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闇オークションで電子決済されました。

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 金は貸す物じゃない。
 すなわちあげたと思えるなら渡すべし、そんな言葉をいつか聞いた気がする。そもそも貧乏大学生の俺に貸す金なんてあるわけが無いけれど。
 だから、一緒のゼミを取っている友人が五十万を貸して欲しいと言ってきたとき、俺はすっぱり断ったんだ。
 丁度奨学金や実家からの援助の振り込みがあった時で、確かにまとまった額の金は口座にはあった。だけどそれは使う予定が決まっている金であって、友人に貸せるものではない。
だから、友人が金を借りに行きたいから保証人欄にサインだけして欲しいと頼まれた時、せめてそれくらはしてやりたいとペンを握った。
 正直その時、定食屋のバイト時間が迫っていたというのも理由の一つだけど。。
 まさか、それが。
「三千万! 四千五百万! さあ他にはいらっしゃいませんか! おっとそちらのお客様は六千万! ありがとうございます! 他にはいらっしゃいませんか! 本日の目玉、令和のこの時代に借金苦で売られた大学生です! もちろん処女童貞は医師の保証付きでございます!」
 薄暗い中でもわかる、豪奢な装飾が施された室内で俺はスポットライトを浴びていた。手枷と足枷、さらにご丁寧に首輪まで鎖で繋がれていては逃げられない。
 金は貸す物じゃない、ついでに保証人にはなるものじゃないと、誰か俺に教えて欲しかった。まさか友人の借りた五十万が雪だるま式の利息で五百万に増えるなんて、さらには闇金に内臓を取られるか変態に売られるかの二択を迫られるなんて、誰も予想もしなかっただろう?
 返せなければ田舎の両親がどうなるか分からないぞと、そう言われれば大人しくするしかない。田舎で静かに暮らす年老いた両親に、この闇金の男たちが向かったら心臓が止まってしまうかもしれないのだ。
 まあ実際は抵抗しては殴られ、気分が乗らなければ蹴られて、その暴力にすっかり諦めつつある。ヤクザからはきっと逃げられないと、もう色々達観してしまった自分がいる。
「そして血液型はレア中のレア、Rhマイナスよりも稀少なnull型です! その上O型! コレクターの皆さまにはお手元で備蓄をお勧めいたします! おっと六千五百万!」
 内臓でも変態相手でも無く、こうして地下オークションで金持ち相手に競りにかけられている理由がこれだ。見た目も中身も凡庸な俺の唯一の稀少性が、この体に流れる血液だったりする。一万人に一人の確率で現れる俺の血液はnull型と言い、RH抗体を全くもたないらしい。つまりは誰に輸血しても拒否反応が起きない、黄金の血液と呼ばれているらしい。
 それは俺が輸血に応じないように、俺の血液型が分かった時点で両親がどこかの機関と話をつけているからだ。血液だけじゃなく、俺には母方の家系に時々現れる不思議な能力が備わっている。血に宿るとされるその力が、万が一にでも流出するようなことは避けたいというのはあちらの家系の総意らしい。良く知らないけど。
 親の愛がありがたい。こんな事になって合わせる顔がないけども。
 ここはどこだろう。車移動しかしていないから日本国内には違いないが、眩しいステージ上から見える室内には多種多様な人種が見える。血液ストックなら、せめて衣食住は確保されている事を願いながら俺は静かにため息をついた。
 諦めが早いと言われそうだが、人は何事にも順応していくものだ。
「七千万! 他にはいらっしゃいませんか! 稀少な血液! 世界でも十人足らずしかおりません! さあ七千五百万が出ました! これで落札でよろしいでしょうか~!」
 俺は五百万で身を売ることになったというのに、ここにいるやつらには誤差みたいなものなのか。次々と上がっていく値段にもう笑うしかない。売血したら肩代わりした借金を返せたのだろうか。
「一億だ」
 良く通る低音に、会場がどよめいた。
「い、一億、なんと一億が出ました! 他にはいらっしゃいませんか! 一億です!」
 さざ波のようにざわめきが広がる中で、他に手を挙げる人間はいなかった。司会を務めるこの男も、興奮のあまり声が裏返っている。
 ちなみにこいつは俺を監禁していたやつらの中でも、確かちょっとした偉いやつだったはずだ。今は丁寧語を取り繕っているが、昨日まで口悪く罵られ、蹴られて恨みはまだ忘れていない。
「では一億円! 一億円で落札です――!!」
 興奮冷めやらぬ司会がそう叫ぶと、会場が拍手に包まれる。俺は全く嬉しくないけど。
 ステージ上に近づいてくる男を見ると、嫌味な程背が高く足が長い。日本人かとギリギリ思えるのは、肌色と髪の色のおかげだ。どこかの血が混ざっていると言っても可笑しくない程、彫りが深く眉は男らしくキリリとしている。つまりまあ、イケメンだ。イケメンで金持ちは滅べ。
 しかしこの人が俺のご主人様か……。変態じゃないといいな。被虐趣味だったらどうしようか。司会者に首輪を引かれて、近づいてくるご主人様に接近させられる。頭一つ分は背の高いこの人は、いかにも高級そうなスーツに身を包んでいた。勝ち組ってやつかあ。
「お支払いはいかがいたしますか? 小切手? 現金? 口座振り込みで?」
「ニャオンで」
「かしこまりました」
 聞き間違いかと思ったが司会の男が手をサッと上げると、どこからか別の黒服が現れて見慣れたあの端末を持ってきた。白猫のイラストが描かれた、アレだ。
 え? まさか一億円を電子決済する訳? 出来る訳?
――にゃおん♪
 電子決済が終わる音は聞きなじみがある。庶民の味方、イオソで良く聞くやつぅ……。場にそぐわない可愛らしい鳴き声に肩の力が抜ける。
「はい、ご一括でいただきました。今回のお買い上げでニャオンポイントが五百万円分ついたみたいですね」
「ふむ。ではこの子を貰って行こう。ああ構わん。歩いて帰る」
 何やら差し出された書類に軽くサインをするご主人様。いいのか、そんなに軽くサインして。中身をちゃんと読まないと、連帯保証人になった俺みたいになるぞ。
 大きな手で首輪を外されて至近距離で目が合った。イケメンはアップでも耐えられるから凄い。歳はいくつだろう、オールバックにした美形は年齢不詳だが、恐らく二十代後半だろう。落ち着いた雰囲気が圧倒的支配者としてのオーラを醸し出す。
「そんなに怯えるな」
 そう言って微笑むイケメンご主人様は、くしゃりと俺の頭を撫でた。
 あ、まずい。
『可哀想に、こんなところから早く連れ出してあげよう』
俺の頭の中に直接響いてくる声は、目の前の男のものだ。口は一切動かない……つまり、これが俺の血液以上に特殊な能力なのだ。
 母方の血筋でまれに現れるらしいこの力は、触れた相手の考えていることが読めてしまう厄介なもので、いつどのタイミングで発動するのか分かってない。
少なくとも触れるという行為は必須らしくて、ただその後何分何時間何日聞こえるのかは、その時々で違う。
「では行こうか、少年。私は鳳凰院ユズルだ。君の名前は?」
「田中ケイタ、です」
『ケイタか、いい名前だ。鳳凰院ケイタも悪くないな』
悪いよ!?
 なに、なんなのこの人は。悪い人では無さそうだし、俺を一体どうするつもりなのか。
でも笑顔で差し出された手は、俺をここから連れ出してくれるものだ。買われた相手とはいえ差し出されたその手を、俺は黙って握り返した。

※※※

 赤いカーペットの敷かれた廊下を通り、エレベーターに乗った。話しかけて良いのか、黙っていた方が良いのか。一億という大金で買われてしまったからには従順にしておこう。俺に入った金では無いけれど、五百万の借金をチャラにしてくれた相手でもあるのだから。それが例え、俺を買ったニャオンのポイント程度しかなくても……泣かない……。
「服を買いに行こう」
 闇金の怖いおじさんたちに連れてこられたままの服は、少し匂うのかもしれない。
『俺色に染めてしまいたい』
 え、怖い。何目的なの? 俺の身体か? 悪いが男に興味はないんだけどそう言ったら怒られそうで言えない。とりあえず相手の出方を待とう。
 エレベーターを出た先にあったのは、都内にある有名な五つ星ホテルの看板だった。大学や警察署からもそう遠くないここで、まさか違法な人身売買が行われているなんて誰が思おうか。そしてこの俺の隣を歩く男が、俺を買ったなどと。
『ケイタ、手があったかい……。私の手は汗ばんでないだろうか。大丈夫か』
 女子中学生か。
 振り払うタイミングを逃してしまい、地下からここまでずっと繋いだままの俺たちを、ホテルのドアマンは何も言わず笑顔で通してくれた。むしろなにか言って欲しいんだけど。居た堪れないんだけど。
 寄せられたリムジンタクシーにも、手を引かれたままごく自然に乗り込む。長い車を目の前で見たのも初めてなら、乗り込むのももちろん初めてだ。
 この高級車で一体どこに行くのか。長い足を組んで隣に座るご主人様は、帽子を被った運転手に声を掛ける。
「イオソモールまで頼む」
 イオソ?? 郊外型ショッピングモールの、あのイオソ? 銀座じゃなくて、イオソ??
その高級スーツを着て、ファミリーの集うイオソに行っちゃうの? いや、俺は好きだけどね? 似合わないよね? ご主人様。
 そしてそれは聞き間違いではなかったらしい。高速に入り、大型で有名なイオソモールに到着した。青い空に映える白い三階建ての建物に、大きく書かれたイオソの文字。広い駐車場に並ぶファミリーカーと手をつないだ親子連れ……を横目に乗りつけられる黒塗りのリムジンタクシー、そして中から出てくるのは高級スーツの男と凡庸な男(俺)。
『よし。デートといえばイオソ』
 いやそうだけどね? 俺の田舎ではそうだけどね? 休日にはイオソにみんな集まるよ? でも正直ブルジョワな方には縁遠いと思ってましたよ?
「お客様、お支払い方法は?」
 運転手の愛想のよい声がスピーカーから聞こえてくる。
「ニャオンで頼む」
 またニャオンかよ!!!!
――にゃおん♪

※※※

 Tシャツとボトムスを、買って貰った。勿論電子マネーニャオンで。なんだかあの白い猫のイラストを、今日はいつも以上に身近に感じてしまう。
『ケイタは何を着ても可愛いくて困る。食べてしまいたい。おっといけないここは紳士に』
 聞こえてますよおおおお! 俺以外には聞こえてませんけど一番聞いちゃ駄目な相手に聞こえてますよおおおお!
 わからない、どうやら俺はこのイケメンご主人様に好かれているらしい。多分初対面のこの人にそこまで好かれる理由が無い。金で買われた相手だというのに、どうしてこうも良くしてくれるのか。血液か? 血液の為か? 正直それくらいしか思いつく要素は無い。身内が難病で珍しい血液型で困っているのかも?
 そんな俺の内心などつゆ知らず、ジーパン買っても裾上げ要らないんだろうな……と容易く想像できる脚を組み、優雅な仕草で飲み物を口に運ぶご主人様。
『やはりイオソラウンジはお得感があっていい。イオソゴールドカードなら年会費無料で使える休憩所の使用権、それにドリンク飲み放題。これは何時間でも居れてしまうな』
ここが簡素なイオソラウンジだと言うことを除けば、まるで高級ラウンジに居るような錯覚を起こす男だ。そう、ここはまだイオソモール内にあるイオソラウンジ……。
 てか、この人イオソを使いこなし過ぎじゃないか?? 俺はこんな場所があったなんて知らなかったぞ。
「どうしたケイタ、口に合わなかったか? これはトップバリョの百パーセント濃縮還元アップルだが……オレンジジュースにしようか?」
「いえ! 大丈夫です! お気遣いなく!」
 考え事をしていたら、渡されたドリンクを飲むのを忘れてしまった。置かれたペットボトルから自分で紙コップに入れるスタイルだけど、ご主人様が選んでくれたものだ。ありがたくも一気に飲み干した。
「おいしい……」
 普段あまりジュースを飲まないけれど、お世辞抜きにこれは素直に美味しいと思えた。零れる様に呟くと、ご主人様は顔をほころばせた。その顔があまりにも慈愛に満ちていて、俺は何故かドキリと胸が高鳴る。
「それは良かった」
『安価だと言われそうだが私はこれが一番好きなんだ。ケイタに気に入ってもらえたなら嬉しいものだな』
 俺のこの力が知ってしまうのは、優しい事だけじゃない。時には内心は自分を嫌っている事を知ってしまったり、知らなくても良い人の裏側を覗いてしまうこともしばしばだ。
 それなのに、出会いの場は最悪なこの人は何故、ここまであたたかい気持ちを向けてくれるのだろうか。
「あの……。ごしゅ、鳳凰院さんは――」
『苗字か……下の名前で呼んで欲しいものだけど無理は言えないな』
「……ユズルさんは、どうして俺をあの場所で買ったんですか? RHマイナスで重病人のお身内でも?」
 買った人間と買われた人間。どちらに優位性があるかだなんて、考えなくても分かる事だ。無視されても仕方ないと思うのに、何故か俺はこの人はきっと向き合ってくれるような気がした。
「いや、身内は全員健康そのものだ。そもそも輸血が必要な病人もいなければ、特殊な血液型の者もいないはずだが――まあ、そもそも我が鳳凰院も先日一家離散したところだからなんとも言えないな」
「は?」
「一族で経営しているいくつかの事業に失敗してしまってな。伯父がメインで動いている経営中核の企業を事業譲渡する羽目になってしまったんだ。そこからなんとか食い止めようとはしたんだが……私も高校生の身では何もできなくてな」
「は???」
「とりあえず未成年である私は、今までに貯めたお年玉の一億を死守させてもらって今に至る訳だ」
 情報が! 多い……!! なんだ、なんなんだ? つまり俺を買った一億は、この人のお年玉で? 一家離散したからもう帰る家も無いって事なのに、使っちゃった? そしてこのアダルトな男の色気を醸し出している人間が、高校生?? 俺よりも年下ってこと? 
「はっ、という事は!? ユズルさんの全財産がもう無いということ!?」
「安心しろ。ニャオンポイントが五百万円分ある。これで数年は生きて行けるだろう」
 うわーい、ポイントだけで生きれちゃうすご~い、なんて思うかアホ!! うわあ、そうか、こういう所が高校生なのか。先をもっと見通さないと。一億の現金があれば、一生働かずに暮らせたというのに。高校生の全財産を溶かしてしまった罪悪感が凄い。
「海外に高飛びした兄宛てに来た手紙で、あのオークションの事を知ったんだ。家族も散り散りとなり、もうどうなろうと構わないと思っていた矢先だったからな。つい、遊び心で兄のスーツを着て参加してしまったんだが……そこにケイタが居たのも、たまたま自由に使える一億が私の手元にあったのも、ケイタを助けよという神の御導きだったのかもしれないな」
『少しの間だけでもいい。見ているだけだったケイタと話せるただけで幸せだ』
 馬鹿な事を言う。人助けで一億を払うか? 普通……。
「あのさ……、俺、ユズルさんと会った事あります? ここまでして貰う理由に、本当に心当たりがないんだけど」
 年下と知ると、言葉が少しずつ砕けてしまう。だけどユズルはそんな俺の態度にあまり頓着しないらしい。俺たち以外に誰もいないこの簡素な優待ラウンジの中で、ユズルはゆったりと手元の紙コップに口を付けた。
「塾のあるビルから、ケイタのバイト先が見える。道路を挟んだ反対側のビルの二階に塾があるんだが、窓際の席に座るとな、ケイタがクルクルとフロアで働いている姿が見えて……頑張っている姿が無性に愛おしいと感じてしまった」
『多分これが、俺の初恋』
 ストレートに言葉をぶつけられて、一気に顔に血液が集まった。年下の、しかも男相手に口説かれて喜んでしまうなんてどうにかしている、そう思うのにドキドキと高鳴る心臓は収まりそうにない。
『だが初恋は叶わないと相場が決まっているからな。せめて最後に、この気持ちを伝える事が出来て良かった』
 最後? その単語に、桃色掛かった俺の脳みそは一気に動き出した。一家離散、頼るものがいない、現金を使い果たした――そんな未成年の言う最後、とは。嫌な想像が背中を濡らした。
「さあ、そろそろ出よう。今晩くらい、一緒に過ごしてくれてもいいだろう?」
『最後に思い出が欲しい』
 どうする、俺!?
※※※
 タクシーに乗り、名の知れた都内のホテルに向かった。どうやら今はそこが仮住まいらしく、金がなくなったと言うのにその後先を考えない金銭感覚に、俺はまた嫌な冷や汗をかく。イオソを出たあたりから、隣にいる男の心の声は聞こえなくなった。その涼しい顔で一体何を考えているのだろう。
――にゃおん♪
 タクシーの支払いを終えてエントランスをくぐる。部屋の鍵は持っているらしく、迷いのない足取りでエレベーターに乗り込み目的階を押す。
 ユズルが取り出したカードキーをドアに差し入れると、小さな電子音が鳴り部屋の鍵が開いた。
「どうぞ、ケイタ。狭い所だけど」
 案内された室内は、俺の一人暮らしのアパートよりも広かった。ダブルだろうか、中央には綺麗にベッドメイクされた大きなベッドがあり、窓際に小さなソファセットも配置されている。踏みしめる床は厚みのある絨毯で覆われていて、それなりのお値段の部屋であることは想像に易い。支払は多分、またニャオンなんだろうけど。
「夕飯はどうしたい? ホテルのルームサービスか……確かここはデリやウーパーイーツも頼めると思うが」
 ソファに座り、渡された冊子をパラパラとめくるとその値段に驚いた。コーンスープが千五百円? 籠に盛られたパンがどうして二千円もするんだ?
「ユズルさん! ピザを! デリバリーしませんか!」
 男二人、四千円程度あれば腹いっぱいになれるはずだ。そうだ、そうしよう。現金など一切持っていない俺と、同じく電子マネーを持たないご主人様は、ルームサービスなど食べている場合では無いのだ。

※※※

ピザ耳にチーズをトッピングという贅沢をしてしまい、その贅沢さに後悔しつつも舌鼓を打つ。何だかんだと奨学金メインで生きている俺は、思えばピザなんて久しぶりだった。
「はー、食べた食べたぁ」
2人でLサイズとポテトとナゲット、そしてピザといえばコーラだろうと言うことで注文したが、頼みすぎた気がする。はち切れそうな胃袋を抑えながら、ソファにごろりと横になった。
こうしていると、この数日が嘘のようだ。連帯保証人になったせいで闇金の取り立てにあい、返せないならと拘束されてオークションに出された。そこでどう見ても年上にしか見えないイケメン高校生に一億円で落札されて、俺に好意を寄せてくれている男とホテルでピザを一緒に食べる。
いや振り返ると俺、わりと最低じゃないか? 年下に払わせたピザで腹を満たした挙句、ソファに寝転がってのんびり出来る立場か?
その気まずさからそろそろと起き上がる。ユズルは転がる俺をずっと見ていたようで、反対側のソファに座る男ととすぐに目が合った。その瞳は愛しさを隠そうともしなくて、つい照れくささに顔を背けてしまう。
うう、喉を鳴らして笑うのは止めてくれ。
――ピンポン……
俺たちの間に流れる、その奇妙な空気を打ち破ったのは部屋のチャイムだった。
知らぬ間にルームサービスを取ったのかとユズルを見ると、彼にも心当たりが無いらしく首を傾げていた。
不思議そうにしながらもドアノブに手を掛ける。
そこからはあっという間の出来事だった。ユズルの身体がゆっくりと傾いたと思ったら、見覚えのない黒服の男たちが部屋に押し入ってきた。一瞬のうちに俺の身体を拘束したと同時に、口元に布を宛てがわれて。
その奇妙な臭いに眉をひそめた所で、俺の意識は途絶えたのだ。
※※※
「起きろ」
蹴られた痛みに目が覚めた。頭は何だかんだズキズキと痛むし、胃のあたりはムカムカとして最低だ。重い瞼をなんとか開くと、コンクリートがむき出しになっている、見知った室内に転がされていた。
「よう、さっきぶりだなぁ」
 下卑た笑いを浮かべるのは、あの違法オークションで司会をしていた男だ。そして今日まで俺を、この部屋で拉致監禁していた男でもある。
 俺をユズルに一億円で売り払い、借金もチャラではいサヨウナラでは無かったのだろうか。もう顔をもう見なくてすむと思っていただけに、この再会は全くもって嬉しくない。
「いやぁ、俺もな? お前を売ってハイオワリと思ってたんだがよ? あのオークションを録画で見てたとある国のお偉いさんがな、お前の血液を欲しがってるんだよなあ」
 ちらりと周囲を見渡すと、すぐ隣にユズルも転がされていた。その目はまだ閉ざされたままで、意識がまだ戻ってないことが伺える。だが死んではいないようだ。規則正しく上下する胸元を見て安ひとまず堵した。
「そっちの奴の身元を調べさせてもらったが、オークション開催と入れ替わりで一家離散してるじゃねえの。一億は払ってもらったがよ……つまりバラしちまってもこいつを探す人間はいねぇって事だよなぁって、賢い俺は気づいちまったのよ」
 ぞわりと肌が粟立つ。
「一億と追加で七千万……悪くねぇと思わねぇかあ?まあちぃとばかり変態趣味があるみてぇだけど、金はある爺さんだから死ぬまで可愛がって貰えるんじゃねえかあ」
 いや悪いだろ、どう考えても悪いだろ。どこぞの外国の変態オヤジに飼われるなんて誰だって真っ平御免だろ。
 どうする……逃げるか……。だけどどうやって。男はドアを背にして立っているし、その後ろには部下のような明らかにカタギではない男たちが控えている。隣ではユズルが気絶したまま――。
 指先に暖かいものが重なった。演説を続ける男にバレないよう、視線だけ横にスライドさせると片目を開けたユズルと目が合う。
『大丈夫、ケイタは私が命に代えても守ろう。私が男たちの気を引きつけるから、どうかその隙に逃げて欲しい』
 まだ目で語り合える程の付き合いでは無いはずなのに、ユズルの強い決意がただその瞳を見ただけで伝わってくる。
 国内で違法オークションを開ける程度には厄介な組織を敵に回して、俺もユズルも無事で居られる訳が無いのに。
 俺という存在が散々ユズルに迷惑を掛けてきたのに、さらに危険に晒すなんてできるわけが無い。
 ユズルが動き出す前に、変態オヤジの元に行くと言い出そう。だからせめて代わりにユズルを助けてくれと懇願したい。ユズルは俺の恩人で、そして――。
「――っ!」
立ち上がろうとしたところで、ユズルの指が強く絡まり、怒涛のように彼の気持ちが流れ込んでくる。
『ダメだ、ケイタ。お前には幸せに暮らして欲しい』
『好きだ、好きなんだケイタ』
『愛してる』
『人生の最後に、ほんの少しでもケイタと出会えて私は幸せだ』
『逃げてくれ。俺に構わず』
 止めてくれ、そんなに純粋な気持ちを差し出してもらえるほど、俺は価値のある人間じゃない。
「あん? ニャオン野郎も起きたのか? ったく、まさかあそこでニャオン決済するやつがいるとは思わなかったからな、笑いを堪えるの必死だったぜぇ」
気づかれてしまった。そしてニャオン野郎て。
『仕方ない、正攻法で行くか』
 ニャオン野郎――もといユズルはゆったりとした動作で立ち上がる。仕立ての良いスーツにはシワがついてしまっているが、そのスタイルの良さはどこまでも絵になる男だ。
「頼む、見逃してくれないか?  五百万までなら出せる」
 まてまてまて、それ、お前の全財産だろう? そしてその五百万、ニャオンポイントだろ? 交渉できるのかニャオンポイントで。
「ああ? 五百万ておまえ、あの一億の決済で付いたポイントじゃねえだろうな? やらねーから。少なくとも七千万なきゃ交渉には応じねぇからな」
 ほらみろポイント支払がバレてる。
 勝手に人を売り飛ばしたり転売しようとしたりする、そんな奴らが交渉だなんで笑わせる。そう思うけれど、もう俺たちに交渉できる材料はひとつしかない。
「分かった。俺は変態オヤジの所に大人しく行く。だからユズルさんを見逃してくれないか。」
「ふうん? 嫌だと言ったら?」
「……死んでやる。欲しいのは俺の血液だろ? 死んだら全部パアになるんじゃないか」
 男の瞳が剣呑な光を持って細められる。怖い、だけど視線を外してはいけない気がして、震える拳を握りしめてそのプレッシャーに耐えた。
 ああもう、ユズルの心の声がうるさい! いや実際の言葉にしている声なのかもしれないが、もうこの状況では落ち着いて判別なんてできやない。
 だってせめて今度は俺が、ユズルを助ける番だから。
 なんてことだろう。別れも間近になってから自分の気持ちに気づいてしまうなんて。まさかこんなに短時間で、人は人を好きになってしまうことがあるなんて思ってもいなかった。嵐のように出会い、気付いた途端にお別れだなんて。
「ふん……。仕方ねぇ飲んでやるよ。但しニャオン野郎はお前を出荷するまで監視を付けさせてもらうぜ。邪魔でもされたらたまらねぇからなぁ」
 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。とにかくユズルだけは、この関わらなくて良いはずだったやつらから引き離したい。
 その関わらなくて良かったはずの人間の中にはきっと、俺も含まれているんだろうけれど。許されるのならば、普通に知り合いたかった。
 胸が痛い。鼓動が早い。きつく耳鳴りがして、目の奥が奇妙に熱を持つ。立ち眩みを起こした時のように、眼前が白く塗りつぶされた。
『――よぉし、これで組長にばれなきゃ七千万、俺の総取りよ。組から横領してる二千万と合わせたら、一生遊んで暮らせる額が手に入るぜ』
 耳障りな男の声は、直接脳内に響いてくる。何故だ、触れてもいないのに声が聞こえる。しかもこれは……割と重要な事では?
「横領……?」
 思わず呟くと、ヤクザ男がビクリと身体を震わせた。そしてその後ろに静かに控えてた男たちまで一斉に俺を見る。なんだ?
『おい……いらねえこと言うんじゃねえよこのクソガキが。内部で横領がバレかけて組の調査が入ろうとしてんだ。この業界で裏切りは許されねえ。バレる前に金を貰って海外に高飛びする段取りだっつうのに……』
 目の前の男の顔色が悪い。なるほど、後ろの下っ端にも内緒でやってる単独犯か。知られてはまずい事だ……という事は。
「やっぱり、俺を売る事は無しにしてもらえませんか? 俺も静かに暮らしたいし。一度はこのユズルさんに売られたんだから、それ以上欲を出す事も無いのでは?」
「ああん? 何強気になってんだ商品の癖によぉ? 寝ぼけた事言ってんなら一度痛い目に合わせてやろうか?」
 沸点の低い男が苛立ちを隠さず近寄ってきた。振りかぶった拳が身体に叩き込まれる位は覚悟の上だ。目をぎゅっときつく閉じる。ゴッと鈍い音が耳に届くが、どこにも痛みは与えられない。
『痛……っ、くそ、ケイタを殴ろうとするだなんて許せん』
「ばか! ユズルさん、何やってんだ!」
 立ちはだかった男の背中を慌てて擦る。殴られたのは腹だろうか、遠慮なく殴られる痛みは俺も経験しているから理解できる。
 いくら鍛えているといってもやはり痛いのだ。背中を丸めるユズルを余裕たっぷりに眺めているヤクザ男に、俺はギリギリの近さまで接近すると努めて小声で囁いた。
「組の横領、黙っておきますから……ここで引いてもらえませんか」
 藪から棒の俺の言葉に、男は露骨に動揺した。
「は……? お前……!?」
『ふざけんなこのガキが……! 証拠の書類は女の名義で××銀行の貸し金庫にいれてあるんだ。こんなやつに尻尾を掴まれてるはずがねえ。はったりだ!」
「××銀行に、女の名前で貸金庫、ありますよね? あなたの部下も知らないようだし、もしこの情報がバレたら、まずいんじゃないですか」
 視線で人が殺せるとしたら、俺は今間違いなくめった刺しされているだろう。いや、懐に入れた何かで殺すか、殺さないか悩んでいるのかもしれない。
「俺が殺されたら、ユズルさんが叫びますよ。後ろの方々に知られたら、まずいのでは?」
 今ここで殺される訳にはいかない。慌てて畳み掛ける様にそう告げると、酷く長く感じる重い沈黙の後、男は大きく舌打ちをした。そしてわざとらしくジャケットの内ポケットを探ると、何も表示されていないディスプレイを触り耳に当てた。
「はい毎度有難うございます! 私です。えっ、……もうこの男は要らない? そんな、七千万を出すから欲しいと仰ったのは――あっ……。チッ、切れやがった」
 後ろの男たちに聞こえるようにだろう、わざとらしい程大仰にため息をついた。スマホのディスプレイは相変わらず何も映っていない。つまりは、芝居だ。
 ぎろりとひと睨みされる。
「おまえ……分かってるな」
「ええ、もちろん。誰にも口外しません。――無事に、俺たちをあのホテルまで送ってもらえますか?」
 背中にダラダラと滝のような汗をかく。はったりで交渉するなんて、綱渡り過ぎて胃が痛い。
「くそが……。おい! 誰かこいつらを送り届けろ! 買い手の七千万爺が飛びやがった! もう用はねえ」
 何か言いたげな部下をひと睨みして、ヤクザ男はドアを蹴り飛ばして出て行った。この先あいつがどうなるのかは分からないが、ひとまず窮地は脱出したと思って良いだろう。
 隣でぽかんとした様子のユズルにニコリと微笑んだ。もうこれで、大丈夫だ。俺はきっと、ユズルを守る事ができた。生まれて初めて、この異端の力が授けられたことに感謝をした瞬間でもあった。
『ケイタ……。可愛いだけじゃない、なんてカッコいいんだろう。惚れ直すしかない』
 ストレートな言葉と熱視線に耐えかねて、耳まで赤くなった顔は少しうつむいて隠すしかない。
 そうして紆余曲折あったものの、俺たちは再びあのホテルへと戻ったのだった。
※※※
 夜も更けて、ベッドサイドのデジタル時計は間もなく日付を変えようとしている。嵐のような一日が終わり、流石に俺もくたくただ。買われた身でありながら厚かましいけれど、今夜はソファを借りて寝させてはもらえないだろうか。そんな風に考えながら室内へと足を踏み入れていくと、後ろからユズルに強く抱きしめられた。
「……っ、え?」
『好きだ』
「好きだ、ケイタ。ずっと片想いをしていたが、今日の姿を見て惚れ直した。あそこでよくあんな駆け引きが出来たものだと感心するが――だが今は、今だけ。こうして抱きしめさせてくれ。男に抱きしめられても気持ちが悪いだろう。大丈夫、分かっている。何もしないから」
 肩口に寄せられた顔がほんの少し震えている。そうか、身体は大きくても高校生だった。良い所のお坊ちゃまだったユズルが突然家族を失ったばかりで、拉致され、殴られ、心のバランスが摂れなくても当然だろう。
 大きな図体で子犬みたいだ。自分よりも身体の大きな男に対して、可愛いだなんて思うのは可笑しいのかもしれない。それでも今はこの男が無性に可愛いと思えて仕方がない。キュウ、と胸が締め付けられるこの感情を、そういえば伝える事を忘れていた。
「ユズル、さん。あのさ……俺も。俺も好きですよ」
 華も綻ぶ、と言う表現が正しいのかはわからない。だけども躊躇いながらも俺がそう伝えた時、ユズルはその意味を理解した途端とろけるような微笑みを返してくれた。美しいその顔が、あまくて美味しくて仕方が無いと、そう訴えかけるような幸せな笑顔だ。
「本当か? ケイタ……嘘みたいだ。今日はいくらカッコつけようにも、惚れた相手の前で情けない所ばかり見せてしまった」
「あのですね……いや。あのさ、ユズル。俺だって好きな人は守りたいと思うよ。だってそれが男ってもんだろう? だから、お前を守れて俺は嬉しい。こうして想いを通じ合わせた事だって、奇跡みたいなもんだって思ってる」
 形ばかりの丁寧語は、もうやめた。だって本音でぶつかるのに、そんな飾りは邪魔なだけだ。
『まずいな……ケイタが格好良すぎて。もう今日で死んでもいいと思っていたのに、これはもう死ねないな』
「……っ、だからさユズル、いくらダサくてもいいしカッコ悪くてもいい。俺たちまだ知り合ってまだ……一日目だよ? これからもっとお互いを知っていきたいって思ってる」
「ああ、そうだな――、っ」
 ネクタイを引き寄せ、ほんの少し踵を上げてその唇を奪った。ガチンと歯が当たってしまい、やっぱり俺はどこまでもきまらない男だけれど、顔を真っ赤にした美形が見れたから良しとしよう。
「――っ、ケイタ……! 好きだ、愛してる! 不束ものだが、宜しくお願いします」
「あは、嫁に来るみたいだね」
『ファーストキスが、ケイタで良かった』
 どちらからともなく重なった唇は、今度はふんわりとした弾力だけだった。押し合って、少し離してまた触れ合う。じゃれつくようなそのキスは、とても優しくて心地が良い。ふわふわと夢のような気持ちで繰り返された。
※※※
 二十歳前後の男の欲望なんて、結局は下半身に直結している。
 男同士なんてと思っていたけれど、お互いの身体にあたるソレは硬度を保って主張していた。
 合わせるごとに深くなっていくキスは、次第に舌を絡めてお互いの口腔内をまさぐった。より深く、もっと全てを自分のものにしたくて、角度を変えて相手の呼吸まで欲しがった。
 唇を合わせて喋れない代わりに、ユズルの心の声は雄弁に愛を語り掛けてくる。それに煽られるように頭を抱えて抑え込み、舌を吸って伝う唾液を舐めとった。
 かちりと固められた髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜると、乱れた前髪がユズルの顔にかかって、年相応に見えてくるのが何だか嬉しい。
「ふ……っ、ケイタ……! 好きだ」
「知ってる……、ん」
 少しでも触れていたくて、ほんの僅かな隙間も許せなくて、お互いの身体を寄せ合って気が付けばベッドに倒れ込んでいた。
「あ……っ、ん、ん……」
「……ふぅ……っう、……」
 荒い呼吸を整え、惜しみながら顔を離す。焦点のあうギリギリの距離でみるユズルの顔は期待と欲望に紅潮していた。自分もきっと、同じ顔をしている。でも今はきっと、それでいい。
 こんな時、何を話したらいいんだろう。分からないままお互いが無言で相手のベルトを外した。金属の固い音がやけに耳に付く。ズボンと下着は結局二人とも自分で脱いだ。
 Tシャツだけの自分と違い、ネクタイまでしているユズルは苦しそうだとシャツのボタンに手をかけると、躊躇いがちな大きな手のひらが俺の下半身に触れてきた。
「……っ」
 初めて感じる他人の手の感触。ユズルは大丈夫だろうか、同じ男の性器に触れて気持ち悪いとは思っていないだろうか。
「ユズル……っ、う……、あ」
 杞憂は一瞬で終わった。男の指が輪を作り、くびれの大きな部分を締め付けて扱く。遠慮の無い力加減は、恐らく同じ同性だからこそできるものだろう。
 一人でする時のクセを微妙に外したその動きは、むしろそれが相手のいる行為だと感じて興奮する。知らず下半身を相手に押し付けながら目の前のボタンを外すと、アンダーシャツ越しにぷくりと膨らむものを見つけ、好奇心がふいに鎌首をもたげた。
「……っ、ケイタ、くすぐったい」
 擦るようにして、指の腹で隠された乳首を擦る。抗議の声があがるものの、本気で咎めている訳ではなさそうだ。スリスリと撫で続けると、ユズルからは鼻にかかった甘い吐息が抜けていく。
「きもちい? ユズル、ここ」
『男なのにそんな所が気持ちいなんて……恥ずかしいな』
 少しだけ躊躇った後に小さく頷かれる。ユズルの反応が可愛すぎて、俺の気持ちは何かがふっきれた。
 向かい合うようにして転がっていた体勢から、ユズルを押し倒すように体の向きを変えた。
『え、ケイタ……?』
「ユズル、好き。好きだよ」
「俺もだ……、ん」
 激情のままに唇を奪う。
 されるままだった陰茎への愛撫は、お互いのソレを重ねて一緒に扱く。タラタラと零れていたユズルの先走りを幹に擦りつけるようにすると、ネチャネチャと粘ついた音が響いて余計にいやらしい。
『ケイタ、積極的だ……。凄く熱くて、興奮する』
「ん、ん……っ」
 直接的な刺激以上に、目の前の相手といやらしい事をしているという事実がヤバい。自慰の延長のようなこの行為は、相手とするというだけでこんなにも気分が高揚するものなのだろうか。いやきっとこれは、相手がユズルだからだ。
「スズル、ユズル……っ」
「はあ……っ、ケイタ」
 大きな手が添えられて、二人で一緒に重ねた性器を扱いた。
『イきそうだ、ケイタ、ケイタ。夢みたいだ』
『気持ちいい。お前と肌を重ねているだけでこんなにも幸せだなんて』
『可愛い、ケイタ、可愛い』
 可愛いのはお前だろう。そう言葉にしたいのに、男の意地で射精を堪えて奥歯を噛み締めているからそれも叶わない。
『好きだ、ケイタ。気持ちいな』
『嬉しい』
『イきそうだ』
 少し黙って欲しいと願うほど、昂ぶったような低音が頭の中に直接響く。どこまでもまっすぐなユズルの声が心地よくて愛おしくて。
「イく……っ」
「俺も、……く」
 結局我慢できずに、お互いがほぼ同時に精を放った。
 二人分のぬるぬるとしたものがユズルの腹の上で混じって溜まり、綺麗に並んだ筋肉を汚してベッドへと零れて落ちる。
『きもち、よかった』
 素直なユズルの声に思わず噴出した。そうだな、俺も、すごく気持ちが良かった。
「気持ち良かったな、ユズル」
「ああ。すごく」
 だから俺も飾らない言葉をユズルに返す。俺だけが勝手に心の声を聞いてしまうなんて、申し訳ないから。ユズルの心の声と同じように、素直な気持ちを彼に届けて行こう。
 笑う恋人の頬に、何度も何度もキスをした。

※※※

 手持ちとしてあった一億の他にもユズルの財産は存在していた。少し抜けているこう言うところが、しっかりしているようでやはり高校生だったことに安心してしまう。
ユズルが思い出した弁護士の元を訪ねると、その人が後見人として管理していたらしい。連絡が取れずに心配していたと、おじいちゃん弁護士は涙を浮かべてユズルの姿に喜んでいた。
 ユズルの一億円を失った事は、俺は今でも自分を許せないでいる。だけど彼の中では出会えた綺麗な思い出として残っているらしく、その失った大金を嘆く様子もないあたりは流石なのかもしれない。
 あれからユズルは無事高校にも復学し、そして春には付属の大学へと進学を果たした。俺も以前と変わらず大学へ通っている。少し変わったと言えば、狭いアパートの隣の部屋に恋人が引っ越してきた事くらいだろうか。許可をもらったと言って壁をぶち抜き、広くリフォームされたこの部屋はもう既に一つの部屋ではあるんだけども。
「ユズル、買い物に行こうか」
「ああ、少し待て。タイヤの空気圧を確認する……よし、大丈夫だ。行こう」
 金の使い方がどこかチグハグなユズルは、最近はもうリムジンもタクシーも乗らなくなった。俺が勿体ない勿体ないと呟いてしまうせいかと反省したが、一緒に過ごす時間も楽しいからだと笑ってくれた。気軽に外に出るおかげでご近所さんとの交流も増えて、顔も性格もいいこの恋人は、ちょっとした有名人になってしまっていたりするが仕方がない。
 自転車を二人で漕いで、少し離れたところにあるイオソに向かった。ユズルも買いたいものがあるからと言って珍しく別行動だったが、あまりにも遅いので迎えに行くと、広い通路のど真ん中に置かれたソファに腰かけなにやら酷く落ち込んでいた。
「ど、どうしたんだユズル……!」
「ケイタ……っ、私はもう……駄目かもしれない……ポイント……ポイントが……っ」
『貯めに貯めていたニャオンポイントが……五百万円分が失効していた……!』
 すっかり忘れていた、俺を買ったときのあのポイントか。
「うわあ……あの五百万は……でかいな」
 ニャオンポイントは確か一年で失効するはずだ。そうか、あれから一年。感慨深い。
『一年経ったら記念日に、指輪を贈りたかったのに』
 もう、止めろ不意打ちでそういう事を言うのは。その気持ちが嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「まあポイント失効したのは痛いけど、元々無いと思っておこう。ほら、元気出せ。今夜、お前の好きなハンバーグ作るから。な?」
「……チーズも入れてくれるか」
 ピザ用チーズを丸めて入れただけのあれな、うん、作る作る。作るからこんなところで憂いを帯びたイケメンオーラを漂わせるのは止めてくれ。俺はもうライバルはこれ以上増やしたくない。
「ほら、じゃあ生鮮食品売り場に寄っていこう」
 しょぼくれた男の手を引いて、歩き慣れた食品売り場を籠をもって歩く。この何気ない毎日が幸せで、優しい男の隣に居られる事に感謝をしない日はないのだ。
『ケイタと過ごせて毎日が幸せだ』
 俺もだよ。この奇妙な能力を、いつかお前にも打ち明けたい。驚くだろうか? 不思議がるだろうか? でも何故だろう、どんな俺でも絶対に受け入れてくれるだろうという謎の信頼感があったりする。
「俺も、ユズルと一緒にいたら幸せだよ」
 小声でそう呟くと、聞こえたらしい恋人は実に嬉しそうに笑ってくれた。
――にゃおん♪
 軽快な電子決済の音を聞きながら、俺はこんな日々が続くことを祈ったのだった。

―― おしまい ――


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