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RESTART──先輩と後輩──
殺意に飢える(その一)
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夢を見る。そう、それは夢だ。これはきっと、夢なのだ。そうやって、自分に言い聞かせることにした。
不意に鼻腔を擽った青臭さに、周囲を見渡せば。自分はいつの間にか木々に取り囲まれていて。その景色が、ここは森の中であると如実に知らしめる。
不思議と、気分が落ち着く場所だった。何故か、心がみるみる安らいでいくのがはっきりとわかった。
果たして、この森は一体何なのか。自分はこの森のことを知っているのか────そう考えた直後、ある風景が脳裏を駆け抜けた。
『お前、名前は?』
そう、木にもたれかかりながら。その人は訊いてきた。まるで燃え盛る炎をそのまま流し入れたような、紅蓮の赤髪の人。何処か凶暴で粗野ながら、しかし一瞬女性かと見紛う程の美丈夫の人。
ああ、そうだ。そうだった。自分はこの人と出会った場所は森の中だった。何の変哲も特徴もない、至って普通の森の中で。自分とこの人は出会ったのだ。
いずれは恩人となる人。いずれは世界最強と謳われる人。いずれは────先輩となる人。その人と自分の、謂わば始まりの場所。
そして、今こうして立つこの森こそ────その森なのだ。それを理解した瞬間、突如自分の腕が重くなった。
一体どうしたのかと頭で考えるよりも先に。反射的に自分の視線が眼下へと向かい。そして、視界はその光景を鮮明に映し出す。
自分の腕は、人を抱き抱えていた。まるで燃え盛る炎をそのまま流し入れたかのような、紅蓮の赤髪と。可憐にして美麗、その狭間を彷徨う整った顔立ちをした、絶世の美少女。その身体を、今自分は抱き抱えていたのだ。
まるで眠っているように、その少女は瞳を閉ざしており。しかし、微かな寝息の一つすら彼女は立てていない。見てみれば色素の薄い、潤んだ赤い唇は真一文字に結ばれていて。ぱっと見、冗談抜きに。そのあまりにも精巧で、浮世離れした美貌も相まって。この少女が作り物の、製作者の理想がこれでもかと詰め込まれた人形なのではないかと。そんな突拍子もない錯覚を思わず覚えてしまう。
だがしかし、やはりそれはただのしがない錯覚だったと、即座に思い直すことになる。何故ならば、少女の身体には温もりがあった。冷たい人形が持ち得ない、冷たい人形には決して宿せない、人間としての生命の温もりが。今、自分の腕に抱き抱えられているこの少女には、確かに存在していたのだ。
この少女は誰なのだろう。自分はどうしてこの少女を抱き抱えているのだろう────そういった疑問に駆られ、その答えを求めた、その直後のことだった。
スッ、と。今の今まで、何処までも静謐な雰囲気を漂わせながら閉ざされていた、少女の瞳が。ゆっくりと、まるでこちらのことを焦らすかのように、緩やかに開かれた。
堪らず、息を呑んでしまう。瞼の奥に隠し秘められていた、その瞳を目の当たりにして。深い紅色の其処に、呆気に取られている自分の顔が映り込む。
言い訳などしない。その時自分は、完全に、完璧に。完膚なきまでに、見惚れてしまっていた。燃ゆる紅蓮の如き髪と煌めく紅玉の如き瞳を持つ、赤い赤いこの少女に。
果たして、この少女は一体何者なのだろうか。自分と関わりはあるのだろうか。自分とは知り合いなのだろうか。もし、そうだとしたのなら。
少女と自分はどんな関係なのか────そんな疑問が頭の中を駆け回り、ただひたすら巡り続けていた。
まだ覚めたばかりの、何処か気怠げなその瞳で。こちらのことを真っ直ぐに見据えながら。一瞬にも満たず、刹那よりも少しだけ短い静寂を挟んでから。唐突に、この腕に大人しく抱かれている少女が。
一体何を考え、そして何を思った故の行動だったのか。少女はその細く華奢な腕をゆっくりと、徐々に振り上げ。見るからに繊細なその手を、こちらの顔に近づけて。しなやかなその指先を、こちらの頬に触れさせて。
まるで慈しむかのように這わせ、撫でて、なぞり。やがて、真一文字を結んでいた、薄紅の唇が。また焦らすような鈍さで、僅かばかりに開いた。
「……して」
消え入りそうな、しかしそれでも。小鳥の囀りを彷彿とさせる、愛らしい声音だった。聴く者全ての鼓膜を心地良く震わす、美しい声音だった。
依然消え入りそうで、それこそ今すぐにでも儚く散ってしまいそうな程に小さく、弱々しく揺れるその声で。少女は、言葉を紡ぐ。
「どうして……」
遅れて、それが自分に対しての問いかけなのだと気がついた。少女は今、自分に問うているのだと、理解した。だが、一体何のことなのか。一体何を問うているのかまでは、わからなくて。
堪らず、自分も。先程までの少女と同じく閉ざしていた口を開く────────その直前。
「どうして、俺を殺したんだ?……クラハ」
そう、はっきりと確かに。少女は口にした。
ズブ──瞬間、手に伝わる異様な感触。まるで粘土のような、柔らかいが妙に硬くもある物体に、何かを突き刺すような手応え。
「…………え……?」
それが自分の────僕の。クラハ=ウインドアの声であるということに気がつくのには、少しの時間を有した。一瞬にして真っ白に染め尽くされ、塗り潰された所為で。何もかもを考えられなくなった頭の中で。しかし、目だけは律儀にも動いて。
ゆっくりと、ゆぅっくりと。思わず苛立ちを覚えられずにはいられない程の遅さで、無意識の内に動かされる視界。そうしてようやく、真っ白だった僕の頭の中に、ある一つの言葉が浮かび上がった。
──止めろ。
その言葉はこの上ない焦燥に塗れていた。頭の中で警鐘が凄まじい勢いで鳴っていた。
──見たくない。それを見ちゃ、いけない……!
決定的な予感だった。致命的な確信だった。もし、それを目にすれば。それを視界に映してしまえば────僕の中で、壊れてはいけない何かが、壊れて。そして、永遠に失われてしまう。
だというのに、僕の目は。僕の視界は動いて、動き続けて────────遂に、とうとうそれを僕は。
「……そん、な……」
見てしまった。映してしまった。僕の手が──────────一本のナイフの柄を握り締め、その刃を少女の胸に突き立てていた。
不意に鼻腔を擽った青臭さに、周囲を見渡せば。自分はいつの間にか木々に取り囲まれていて。その景色が、ここは森の中であると如実に知らしめる。
不思議と、気分が落ち着く場所だった。何故か、心がみるみる安らいでいくのがはっきりとわかった。
果たして、この森は一体何なのか。自分はこの森のことを知っているのか────そう考えた直後、ある風景が脳裏を駆け抜けた。
『お前、名前は?』
そう、木にもたれかかりながら。その人は訊いてきた。まるで燃え盛る炎をそのまま流し入れたような、紅蓮の赤髪の人。何処か凶暴で粗野ながら、しかし一瞬女性かと見紛う程の美丈夫の人。
ああ、そうだ。そうだった。自分はこの人と出会った場所は森の中だった。何の変哲も特徴もない、至って普通の森の中で。自分とこの人は出会ったのだ。
いずれは恩人となる人。いずれは世界最強と謳われる人。いずれは────先輩となる人。その人と自分の、謂わば始まりの場所。
そして、今こうして立つこの森こそ────その森なのだ。それを理解した瞬間、突如自分の腕が重くなった。
一体どうしたのかと頭で考えるよりも先に。反射的に自分の視線が眼下へと向かい。そして、視界はその光景を鮮明に映し出す。
自分の腕は、人を抱き抱えていた。まるで燃え盛る炎をそのまま流し入れたかのような、紅蓮の赤髪と。可憐にして美麗、その狭間を彷徨う整った顔立ちをした、絶世の美少女。その身体を、今自分は抱き抱えていたのだ。
まるで眠っているように、その少女は瞳を閉ざしており。しかし、微かな寝息の一つすら彼女は立てていない。見てみれば色素の薄い、潤んだ赤い唇は真一文字に結ばれていて。ぱっと見、冗談抜きに。そのあまりにも精巧で、浮世離れした美貌も相まって。この少女が作り物の、製作者の理想がこれでもかと詰め込まれた人形なのではないかと。そんな突拍子もない錯覚を思わず覚えてしまう。
だがしかし、やはりそれはただのしがない錯覚だったと、即座に思い直すことになる。何故ならば、少女の身体には温もりがあった。冷たい人形が持ち得ない、冷たい人形には決して宿せない、人間としての生命の温もりが。今、自分の腕に抱き抱えられているこの少女には、確かに存在していたのだ。
この少女は誰なのだろう。自分はどうしてこの少女を抱き抱えているのだろう────そういった疑問に駆られ、その答えを求めた、その直後のことだった。
スッ、と。今の今まで、何処までも静謐な雰囲気を漂わせながら閉ざされていた、少女の瞳が。ゆっくりと、まるでこちらのことを焦らすかのように、緩やかに開かれた。
堪らず、息を呑んでしまう。瞼の奥に隠し秘められていた、その瞳を目の当たりにして。深い紅色の其処に、呆気に取られている自分の顔が映り込む。
言い訳などしない。その時自分は、完全に、完璧に。完膚なきまでに、見惚れてしまっていた。燃ゆる紅蓮の如き髪と煌めく紅玉の如き瞳を持つ、赤い赤いこの少女に。
果たして、この少女は一体何者なのだろうか。自分と関わりはあるのだろうか。自分とは知り合いなのだろうか。もし、そうだとしたのなら。
少女と自分はどんな関係なのか────そんな疑問が頭の中を駆け回り、ただひたすら巡り続けていた。
まだ覚めたばかりの、何処か気怠げなその瞳で。こちらのことを真っ直ぐに見据えながら。一瞬にも満たず、刹那よりも少しだけ短い静寂を挟んでから。唐突に、この腕に大人しく抱かれている少女が。
一体何を考え、そして何を思った故の行動だったのか。少女はその細く華奢な腕をゆっくりと、徐々に振り上げ。見るからに繊細なその手を、こちらの顔に近づけて。しなやかなその指先を、こちらの頬に触れさせて。
まるで慈しむかのように這わせ、撫でて、なぞり。やがて、真一文字を結んでいた、薄紅の唇が。また焦らすような鈍さで、僅かばかりに開いた。
「……して」
消え入りそうな、しかしそれでも。小鳥の囀りを彷彿とさせる、愛らしい声音だった。聴く者全ての鼓膜を心地良く震わす、美しい声音だった。
依然消え入りそうで、それこそ今すぐにでも儚く散ってしまいそうな程に小さく、弱々しく揺れるその声で。少女は、言葉を紡ぐ。
「どうして……」
遅れて、それが自分に対しての問いかけなのだと気がついた。少女は今、自分に問うているのだと、理解した。だが、一体何のことなのか。一体何を問うているのかまでは、わからなくて。
堪らず、自分も。先程までの少女と同じく閉ざしていた口を開く────────その直前。
「どうして、俺を殺したんだ?……クラハ」
そう、はっきりと確かに。少女は口にした。
ズブ──瞬間、手に伝わる異様な感触。まるで粘土のような、柔らかいが妙に硬くもある物体に、何かを突き刺すような手応え。
「…………え……?」
それが自分の────僕の。クラハ=ウインドアの声であるということに気がつくのには、少しの時間を有した。一瞬にして真っ白に染め尽くされ、塗り潰された所為で。何もかもを考えられなくなった頭の中で。しかし、目だけは律儀にも動いて。
ゆっくりと、ゆぅっくりと。思わず苛立ちを覚えられずにはいられない程の遅さで、無意識の内に動かされる視界。そうしてようやく、真っ白だった僕の頭の中に、ある一つの言葉が浮かび上がった。
──止めろ。
その言葉はこの上ない焦燥に塗れていた。頭の中で警鐘が凄まじい勢いで鳴っていた。
──見たくない。それを見ちゃ、いけない……!
決定的な予感だった。致命的な確信だった。もし、それを目にすれば。それを視界に映してしまえば────僕の中で、壊れてはいけない何かが、壊れて。そして、永遠に失われてしまう。
だというのに、僕の目は。僕の視界は動いて、動き続けて────────遂に、とうとうそれを僕は。
「……そん、な……」
見てしまった。映してしまった。僕の手が──────────一本のナイフの柄を握り締め、その刃を少女の胸に突き立てていた。
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