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RESTART──先輩と後輩──
崩壊(その六)
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「……じゃあもう勝手にしろ。この馬鹿」
俯かせていたその顔を上げ、弱々しく切なげに震えて濡れた声でラグナはクラハにそう言う。
声と同様に、煌めく紅玉が如きその瞳は濡れて潤んでおり。そして、駄目押しと言わんばかりに大粒の涙が浮かべられていた。
拒絶された悲しみ。決別された淋しさ。その二つがどうしようもない程に入り混じりながら入り乱れ、区別できないまでに掻き回された────そんな、情緒不安定で危うげな表情を。ラグナは今、その顔に浮かべている。
今のラグナは謂わば、其処彼処が罅割れている硝子細工。
不用意に手で触れようものならもちろんのこと、慎重に慎重を重ね、指先でほんのそっと優しく、丁寧に撫でやったとしても。
それだけでその罅は亀裂となって、全体を瞬く間に駆け巡り。その直後粉々に砕け散ったが最後、二度と元に戻ることはなく。そして修復も叶わないことだろう。
ラグナが今浮かべているその表情は、まさにそういった類の表情なのである。
たとえ最大限に細心の注意を、払えるだけ払ったとしても。そのような結末を辿るは必定。その結末から免れることなど、決してできやしない。
そんな表情を浮かべているラグナは、そう言い終えるや否や、クラハから顔を逸らし。
それだけに留まらず、クラハが最初そうしたように。ラグナも彼に対して、その小さな背中を向ける。
それからラグナはゆっくりと歩き出し、一歩ずつ踏み出して。だがしかし、その足取りはやがて。
その間隔を狭め、その歩調を早め、その速度を上げ。
そうしてとうとう、堪え切れなくなったように。弾かれるようにして、ラグナは駆け出した。
それは脇目も振らない疾駆疾走。故に、ラグナはあっという間に『大翼の不死鳥』の執務室や来賓室、受付嬢らが利用する休憩室などに続く、廊下の扉の前にまで辿り着き。
そして躊躇うことなくその扉を開き、ラグナはその先へ進んだ。
直後、即座に閉じられる扉。叩きつけるかのように、些か乱暴に閉ざされたその音は広間に響き渡り。それが今この場にいる全員を、ハッと我に返す。
瞬間、広間の至る場所から怒気が立ち込め、殺気が揺らめく。それはあまりにも濃く強く、常人であれば今すぐにでも。冒険者たちの怒気と殺気が渦巻くこの修羅場から、逃げ出していたことだろう。
「……」
だが、クラハは違う。そんな修羅場の真っ只中に、依然として彼は立っていた。
立ち続け、そして見届けた。ラグナが背を向け、歩き出し、駆け出し。扉を開き、閉めるまで。その一部始終を見届けた。
「…………」
それでも、クラハの無表情が僅かにも崩れることはなかった。
もはや誰もが信じて疑わないだろう。今のクラハに、もう人の心はないということを。人の心を、人としての情を彼は失った────否、手放したのだということを。
でなければ、そうでもなければ。こんな残酷に、あんなにも無惨に。ラグナを傷つけ、泣かせることなど。
到底、できることではない。人の心も情も手放した、怪物でもない限り。
二十数名を超す、老若に分かれた『大翼の不死鳥』の冒険者たちは。皆一丸になって、怪物へと成り下がったクラハに遠慮容赦なしの、躊躇いのない敵意をぶつける。
……そう、敵意。敵意だ。今や、クラハ=ウインドアは彼ら彼女らにとっての。仲間を害した、排除すべき敵となった────そうなってしまった。それ以上でも、それ以下でも、ましてやそれ以外でもない。
だが、こうまでなっても。やはりクラハは、無表情のままで。感情が欠落したままで。
そこら中、至るところから敵意を注がれ、浴びながら。それでもクラハは平気だと言わんばかりの、平然とした様子で。その全てを何の感慨もなく、一身に受け止めていた。
そんな態度が、周囲を自ずと悟らせる────やらねば、と。
まさにそれは嵐前の、嫌な静けさで。それはものの数秒と保たず、あっという間に破られ、裂かれ。そうして始まるのは、血を血で洗うような──────────
「お前ら全員動くなぁあああッッッ!!!」
──────────しかし、それを阻止するかのように。突如としてロックスが一喝するのだった。
立ち込めていた怒気も、揺らめいていた殺気も。途端に薄まり、次第に失せていく。それはロックスに誰もが気圧されたことの、何よりの証明だった。
「メルネの姐さん。ラグナのこと、お願いします」
「……ええ。わかってるわ」
という、ただでさえ短い会話をすぐに終わらせて。ロックスは椅子から立ち上がり、メルネは踵を返す。
目指す先こそ違うものの、そうして二人は全く同時にその場から歩き出した。
言われた通り、誰もが動けずその場で固まるしかないでいる最中。そうした張本人であるロックスはさして気にする様子もなく、未だその場に佇むクラハの元へ歩いていく。
「クラハ。お前が何と言おうが、どんなに嫌がろうが。俺はお前の依頼に同行させてもらう」
歩きながら、ロックスはクラハにそう言い。そして数秒とかからずに、彼のすぐ目の前へと立つ。
「……」
こうしてロックスはクラハの前に立った訳だが。それでも彼が口を開くことはなく、ただ黙ったままで。ロックスもまた、彼と同じように黙ったままに、彼を見つめる。
そうして数秒を経た、その直後。不意に、ロックスが腕を振り上げ。そして────
「まあなんだ」
────クラハの肩に、手を乗せた。そうするや否や、ロックスは彼を肩を掴み、自分の方へと引き寄せ。彼の耳元に顔を近づけ、告げる。
「ぶっちゃけ今のお前なんかが。どっかで野垂れ死のうがどうなろうが、俺は知らんし構わん。どうだっていい。……なあ、クラハよ」
一段と声を低くして、ロックスがクラハに訊ねる。
「どうして、こんな奴になっちまったんだ」
その問いかけに対しても、クラハが何かを答えることはなかった。
俯かせていたその顔を上げ、弱々しく切なげに震えて濡れた声でラグナはクラハにそう言う。
声と同様に、煌めく紅玉が如きその瞳は濡れて潤んでおり。そして、駄目押しと言わんばかりに大粒の涙が浮かべられていた。
拒絶された悲しみ。決別された淋しさ。その二つがどうしようもない程に入り混じりながら入り乱れ、区別できないまでに掻き回された────そんな、情緒不安定で危うげな表情を。ラグナは今、その顔に浮かべている。
今のラグナは謂わば、其処彼処が罅割れている硝子細工。
不用意に手で触れようものならもちろんのこと、慎重に慎重を重ね、指先でほんのそっと優しく、丁寧に撫でやったとしても。
それだけでその罅は亀裂となって、全体を瞬く間に駆け巡り。その直後粉々に砕け散ったが最後、二度と元に戻ることはなく。そして修復も叶わないことだろう。
ラグナが今浮かべているその表情は、まさにそういった類の表情なのである。
たとえ最大限に細心の注意を、払えるだけ払ったとしても。そのような結末を辿るは必定。その結末から免れることなど、決してできやしない。
そんな表情を浮かべているラグナは、そう言い終えるや否や、クラハから顔を逸らし。
それだけに留まらず、クラハが最初そうしたように。ラグナも彼に対して、その小さな背中を向ける。
それからラグナはゆっくりと歩き出し、一歩ずつ踏み出して。だがしかし、その足取りはやがて。
その間隔を狭め、その歩調を早め、その速度を上げ。
そうしてとうとう、堪え切れなくなったように。弾かれるようにして、ラグナは駆け出した。
それは脇目も振らない疾駆疾走。故に、ラグナはあっという間に『大翼の不死鳥』の執務室や来賓室、受付嬢らが利用する休憩室などに続く、廊下の扉の前にまで辿り着き。
そして躊躇うことなくその扉を開き、ラグナはその先へ進んだ。
直後、即座に閉じられる扉。叩きつけるかのように、些か乱暴に閉ざされたその音は広間に響き渡り。それが今この場にいる全員を、ハッと我に返す。
瞬間、広間の至る場所から怒気が立ち込め、殺気が揺らめく。それはあまりにも濃く強く、常人であれば今すぐにでも。冒険者たちの怒気と殺気が渦巻くこの修羅場から、逃げ出していたことだろう。
「……」
だが、クラハは違う。そんな修羅場の真っ只中に、依然として彼は立っていた。
立ち続け、そして見届けた。ラグナが背を向け、歩き出し、駆け出し。扉を開き、閉めるまで。その一部始終を見届けた。
「…………」
それでも、クラハの無表情が僅かにも崩れることはなかった。
もはや誰もが信じて疑わないだろう。今のクラハに、もう人の心はないということを。人の心を、人としての情を彼は失った────否、手放したのだということを。
でなければ、そうでもなければ。こんな残酷に、あんなにも無惨に。ラグナを傷つけ、泣かせることなど。
到底、できることではない。人の心も情も手放した、怪物でもない限り。
二十数名を超す、老若に分かれた『大翼の不死鳥』の冒険者たちは。皆一丸になって、怪物へと成り下がったクラハに遠慮容赦なしの、躊躇いのない敵意をぶつける。
……そう、敵意。敵意だ。今や、クラハ=ウインドアは彼ら彼女らにとっての。仲間を害した、排除すべき敵となった────そうなってしまった。それ以上でも、それ以下でも、ましてやそれ以外でもない。
だが、こうまでなっても。やはりクラハは、無表情のままで。感情が欠落したままで。
そこら中、至るところから敵意を注がれ、浴びながら。それでもクラハは平気だと言わんばかりの、平然とした様子で。その全てを何の感慨もなく、一身に受け止めていた。
そんな態度が、周囲を自ずと悟らせる────やらねば、と。
まさにそれは嵐前の、嫌な静けさで。それはものの数秒と保たず、あっという間に破られ、裂かれ。そうして始まるのは、血を血で洗うような──────────
「お前ら全員動くなぁあああッッッ!!!」
──────────しかし、それを阻止するかのように。突如としてロックスが一喝するのだった。
立ち込めていた怒気も、揺らめいていた殺気も。途端に薄まり、次第に失せていく。それはロックスに誰もが気圧されたことの、何よりの証明だった。
「メルネの姐さん。ラグナのこと、お願いします」
「……ええ。わかってるわ」
という、ただでさえ短い会話をすぐに終わらせて。ロックスは椅子から立ち上がり、メルネは踵を返す。
目指す先こそ違うものの、そうして二人は全く同時にその場から歩き出した。
言われた通り、誰もが動けずその場で固まるしかないでいる最中。そうした張本人であるロックスはさして気にする様子もなく、未だその場に佇むクラハの元へ歩いていく。
「クラハ。お前が何と言おうが、どんなに嫌がろうが。俺はお前の依頼に同行させてもらう」
歩きながら、ロックスはクラハにそう言い。そして数秒とかからずに、彼のすぐ目の前へと立つ。
「……」
こうしてロックスはクラハの前に立った訳だが。それでも彼が口を開くことはなく、ただ黙ったままで。ロックスもまた、彼と同じように黙ったままに、彼を見つめる。
そうして数秒を経た、その直後。不意に、ロックスが腕を振り上げ。そして────
「まあなんだ」
────クラハの肩に、手を乗せた。そうするや否や、ロックスは彼を肩を掴み、自分の方へと引き寄せ。彼の耳元に顔を近づけ、告げる。
「ぶっちゃけ今のお前なんかが。どっかで野垂れ死のうがどうなろうが、俺は知らんし構わん。どうだっていい。……なあ、クラハよ」
一段と声を低くして、ロックスがクラハに訊ねる。
「どうして、こんな奴になっちまったんだ」
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