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RESTART──先輩と後輩──

狂源追想(その二十二)

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「ライザー……自分の右肩を、見てみなさい」

「右肩?俺の右肩がどうし……」

 そんなメルネの言葉を煩わしく思いはしながらも、彼女の言葉に従い、俺は素直にも視線を己の右肩へと移し、見やる。

 すると俺の視界に飛び込んだのは、綺麗な真一文字に裂かれた服の袖と、そしてその隙間から覗く────鮮烈な赤色であった。

 その景色を目の当たりにした俺は、頭から冷や水をぶち撒けられたかのような衝撃と驚愕に見舞われ、そしてそれらによって動揺と混乱が併発される。上手く回らず働かない思考の中で、俺は信じられない面持ちで呟く。

 ──い,一体これは……いつの間に、俺はいつの間に斬られていた?俺は、自分が斬られたことに気づかなかった……気づけなかった……ッ!?

 という、取り留めのない言葉を頭の中にばら撒きながら。俺はただただ、混乱し困惑し、そして戸惑う他になかった。

 傷自体はそう大したことはない。出血はしているが、そもそも傷口が浅いのですぐに止まることだろう。……だが、問題はそこではない。

 纏まらない思考の最中、しかし不思議な程確かに、はっきりと。それだけが、浮かび上がってくる。



『得物の使用は自由。決着は先に相手に一撃を入れるか、降参するか。このくらいで十分だろう』



 その、己の言葉だけが、脳裏にて正確過ぎる程までに浮かび上がってくる。

「……そんな、馬鹿な」

 ……そう、この決闘の勝敗を分けるのは、降参か────先に一撃を入れるか。言うまでもなくクラハ=ウインドアに手傷の類はなく、対して俺は現にこうして右肩から血を流している。その傷口から目を離せず、この状況を受け止めようとしている俺を後押しするように────否、止めを刺すかのように。

「この決闘はもう終わったの、ライザー。……貴方は、負けたのよ」

 そう、メルネが言った。

「…………俺が、負けた……?」

 自らそう呟いた瞬間。上手く纏まらないでいた俺の思考は、弾け飛び、一気に瓦解する。右肩の傷から流れる血が腕を伝い、手を濡らし、そして指先から滴り落ちていく。そんな感覚だけが、やたらはっきりとしていた。

 数滴の血が床に落ち、点々とした赤い模様を描くその最中。俺は剣の柄を握ったまま、呆然自失にその場で立ち尽くすことしかできないでいる。そんな俺に、まるで────いや、最初からこうなることがわかっていたように。俺にとって最悪の一言に尽きるこの結末を予期していたかのように。さも当然だというように、その人が言う。

「だから言ったろ、クラハには敵わねえって。……これでもう、クラハを認めるしかねえよな?」

 その人は────ラグナ=アルティ=ブレイズさんは俺のことを眺めながら、ぶっきらぼうに言う。俺を見るその眼差しは、まるで駄々を捏ね癇癪を起こしていた子供を見ているような、何処か呆れているようなものであった。

 彼にそう言われて、俺は呆然と心の中で呟く。

 ──認め、る……?あんな奴が、俺よりも優れていると……?あんな奴が、俺よりもブレイズさんの隣に立つのに相応しい、と……?

 そう呟きながら、俺は振り返る。これまでのことを、今に至るまでのことを。

 始まりは齢一桁の子供ガキの頃から。それを夢にして、目標にして、そして憧れにして。俺は今日まで生きてきた。生まれてから何もかもが決めつけられていた、無価値な人生を少しでも価値のあるものに変えようと、生き続けた。

 ……だが、それを今こうして。完膚なきまでに、否定された。

 ──こんな、はずじゃ……ッ。

 それをそうと理解し、認識したその瞬間────俺の中で何か、表現し難い何かが、生まれて膨らんで、そして広がっていた。

 ──こんなことで、あと一歩の手が届くというところで俺は俺の今までを否定されなくちゃならないのか……?馬鹿な、そんなのあまりにも馬鹿げている……!

 その思いは強まる程、濃くなる程に色を変える。ドス黒く、変色していく。やがてそれは俺の視界にも影響を与え始め、急激に狭まり、薄暗くなってゆく。

 しかし、何故かそれと反比例するように強烈に、鮮明に。その背中だけは、この事態を招いた元凶の背中は映り出していく。加減知らずに限度もなく激しさを増し、不規則に乱れ始める動悸を感じながら。俺は小さく、掠れた声で呟く。

「俺、は……俺は……っ」

 呟きながら、剣の柄を握る手に、徐々に力を込め始める。

「……ライザー?」

 そんな俺の様子を不審に思ったのか、メルネがそう声をかけながらゆっくりと、こちらに近づいてくる。……けれど、彼女が近くにまで歩み寄る、その前に。

「俺はぁあああぁぁああああッ!」

 突如として心の奥底から込み上げた、抑えようがなく、そして抗えない激烈の衝動に背を押され。俺はそう叫ぶや否や、その場から駆け出していた。

「ライザーッ!?」

 驚き声を上げながらも、俺を止めようとしたメルネの制止を振り切り、また彼女に続こうと慌てて一斉に動き出した周囲の冒険者ランカーたちよりも、俺はずっと早く。

「うああああっ!おぉぁぁあぁああああッ!!」

 こちらの叫び声に驚いたのか、咄嗟にこちらを振り返ったクラハ=ウインドアとの間合いを詰め。そして俺は固く柄を握り締めたまま、剣を振り上げ。反射的に鞘から剣を再度抜こうとしているクラハ=ウインドアへ、何の躊躇いもなく、一切の遠慮容赦なく剣を振り下ろす────────





「おい」





 ────────が、振り下ろされんとしていた俺の剣は、ブレイズさんによって止められた。

「……ぁ、ぁ」

 剣を止められた俺は、そんな言葉にもならない呻き声を呆然と漏らすことしかできず。対し、刹那よりもずっと素早くクラハ=ウインドアの前に出て、俺の剣を止めてみせたブレイズさんは。剣身を掴んだままその体勢のまま、底冷えしそうになる程低い声音で、静かに言う。

「そろそろいい加減にしておけよ、お前……こっちはただでさえ仲間を無能呼ばわりされて、メルネも馬鹿にされて……さっきからずっと腹ァ立ってムカついてんだよ、わかってんのか……?」

 ブレイズさんがそう言う最中で、剣身が彼に掴まれている部分を始めとして、徐々に赤みを帯びていく。遅れて、俺の鼻先を仄かな熱気が擽った。

「しかも負けたってのに、クラハに襲いかかりやがって。往生際がわりぃにも、限度ってもんがあんだろうが。なあ」

 何も言えず、何の身動きも取れずにいる俺のことを。その真紅の瞳で真っ直ぐに見据えながら。一段と声音を低くさせて、ブレイズさんは続けた。



「焼くぞ、お前」



 ゴウッ──ブレイズさんがそう言った瞬間、俺の剣を掴む彼の手から、その髪と瞳と全く同じ色をした炎が噴いた。

 その赤い炎は一瞬にして剣身を飲み込み、貪る。それは時間にしてほんの僅かな、恐らく刹那よりも短い瞬間。しかし、すぐ目の前で赤光を放ち、輝き煌めいて燃ゆるその炎が────俺には、何処までも綺麗で、何処までも美しいものに思えた。

 やがて満足でもしたように、炎の勢いは一気に弱まり。結果見えるようになった俺の剣は、柄から先はブレイズさんの炎によって喰らい尽くされ、先程まで健在であったはずの剣身は影も形もなく、すっかり消え失せてしまっていた。

 それを目の当たりにして、言葉を失い絶句する他ないでいる俺を尻目に。ブレイズさんは燃ゆる炎と一体化し、赤熱している手を乱雑に、軽く振るう。

 宙に赤い尾を引いて、一瞬。ブレイズさんの五指の先に宿っていた炎は一際強く輝き、その煌めきを周囲に放ったかと思えば、火の粉を残して儚く霧散した。

「……」

 炎を消し終えたブレイズさんは、俺を一瞥する。その時浮かべていた表情と眼差しを目の当たりにして────瞬間、俺は目を見開いた。

 ──…………ぁ。

 唐突に。突如として、俺は思い出したのだ。思い出してしまったのだ。

 それは初めて目にした姿。初めて見知った、写真の中の姿。そして今、それと全く同じ姿で。ブレイズさんは、俺の目の前に立っていた。

 ……だが、ブレイズさんは何も言わなかった。何も言わずに、その口を閉ざしたまま、憐憫の表情と侮蔑の眼差しを。ただ、俺に向けるだけだった。

 それは十数秒の間だったかもしれないし、もしくは数分の間だったのかもしれない。ただ言えることは、気がつけばブレイズさんはその踵を返し、俺の目の前から歩き出していて。

 対する俺は、徐々に遠去かるその背中を。柄を握り立ち尽くしたまま、黙って眺めることしかできなかった。

 何故ならば、思い出すと同時に────────

 ──……なんて、ことを。俺、は……なんてことを、してしまったんだ。

 そう、俺はようやっと。こんな、手の施しようがないところにまで至って、気づかされた。もはや贖うことすらも許されない程の過ちを、自分は今日。よりにもよって夢と、目標と、そして憧れとしていた人の目の前で、犯してしまったのだと。

 激しい後悔と絶望に挟まれ押し潰されながら、俺は心の中で慟哭を響かせる。

 ──俺はぁぁぁぁ……ッ!

 頭の中で幾重にも、巻き戻されては繰り返される先程までの行い。人生の全てを投げ打ってでも手に入れたかった夢が、目標が、そして憧れが。とっくのとうに誰かの手に渡っていたという現実を受け止められず、その現実を否定する為に。その現実を拒絶する為に────違う、ただその現実から逃げ出したかった。ただ、その為だけに自分は。

大翼の不死鳥フェニシオン』の皆を。そしてメルネ────メルネ=クリスタさんですらも、謗り蔑み嘲った。それはもう、何をどうしようが、決して赦されることのない過ち。贖うこともできない程の、俺の罪。

 それら全てをブレイズさんに気づかされた俺は、ただひたすら後悔に嘆き、懺悔を叫ぶことしかできない。心の中で情けなく、みっともなく、どうしようもなく。

 だが当然、そんな俺に対してブレイズさんが関心を向けるはずなどなく。彼はうんざりとした、鬱屈の声音で言う。

「おいクラハ。もう行くぞ。GMギルマスにお前のこと紹介したかったけど……そんな気分じゃなくなっちまった。それにどうせ、GMもいないだろうし」

「……え?あ、いや……はい。わかり、ました」

 そうして周囲を置き去りにしながら、ブレイズさんはクラハ=ウインドアに言って。対するクラハ=ウインドアもまた、呆然としながらも慌てて返事をする。

 ……そして、俺はそんな二人の会話をただ聞くことしかできないでいた。

 ──こんな、はずじゃ、なかった。こんなはずじゃなかったんだ。

 と、心の中で呟いた直後。俺の全身から力が抜け落ち、今の今まで握り締めていた柄が、手から滑り落ちる。それに続くようにして、俺もまた床に崩れ落ちた。

 もう、何も考えれなかった。何も考えたくなかった。辛かった。全てが、何もかもが酷かった。

 覆しようのない諦観と、どうしようもない喪失感だけが。今の俺を満たし、埋める。

 ──……ああ、でも。やっぱり駄目だ。駄目なんだ。

 だがそんな状態に陥ってもなお、この期に及んでなおも────俺は認められないでいる。クラハ=ウインドアのことを、許容できないでいる。

 当然だ。だって、その場所に二人分などない。その人の隣に立つことを許されているのは、ただの一人だけ。それを俺は今も、求めて止まないでしまっている。もはやそれを手に入れる資格は失せたにも関わらず。

 だからこそ、俺はクラハ=ウインドアを認める訳にはいかない。たとえ否定することに意味がなくとも、たとえ拒絶することに意義がなくとも。俺は奴を────────絶対に認めない。





「……認め、ねえ。俺は認めねえ……認めねぇえええええッ!」

 俺の視界から、徐々に遠去かるその背中へ。己に対するありったけの嫌悪と失望、憎悪と怨恨を込めながら、俺は叫ぶ。

「俺は認めねえ!こんな、こんなの俺は絶対に認めねえぞッ!!」

 血を垂れ流し、唾を飛ばしながら。無様極まりなく、俺は喚き立てる。

「覚えとけ……覚えとけよ!いつか必ず、俺がお前をぶちのめしてやるッ!」

 立ち止まったクラハ=ウインドアが、俺の方を振り返る。その表情は驚きと、怯えが混じっていた。

「この借りは返す……絶対に、絶対にだッ!!」

 だが構うことなく俺は続ける。叫び続け、そして。





「わかったな!?──────クラハァッ!!!」





 喉を破り裂くつもりで、俺はその名を吐き捨てた。
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