのだろうか。
この人に必要とされて――愛されているのだろうか。
生まれ始めた猜疑心は留まるところを知らない。
俺は今、ちゃんと笑えているかな?
「食事は?」
「いや今夜はいい。王宮で済ませた」
仕事の一環なのだろうけれど、クロウの本当の居場所がここではないのだと思い知らされる。
ここは俺だけの檻なのか。いつも近くにいる騎士は、俺が逃げ出さないように監視している?
俺は自分の考えに蓋をして、首を振った。
夜に考え事なんかするものじゃない。真実がどうであれ、おかしな方向に考えが行ってしまうものだと俺は知っている。
「クロウ……俺、先に寝てるね」
いたたまれず寝室へと向かいかける腕を、クロウに掴まれる。
「ホシ。何かあったのか。話してみろ」
「いや、なにも」
「目を合わせないな。ホシはいつも私の目を見るのに」
その指摘に言葉も出ない。
ほんの短い付き合いだというのにクロウは、俺の事を俺自身より分かってくれている。ただそれだけで、グッと胸にこみ上げてくるものがある。
クロウが与えてくれるこの気持ちが、本当の本当に本物なのなら俺も悩まないのに。だけど今は何の確信も確約もない。ピッピパパに揺さぶられたのは分かってるけど、真実がどこにあるのか分からない事だけは確かだ。
それを知っているのはただ一人、このクロウだけだ。
俺は下唇を噛み、漏れそうになる不満を飲み込んで、なんとかクロウと視線を交す。
「……クロウ。俺の事が好きなんだよな?」
なんとも情けない声で、女々しい言葉が零れてしまった。
聞きたいことも聞くべき事も、他にいくらでもあったはずなのに。
クロウは表情を変えることなく、淡々と告げる。
「当たり前だろう。お前は私の運命の番いだからな」
番いだから。番いだから好きなのだとクロウは言う。例えそれが真実だろうと、今それは一番聞きたくなかった言葉かもしれない。
俺がこの男に好かれているのは、番いだから。
番いとして利用価値があるから好かれている。番いとして振る舞うために、こうして側に置いているんじゃないのか?
崩れそうになる足を、グッと踏みしめて耐える。
笑え、笑え。笑え。
「そっかあ。ありがとな」
掴むクロウの手をさりげなく剥がして、俺は普段よりも早足で寝室へと向かった。もうクロウは追ってくる事はなかった。その事にホッとしつつも落胆しているのだから、俺は一体何がしたいんだろう。
小さな部屋の、大きなベッドにごろりと寝転がる。
「お互い悪くない話、かぁ」
今日ピッピパパの提案は、クロウに内緒で俺を大陸に送るという計画だった。
俺は慣れ親しんだ人間の世界で生きる事ができる。そして俺のいなくなったあとはピッピくんが改めてクロウの婚約者に返り咲き、王配として生きる事ができる。
つまり確かにお互い損をしないのだ。
「竜塊も、取り出すことが出来るっていうし」
飲まされてからまだわずかな時間しか経ってないため、まだこれは体内で馴染みきれていない状態らしい。今の俺は人間から竜人へと身体が変化している段階で、竜塊を取り出せばただの人間に戻れるとピッピパパは言う。
「そんな話、ここじゃ誰もしてくれなかった」
ミルさんも、ルンルンちゃんも、もちろんクロウも。もう飲んでしまったからにはどうしようもない受け入れろと、ただそれだけで押されてここまできた。
きっと竜塊を戻せると言ったら、俺が逃げると思ったのかも知れない。まあ確かに、逃げるけど。だから彼らの判断はあながち間違いでもない。
「でもさ、知ってるのと知らないのと、教えないのは雲泥の差じゃん……」
寝転がった天井は、もうすっかり見慣れたものだ。
だけど何度寝転がって寝ようとしても寝られないまま、クロウが寝室に来たら寝たふりをしようと思う考えは杞憂に終わる。
その晩クロウは寝室に来ることがなく、俺はいつの間にか一人で朝を迎えたのだった。
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