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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────それが人であるということ

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 響く音だけを、聴いていた。肝心の光景げんじつからは、目を背けていた。

 振り下ろしたこの腕は何処までも軽く。なのに、少しも持ち上げられやしない。

 己の望みを叶えたはずの心には────ただただ、空虚だけが広がり尽くしている。




「…………」

 何も、考えられなかった。ただ、終わらせたのだという、何処か他人事めいた感想しか、抱けなかった。

 ……だと、いうのに。そう、終わったはずなのに────────





「だから、言っただろう。君に私は殺せないと」





 ────────覆しようのない事実が、その終わりをあっさりと否定してみせる。

「……う、そ……?」

 殺した────本当にそう思っていた。信じて疑わなかった。だが、サクラは未だそこに立っていた。

 無傷ではない。その足元には砕けた魔石が数えるのも馬鹿らしくなる程転がっており、そしてそれら以外の魔石は──サクラに突き刺さっている。

 突き刺さっていない箇所を探す方が難しいまでの惨状。まず間違いなく絶命は免れない重傷────だが、それでも。

 サクラはそこに立っている。生きている。それは変えようのない、確かな現実。それを直視したアルカディアは、全てを悟った。

 見ていた訳ではない。しかし、わかる。わかってしまう。何故サクラが生きているのか────それは自分がそのようにと選択したからだ・・・・・・・・・・・・・

 サクラの身体を刻み、裂き、刺し、穿ち、抉る──その目的の為に殺到させた魔石は、確かに彼女を傷つけた。だが、その前にその大半が砕けたのだ。

 魔石同士が衝突し、互いを互いが削り砕き合った。サクラの足元に転がっている無数の残骸がそれだ。むろん、そうしようと思ってアルカディアはそうした訳じゃない。彼女の意識は致命傷を与えようとしたが、彼女の無意識はそうとはしなかった。

『君も戦うつもりはなかったじゃないか』

 その言葉の通りであった。そもそも、こんな回りくどい手に頼らずとも、サクラを容易に殺せる手段など他にいくらでもあったはずだ。『理遠悠神アルカディア』には、それがあったはずなのだ。

 けれど、結局はそれらを選ばなかった。敵として在ったはずなのに、そうしようとしなかった────自分には、戦うつもりもなければサクラを殺す気も、敵であろうとする気すらも最初からなかったのだ。

 その全てを悟らされ、気づかされ、アルカディアは──────否、一人の少女・・・・・はぺたんとその場にへたり込んだ。

「……な、んで……?どうし、て……?」

 虹の瞳からは輝きが消え失せ、灰の瞳は徐々に透き通り始める。そしてその二つから、雫が零れた。

『理遠悠神』の面影なども微塵も感じられない、あまりに弱々しい声で、少女は呆然と呟く。

「なんで私なの?どうして私だったの?私が何をしたっていうの……どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの……?」

 ポタポタとその瞳から透明な雫が、涙が溢れて止まらず、零れ落ちていく。零れた少女の涙が、小さな音を立てて魔石の床を少しずつ濡らしていく。

 そして流す涙と同じように、少女がその口から言葉を溢していく。

「わからないのに、知らないのに……この瞳のことも、この肌のことも、何もわからないし知らなかったのに。なのに皆から勝手に化け物って呼ばれて、蔑まれて、嫌われて、虐められて……私だって何もわからなかったのに、知らなかったのに……!」

 止まることを知らずに溢れていく少女の言葉。そこに含まれていたのは、あまりにも重たい孤独を悲哀。やがて少女の身体を、薄青い粒子が包み始めた。

 玉座の間の全体が、軋むような異音を立てる。それは徐々に大きさを増し、それと同時に座り込んだ少女を包む粒子が濃くなっていく。

 その景色をサクラが眺めていると────突然、彼女の足元に転がり散らばっていた魔石の残骸が砂のように崩れ、薄青い粒子となった。そして同じように、彼女の身体に突き刺さったままであった魔石も粒子と化し、露わとなったその傷口から血が流れ始める。

 周囲を見渡してみれば、壁やら床やらも少しずつ崩壊し始め、粒子となってしまっている。そしてそれら全てが少女の方へと、流れていく。

 サクラは直感する。このままでは取り返しがつかない事態に陥ると。今すぐにでも行動に出なければ、少女を放っていては全てが手遅れになると。

 そう直感して────なお、サクラは床へ放り捨てた刀には目もくれず、ゆっくりとまた歩き出す。彼女が一歩を踏み出す度に、彼女の身体から血が流れ、赤い軌跡を残していく。

「どうして私だったの?どうして私がこんなことしなくちゃいけなかったの?誰か教えてよ……誰か答えてよぉっ!!」

 少女が叫ぶ。悲痛の叫びを上げる。それに呼応するかのように少女を囲む薄青い粒子は輝きを周囲に放つ。

 泣き叫ぶ少女。崩壊する玉座の間。際限なく輝きを強める粒子────そんな状況の最中、サクラは脳裏に蘇らせる。

 数週間の前の記憶──そう、あの数多の星浮かぶ、夜空の下での会話を。




















「私、昔から起源ルーツというものに興味があるんです」

 その会話は、そんな何気ない一言から始まった。

 そこから始まった会話は続き、己の身の上やそれを追い求める理由を語り──そして、彼女はその姿を晒した。

 七色が複雑に絡み混じり合い、輝く虹色の瞳と、相反する透き通った灰一色の瞳。

 露出する肌に走る、刺青の如き薄青い線。それは彼女の顔にも走っており、身体のものとは違って曲流している。

 明らかに非人間的な容姿となった彼女が、静かに呟く。

「子供の頃、虐められてたんです。『気持ち悪い』だの、『化け物』だの……ずっと、ずっとそう言われ続けられました」

 それは、欠片も思い出すのが辛い、迫害の過去。

「私は確かめたいんですよ。自分は人間なのか、そうでないのか──だから、起源を求めているんです」

 それを求め続ける理由も語り、満点の星空の下、全てを赤裸々に告白した少女が、虹と灰の瞳をこちらに向けて問う。

「『極剣聖』様。貴女には、私が人間に見えますか?」

 その問いかけに対して、彼女が一体どのような答えを欲していたのか。正直に白状してしまえば、皆目検討もつかなかった。

 ……ただ、その過去を聞いて、目的を聞いて────彼女もまた、こちら側・・・・存在モノなのだと、認識させられた。

 化け物──それは、彼女に限ったことではない。何故なら自分もまた、そうだった・・・・・のだから。

 だからこそ、自分は答える────

「ああ、見えるとも。少なくとも私から見れば、君は素敵な女の子だよ。化け物なんかじゃない」

 ────そう、答える。この答えを受けた彼女は、最初キョトンとした表情を浮かべ、それからかあっとその表情を赤らめさせた。

 そんな様子を初心うぶだなと思いつつ、続けて語る。起源を欲した彼女に、語りかける。

「それと、君は起源ルーツを知りたいと言っていたな。……これはあくまでも私が思うことだが、果たしてそうまでして知り得るに値するのかな、起源というのは」

 この言葉に対して、彼女は大した反応を見せなかった──否、見せようとしなかったのかもしれない。

 この時、自分はそう深く考え込んでいなかった。話を聞いておきながら、理解を示してやることができなかった。

 だから、言ってしまった。

「私は起源──過去というものが嫌いだ。そんなものを知ったところで、所詮はただの個々に関する歴史の一部でしかない。確かに己の正体を知りたいのなら、それを求めることは至極当然のことだろうさ。……でも、それが己を形作った訳ではないだろう。いつだって己を己と形作り、成すのは……今という、生の瞬間だけだ」

 そう、心ない言葉で。あまりにも残酷な言葉で。

「…………ええ。確かに、その通りです……かね」

 彼女を深く、傷つけてしまった。




















 ──本当に、あの時の私を殴りたい。

 そう思いながら、サクラは先を進む。ただ一人の少女を救う為に、進み続ける。

 血を流しながら、決して止まることなく。全身を苛み虐げる痛みを、甘んじて受け入れて。

「私はこんなことしたくなかった!なかったのに、でも仕方ないでしょ!?だって私はその為に創られた……子は親の言うことを聞くものじゃない!」

 この少女が味わった孤独は一体どれだけのものだったのだろう。この少女が味わった苦しみは一体どれだけのものだったのだろう。それは誰にもわからない。それがわかるのは、味わった──味あわせられた、少女だけだ。

 それが、堪らなく悔しい。己の無力さを、まざまざと突きつけられる。……だからこそ、救いたいと切に願い、叶えたいと心の底から思える。

 少女からすれば、身勝手な自己満足なのかもしれない。押し付けがましい傲慢なのかもしれない。恩着せがましい偽善なのかもしれない。

 だが、それでも構わない。

 ──これは、私の我儘だ。しかし、この我儘を最後まで貫き通す。

 例え今ここで死んだとしても────否、死んでも貫き通す。絶対の、絶対に。

 不撓不屈の意志を携え、サクラは進む。ゆっくりと砂のように崩れ、薄青い粒子と化す玉座の間を、彼女はただひたすらに進む──未だ泣き叫ぶ、少女の元を目指して。

「何で私なの……?私はどうすれば良かったの……?どうして、どうしてどうしてどうして……!」

 溢れ出る感情そのままに、少女が言葉を紡ぐ。彼女を取り巻く粒子はその度に輝きを増し、濃く滞留する。

「………もう、疲れたよ」

 少女がそう呟くのと、サクラが彼女の目の前にまで辿り着くのは、ほぼ同時のことだった。少し遅れて、床に座り込み俯いたまま、少女が呆然と言う。

「……数分もすれば、世界オヴィーリスは滅びます。何もかもが魔石に成り果てて、全ての生命が等しく終わるんです。……それでもまだ、貴女は戦わないつもりなんですか。私を、殺さないつもりなんですか。……サクラさん」

「ああ。私は戦わない。私は君を……殺しはしない」

「……そう、ですか。結局貴女も同じです。他の皆と同じ……私に酷いことをする。させる。……本当に、酷い人」

 少女の声には、どうしようもない、暗く昏い絶望だけがある。それをわかっていながら、サクラは言う。

「覚えているか、あの日、あの夜……星空の下、私が君にかけた言葉を」

 サクラの問いかけに、少女が俯かせていたその顔を上げる。涙を流しに流して、それでもなお流し続け、泣き腫らしすっかり赤くなったその顔には、疑問が浮かんでいた。

「……言、葉……?」

 意味がわからない、覚えがないとでも言いたげに少女がそう呟くと、サクラは──不意にしゃがみ込んで。



 ギュッ──まるで割れ物を扱うかのように慎重に、そしてできるだけ優しく、少女の身体を抱き締めた。



「今、もう一度。私に言わせてくれ」

 抱き締めたまま、サクラが言う。だが少女が返事をすることはない。あまりにも突然で、予想外なサクラの行動に、その思考が止まってしまっていたのだ。

 だがサクラとしてはそれでも構わなかった。何故なら少女が何を言ったとしても、彼女は言うつもりだったのだから。

 そうして、サクラは口を開く。あの日、あの時、あの夜と同じように。

「君は素敵な女の子だよ。化け物なんかじゃない」

 その瞬間、ビクッと少女の身体が跳ねる。サクラからは見えていなかったが、その瞳もまた驚愕に見開かれており、激しく震えて、動揺しているのをこれでもかと主張していた。

 数秒遅れて、瞳と同様に震える声を少女が絞り出す。

「……私は化け物ですよ。三人の人間の血を浴びた、正真正銘の化け物です。お母さんの大切だった存在モノをこの手で壊した、最低最悪の化け物なんです。貴女の言う、素敵な女の子なんかじゃ、ない」

 少女は続ける。まるで懺悔のように。後悔と絶望に塗れた言葉を、吐露し続ける。

「化け物な私に居場所なんてない。帰る場所なんてない。皆の元に帰ることなんて、許されない。……もう、私は手遅れなんですよ。あの日から、十六年前のあの日、あの時から。心変わりなんて、絶対に許されない」

 少女の言葉には、罪悪感が込められている。それは人一人が背負うには、あまりに重たく、あまりにも大きい。

 だから、サクラは言うのだ。

「やはり、君は化け物なんかじゃない。それは心ない化け物なんかが言える言葉じゃない。心ない最低最悪の化け物が、そんな温かく優しい言葉を言えるものか。言っただろう、己を己と形作り、成すのは今という生の瞬間だけ。決して過去や、ましてや起源ルーツでもない────私は何度だって言ってやる。君は素敵な女の子──そう、皆と同じ正真正銘の人間だよ」

 嘘偽りなど全くない、心の底からの、心のままの言葉を。そして彼女の言葉の前に、少女は身体を僅かに震えさせ。

 ピシン──額に生える二本の薄青い、歪ながらに刺々しく伸びた角に亀裂を走らせる。

「……私は、帰ってもいいの?。皆の元に、帰ってもいいの?」

 本格的な崩落と崩壊を始めた玉座の間にて、一人の少女は声を震わせながら訊ねる。それに対し、依然彼女を抱き締めたままに、サクラは優しい微笑みを浮かべて答えた。

「ああ。安心しろ、この罪もその後悔も、君の全てを私も共に背負ってやる。だから、一緒に帰ろう────フィーリア」

 パキン──サクラの言葉が少女の心を打ち、響かせたその瞬間。亀裂の走った二本の角は甲高い音を儚くも響かせ、折れた。そしてその角すらも薄青い粒子となって、霧散する最中。

「────はい」

 そう、少女は──────フィーリアは涙に塗れた満面の笑顔を顔に咲かせ、頷いた。
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