上 下
112 / 444
RESTART──先輩と後輩──

向こうに立っていた者

しおりを挟む
 現時刻、ようやっと空は白んだが肝心の太陽は未だ昇り切らずにいる朝。

 集まった冒険者ランカーたちで賑わい、騒がしくなる『大翼の不死鳥フェニシオン』の広間ホールも流石にこの時間帯では静まり返っており。静寂が広がり包むその最中、ラグナはただ独りその場に佇んでいた。

 ラグナ自身、誰もいないこの広間を目の当たりにするのは初めてのことで。普段であれば誰かしら一人は立っている受付台カウンターも、今はもぬけの殻である。

 そんながらんどうな空間を、ラグナはメルネを待っている間、こうして呆然と遠目から眺めていた。

 ──メルネ、まだかな……。

 時間にしてたったの数分。けれど手持ち無沙汰な今のラグナにとってそのたったの数分ですら長いように感じられて、実にもどかしい。

 メルネの到来を待ち望みながら、心の中でそう呟くラグナ。その時、ふと唐突に────



『おはようラグナ。今日はこんな依頼クエストがあるんだけど、どう?』



 ────そんな光景が、ラグナの脳裏に浮かび上がった。

 そう言って、相対するこちらに一枚の依頼書を見せるメルネ。想起される光景はまだ他にもあって、それは些細な日常会話から請け負った依頼の報告など。とにかく、様々なものが色々あった。

「……」

 メルネに待っていてくれと頼まれ、言われたその通りに広間で独り、特に何をするでなく無言で静かに待っているだけのラグナが。今、ようやっとその場から動き出す。

 恐らくきっと、それはただの気紛れだった。別にそうしたいという目的も、そうしなければという意思も。そんな高尚なものなどはない。ないままに、ラグナは歩く。

 慌てることなく、急ぐことなく。ゆっくりと、静かに。見つめるその先を目指して。

 良く言うなら落ち着いた、しかし悪く言えば遅い足取りで。けれどラグナがその場所に辿り着くのに、数分とかからなかった。

「…………」

 何も呟かず、微かな一声を発することもなく。つい先程までは遠目から眺めるだけだったその場所を────この冒険者組合ギルドの受付台を。今度はすぐ目の前にまで近づいて、ラグナは少しの間、黙ったまま見下ろして。ふとそれから、だらんと重力に任せて垂れさせていた腕を、軽く振り上げた。

 視界に映した受付台へ、ラグナがゆっくりと振り上げた腕を振り下ろす。まるでその感触を確かめるように、まずは手で触れ、次にラグナはぺたんと受付台に突かせていたその手を離す。が、指先までは離さない。

 ツツ──常日頃から布で拭かれ、磨かれそうして清潔に保たれている受付台を。割れ物でも扱うかのように丁寧に、慎重に指先でなぞりながら。再び、ラグナは動き出す。

 結論を先に述べてしまうと、ラグナは受付台から離れた訳ではない。ラグナが移動したのは────受付台の

 内側。受付台の内側そこに立つのは基本────組合の受付嬢ら。特に用もない限り、冒険者ランカーが立つことは決してない。冒険者が立つべき場所は、受付台の外側なのだから。

 そしてそれはラグナにも言えること。そう、《SS》冒険者の『炎鬼神』ラグナ=アルティ=ブレイズが。受付台の内側に立つことなど、金輪際あり得ない。

 けれど、現に今。そのあり得ない事態が確かな現実の最中に起こっている。

 あのラグナ=アルティ=ブレイズが内側に立っている。冒険者としてではなく、受付嬢として。

 言うまでもなく、ラグナが受付台の内側に立ったのはこれが初めてのことで。またそこから眺める景色も、初めて目にするもので。

 別に内装が変わった訳ではない。置いてあるテーブルや椅子が変わった訳でもない。ただ眺める立ち位置を変えただけ────だと言うのに。

「……こんな感じ、なんだな」

 言葉では表せない、妙な新鮮味をラグナは味わっていた。

 今日これからやる仕事に関して、ラグナはまだメルネから詳しく説明されていない。とはいえ、見習いの新人受付嬢がやることなど、掃除に給仕に書類等の整理。それと各々の冒険者組合へ発行された依頼クエストの把握、管理が関の山だろう。

 だがそれは最初の時だけで──そもそもどの程度の期間まで受付嬢として働くのか、ラグナはまだ特に決めていないが──仕事に手慣れ始めたら、自ずと次の段階へと進むだろう。

 そう、次の段階────受付台カウンターでの仕事へ。

 ラグナが知るそれは、主に依頼の確認や受理、その完了報告。それくらいことだ。冒険者ランカーのラグナが知っている、受付台に立つ受付嬢の仕事はその程度だ。

 ……だが、それはあくまでも。それだけでないことも、ラグナは承知していた。

 時には熟練ベテラン冒険者との他愛のない世間話。時には新米ルーキー冒険者との相談事。

 そしていざ依頼へ出向く為に発つ冒険者たちの背中を見送り、組合に帰って来た彼らを笑顔で以て出迎える────そんな、冒険者たちとのコミュニケーション。

 言ってしまえば受付嬢の仕事には入らないが、しかし受付嬢が果たすべきどの仕事よりも重大で、そして確と為すべき重要な『役目』であるということを。冒険者であるとて、ラグナも重々承知していたのだ。何より、実際にその目で見てきた。

 そして見習いの新人とはいえ受付嬢となったラグナもまた、同じようにその役目を為さなければならない。

 一応は先輩に当たるあの三人の受付嬢がそうしてきたように。ずっと昔から、今の今までそうし続けてきたメルネのように。

「俺も同じように……あんな、風に」

 小さくそう呟いて、ラグナは腕を振り上げる。振り上げ、その手を己の胸にやった。

『気をつけてね、ラグナ。あんまり無茶はしちゃ駄目よ?』

 胸に手を押し当てながら、ラグナは自分にかけられたメルネの言葉を思い出す。そして、その続きも。



『それじゃあ、いってらっしゃい』



 際限なく溢れ出して止まらない、数々の記憶。かつての日々の思い出。その時その時は取り留めのない、ほんの些細な日常の一部にしか過ぎなかったというのに。

 今になって────いや、こうして受付台の内側に立って。冒険者としてではなく、受付嬢として立って。執拗にも頭の奥底の隅から次々と掘り起こされる。目に痛い程、鮮明になって。

 疑問だった。どうして今更と、何故今になってこんな昔のことをと。

 何度も何度も、繰り返し繰り返し。馬鹿の一つ覚えのように思い出してしまうのだろう。その理由が────自分でもわからなかった。

 わからず戸惑い、ただひたすらに当惑する最中。答えを見出すこともできないままに、ラグナは胸に押し当てていたその手を、そっと離した。

「何で俺は、こんな……」

 そう呟いたその声も、自分でもはっきりと手に取るようにわかる程、不安げに揺れていて。それが自分でも情けなくて、恥ずかしかった。

 その疑問に対して答えを見つけられず、どうすることもできないラグナは、胸から離し所在なげにしていたその手を。何をする訳でもなくただ宙へと翳し、そして追い縋るかのように。

 見つめる視線の先────『大翼の不死鳥フェニシオン』の大扉へ向かって、呆然と伸ばす────────その時だった。



 ギイィィ──厳かに固く閉ざされていたその大扉が、軋んだ音を立てながらゆっくりと開かれた。



「っ!」

 大扉が開かれたことに対し、ラグナは大いに動揺してしまい、その肩を小さく跳ねさせる。

 未だ太陽が昇り切らないでいるこの早朝に、『大翼の不死鳥』に来る冒険者はそうはいない。GMギルドマスターであるグィン=アルドナテである可能性も否めなくはないが、彼は基本裏口から入るのだ。

 ──だだだ、誰だ?てか俺まだ心の準備ってやつがぁぁぁぁ……っ!?

 隠れようにも、動揺している身体は上手く動かず。ラグナは数秒の間、その場で硬直し突っ立ってしまう。そしてその僅かな数秒の間でも、大扉を開き切るのには充分過ぎる間であった。

 完全に開かれた大扉。その向こうに立っていた者の姿を、いざ視界に捉えたラグナは────────





「…………え」





 ────────目を見開き、呆気に取られたその声を漏らさずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

D○ZNとY○UTUBEとウ○イレでしかサッカーを知らない俺が女子エルフ代表の監督に就任した訳だが

米俵猫太朗
ファンタジー
ただのサッカーマニアである青年ショーキチはひょんな事から異世界へ転移してしまう。 その世界では女性だけが行うサッカーに似た球技「サッカードウ」が普及しており、折りしもエルフ女子がミノタウロス女子に蹂躙されようとしているところであった。 更衣室に乱入してしまった縁からエルフ女子代表を率いる事になった青年は、秘策「Tバック」と「トップレス」戦術を授け戦いに挑む。 果たしてエルフチームはミノタウロスチームに打ち勝ち、敗者に課される謎の儀式「センシャ」を回避できるのか!? この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

補助魔法しか使えない魔法使い、自らに補助魔法をかけて物理で戦い抜く

burazu
ファンタジー
冒険者に憧れる魔法使いのニラダは補助魔法しか使えず、どこのパーティーからも加入を断られていた、しかたなくソロ活動をしている中、モンスターとの戦いで自らに補助魔法をかける事でとんでもない力を発揮する。 最低限の身の守りの為に鍛えていた肉体が補助魔法によりとんでもなくなることを知ったニラダは剣、槍、弓を身につけ戦いの幅を広げる事を試みる。 更に攻撃魔法しか使えない天然魔法少女や、治癒魔法しか使えないヒーラー、更には対盗賊専門の盗賊と力を合わせてパーティーを組んでいき、前衛を一手に引き受ける。 「みんなは俺が守る、俺のこの力でこのパーティーを誰もが認める最強パーティーにしてみせる」 様々なクエストを乗り越え、彼らに待ち受けているものとは? ※この作品は小説家になろう、エブリスタ、カクヨム、ノベルアッププラスでも公開しています。

処理中です...