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RESTART──先輩と後輩──

崩壊(その四十四)

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「久しいな、クライド」

 豪奢絢爛────などということはなく。しかし、見る者が見れば気づくだろう。

 一通り揃えられた家具の数々は貴族に相応しい代物であり。また過剰でも不足でもない程度に飾られている調度品は、そのどれもが確かな気品を持ち合わせている。

 そんな、華美と実用の両方を兼ね備えた、執務室にて。これまた全体に落ち着いた、それでいてそこはかとない高級感を、自然に漂わせている執務机に肘を乗せ。その机に合わせて作られたのだろう椅子に座る、その男は。開口一番、そう言うのだった。

「……お久しぶりです……父上」

 対し、姿勢正しくその場に立ち。その顔をやや強張らせつつも、平常に挨拶を返すクライド。

 父上────そう、クライドが言った通り。今彼の目の前にいる男こそ、シエスタ家十一代目当主。そして他の誰でもない、クライドの父親────カイエル=シエスタ。彼もまたシエスタ当主に相応しい刺突剣レイピア使いの名手であり。質実剛健の、紛うことなき傑物けつぶつである。

 そのカイエルは。息子であるクライドを一瞥し、少しの間を置いてから、再度その口を静かに開かせる。

「お前が家を発ってから二年。見ればわかる……腕を上げたようだな、我が息子よ」

「お褒めに預かり光栄です父上。ええ、僕は……このクライドは日々の鍛錬を怠ることなく研鑽を重ね、実力の向上に邁進しております」

「ふむ。結構」

 クライドとカイエルの会話はとてもではないが、親子のそれとは思えず。まるで身分の差が如実に表れている、他人同士のようにしか聞こえないし、そのようにしか見えない。

 だが何を隠そうこういった会話こそが、二人の会話なのだ。父親カイエル息子クライドの会話に他ならないのである。

 またしても押し黙るカイエル。それに準ずるクライド。そうして二人の間で、とてもではないが親子の間で到底流れ得ないだろう、重苦しい静寂が流れて、しばし。

「時にクライド。覚えているな?このシエスタ家の家言いえごとを。お前が幼い時から家を発つ二年前まで、ずっと聞かせてきたそれを」

 瞬間、堪らずクライドは固唾を呑む。危惧して恐れ慄いていたことが、だがそれはまだ己の憶測であり想像に過ぎないことが。目前にまで迫り、徐々にその距離を詰めているように思えて、仕方なくて。

 しかしそれを半ば無理に無視して、できるだけ平静を装いながらに、クライドは答える。

「『シエスタ家当主たる者、その生涯全て常勝不敗で在れ』……はい。覚えています、父上。この教えを、僕は一時一瞬でも、忘れたことはありません」

 クライドは祈る。どうかこの時不覚にも頬に流してしまった、一筋の汗を気づかれないようにと。

 そして願った。どうか、自分が抱いている不安が、ただの何ということはない杞憂に終わりますようにと────が、クライドは知らない。まだ歳若く経験の少ない彼は、そうであるとは知る由もない。

 願いは脆く砕けやすい、尊く儚いもの。故にだからこそ────





「素晴らしい。ではクライド、お前……これに見覚えはあるか」





 ────叶うことはないということを。

「────」

 その問いかけ────否、確認の言葉と共に。徐にカイエルが懐から取り出した、を目にして。堪らず、クライドは己の心臓が鷲掴みにされたような錯覚を覚える。……いや、本当にただの錯覚であったのなら、どれだけ良かったことか。

 息が詰まる。すぐさま返事をしなければならないと、頭ではわかって、きちんとそう理解しているのに。自らの意に反して、口が思うように開かない。

 ──まずいまずいまずいまずいまずい。

 切羽詰まり、焦燥に捕らわれたクライドを見やり。カイエルは僅かに、クライドに気づかれないように伏せ。しかしすぐさま平常通りに戻して、彼はただ一言、息子へ告げる。

「そうか」

 そう告げるや否や。今頃になってようやっとその口を開かせ、何かしら口走ろうとしたクライドを尻目に。

 カイエルは自らが取り出した魔石に、魔力を走らせる。そうすることによって魔石を自身の意識下に掌握した彼が、魔石に命じる────砕け散れ、と。

 パキンッ──瞬間、魔石全体に細かいひびが生じ。それはたちまち亀裂になったと思いきや、まるで硝子ガラスのような澄んだ音を立てて、砕けるのだった。





「……さて。我が息子、クライドよ」

 役目を終えた【映億追想ヴィジョン】が途端に魔力の粒子となって、溶けるように宙に霧散し消えると同時に。

 もはや無言のまま、その場に固まるしかないでいるクライドに対し、あくまでも毅然として落ち着いた声音でカイエルは呼びかけ。続けて、彼はこう言う。

「先程口にした家言、もう一度言ってみるがいい」

 今し方、滞りなく、淀みなくするりと。口から出ていたその言葉を、しかし今度ばかりはクライドは出せず。そんな彼を一瞥し、カイエルが言う。

、な?」

 その直後、ハッとしたように。声が上擦るのも構わずに、クライドが叫んだ。

「お、お待ちください父上ッ!違います、違うのですよこれはッ!」

 クライド自身、それが最悪手だということは────





『言うことあるか?』

『こ、ころ、殺さ……ないで、くださ……』





 ────あの時、あの時以上に。当然の如く、わかり切っていた。だが、それでも彼はその最悪手ことばを口にしてしまう。

「ぼ、僕は負けてなど……いません!決してッ!クラハに、あんな輩にこの僕が負ける訳ないでしょう!?きっと何か要因カラクリが……そ、そうですッ!卑劣な手段を、卑怯な手を用いたに違いないクラハの奴はッ!!それしかない!でなければ、このクライド=シエスタに勝てる訳、ないッ!!」

「……」

 焦りのあまり、クライドは気づかない。気づけるはずもない。普段であれば、気づいていた────側から見れば特に変化がないかのように思える、カイエルの顔が。徐々に、徐々に険しくなっていることに。

 そしてそれに気づけないが為に、クライドは更に続ける。更に、自分の首を締めていく。

「ああそうだ……でなければ僕に勝てない……勝てる訳がないんだ。卑劣な手でも卑怯な手でも使ってなければ……ただあの時あの一瞬、僕よりも……運に恵まれてなければ……そうです!父う────

 ゴッ──突如、クライドの視界が急激に揺れ動いた。少し遅れて、それは自分の頭自体が揺れ動いたからだとクライドは理解すると共に。彼は右頬に広がる鈍い痛みと、そのすぐ内側で滲み出す血の味を感じるのだった。

 ────…………え……?」

 クライドが気がついた時には、カイエルは既に彼の眼前に立っており。そうして今し方、振り上げたその拳で以て、一発。

 とっくのとうに、他の誰でもない、己が血を分けた息子の頬を殴り終えていたのだった。
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