209 / 440
RESTART──先輩と後輩──
終焉の始まり(その十九)
しおりを挟む
刺激療法────読んで文字の如く、刺激を与えることで治療を試みる方法。そして伝えた当人たる女医のミザリー=エスター曰く、治療法と呼ぶのも烏滸がましい方法。
けれど、この刺激療法の具体的な内容を聞けば、きっと誰しもがそう思うことだろう。そう思わざるを得ないだろう。
何せ刺激を与えるといっても、それは誤魔化した言い方であり。その実態は────負荷をかけるということ。肉体的、或いは精神的のどちらかに。
そして今回の場合は、後者であった。
「確かに、今のラグナ=アルティ=ブレイズは一般的な知識や常識以外の……そうね。これまでの人生で見て触れて、出会って接してきた全ての記憶を失っている。無論、自分のことも含めてね。それはきっと、間違いないはず」
と、今までにない程の真剣な声音でミザリーはそう言って。そこで言葉を区切り、陰鬱としたやるせない表情を浮かべ、彼女が再度その口を開かせ────
「でも、私が考えるに……そうじゃないと、思うわ」
────と、この度し難い現状と今し方述べた己の意見を、ミザリーは真っ向から否定するのだった。
「人間ってのはね、辛い苦しみからそんな簡単には逃げられないの」
依然として浮かべているそのやるせない表情に憐憫の色を混ぜながら、ミザリーが言う。
「例え本人にその覚えがなくとも、そんな自覚がなくたって。きっと心には……そうなった人物の傷痕自体は確かに残っているはずよ」
そして彼女は更にこう続ける。
「見せるのか、それとも聴かせるのか……まあ、最終的にどういうやり方を選ぶのかはそっちにお任せするわ」
そこで具体的な方法をはっきりとは言わず、言葉足らずに留めたのは。恐らく、ミザリーなりの気遣いだったのだろう。或いは、憚られたのか。どちらにせよその真意は、彼女のみぞ知ることである。
「教えたからには当然、私も責任の一端は担うつもり。だからこそ、これだけは言っておくけど」
改まった様子でそう言い、まるで試すような眼差しをこちらに向けながら。
「刺激を与える、なんて取り繕った言い方でしかない。正直なところこれは傷痕を……抉って穿り返すようなもの。とてもじゃないけど褒められた手段ではないし、それであの子の記憶が戻るのか、それとも取り返しのつかないことになるのか……医者として情けない話だけど、それは私にも全くわからないし、予想もできない」
と、ミザリーはそう言うのだった。
「……重々、それだけは留意しておいて頂戴ね」
そして少しの沈黙を挟んでから、彼女はそんな忠告を最後に残した。
「伏せましょう。もうこれ以上、ラグナには負担なんてかけさせたくない。少しでも、絶対に」
そうして、『大翼の不死鳥』にて緘口令が敷かれ。
その日から話題にすることはもちろん、その名を口にすることすらも、固く禁じられるのであった。
「クラハのことも、憶えていないの?」
全てはこの為だった。
『伏せましょう。もうこれ以上、ラグナには負担なんてかけさせたくない。少しでも、絶対に』
そう、何もかも、全てはこの為に。この日この時の、この瞬間の為だけに。その為だけに。
こちらの真意を見透かそうと訝しむロックスと、見透かした上で試そうとしたのだろうグィンの二人に、伏せることを提案し。
『大翼の不死鳥』の面々たる冒険者やクーリネアを始めとする受付嬢たちに対して、話題にすることは当然として口に出すことも、徹底的に禁じ。
GMのグィンを通した上での緘口令を敷き終えた次は、できる限りラグナの傍を離れることなく、共にすることを心がけ。不確定要素の塊である、この街の住人から偶然にも耳にしてしまうということも、未然に防ぎ。
終ぞ最後まで、ラグナが自分から言わなかったことを踏まえて。
そこまでしてようやっと、ミザリー=エスターから刺激療法について教えられたあの日から今日までを経て。
遂に、メルネは口にした。誰よりも気をつけ、誰よりも気をかけ。
そして誰しもを制していた、他ならぬ彼女自ら。
『それであの子の記憶が戻るのか、それとも取り返しのつかないことになるのか……医者として情けない話だけど、それは私にも全くわからないし、予想もできない』
という、ミザリーの案じた言葉を一言一句違わず、如実に覚えている上で。
『……重々、それだけは留意しておいて頂戴ね』
という、ミザリーの忠告を覚えておきながら──────────メルネはラグナの前で、その名前を口にした。
──お願い……。
正直に白状してしまえば、生きた心地がしなかった。どうしようもない不安と恐怖に絶えず駆られ、堪らず顔が引き攣りそうになってしまうのを、必死に抑えて平常を装うことに心血を注ぎながら。
──お願い……!
メルネは待つ。クラハの名前を聞いた、ラグナからの返答を。その名前を聞いてから、呆然とした表情を浮かべ固まるラグナからの言葉を。
──お願い……ッ!
「…………ごめん、なさい。私、やっぱり、何も……」
そうして数秒の沈黙を経てから、呆然としていたその表情を申し訳なさそうに変化させたラグナが、そう言葉を零すのだった。
──……やった……?やった…………!?
途端、メルネの胸中から不安や恐怖が吹き飛び。それにより生じた穴と隙間を埋めるかのように、底知れない歓喜の感情が際限なく噴き出し、彼女の中で狂わんばかりに暴れ回る。先程まで引き攣りそうになっていた顔が、今度は綻び緩みそうになってしまう。
──嗚呼、これで遂に……私はあなたを救える……!やっと、やっと…………ッ!
喉から手が出る程までに激しく欲していたその資格を、こうして今得られたことを実感しながら確かめ、別に気にすることなど何もないと、意気揚々とした言葉をかける為にメルネは再び口を開く────
「本当に……本当に嫌になっちゃいますね。でも、一体どうしてなんでしょう」
────寸前、ラグナが。自己嫌悪に陥りながらも、何故か、何処か不思議そうな声を先に出し。
「その名前、凄く安心します。本当に、不思議……」
続けて、そう言うのだった。
けれど、この刺激療法の具体的な内容を聞けば、きっと誰しもがそう思うことだろう。そう思わざるを得ないだろう。
何せ刺激を与えるといっても、それは誤魔化した言い方であり。その実態は────負荷をかけるということ。肉体的、或いは精神的のどちらかに。
そして今回の場合は、後者であった。
「確かに、今のラグナ=アルティ=ブレイズは一般的な知識や常識以外の……そうね。これまでの人生で見て触れて、出会って接してきた全ての記憶を失っている。無論、自分のことも含めてね。それはきっと、間違いないはず」
と、今までにない程の真剣な声音でミザリーはそう言って。そこで言葉を区切り、陰鬱としたやるせない表情を浮かべ、彼女が再度その口を開かせ────
「でも、私が考えるに……そうじゃないと、思うわ」
────と、この度し難い現状と今し方述べた己の意見を、ミザリーは真っ向から否定するのだった。
「人間ってのはね、辛い苦しみからそんな簡単には逃げられないの」
依然として浮かべているそのやるせない表情に憐憫の色を混ぜながら、ミザリーが言う。
「例え本人にその覚えがなくとも、そんな自覚がなくたって。きっと心には……そうなった人物の傷痕自体は確かに残っているはずよ」
そして彼女は更にこう続ける。
「見せるのか、それとも聴かせるのか……まあ、最終的にどういうやり方を選ぶのかはそっちにお任せするわ」
そこで具体的な方法をはっきりとは言わず、言葉足らずに留めたのは。恐らく、ミザリーなりの気遣いだったのだろう。或いは、憚られたのか。どちらにせよその真意は、彼女のみぞ知ることである。
「教えたからには当然、私も責任の一端は担うつもり。だからこそ、これだけは言っておくけど」
改まった様子でそう言い、まるで試すような眼差しをこちらに向けながら。
「刺激を与える、なんて取り繕った言い方でしかない。正直なところこれは傷痕を……抉って穿り返すようなもの。とてもじゃないけど褒められた手段ではないし、それであの子の記憶が戻るのか、それとも取り返しのつかないことになるのか……医者として情けない話だけど、それは私にも全くわからないし、予想もできない」
と、ミザリーはそう言うのだった。
「……重々、それだけは留意しておいて頂戴ね」
そして少しの沈黙を挟んでから、彼女はそんな忠告を最後に残した。
「伏せましょう。もうこれ以上、ラグナには負担なんてかけさせたくない。少しでも、絶対に」
そうして、『大翼の不死鳥』にて緘口令が敷かれ。
その日から話題にすることはもちろん、その名を口にすることすらも、固く禁じられるのであった。
「クラハのことも、憶えていないの?」
全てはこの為だった。
『伏せましょう。もうこれ以上、ラグナには負担なんてかけさせたくない。少しでも、絶対に』
そう、何もかも、全てはこの為に。この日この時の、この瞬間の為だけに。その為だけに。
こちらの真意を見透かそうと訝しむロックスと、見透かした上で試そうとしたのだろうグィンの二人に、伏せることを提案し。
『大翼の不死鳥』の面々たる冒険者やクーリネアを始めとする受付嬢たちに対して、話題にすることは当然として口に出すことも、徹底的に禁じ。
GMのグィンを通した上での緘口令を敷き終えた次は、できる限りラグナの傍を離れることなく、共にすることを心がけ。不確定要素の塊である、この街の住人から偶然にも耳にしてしまうということも、未然に防ぎ。
終ぞ最後まで、ラグナが自分から言わなかったことを踏まえて。
そこまでしてようやっと、ミザリー=エスターから刺激療法について教えられたあの日から今日までを経て。
遂に、メルネは口にした。誰よりも気をつけ、誰よりも気をかけ。
そして誰しもを制していた、他ならぬ彼女自ら。
『それであの子の記憶が戻るのか、それとも取り返しのつかないことになるのか……医者として情けない話だけど、それは私にも全くわからないし、予想もできない』
という、ミザリーの案じた言葉を一言一句違わず、如実に覚えている上で。
『……重々、それだけは留意しておいて頂戴ね』
という、ミザリーの忠告を覚えておきながら──────────メルネはラグナの前で、その名前を口にした。
──お願い……。
正直に白状してしまえば、生きた心地がしなかった。どうしようもない不安と恐怖に絶えず駆られ、堪らず顔が引き攣りそうになってしまうのを、必死に抑えて平常を装うことに心血を注ぎながら。
──お願い……!
メルネは待つ。クラハの名前を聞いた、ラグナからの返答を。その名前を聞いてから、呆然とした表情を浮かべ固まるラグナからの言葉を。
──お願い……ッ!
「…………ごめん、なさい。私、やっぱり、何も……」
そうして数秒の沈黙を経てから、呆然としていたその表情を申し訳なさそうに変化させたラグナが、そう言葉を零すのだった。
──……やった……?やった…………!?
途端、メルネの胸中から不安や恐怖が吹き飛び。それにより生じた穴と隙間を埋めるかのように、底知れない歓喜の感情が際限なく噴き出し、彼女の中で狂わんばかりに暴れ回る。先程まで引き攣りそうになっていた顔が、今度は綻び緩みそうになってしまう。
──嗚呼、これで遂に……私はあなたを救える……!やっと、やっと…………ッ!
喉から手が出る程までに激しく欲していたその資格を、こうして今得られたことを実感しながら確かめ、別に気にすることなど何もないと、意気揚々とした言葉をかける為にメルネは再び口を開く────
「本当に……本当に嫌になっちゃいますね。でも、一体どうしてなんでしょう」
────寸前、ラグナが。自己嫌悪に陥りながらも、何故か、何処か不思議そうな声を先に出し。
「その名前、凄く安心します。本当に、不思議……」
続けて、そう言うのだった。
0
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
声楽学園日記~女体化魔法少女の僕が劣等生男子の才能を開花させ、成り上がらせたら素敵な旦那様に!~
卯月らいな
ファンタジー
魔法が歌声によって操られる世界で、男性の声は攻撃や祭事、狩猟に、女性の声は補助や回復、農業に用いられる。男女が合唱することで魔法はより強力となるため、魔法学園では入学時にペアを組む風習がある。
この物語は、エリック、エリーゼ、アキラの三人の主人公の群像劇である。
エリーゼは、新聞記者だった父が、議員のスキャンダルを暴く過程で不当に命を落とす。父の死後、エリーゼは母と共に貧困に苦しみ、社会の底辺での生活を余儀なくされる。この経験から彼女は運命を変え、父の死に関わった者への復讐を誓う。だが、直接復讐を果たす力は彼女にはない。そこで、魔法の力を最大限に引き出し、社会の頂点へと上り詰めるため、魔法学園での地位を確立する計画を立てる。
魔法学園にはエリックという才能あふれる生徒がおり、彼は入学から一週間後、同級生エリーゼの禁じられた魔法によって彼女と体が入れ替わる。この予期せぬ出来事をきっかけに、元々女声魔法の英才教育を受けていたエリックは女性として女声の魔法をマスターし、新たな男声パートナー、アキラと共に高みを目指すことを誓う。
アキラは日本から来た異世界転生者で、彼の世界には存在しなかった歌声の魔法に最初は馴染めなかったが、エリックとの多くの試練を経て、隠された音楽の才能を開花させる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる