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第二章 王宮女官ミリーナ

第19話 リフシュタイン侯爵

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 数日後、ミリーナは王宮内を歩いている時にリフシュタイン侯爵に呼び止められると、

「ミリーナ様、先だっては我が娘アンナローゼを歌唱コンテストの2位に推挙していただき、誠にありがとうございました。我が娘もたいそう喜んでおりましたぞ」

 にこやかな笑顔で感謝の気持ちを伝えられた。

「いいえ、私ではなくお決めになられたのはジェフリー王太子殿下ですわ」

「ははは、謙遜は結構ですぞ。ジェフリー王太子殿下がミリーナ様のことをたいそう気に入っておられ、しかも発表直前にお二人で何事か話されておられたのをこの目で見ておりましたゆえ」

「あ、いえ本当にジェフリー王太子殿下がお決めに──」

「どうやらこの分ですと、ミリーナ様が王太子妃となられる日もそう遠くはなさそうですな。侯爵家当主としても今からその日が楽しみですのぅ」

「ああ、ええ、ありがとうございます、リフシュタイン侯爵」

 建国以来の古い貴族であるリフシュタイン侯爵の言葉をあまりに否定ばかりするのも失礼に当たるので、ミリーナはとりあえず同意しておいた。

 ちなみにミリーナのエクリシア家も家柄の古さだけは負けていない。
 ただ男爵という爵位が低いのと、領地も持たず貧乏なだけである。

(でも王宮内で極めて強い影響力を持つリフシュタイン侯爵までこんなことを……これはもうもう本当に外堀は埋まっちゃっているわね……)

 その後、他愛もない話をいくらかしてから、ミリーナはリフシュタイン侯爵と別れた。

 リフシュタイン侯爵はミリーナの姿が見えなくなるまで礼をしたまま見送った。
 その姿はまさに王太子妃候補のミリーナに心からの忠誠を誓う、古き良き貴族の姿だったのだが――、

「ちっ……まったく、虫も殺さぬような善人ぶりを演じおってからに、このいかがわしい下級貴族の女狐めが」

 ミリーナが完全に見えなくなった途端、リフシュタイン侯爵は人が変わったような口汚い台詞を吐き捨てるように言った。
 だけでなくリフシュタイン侯爵はギリギリとこぶしを握り締めながら、怒りの炎をその瞳に燃えたぎらせる。

「貴族とは生まれながらに優れた存在じゃ、つまり下賤の者どもに優越して当然なのじゃ。だというのに我が愛しき娘アンナローゼが、たかだか商家の娘ごときの後塵を拝すなど本来あってはならぬこと!」

 誰も聞いていないのをいいことに、リフシュタイン侯爵の怒りと罵詈雑言はとどまることなくヒートアップしていく。

「それもよりにもよって王家主催のコンテストで、次期国王たるジェフリー王太子殿下の前で! 建国以来の大貴族たるリフシュタイン侯爵家の娘が下賤の庶民に煮え湯を飲まされたのじゃ! なんという屈辱か! この恨み、絶対に忘れんぞミリーナ=エクリシア! 我がリフシュタイン侯爵家を貶めた罪は万死に値する!」

 勝って当然、いや何があっても勝つように仕組まれていたはずのコンテストで、リフシュタイン侯爵家は赤っ恥をかかされたのだ。
 到底許せるものではなかった。

「あの女狐が採点に口出しをしおったのじゃ。それでジェフリー王太子殿下は勝者を変えたに違いない。あの憎たらしい女狐めが、我が娘アンナローゼの美貌と教養を妬んで、貶めるために強引に口出ししおったのじゃ。なんたる外道の仕打ちか」

 リフシュタイン侯爵は歌唱コンテストの後に「わたくしはあの女に公衆の面前で辱しめられたのですわ! 絶対に許せませんの! 絶対に! 絶対にですわ!」と泣いてすがってきたアンナローゼの姿を思い返していた。

 まったくもってリフシュタイン侯爵も同意見だった。

「ふん、初代国王以来の傑物とまで言われる有能なるジェフリー王太子殿下といえども、しょせんは人の子。好いた女の言うことは無下には出来なかったというわけじゃな」

 これはもう本当に完全な思い込みで、完膚なきまでに事実無根だったのだが、今回の一件はリフシュタイン侯爵の目にはそのように映っていた。

「ジェフリー王太子殿下の威を借る女狐めが。どうやってかは知らんが、吹けば飛ぶ木っ端男爵の娘風情が王太子殿下に取り入りおってからに……! そのせいで方々に手を尽くしてやっと取り付けた、アンナローゼとジェフリー王太子殿下との婚約話がいとも簡単にご破算よ……!」

 娘のアンナローゼが王太子妃となり男子を産めば、リフシュタイン侯爵の孫が次代の王となる――この国が自分たちの物になるはずだったのだ。

「あと少しで、あと少しでそれが叶ったというのに! 何年もかけて完璧な状況を作り上げ、外堀を埋め、ありとあらゆるところに金をばらまいて作った機運が、あの降って湧いた女狐のせいで完全におしゃかになってしまったではないか!」

 あと一歩というところで、たかだか男爵家の娘なんぞに全てをかすめ取られたのだから、リフシュタイン侯爵の怒りたるや怒髪天を衝く勢いだった。

「くそっ、今に見ておれよ小娘。いつかその澄まし顔をくしゃくしゃにしてほえ面をかかせてくれるわ!」

 普段の人のいい好々爺の姿からはとても想像できないその薄汚い独り言は、しかし独り言であるがゆえに聞きとがめるものは誰もいない。
 ただ王宮の廊下の真っ赤な絨毯だけが、静かにその声を聞いていた。

 何も知らぬ心美しきミリーナに、国家強奪をたくらむ悪辣なるリフシュタイン侯爵の恐ろしき魔の手が忍び寄ろうとしていた――!
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