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RESTART──先輩と後輩──
崩壊(その四十)
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渾身。これまで以上で、これ以上にない程の、渾身。クライド自身、意図せずしてそうなってはしまったが、しかし結果として。この時、今その瞬間に於いて。全身全霊が込められ、乾坤一擲の一撃となったことで更なる飛躍を遂げ、進化を果たした【閃瞬刺突】。
一瞬の遥か先を行き、刹那と全く同じ速さの境地に至ったその技を。もはや躱せる者はほぼ、存在しない。
その上生半な防御は当然として、魔法による防壁でさえも貫通せしめるその一撃は、急所に当てれば立ちどころに絶死の一撃と化し。事実、今この場にいる者全員がこの進化した【閃瞬刺突】と対峙したのなら、誰もが死ぬ定めにその身を置かれたことだろう。
そしてそれは進化した【閃瞬刺突】の餌食となるべく標的にされたクラハも例外ではなく。ただでさえ万全の状態を期したとしても、これを躱せるか防げるかは半々だというのに。今のように床に倒れたまま起き上がれないでいる有様の彼では、もう逃れる術はない。
もはや誰にも止められない、この絶望的状況。それが覆されることはなく、クライドの進化した【閃瞬刺突】が、彼の刺突剣の鋭き切先が。クラハの脳天を突き刺し、彼の脳髄をその頭蓋ごと串刺しにする刹那────よりも前に。
そっと、突き出されたその指先一本によって。クライドがこれからの生涯を費やしてでも、もはや繰り出すことは叶わないだろう、進化した【閃瞬刺突】は。容易く呆気なく、止められた。
人生最大の技を。他に比肩し得るものはないと断言できる、最強の技を。大したこともなくあっさりと、それもただの指先一つで止められるという。剣士であれ拳闘家であれ、武の道を歩む者からすれば。決して、絶対に認めたくはない────否、認められない最悪の中の最悪な、大いにあまり余って酷な現実。
きっと大半の者がそれを受け止められず、全く以て信じることができず。実戦の只中であれば最期まで呆けたまま、命を落とす羽目になるだろう。
或いはそれが一番なのかもしれない。それがその当人にとっての、一番の幸福であり、望むべき最期なのかもしれないが。
しかし、それは大半の有象無象に限った話であり。曲がりなりにも剣聖と謳われ、『閃瞬』の異名を取るクライド=シエスタはそうではない。彼はその現実が受け止められない程の弱者ではないし、信じられない程の愚者でもない。
だがそんなクライドでも、この進化した【閃瞬刺突】が。たかが、指先一つで止められてしまったという事実を呑み込むのには、多少の時間を要し。最終的に一分と数十秒もの間、彼は呆然と目の前の光景を遠くのもののように眺めることしかできないでいた。
──僕の【閃瞬刺突】……刺突剣の切先……指先で止められて……微動だにできない……?
まるでバラバラに散ったパズルを元に戻すように。認識した事実の欠片一つ一つを確かめながら、間違いが生じぬように嵌め直していく、その途中で。
「こいつだ」
不意に、突如としてその声がクライドにかけられて。瞬間、彼の意識は急速に現実へと引き戻された。
「……な、は……?」
そうしてようやく、クライドは目の当たりにする。クラハの脳天を突かんとした刺突剣の切先を、彼を殺す為に放たれた【閃瞬刺突】を。その指先で苦労なく軽々と止めたみせた張本人────『大翼の不死鳥』に所属する、世界最強と謳われる三人の《SS》冒険者の一人、『炎鬼神』ラグナ=アルティ=ブレイズの姿を。
「ぶ、ブレ、ブレイズさん……?どうして、貴方がここに……?」
「ほら、さっさと……あ?何でこの野郎気ぃ失ってやがんだ?……チッ、面倒くせぇな」
予想だにしていなかった人物が、つい先程まで『大翼の不死鳥』の広間には影も形も存在していなかったはずの者が。しかし、こうして今は自分の眼前にいるという、確かな現実に対し。ただひたすら疑問を抱く他になく、情けなく震えてしまうその声でクライドが訊ねるが。
そんな彼の問いに対してラグナは何も答えず、自身の右側を見下ろしながらそう言うのだった。
遅れて、クライドが視線だけをそこにやると────男がいた。白目を剥き、口を半開きにさせて、だらんと舌を伸ばし。涎を垂らして失神している男が。ラグナの右手にその首根っこを掴まれていたのだった。
当然、クライドはその男の名前も、顔も目にした覚えはない。彼にとっては見ず知らずの、全くの赤の他人である。
一体何故、ラグナはこんな男を連れているのか────ただでさえ解せない疑問がますます深まるそのクライドのことなど構わず、唐突にラグナはその男を床へと落とし。今度は男が着ている上半身の服を無造作に引っ掴むと、一切躊躇することなく剥ぎ取った。
布が引き裂かれ、引き千切られる音が悲鳴のように広間に響き渡り。上半身裸となった男にはもはや目もくれず、彼から剥ぎ取った服を乱雑に振るうラグナ。彼の突然の奇行を前に、この場にいる誰しもが固まるその最中。
バララララッ──ラグナが振るっていた男の服から、まるで霰が降る如く、十数個の魔石が落ちてくるのだった。
「……え」
床の上にばら撒かれて転がるその魔石には、さしものクライドも見覚えがある。というより、忘れられる訳がない。
何故ならば、その魔石こそが────
『魔石!魔石だよ!昨日、誰だかわかんねえけど広場でばら撒いてたんだよ!百個二百個、節操なく!こ、これだよッ!』
────今回の事態を引き起こした、発端なのだから。
──な、何だ?何だこれは?一体何が起こってるんだ……?どういうことなんだ……ッ!?
止められた【閃瞬刺突】。ラグナ=アルティ=ブレイズ。知らない男。大量の魔石────次から次へと脳が理解を拒む情報の波に、とうとうクライドの容量が限界に達し、彼の動揺と困惑が極まっていく。
だが、そんなことはラグナの知ったことではなく。淡々と、固まるクライドへ彼が言う。
「この魔石をばら撒いたのはこいつ。街の奴らにも訊いて回ったし、こいつもそうだって自分で認めてたぞ」
そう言うラグナの右手には、いつの間にか件の魔石が握られており。徐に、彼はそれを人差し指と親指の腹で押し潰し、砕く。
砕けた魔石は瞬く間に粉々となって、すぐさま魔力の粒子と化し、それは宙へと舞い上がり────その映像を再生させる。
『僕は彼と同意見さ。悪いけど、そう簡単には認められないな……クラハ=ウインドア君』
と、その映像の中のクライドが、同じく映像の中のクラハに対して告げる────これこそが魔石に封じ込められていた魔法、【映憶追想】。早い話、映像を録画できる魔法の一種である。
そうして再生されたのは、あの日起きた出来事の全て。クライドがクラハに理不尽な理由からによる、一方的な決闘を仕掛け、そして敢えなく【閃瞬刺突】を破られた瞬間。クラハに対し危害を加え、ラグナの逆鱗に触れ、彼の拳が振り下ろされる寸前。声をかけたクラハによって、クライドが事なきを得た顛末。
【映憶追想】はその一部始終の再生を終えると、途端に魔力の残滓となって崩れ、大気に霧散し溶けていく。その傍ら、クライドはやはり固まったままで。そんな彼に対し、ラグナは言葉を続けた。
「せっかくクラハが水に流したってのに、どっかの馬鹿が蒸し返しやがって……胸糞悪りぃ」
と、吐き捨てて。一歩、ラグナはその場から踏み出す。
ジュッ──瞬間、そんな音が。何かが焼けたような音がして、クライドの刺突剣の剣身が。その根本から丸ごと全て、離れて落ちた。
「まあ、俺が言いたいのはさ」
クライドがそれに気づき、驚く間すらなく。彼のすぐ目の前に立ったラグナが、指先に赤光を灯しながら、冷淡とした声音で静かに呟く。
「これに関して、クラハは全く関係ねえってことだ。こんな狡くて悪趣味な真似できる程、あいつの性根は腐ってねえし。てか、そもそもこんなこと、最初からやろうとも考えねえよ」
「…………あ、ぁ……あ」
そうしてようやっと、己の得物の有様に気づいたクライドが。未だ赤熱の輝きを放つ刺突剣の根本と、床に落ちて転がっている剣身を。交互に見つめ、それから彼は、恐る恐る顔を上げ、ラグナの顔を見やる。
ラグナといえば、そんなクライドのことを冷ややかな眼差しで見下ろし────不意に、彼の胸倉を片手で掴み。そして有無を言わさず、まるで赤子でも抱き上げるかのように軽々と、彼を己の頭上よりも高く持ち上げた。
クライドの足が床から離れ、プラプラと何処か間の抜けたように力なく揺れる。しかしそんなことには目もくれず、ただ一言。
「言うことあるか?」
頭上に掲げたクライドを見上げながら、ラグナはそう訊ねるのだった。
それに対してクライドは────何も言うことができず。ただただ、ラグナに無抵抗で持ち上げられていることしかできないでいる。
──ひ、ひ……ひっ。
その身体は恐怖に竦み上がり。その顔は恐怖に歪み切り。その目は恐怖に屈している。だがそれも、無理はない。無理もないし、当然だ。
きっと、誰だって。どんな偉丈夫だろうと、どんな益荒男だろうと。今クライドが見ている存在を見てしまえば、誰であろうと皆等しく、彼と同じようになるはずだ。
ラグナである。クライドを持ち上げているのも、彼の目の前に立っているのも。紛れもない、ラグナ=アルティ=ブレイズである。
それはクライドにもわかっていた。彼とてそれを重々理解していた────が。
その上で、クライドの視界に映り込んでいるのは────────巨大な顎をこれでもかと大きく広げ、上下にズラリと並んだ鋭利な牙を輝かせ、今にでもこちらを喰らわんとしている、一頭の竜種だった。
このままだと喰われて死ぬ。噛み砕かれて飲み込まれて死ぬ。呆気なく死ぬ。簡単に死ぬ。絶対に死ぬ。
死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死死死────それが瞬く間にクライドの脳内を埋め尽くし。彼の胸中の隅々にまで侵蝕した。
カツン──全身が虚脱し、弛緩したクライドの手から滑り落ちた刺突剣が床に叩きつけられる。
「…………ぁ、ぁ」
身体を死に巻かれながら、死に首を締めつけられながら、クライドは引き攣った声を情けなく漏らす。
クライド自身、言うべきことはわかっていた。それを言わなければ、すぐにでも喰い殺されることも理解していた。
「あ、あぁ、こ」
故にそれが違うことも。そして絶対に言ってはならないということも。クライドはわかっていたし、理解していたのだ。
だが、あまりにも圧倒的なその殺意を前に。絶対的で、どうしようもない、確実な死を目前に────
「ころ、ころさ、殺さ、ない、で、くだ、さ……」
────クライドの意に反し、彼の生存欲求がその言葉を引き摺り出してしまった。
「…………」
その言葉────否、命乞いを受けたラグナは、無表情で。怒りに荒れることも、哀れみに凪ぐことも、呆れに放ることも。何も、なく。
そんな虚無めいた無表情を浮かべたまま、ラグナは拳を力を込め。その気配を如実に感じ取ってしまったクライドの顔から、一瞬にして全てが消え去り。
直後──────────
「ラグナ先輩ッ!……待って、ぐ……先輩、待ってください……ッ!」
──────────今の今まで床に伏して沈黙していたクラハが、割って入るかの如く、そう叫ぶのだった。
「僕は平気です……平気、ですから……大丈夫です、から。だからどうか、クライドさんを離してあげてください……お願い、します」
クライドの視界の端に映るクラハは、未だ血が流れる額を手で押さえながら。しかし必死に、懸命になってラグナに訴えかける。
そんなクラハの訴えを。純真な善意からによるその呼びかけを聞いて。
「……」
ラグナは一瞬眉を顰めるも、仕方なさそうに目を閉じ。そして、握り締めたその拳から、ゆっくりと力を抜くのだった。
それと同時にクライドの眼前に広がっていた顎が、ゆっくりと離れ、静かに閉じられ。そして竜種がクライドの前から去っていく────ラグナの殺意が薄れて、消えていく。
そのことに、堪らずクライドは安堵の息を吐く。
──た、助かっ
ゴッ──瞬間、クライドが顔面に感じたのは。ただひたすらに、何処までも重い衝撃だった。
一瞬の遥か先を行き、刹那と全く同じ速さの境地に至ったその技を。もはや躱せる者はほぼ、存在しない。
その上生半な防御は当然として、魔法による防壁でさえも貫通せしめるその一撃は、急所に当てれば立ちどころに絶死の一撃と化し。事実、今この場にいる者全員がこの進化した【閃瞬刺突】と対峙したのなら、誰もが死ぬ定めにその身を置かれたことだろう。
そしてそれは進化した【閃瞬刺突】の餌食となるべく標的にされたクラハも例外ではなく。ただでさえ万全の状態を期したとしても、これを躱せるか防げるかは半々だというのに。今のように床に倒れたまま起き上がれないでいる有様の彼では、もう逃れる術はない。
もはや誰にも止められない、この絶望的状況。それが覆されることはなく、クライドの進化した【閃瞬刺突】が、彼の刺突剣の鋭き切先が。クラハの脳天を突き刺し、彼の脳髄をその頭蓋ごと串刺しにする刹那────よりも前に。
そっと、突き出されたその指先一本によって。クライドがこれからの生涯を費やしてでも、もはや繰り出すことは叶わないだろう、進化した【閃瞬刺突】は。容易く呆気なく、止められた。
人生最大の技を。他に比肩し得るものはないと断言できる、最強の技を。大したこともなくあっさりと、それもただの指先一つで止められるという。剣士であれ拳闘家であれ、武の道を歩む者からすれば。決して、絶対に認めたくはない────否、認められない最悪の中の最悪な、大いにあまり余って酷な現実。
きっと大半の者がそれを受け止められず、全く以て信じることができず。実戦の只中であれば最期まで呆けたまま、命を落とす羽目になるだろう。
或いはそれが一番なのかもしれない。それがその当人にとっての、一番の幸福であり、望むべき最期なのかもしれないが。
しかし、それは大半の有象無象に限った話であり。曲がりなりにも剣聖と謳われ、『閃瞬』の異名を取るクライド=シエスタはそうではない。彼はその現実が受け止められない程の弱者ではないし、信じられない程の愚者でもない。
だがそんなクライドでも、この進化した【閃瞬刺突】が。たかが、指先一つで止められてしまったという事実を呑み込むのには、多少の時間を要し。最終的に一分と数十秒もの間、彼は呆然と目の前の光景を遠くのもののように眺めることしかできないでいた。
──僕の【閃瞬刺突】……刺突剣の切先……指先で止められて……微動だにできない……?
まるでバラバラに散ったパズルを元に戻すように。認識した事実の欠片一つ一つを確かめながら、間違いが生じぬように嵌め直していく、その途中で。
「こいつだ」
不意に、突如としてその声がクライドにかけられて。瞬間、彼の意識は急速に現実へと引き戻された。
「……な、は……?」
そうしてようやく、クライドは目の当たりにする。クラハの脳天を突かんとした刺突剣の切先を、彼を殺す為に放たれた【閃瞬刺突】を。その指先で苦労なく軽々と止めたみせた張本人────『大翼の不死鳥』に所属する、世界最強と謳われる三人の《SS》冒険者の一人、『炎鬼神』ラグナ=アルティ=ブレイズの姿を。
「ぶ、ブレ、ブレイズさん……?どうして、貴方がここに……?」
「ほら、さっさと……あ?何でこの野郎気ぃ失ってやがんだ?……チッ、面倒くせぇな」
予想だにしていなかった人物が、つい先程まで『大翼の不死鳥』の広間には影も形も存在していなかったはずの者が。しかし、こうして今は自分の眼前にいるという、確かな現実に対し。ただひたすら疑問を抱く他になく、情けなく震えてしまうその声でクライドが訊ねるが。
そんな彼の問いに対してラグナは何も答えず、自身の右側を見下ろしながらそう言うのだった。
遅れて、クライドが視線だけをそこにやると────男がいた。白目を剥き、口を半開きにさせて、だらんと舌を伸ばし。涎を垂らして失神している男が。ラグナの右手にその首根っこを掴まれていたのだった。
当然、クライドはその男の名前も、顔も目にした覚えはない。彼にとっては見ず知らずの、全くの赤の他人である。
一体何故、ラグナはこんな男を連れているのか────ただでさえ解せない疑問がますます深まるそのクライドのことなど構わず、唐突にラグナはその男を床へと落とし。今度は男が着ている上半身の服を無造作に引っ掴むと、一切躊躇することなく剥ぎ取った。
布が引き裂かれ、引き千切られる音が悲鳴のように広間に響き渡り。上半身裸となった男にはもはや目もくれず、彼から剥ぎ取った服を乱雑に振るうラグナ。彼の突然の奇行を前に、この場にいる誰しもが固まるその最中。
バララララッ──ラグナが振るっていた男の服から、まるで霰が降る如く、十数個の魔石が落ちてくるのだった。
「……え」
床の上にばら撒かれて転がるその魔石には、さしものクライドも見覚えがある。というより、忘れられる訳がない。
何故ならば、その魔石こそが────
『魔石!魔石だよ!昨日、誰だかわかんねえけど広場でばら撒いてたんだよ!百個二百個、節操なく!こ、これだよッ!』
────今回の事態を引き起こした、発端なのだから。
──な、何だ?何だこれは?一体何が起こってるんだ……?どういうことなんだ……ッ!?
止められた【閃瞬刺突】。ラグナ=アルティ=ブレイズ。知らない男。大量の魔石────次から次へと脳が理解を拒む情報の波に、とうとうクライドの容量が限界に達し、彼の動揺と困惑が極まっていく。
だが、そんなことはラグナの知ったことではなく。淡々と、固まるクライドへ彼が言う。
「この魔石をばら撒いたのはこいつ。街の奴らにも訊いて回ったし、こいつもそうだって自分で認めてたぞ」
そう言うラグナの右手には、いつの間にか件の魔石が握られており。徐に、彼はそれを人差し指と親指の腹で押し潰し、砕く。
砕けた魔石は瞬く間に粉々となって、すぐさま魔力の粒子と化し、それは宙へと舞い上がり────その映像を再生させる。
『僕は彼と同意見さ。悪いけど、そう簡単には認められないな……クラハ=ウインドア君』
と、その映像の中のクライドが、同じく映像の中のクラハに対して告げる────これこそが魔石に封じ込められていた魔法、【映憶追想】。早い話、映像を録画できる魔法の一種である。
そうして再生されたのは、あの日起きた出来事の全て。クライドがクラハに理不尽な理由からによる、一方的な決闘を仕掛け、そして敢えなく【閃瞬刺突】を破られた瞬間。クラハに対し危害を加え、ラグナの逆鱗に触れ、彼の拳が振り下ろされる寸前。声をかけたクラハによって、クライドが事なきを得た顛末。
【映憶追想】はその一部始終の再生を終えると、途端に魔力の残滓となって崩れ、大気に霧散し溶けていく。その傍ら、クライドはやはり固まったままで。そんな彼に対し、ラグナは言葉を続けた。
「せっかくクラハが水に流したってのに、どっかの馬鹿が蒸し返しやがって……胸糞悪りぃ」
と、吐き捨てて。一歩、ラグナはその場から踏み出す。
ジュッ──瞬間、そんな音が。何かが焼けたような音がして、クライドの刺突剣の剣身が。その根本から丸ごと全て、離れて落ちた。
「まあ、俺が言いたいのはさ」
クライドがそれに気づき、驚く間すらなく。彼のすぐ目の前に立ったラグナが、指先に赤光を灯しながら、冷淡とした声音で静かに呟く。
「これに関して、クラハは全く関係ねえってことだ。こんな狡くて悪趣味な真似できる程、あいつの性根は腐ってねえし。てか、そもそもこんなこと、最初からやろうとも考えねえよ」
「…………あ、ぁ……あ」
そうしてようやっと、己の得物の有様に気づいたクライドが。未だ赤熱の輝きを放つ刺突剣の根本と、床に落ちて転がっている剣身を。交互に見つめ、それから彼は、恐る恐る顔を上げ、ラグナの顔を見やる。
ラグナといえば、そんなクライドのことを冷ややかな眼差しで見下ろし────不意に、彼の胸倉を片手で掴み。そして有無を言わさず、まるで赤子でも抱き上げるかのように軽々と、彼を己の頭上よりも高く持ち上げた。
クライドの足が床から離れ、プラプラと何処か間の抜けたように力なく揺れる。しかしそんなことには目もくれず、ただ一言。
「言うことあるか?」
頭上に掲げたクライドを見上げながら、ラグナはそう訊ねるのだった。
それに対してクライドは────何も言うことができず。ただただ、ラグナに無抵抗で持ち上げられていることしかできないでいる。
──ひ、ひ……ひっ。
その身体は恐怖に竦み上がり。その顔は恐怖に歪み切り。その目は恐怖に屈している。だがそれも、無理はない。無理もないし、当然だ。
きっと、誰だって。どんな偉丈夫だろうと、どんな益荒男だろうと。今クライドが見ている存在を見てしまえば、誰であろうと皆等しく、彼と同じようになるはずだ。
ラグナである。クライドを持ち上げているのも、彼の目の前に立っているのも。紛れもない、ラグナ=アルティ=ブレイズである。
それはクライドにもわかっていた。彼とてそれを重々理解していた────が。
その上で、クライドの視界に映り込んでいるのは────────巨大な顎をこれでもかと大きく広げ、上下にズラリと並んだ鋭利な牙を輝かせ、今にでもこちらを喰らわんとしている、一頭の竜種だった。
このままだと喰われて死ぬ。噛み砕かれて飲み込まれて死ぬ。呆気なく死ぬ。簡単に死ぬ。絶対に死ぬ。
死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死死死────それが瞬く間にクライドの脳内を埋め尽くし。彼の胸中の隅々にまで侵蝕した。
カツン──全身が虚脱し、弛緩したクライドの手から滑り落ちた刺突剣が床に叩きつけられる。
「…………ぁ、ぁ」
身体を死に巻かれながら、死に首を締めつけられながら、クライドは引き攣った声を情けなく漏らす。
クライド自身、言うべきことはわかっていた。それを言わなければ、すぐにでも喰い殺されることも理解していた。
「あ、あぁ、こ」
故にそれが違うことも。そして絶対に言ってはならないということも。クライドはわかっていたし、理解していたのだ。
だが、あまりにも圧倒的なその殺意を前に。絶対的で、どうしようもない、確実な死を目前に────
「ころ、ころさ、殺さ、ない、で、くだ、さ……」
────クライドの意に反し、彼の生存欲求がその言葉を引き摺り出してしまった。
「…………」
その言葉────否、命乞いを受けたラグナは、無表情で。怒りに荒れることも、哀れみに凪ぐことも、呆れに放ることも。何も、なく。
そんな虚無めいた無表情を浮かべたまま、ラグナは拳を力を込め。その気配を如実に感じ取ってしまったクライドの顔から、一瞬にして全てが消え去り。
直後──────────
「ラグナ先輩ッ!……待って、ぐ……先輩、待ってください……ッ!」
──────────今の今まで床に伏して沈黙していたクラハが、割って入るかの如く、そう叫ぶのだった。
「僕は平気です……平気、ですから……大丈夫です、から。だからどうか、クライドさんを離してあげてください……お願い、します」
クライドの視界の端に映るクラハは、未だ血が流れる額を手で押さえながら。しかし必死に、懸命になってラグナに訴えかける。
そんなクラハの訴えを。純真な善意からによるその呼びかけを聞いて。
「……」
ラグナは一瞬眉を顰めるも、仕方なさそうに目を閉じ。そして、握り締めたその拳から、ゆっくりと力を抜くのだった。
それと同時にクライドの眼前に広がっていた顎が、ゆっくりと離れ、静かに閉じられ。そして竜種がクライドの前から去っていく────ラグナの殺意が薄れて、消えていく。
そのことに、堪らずクライドは安堵の息を吐く。
──た、助かっ
ゴッ──瞬間、クライドが顔面に感じたのは。ただひたすらに、何処までも重い衝撃だった。
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