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RESTART──先輩と後輩──

狂源追想(その十六)

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『夜明けの陽』と別れ、あれから俺はヴィブロ平原からオールティアへと戻っていた。一年前と何も変わらない街の風景を流し見ながら、俺は帰路を急ぐ。

 そうして俺はこのオールティアに数多く立ち並ぶ店の内の一つの前に辿り着く。その店を見やって、僅かに気を滅入らせた。

 ──怒ってるかなぁ……。

 若干躊躇いつつも、俺は店の扉に手をかけ、ゆっくりと開かせる。来客を知らせるベルの音が甲高く響いた。

「た、ただいま……?」

 と、恐る恐る俺が零すようにそう言った直後。店の奥の方からドタドタと慌しい物音がして、それはすぐさま足音になって。

「遅い!遅いのですよ!」

 そう言いながら、現れたのは一人の女性。俺と同じくまだ二十代前半の、白金色の髪と瞳が目を惹く女性だった。女性はおっとりとしたその表情に、僅かばかりの怒りを滲ませて。俺に詰め寄るや否や、その顔に含まれる同質の声で訴える。

「一週間後には帰ると、そう二週間前に言っていましたよね!?」

「……そう、ですね」

「じゃあ何か弁明はあるので!?」

「…………」

 そう訊かれた俺は何も言わず、頬に一筋の汗を伝わせつつ、ただ無言で手に持つ紙袋をそっと彼女の目の前へ差し出す。セトニ大陸で一番の人気を誇る洋菓子店スイーツショップのロゴマークが入った、この紙袋を。

 それを見た彼女は目を丸くさせて、それから────一気に表情に滲み出ていた怒りの度合いが、増した。

 ──あ、これは……。

 その劇的な変化を目の当たりにした俺は、本能的に悟る。自分は恐らく、選択肢を誤ってしまったのだと。そしてそれを自覚した瞬間であった。

「……もしかして、私のことを物で上手く丸め込めるような女性だと、貴方は思っていたのですか……?」

 そう言う彼女は、満面の笑みを浮かべていた。……だが、俺にはわかる。わかってしまう。その笑顔の裏にあるのは、こちらの想像をいとも容易く絶する、激情が渦巻いているのだと。それがわかるからこそ、俺は酷く狼狽しながらも慌てて口を開いた。

「ち、違う!そんなこと断じて思ってない!これは、その、俺なりの誠意の証というか、何というか!ちゃ、ちゃんと言葉にして謝るつもりではあったから!それはどうか信じてほしい!」

 ……我ながら、聞いていて説得力に欠ける言葉の数々。だがそれは本当のことで。俺の本当の気持ちで。そこに嘘偽りなど、ある訳もなくて。

 そしてそれは、目の前の女性にだけは伝えたかった。

「……はあ。全く、貴方という人は仕方がないのですよ……そんな仕方のない人に対して甘い私も私なのですが」

 少しの沈黙を挟んでから、嘆息を交えながらも女性はそう言った。透かさず、俺は言葉を紡ぐ。

「すまない!二週間も待たせて、君を一人にして……本当にすまない……」

 という、情けない俺の謝罪の言葉に対して。女性は────シャーロットは依然の笑顔のまま。しかし既に怒りの失せたその笑顔のままで、言葉を返してくれた。

「はい。私は大丈夫なのですよ。おかえりなさい、ライザー様」





 シャーロットは薬師を生業とし、この店で自作の治癒薬ポーションなどの薬を売って生計を立てている。そしてこの店は彼女の自宅の役割も兼ねていた。

 店の奥は居住空間スペースとなっており、お世辞にも広いとは言えなかったが、それでも中々に快適に過ごせている。

「やっぱりシャロの料理は美味しいな。二週間ぶりともなると、それもなおさらだ」

「ありがとうございます。そう褒められると、私も作った甲斐があるのですよ」

「ああ。君の料理が食べられるってだけでも、日々を過ごす活力が湧いてくる。……本当に感謝しているよ、シャロ」

「……も、もう。そこまで言われると、流石にちょっと照れてしまうのですよ」

 という会話を交えて、俺とシャロは笑い合う。いつの日からか、こうして彼女と過ごす時間が俺の心を癒し、かけがえのない瞬間となっていた。

 ──それにしても、シャロとここまでの関係になるとは、とてもじゃないが一年前には考えられなかったな……。

 そう心の中で呟きながら、俺はシャロを見つめる。彼女は空になった皿や用済みとなったスプーンなどの食器類を片付け始めており、また甲斐甲斐しいことに俺の分まで片付けてくれているのだが……その姿を眺めていると、胸の奥底から込み上げるものがあって、気がつくと俺は椅子から立ち上がっていた。

「?ライザー様……?」

 突然立ち上がった俺に、その手を止めてシャロが不思議そうに声をかけてくる。しかし、俺がその声に返事をすることはなく。ゆっくりと彼女の元にまで歩み寄り、そして背後へと回って。

 ギュッ──その華奢な身体を、抱き締めた。小さな悲鳴をシャロは上げたが、俺を拒絶することはなく。その反応に深い感謝を抱きながら、俺は彼女の柔らかな感触を味わう。味わいながら、隠す髪を鼻先で押し退け、首のうなじを鼻先でなぞる。その刺激に堪らずシャロは、ビクンと僅かに身体を震わせた。

「シャロ」

 衣服越しに、自分の身体をシャロの身体に密着させて。そして彼女の耳元にそっと口を寄せて、俺は懇願を囁きかける。

「その、せめて風呂を済ませてからとは、思ってたんだが……君のことを見ていたら、ちょっと、我慢が……」

「…………」

 駄目だとは、自分でもわかっていた。しかし、二週間という期間は想像していた以上に堪えるもので、どうにもならなかった。

 自らの浅ましい劣情を抑えることもろくにできない、そんな堪え性がなく何処までも情けない男に対して。シャロは何も言わず、ただ無言のまま。沈黙を保ったまま、俺にその顔を振り向かせて────その柔い薄桃色の唇を、俺の口にそっと押し当ててきた。

 数秒だったか、それとも数分だったか。とにかく、俺とシャロは互いの唇を触れ合わせ、重ねていた。そして先にその唇を押し当てたのがシャロならば、また先に離れたのも彼女だった。

「……本当に、仕方がない人なのですよ」

 と、微笑みながらシャロは言って。しかし直後俺から顔を逸らして、消え入りそうな声で続ける。

「で、でも、その……ここでは恥ずかしい、ので。せめて、寝室に……」

「…………」

「……え、あの、ライザー様……?」

 その健気でいじらしい態度を目の当たりにした俺は、そんなシャロの不安そうな声に何も返事することはなく。黙ったまま、彼女の身体を抱き抱えた。



















 時刻はもう既に深夜を回っていた。俺は全裸のまま、寝台ベッドに腰かけながら、窓から星が瞬く夜空を何を思うでもなく、ただ見上げていた。

 深夜の静寂が満ちる最中、耳を澄ますと。聞こえてくるのは、すぐ隣のシャロの穏やかな寝息だけで。俺の欲望を文字通り受け止め体力を使い切った彼女は、このまま日が昇り、空が明るくなるまで目覚めことはないだろう。

 ──……二週間ぶり、溜まっていたとはいえ。加減、できてなかったな……。

 今思い返すと、シャロに対して遠慮も気遣いもできなかった自分に腹が立ち、嫌気が差す。しかし、彼女はそんな余裕のない俺相手でも、一度たりとも拒否することはなく、一瞬たりとも拒絶しなかった。

「……ごめん。ありがとう、シャロ」

 と、届かない言葉を呟きながら。俺はシャロの頭をそっと、割れ物を扱うかのように慎重に、優しく撫で上げる。彼女の白金色の髪は柔らかで、非常に手触りが心地良かった。

 ……シャロとだって、一年前には考えられなかった。けれど、いつの間にかこうなってしまっていた。俺とシャロの仲は深い、ずっと深い親密なものへと発展していた。

 先に手を出したのは、俺だ。その日のことは、忘れようにも忘れられない。……いや、忘れてはいけないのだ。それが俺の背負うべき責任なのだから。

大翼の不死鳥フェニシオン』の冒険者ランカーとなってからの一年。思い返してみれば長いようで、しかし殊の外短く、あっという間の一年だった。

 依頼クエストに交流。自分で言うのもなんだが、この一年で俺の名が少しばかり知られるくらいの数の依頼は達成したし、生真面目な後輩もできた。……だが、しかし。未だに俺は夢を叶えることも、目標を達することも、憧れに追いつくこともできないでいた。

世界最強の《SS》冒険者ランカーにして、『炎鬼神』の通り名で畏れ敬われる存在モノ、ラグナ=アルティ=ブレイズ。彼がその行方を晦ましてから、三年。依然としてその足跡すらも、俺は見つけられないでいる。

──ブレイズさん……あなたは今、一体どこに……。

 無論、何も情報を掴めなかった訳じゃない。それらしい人物を見かけたという情報はいくつかあって、それを手に入れる度に俺は出向き──────踊らされた。

 ──結局のところ、今回もガセだった。

 ……しかし、一度だけ。その一年の中でたったの一度だけ、唯一と言っても過言ではない、ブレイズさんの痕跡にあと少しというところまで辿り着いたこともあった。……その代償に、危うく死にかけたが。

 思い出すと、今でも鮮明に蘇る。すぐ背後にまで忍び寄られた、冷酷で無慈悲極まりないあの死の感覚が。その時俺は知ってしまった。人間はいつでも容易く死ねる、それ程までにか弱く無力な生物なのだと。

 それを理解し、悟った瞬間────己の奥底から噴き出し溢れ出すものがあって。それに背を押されるようにして、俺は生き残ることができた。生き残ることができて、この街に戻って来れた。またシャロの元に、帰ることができたのだ。

 その時、俺は知ることができた。自分の中にいつの間にかあった、シャロへの想いを。

「…………」

 しかし、俺は知る由もなかった。何処までも薄情で残酷極まりない、どうしようもない程に度し難く、そして救い難い運命が。すぐそこにまで、着実に差し迫っていたことを。
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