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第一章「ボーイ・ミーツ・ガール」

第10話 なまえをよんで

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「っていうかクロ、お前もいつまでもじゃれてるんじゃねぇ」

「ごろごろごろごろ――そこそこ、耳の後ろが――って、こほん。まぁつまりだね、ボクが言いたいのはさ。この子にボクの《認識阻害》は効果がないんじゃないかってこと」

「効果がない――なんでだよ?」
「さぁ、それはわからないけど――」

「わからんのかい」
 ずっこける俺だが、

「だって今、大切なのは、理由じゃなくて結果じゃないかな? 少なくとも昨日ボクの力は、この子にはまったく通用しなかった。周囲にはちゃんと効果を発揮していたのにね?」

 そう言って、クロは尻尾の付け根を執拗に撫でるマナカにチラリと目をやると、

「だからね、ここはちゃんとお願いすべきだと思うんだ」
「――」

「大丈夫、この子ならちゃんとお願いすれば、むやみたやらと言いふらしたりはしないんじゃないかな」

 俺はクロの言い分を吟味してみる。
 確かに昨日の身内ネタ的やり取りがあった以上、隠し通すのは無理があるだろう。

 だからさっき俺も、しぶしぶとはいえ認めたわけで。
 ここで中途半端に納得いかないままにしてしまって、結果あれこれ吹聴されるよりは、いっそのことこちら側に引き込んで一種の共犯関係を作っておくってのは、確かにそう悪い手ではない。

 秘密の共有は、信頼関係の醸成に最も効果的な手法の一つだからだ。

 そうと決まれば、善は急げだ。

「えっとだな、その、昨日のことなんだが……」

 とは言ったものの、少し言いよどんでちらっと見やると、一生懸命聞こうとするマナカの姿が目に入った。

 こんなことを人に話すのはもちろん初めてのことで、なかなか踏ん切りがつかなかったんだけど、その姿のおかげで少しだけ気分が楽になる。

 単に可愛いだけでなく、この優しくひたむきな姿こそが、彼女をして学園のアイドルと言わしめているのだろう。

「詳しいことは教えられない。でも悪いことはしていない。ご先祖様に誓って、それは約束する。だから昨日のことは、どうかその胸の内に秘めていてほしいんだ。いきなりで、無理のあるお願いだとは思っているけど――」

「うん、分かった。色々よく分からないけど、鶴木辺つるぎべくんが昨日のことを黙っていてほしいってことだけは分かったから。ちゃんとお願いされたら、断れないよね」

 そう言って、えへへと笑う姿は思わず見とれてしまうほどに可愛くて。
 俺は胸の奥がじーんと不思議な温かさに満たされたような気がしたのだった。

「それと交換条件ってわけじゃないんだけど、わたしからもお願いがあるかも」

「……まぁ俺にできることなら。一方的にお願いをするのはアンフェアだしな」

 フェアトレードの精神は人の世の潤滑剤である。

 それに互いにメリットがある方が、より約束が守られやすくなるのもこの世の摂理であるからして。

「ありがとう! じゃあ一つ目、『お前』じゃなくて名前で読んでほしいかも」
「ふむ、確かに一理ある。っていうか複数あるのかよ」

 やはりこいつはナチュラルに押しが強い、図太い神経をしているぞ……!

「名前はね、大切な人が気持ちを込めて名付けた――ってあれ、そこはすぐに納得なんだ?」

「名前はその個人を最も端的に象徴するものだ。そんな簡単なことでいいのなら異論はないさ」

「えへへ、ありがとう――」
 にっこり笑顔のマナカ。

「じゃあこれからは愛園あいぞのと呼び捨てで呼ばせてもらうぞ」
「マナカだよ!」

「愛園は――」
「マナカだよ!」

「愛ぞ……」
「マナカだよ!」

 正直なところ、女子を下の名前で呼ぶことには少なくない抵抗がある。

 そも、そういうのはもっと仲の進展した男女が互いの気持ちを確認するために行う行為であって、生粋の日本男児たる俺のプライドにかけて、決してそんな軟派な態度をとるわけにはいかないのだ。

「マナカだよ!」

「……マ……マナカ」

「えへへ、なになに、ユウトくん?」

 ……これはマナカの意見を尊重した俺が、いかに寛容であるかという話であって。
 つまり公正なパートナーシップに基づく対等なディールの結果であって、決してマナカの可愛らしい上目使いに負けたわけではない、ないのだ。

 しかもナチュラルに俺も名前で呼ばれていた。

 なんていうか、ちょっとこそばゆい、不思議な気分だった。

 だって人の名前には、本当にたくさんの想いが込められているから――。
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