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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────エピローグ(その三)

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「『天魔王』フィーリア=レリウ=クロミアに対する処分取り消しと、彼女への私刑執行だ」

『世界冒険者組合』本部、GDMオルテシア=ヴィムヘクシスの私室。この日今、『理遠悠神事変』の首謀者たる『天魔王』フィーリア=レリウ=クロミア改め『理遠悠神』アルカディアに対する処分がオルテシアから直々に言い渡され、そしてそれを彼女が受け入れようとした寸前、この場にいる全員が予期せぬ人物────『理遠悠神事変』解決の立役者である《SS》冒険者、『極剣聖』サクラ=アザミヤがこの私室に乗り込んで来たのだ。

 困惑する場の空気などまるで気にせず、サクラは『世界冒険者組合』からの謝礼を返上し、オルテシアにそれに代わる報酬を要求した。そして彼女が求めた報酬が、それだったのだ。

 サクラの言葉が私室に響き渡り、瞬間この場を静寂が包んだ。フィーリアが硬直し、ルミナが目を丸くさせる。そしてオルテシアといえば────怪訝そうに、胡乱げな眼差しを彼女に送っていた。

 机に膝を突き、手を組み顎に乗せたまま、オルテシアがゆっくりと口を開く。

「処分取り消しと、私刑……執行だと?」

「ああ。ちゃんと聞こえていたようで安心したよ」

 と、こちらのことを揶揄うように、そんな軽口を叩くかのような声音で平然と言うサクラ。彼女の態度に、オルテシアはスッと目を細めた。

 ──一体何を考えている……何を企んでいる?

『天魔王』への処分取り消しまでは想定の範疇だったが、私刑──これはオルテシアの予想外である。正直に言えばそのどちらとも却下したかったが……それは許されない。それをサクラが許すはずもない。

 肌に絡み纏わりつく、底冷えする殺気に当てられながらも、オルテシアは冷静に思考を巡らす。

 ──ルミナすら欺くこの殺気……断ろうものなら、何をされるかわかったものではないな。

 護衛として側に置いているルミナは、サクラの殺気に全く気づくことなく、先程からいまいち状況に追いつけていないせいか、オロオロとした様子で視線を泳がせている。……一体何の為の護衛なのかとオルテシアは思ったが、まあそれも無理はないかとすぐに嘆息する。

 この殺気は普通ではない。無数の死線を渡り超えてきた者だけが放つ、独特の殺気。いくら実力があっても、まだそういった経験が浅いルミナでは感じ取れないのも仕方ないことなのだ。

 ──……どの道、こちらに選択肢はないか。ならば……。

 現実時間にして一秒未満。刹那の瞬間にも満たぬ間にそこまでの思考を巡らしたオルテシアは、結論を出す。こちらを見据えるサクラを負けじと彼女も見据え返しながら、言った。

「『極剣聖』サクラ=アザミヤ。お前の要求……お前が欲するその報酬、くれてやろうじゃないか。GDMの名において『天魔王』の処分を取り消し、そして彼女への私刑執行を認めよう」

 数秒の沈黙を挟んで。仏頂面を貫くオルテシアに対してサクラはどんな女であろうと一発で落としかねない、そんな魔性的な微笑みを浮かべて、心の底からそう思っていると主張するかのような声音で、彼女が言う。

「こちらの要求受け入れ感謝する。ではありがたく、遠慮なく報酬を頂戴するとしよう」

 そしてサクラはゆっくりと、すぐ隣のフィーリアの方に身体を向ける。フィーリアといえば──最初こそその顔を俯かせていたが、やがて上げられた顔に浮かんでいたのは、今にも消え入りそうな程に儚い笑顔であった。

「やっぱり、私って駄目ですね。許されないのに期待しちゃって。そんな訳がないのに、そう思っちゃって」

 そんなフィーリアに対してサクラは申し訳なさそうな、やるせない表情を浮かべた。そして、ただ一言を彼女にかけた。

「すまない」

 サクラのその声音も、浮かべる表情と同様に僅かに、暗く沈んでいた。対してフィーリアは口を開こうとして、しかし彼女は噤んでしまう。数秒の沈黙の後、今度こそゆっくりとその口を開いた。

「お願い、しますね」

 サクラにも劣らない、そんな短いたった一言。だがそれだけでも、わかることがあった。伝えられることがあった。

 ──良いのかな。こんな終わり方で……こんな結末で。

 サクラに言葉を告げた後、フィーリアは心中にて想いを溢す。独白を綴る。

 ──私が背負ったこの罪が赦されることは、絶対にない。それ相応の報いを受ける義務が、私にはある。……あるはずなのに。

 この世の何からも切り離された虚無に放り込まれて、閉じ込められて。いつ訪れるかもわからない脅威を討つ為に道具同然に駆り出されて、そして最後には全くの見ず知らずの人間の手によって終わる。

 滅びの『厄災』──こんな化け物な自分であるが、一体何の皮肉なのか身体の構造自体は見た目通り人間と然程違いはない。違いはないが、やはり根本的な部分ではそうではないと知った。前に一ヶ月近くの絶食を試み、水も一滴すら飲まなかったが、それでも自分は死ななかった。死ねなかった。欠片程の変化もなかった。

 自分は人間──否、生物にとっては必要不可欠な飲食、栄養の摂取が不要なのだ。

 だからとて、流石にこの首を落とされれば死に至るだろう。心臓を貫かれれば死ねるだろう。……そんな確信が、自分にはある。

 世界を滅ぼそうとした化け物には、これが相応しい結末。相応の末路だ。今さらそれを否定するつもりも、拒絶するつもりもない。

 ──なのに……サクラさんの手で、終わっても良いのかな。

 そんな訳はない────そんな問答を繰り返している内に、気がつけばサクラがこちらにその手を伸ばしていた。

 細く、華奢。だがか弱いという印象は全く抱かせないサクラの指先が、フィーリアの顎に触れる。そう、フィーリアが認識した瞬間であった。

 気がつけばサクラの顔が鼻先にあった。互いの僅かな吐息すら混じり合うまでの至近距離だった。彼女の黒曜石が如き漆黒の瞳に己の顔が映り込んでいた。

 そして。





 唇に、柔く暖かな感触が重なっていた。





 ──…………え。

 フィーリアは、ただただ呆然するしかないでいた。

 一瞬にして再び私室内の空気が一変する。無音という無音に、ただルミナの息を呑む音だけが静かに、生々しく響く。

 そんな状況の最中、この空気を作り出した張本人たるサクラは数秒そのままでいたかと思うと、ゆっくりとフィーリアの唇に重ねていた己の唇を離し、そして彼女自身からも少しだけ距離を取ったのだった。

 その後、サクラは平然と。口元を手で隠し驚愕に目を見開かせているルミナと、固い表情を浮かべるオルテシアの二人に向かって告げる。

「これで『天魔王』フィーリア=レリウ=クロミアへの私刑は執行された。これ以上、彼女に罰を与えることはこの私──『極剣聖』サクラ=アザミヤが許しはしない」

 それは、誰であろうと一瞬耳を疑う内容の発言で、そして宣言であった。

 それを平気な顔で宣ったサクラの隣で、未だ呆然としているフィーリアが、今し方までサクラの唇と触れていた己の唇に指を這わせる。

 ──…………。

 まるで自分だけ時間が止まっているかのような感覚の中で、フィーリアは呆然と先程の光景を振り返る。

 サクラに顎を軽く掴まれ、ほんの少し顔を引き寄せられて、気がつけば彼女と唇を重ねていた。恋仲の男女の如く、互いの唇を重ね合わせていた。

 ──……唇、重ね……。

 唇を重ねる。その行為にはちゃんとした、大切な意味が込められていることくらい、フィーリアとてそれくらいは把握している。だがまさかそれを当の自分がすることも────ましてやこんな突然に、突拍子に奪われるなど思いもしなかった。

 口づけ。接吻。キス。そんな単語が唐突に浮かび上がり、フィーリアの頭の中をグルグルと身勝手にも回り出す。

 そうしてようやく、そこで初めて、フィーリアはふと確かに理解したのだ。

 ──ああ、そっか。私、サクラさんとキスしたんだ。

 その事実を理解し、受け入れたその瞬間。唇に指先を這わせたまま、フィーリアの表情が燃えるように赤く染め上げられた。

「ちょなぁっ?!」

 続けてそんな珍妙な叫びを上げたフィーリアに、またもサクラが手を伸ばす。しかし今度は彼女が認識するよりも素早く、音もなく。

 刹那にしてサクラの指がフィーリアの頸辺りを撫で、瞬間彼女の身体が傾き、倒れかけたが、その寸前にサクラが優しく抱きとめた。

「……『極剣聖』」

 そのままフィーリアの身体を抱き抱えるサクラに、オルテシアが声をかける。だがその声音は低く、その表情も険しい────誰がどう見ても、今彼女が怒りに溢れているのは明白であった。

 そしてその怒りのままに、彼女は続ける。

「やってくれたな。これは……いや貴様、一体どういうつもりだ?何が狙いでこんな茶番を?」

「……」

 オルテシアの問いかけに対して、サクラは何も答えなかった。感情を露出させたオルテシアとは対照的に、先程まで浮かべていた表情の全てが嘘だったかのような無表情を彼女に向け、サクラが口を開く。

GDMグランドマスター。一つだけ、貴女に問おう」

 オルテシアの問いかけを無視して、サクラがそう言う。そして間髪容れずに彼女は続けた。

「貴女の目には、この子はどう見えている?」

 サクラの問いを受け、オルテシアは口を閉ざす。が、直後当然だというように彼女はサクラに言った。

「愚問も愚問だな。私の目には、ただの化け物にしか見えない」

「……そうか」

 オルテシアの返答に、サクラはただそれだけ呟いて──フッと息を吐き出す。瞬間、オルテシアの眉間に僅かな皺が寄る。

 それからサクラは踵を返し、青褪めた表情のルミナと再度無表情となったオルテシアに背を向け、言った。

「失礼した」

 ただそれだけ言い残し、フィーリアを抱き抱えたまま、サクラは私室を後にする。扉が音を立てて静かに閉じたその時、オルテシアが深々とため息を吐いた。

「ルミナ。何か拭くもの、適当な布を」

「え?」

 あまりにも唐突なオルテシアの要求に、ルミナが困惑の声を上げた、瞬間。



 ピシン──何の前触れもなく、本当に突然に。机上に置かれていたカップが上下に分断され、その下にあった書類にまだ残っていた中身が撒かれ、容赦なく濡らした。



「……え?ええっ!?」

 ただただ驚くしかないでいるルミナを他所に、オルテシアはうんざりしたように天井を仰ぐ。

「吐息で陶器カップを両断……全く以て規格外。埒外だ」

 やたら滑らかで綺麗なカップの切り口を眺めながら、オルテシアは呟く。それから黒く染められた書類────フィーリアに関する情報を一通り記したそれを見やって、彼女は言うのだった。

「化け物よりもよっぽど化け物だな。大乱の英雄」
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