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ARKADIA──それが人であるということ──
ARKADIA────伝説の目撃者
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「『魔焉崩神』エンディニグル、『剣戟極神』テンゲンアシュラ、『輝闇堕神』フォールンダウン……消耗品にすら満たない役立たずの出来損ない共でしたけど、それでも三つ合わせれば、意外と使い物にはなりましたね」
魔石のオブジェ──否、投影機が映し出す映像を、正確に言えば異形たる青年を模した魔石の像を眺めながら、一片の感情も込めずにアルカディアが言う。
「でもサクラさんにぶつけたとしても、数秒も稼いでくれないでしょうねえ。あの再利用の使い回し……とりあえず『三厄災』とでも呼びましょうか」
依然悪意に染まった笑みをそのままに、アルカディアはサクラに伝える。
「ですが、あの程度の冒険者たち相手ならば話は別。充分過ぎる程に充分、その役目を全うしてくれることでしょうねえ。ふふ、ふふふ……あっははは!」
楽しくて、愉しくて仕方ないというような笑いがアルカディアの口から勢い良く転び出る。異質極まりないその瞳を見開かせ、悪意が伝染した表情で、まるで唄うかのように彼女がサクラに語る。
「サクラさぁん!もしあの場に貴女がいたのなら、彼らが犠牲になることはなかった!代わりにこの世界が終わっていた!またその逆も然り!」
その場から駆け出しそうになる勢いで、アルカディアは続ける。
「彼らを見捨てることで、世界は救われる!だからこうして貴女はここにいる!此処に在る!それが、これが貴女の選択ですサクラさん!」
言って、アルカディアがその細い指先を突きつける。映像に目を奪われているサクラへと、迷いなく突きつけ、そして躊躇いなく言い放つ。
「私が憎いでしょう?恨めしいでしょう!?だったらその得物を抜け!その殺意を剥き出せ!」
子供のように爛々と瞳を輝かせ。その表情を高揚に薄ら赤く染めさせて。アルカディアは叫ぶ。
「私を殺してみせろ!理想を打ち砕いてみせろ!それを成すのは貴女において他はない!他なんて認めない!」
誰にも有無を言わせない鬼気迫る気迫を以て、彼女は叫び続ける。
「化け物を殺すのはいつだって英雄────だから、化け物な私を殺すのは、英雄のサクラさんです!!」
そのアルカディアの叫びに、サクラが口を開くことはなかった。彼女はただ黙って、投影機の映像を見ていた。
今、その映像の中で繰り広げられているのは、生命を燃やして刹那に煌めかす者の勇姿。その背に己ではない他の誰かを庇い、強大な敵の猛攻を一身に受け続け、耐え続けている者の、最期の輝き。
それを確と眼に焼き刻みながら、ようやっとサクラは口を開いた。
「フィーリア」
だがそれは、アルカディアが求めた言葉とは。
「やはりお前は──いや、君は勘違いをしている」
程遠く、そしてかけ離れたものだった。
「……勘違、い?」
理解不能とでも言いたげな声音で呆然と呟くアルカディアに、今度はサクラが語りかける。
「彼らは犠牲にはならない。そんな暴挙を、彼が許すはずがない」
「彼……?」
それが一体誰のことを指し示しているのか、アルカディアは刹那に思考し、直後サクラを嘲った。
「貴女ともあろう存在が、そんな夢想を惨めに抱きましたか。そんなことあり得るはずがない。あんな矮小に、その状況を打開できる訳がない」
まるで吐き捨てるかのように、彼女が続ける。
「第一、あの身の程知らずは────クラハ=ウインドアは『三厄災』相手に初手で終わってんですよ!そんな期待外れがどうこうするとでも!?」
不快感丸出しに投げられたその問いに、サクラは────再度アルカディアの方に振り返って、自信に満ち溢れる不敵な笑みを携えて、さも当然のように答えた。
「ああ、できるさ。どうこうするさ。そしてそれを知らぬ君ではない」
「ッ……何を、言って」
サクラの返事に、そこで初めてアルカディアが動揺を見せた。堪らずというように彼女はたじろいで、けれど即座に気丈に言い返す。
「あり得ない、決してそんなことあり得るはずがない!訳がない!私は何度だって────
だが、その途中。依然として投影機が映し出す映像が、アルカディアをより激しく、より強烈に、そして確実に動転させた。
────何、度だって……ッ!?」
その瞳を驚愕に思い切り見開かせるアルカディアに、サクラは背後の映像へ振り返ることなく、彼女を見据えてはっきりと告げる。
「存分に見届けることだ。絶望に立ち向かう、ほんの一握りの──故に砕けぬ希望を」
「馬鹿野郎ッ!!!」
突如として現れ出た、天使の如く頭上に輪を浮かべ、その背に八振りの大剣を握る八本の巨腕を生やす、青年を模した異形の魔石の像を目撃し、呆気に取られたクラハへガラウは怒号を飛ばす。凄まじく迅速な判断──だが、それでも遅かった。
魔石の像はその場にいる全員の視界にも映らぬ疾さで、クラハとの距離を詰めたかと思うと、無防備となっていた彼の腹部に躊躇いなく拳を突き立てた。
一拍の間を置いて、クラハの身体を衝撃が貫く。彼の背後に広がる広場の石畳を覆う魔石が悉く割り砕かれ、その石畳すらも総じて捲り上げられ、さらに下の地面までもが深々と、そして広大に抉られる。
衝撃が齎す被害はそれだけに留まらず、後方に建てられていた数々の廃屋や廃墟をまとめて破砕し────そしてその末に、クラハの身体がまるで冗談のように吹っ飛ばされた。
凄まじい勢いで宙を飛ぶクラハの口から、大量の血が吐き出される。鮮血で赤い放物線を描く彼はそのまま、元は何かの施設だったのだろう巨大な廃墟に突っ込む。直後轟音を立てて廃墟は崩落を起こし、一瞬にして瓦礫の山と化すのだった。
「ウインドア、様……!?」
思わずというようにリザが呟き、呆然とする彼女へ即座に得物たる戦鎚を構えたガラウが鬼気迫る様子で怒鳴る。
「余所見厳禁!!全力警戒!!!」
ガラウの叱咤に、ハッとリザが我に返る。その直後、クラハを殴り飛ばした魔石の像が動く。
ブンッ──魔石の像に生える巨腕の一本が、その場で大剣を振るう。刹那、刃を象った魔力が放たれ、その軌跡に存在するもの全てを両断しながらガラウたち冒険者へと差し迫った。
並の冒険者は当然として、《S》冒険者──それも名の知れた実力者であっても躱すことの叶わぬ魔力の斬撃。だがそれと相対するは『鋼の巨人』のガラウ=ゴルミッドと『虹の妖精』の『三精剣』────冒険者番付表上位にその名を連ねる彼らは伊達ではない。
各々が別々の方向へと瞬時に散り、直後魔力の刃がその場を断ち穿ち、そして粉微塵に爆散刺せた。
「【獄炎砲撃】ッ!」
「【大海砲撃】ッ!」
駆けながら、リザとアニャの二人はそれぞれ魔法を放つ。掲げられた彼女たちの手から大量の魔力が放出され、それらは大気を焦がす大火球と、大地を呑む大水球へと形を成し、魔石の像に飛来する。
直撃すればそれこそ一瞬で終わる程の威力を秘めるリザとアニャの魔法────だが魔石の像に当たる寸前、二人の魔法に異変が生じた。
リザの大火球が揺らぎ、アニャの大水球が波打ち、そして瞬く間に魔力の粒子へと戻され霧散してしまった。その光景を目の当たりにし、堪らずリザが声を上げる。
「無効化!?」
「驚いてる場合かァッ!!【衝撃壊・強】!!!」
動揺するリザを叱咤しつつ、ガラウは戦鎚を振り下ろし、魔石に覆われている石畳を叩きつける。瞬間彼が先程見せた強烈な衝撃波が発生し、今度は周囲に広がるのではなくその全てが一点に集中し、より強力になって魔石の像に向かう。
迫る衝撃波に対し、魔石の像は軽く大剣を振るう。先程見せたばかりの魔力の斬撃が飛び、ガラウの起こした衝撃波を容易く掻き消した。魔力の斬撃の勢いは衰える様子を全く見せず、ガラウへと差し迫る。
「まあそうだわなクソッ!」
短く悪態をつきながら、ガラウは咄嗟にその場から跳び退く。刹那、彼が立っていた場所を魔力の斬撃が駆け抜け、魔石と石畳と地面をまとめて断ちながら、その先にあったいくつかの廃屋と廃墟を両断する。
「いくらなんでも、出鱈目が過ぎる!」
「だったらウチが!」
堪らず泣き言を叫ぶアニャの隣で、『三精剣』三女であるイズが高らかに叫び、そして己の身に魔力を集める。彼女の魔力は雷となり、バチバチと弾けながら彼女の四肢へ伝わり、彼女の得物にも伝播する。
「【強化・属性付与】──一気に、行くよッ!!」
全身と得物の双剣に雷を纏わせ、イズは真っ直ぐに魔石の像を見据え、刹那彼女の姿がそこから消え去る。
虚空に閃光が弾けたその瞬間、魔石の像を雷が斬りつけた。雷の斬撃を受け、動揺したよう魔石の像が僅かに後ろへと退がる。
直後、今度は無数の雷の斬撃が幾重にも魔石の像に走る。雷が縦横無尽に魔石の像を駆け回る。
「【雷精乱舞】──ウチの動きは、如何なる存在だろうと捉えることは叶わない!」
雷の斬撃を何度も受けながらも、魔石の像はイズをなんとか離そうと大剣を振り回す。だがその動きはあまりにも鈍重で、文字通り雷と化した彼女をまるで捉えられない。
ようやく冒険者たちに訪れた優勢────それを噛み締めながら、イズが心の中で呟く。
──これなら、通じる。行けるッ!
だが、不意にリザが鋭く叫んだ。
「今すぐ離れて!イズ!!」
──え?
リザの言葉にイズが疑問符を浮かべたその時────突如、何かが彼女の足を掴んだ。
「え、な」
その感触に、咄嗟にイズが視線を向ける。己の足首を掴んでいたのは────一本の、腕。
それを認識した瞬間、イズの視界が急速にブレた。そして。
バガァンッ──イズの身体は、魔石に覆われた石畳へ、思い切り叩きつけられた。轟音と共に魔石と石畳が一気に割れ爆ぜ、彼女が叩きつけられた場所を中心に大規模なクレーターが発生する。
「がッ……ごぼ……ッ」
まるで全身の骨が砕けたかのような鈍痛と衝撃を受け、僅かに跳ねたイズは目をあらん限りに見開かせて、その口から大量の血を噴き出す。その血で顔や髪、衣服を赤く濡らして、彼女はそのまま力なく仰向けになり、ピクリとも動かなくなった。
そんな悲惨な末の妹の姿を目の当たりにして、リザが堪えられずに悲鳴を上げる。
「イズぅぅぅうううッ!!!」
「……妹を、よくもォォォオッ!」
リザとは対照的に、その顔を憤怒に染めさせ、アニャが刺突剣を構えその場から駆け出す。
「感情に動かされんじゃねえ馬鹿がッ!」
慌ててガラウが止めようと叱咤したが、既に遅い。魔石の像へと、アニャが突進を仕掛ける。
対する魔石の像はイズの足を掴み、そして彼女を時面へと叩きつけた腕を──何もない虚空から生えて伸びる腕を揺らす。すると魔石の像の周囲全体の空間が波紋を打つように揺らいで────瞬間、大量の腕が現れ出た。
「なん、だと……ッ!?」
まさに異様と表する他ない光景が、そこには広がっていた。無数の腕がそれぞれ全てバラバラに動き、しかし一瞬にしてある一点を目指し、殺到する。
言わずもがなその一点とは、アニャである。
「駄目ッ!?アニャ!!!」
リザがそう叫ぶのと、群がる腕がアニャを蹂躙するのはほぼ同時だった。
一本の腕がアニャの刺突剣を容易く圧し折り、そして残る無数の腕が彼女を取り囲む。姿が完全に見えなくなると、肉を打つ嫌に生々しい音が何度も響き、そしてそれに加えてグチャグチャと水音も混ざり始めたかと思えば、その下に鮮やかな血溜まりが広がり出した。
不意に音が止んで、それと同時にアニャを取り囲んでいた無数の腕も魔石の像の元へと戻っていく。そうしてリザとガラウの視界に晒されたのは────大きな血溜まりの上に立つ、血塗れのアニャの姿であった。
衣服はもはやボロ切れ同然と化しており、その下から覗く肌はどこを見ても血で濡れている。誰がどう見ても生死に関わる重症を負っているのは明白で、中でも特に、否応に目を引かれるのは──今にも千切れそうになっている、彼女の左腕であった。
アニャの身体が大きく揺れ、そのまま自らが作り出した血溜まりに倒れて沈む。そんな妹の凄惨極まる姿を目の当たりにして、リザの精神は遂に限界を迎えてしまう。
「嫌ぁぁぁっ!アニャぁぁぁ!イズぅぅぅ!嫌、嫌ぁああああっ!!」
得物たる刺突剣を有らぬ方向へ放り投げ、顔を両手で覆いながら現実逃避でもするかのように、わんわんと幼い子供の如く泣き出すリザ。そんな彼女を見てガラウは即座に声を出しかけて、だが戦鎚の柄を握り込み、そんな己を御した。
──なんだってこんな、ことに……!
そんなガラウの視界で、未だ魔石の像の周囲に浮かぶ無数の腕が、新たな動きを見せる。
不意に腕たちは上空へと伸び、そして急降下を始める。さながらそれは雨のようで、その下には先程倒れたアニャと、未だ意識の戻らぬイズがいた。
ガラウの背筋を悪寒が駆け抜けて、彼は瞬時に手に握る戦鎚で虚空を叩いた。
「させるかァ!!【衝撃壊・空】ッ!!!」
瞬間、強烈な衝撃が宙を走り、アニャとイズに降りかからんとしていた無数の腕へと到達し、それら全てを弾いてみせる。が、それも僅かなもので次の瞬間には元の軌道に戻ってしまう。
しかし、それでも生まれた刹那の隙。それを見逃すガラウではない。彼は咄嗟に【次元箱】を開き、空いている手を突き入れ、そしてそこから取り出したものを投げた。
「間に合い、やがれェエエエッ!!!」
ガラウが投げたのは、拳大の魔石。それは地面を転がり、アニャとイズの近くまで転がると独りでに砕けた。瞬間、その場から二人の姿が掻き消える。
ドドドドドッ──刹那、無数の腕が誰もいない地面を叩き、全て丸ごと粉微塵に帰す。
「リザ=ミルティック!妹二人連れて今すぐ逃げろ!生きて、ここから逃げ出せ!」
「え……?」
ガラウがそう叫んだ瞬間、瞳から光を失くし呆然と座り込んでいたリザのすぐ傍に、先程姿の消えたアニャとイズが現れる。だが依然として二人の意識は喪失したままであり、アニャに至っては今すぐにでも傷を塞がなければ死んでしまう程に出血していた。
そんな二人の──特にアニャの惨状を目の当たりにし、リザはさらに取り乱してしまう。
「嫌ァ!二人が、二人がぁ!」
「イズは助かる!アニャも治療すればなんとかなる!だから、いい加減にしろリザァ!!」
「嫌ァァァァァァ!」
「ぐッ……こんの、クソッタレェェェエエエ!!!」
リザに言葉が届かず、苛立ちのあまり咆哮するガラウ。その時、凄まじい勢いで無数の腕が彼らに迫った。
割り、抉り、砕き、潰し。地面はおろか周囲にある全てを悉く破壊しながら迫り来る、暴威を体現する腕の群れ。それをガラウは睨めつけ、そして彼は────戦鎚を己の傍らに突き立てた。
「正気を取り戻せ馬鹿野郎ォォォ!!!【敵意集中】ッ!【金剛体】ィィィイイイイイッッッ!!!!」
瞬間、ガラウの身体は鋼に──否、金剛に化す。そう思わず疑ってしまう程に、彼の身体が硬化する。
【金剛体】。それは数多く存在する防技の中でも、限られたごく僅かな近接職──重戦士にしか習得し得ない、防技の奥義の一つ。
金剛と化したその身は、真に鉄壁の防御力を誇る────そのガラウに、無数の腕が集中し、殺到する。
最初、ガラウが感じたのは重さと鈍さだった。【金剛体】を以てしても、完全には防ぎ切れぬ衝撃と威力。それが一度ならず二度、三度──そして何度も連続で襲ってくる。止まることを知らないその猛攻は、彼が纏う鎧を容易に打ち砕き、金剛と化している彼の肉体に確かなダメージを、着実に蓄積させていく。
もしガラウがその身を金剛としていなかったのなら、彼はとっくのとうに物言わぬ肉塊へと果てていたことだろう。
「ぐ、ぉ、ぉぉお……ッ!」
【敵意集中】にて腕の注意を引き、本来ならば一撃絶命必須の猛攻をその一身に受け止め耐えるガラウ。その背中を、リザは地面に座り込み、呆然自失に眺めていた。
「……もう、終わりよ。あんな化け物、勝てっこない……私たちも皆も殺されて、終わるのよ……」
光を失ったままの瞳で、絶望に呟くリザ。だが、戦意喪失している彼女に、苦し紛れにガラウが言葉をぶつける。
「生き、るのを……諦めるんじゃ、ねえェエッ!俺たちはまだ死んでない!まだ……終わってねェエエエエッ!!」
「……」
だが、しかし。そのガラウの言葉すらも、もはやリザに届くことはない。彼女の心を打つことはない。
──ク、ソ……!
やがて、ガラウの身体が押され始める。それでも彼はなんとか踏ん張ろうとするが、もう限界が近かった。
秒刻みに増す鈍痛。殺し切れない衝撃。それらがガラウの肉体と精神を磨耗させ、追い詰めていく。
そこに駄目押しと言わんばかりに、魔石の像がまた新たな腕を喚び出す。それも今度は先程以上の、大量を。
大量の腕は絡み合い、形を成す。それは遠目からであれば、薄青い一本の巨槍に見えた。巨槍を成した腕はグラリと大きく傾き、無数の腕に一方的に嬲られ続けているガラウへと狙いを定める。それを見た彼の頬を、一筋の汗が伝った。
──この状況で、あんなのを受けちまったら……!!
ガラウが旋律を覚えるのも束の間────腕の巨槍は勿体ぶることもなく、ただ真っ直ぐに飛来を始めた。宙を裂き貫きながら、彼を串刺しにせんと押し迫る。
無数の腕に殴られ叩かれながら、その光景をガラウは眺める。不思議と、それはゆっくりと遅かった。
確実に迫り来る絶対の死────それをあまりにも切実に、予感しながら。
気がつけば、僕の身体は沈んでいた。何処まで続く、何処までも暗く、そして昏い闇の中に。
手足が、動かない。動かせない。まるで泥濘に突っ込んだかのように重く。まるで鉛が如く重く。
沈んでいく。沈み続けていく。僕の身体が、底の見えぬ闇の果て──深淵の最果てに引き摺り込まれていく。
このまま沈み続けたら、もう一生戻れない。そんな予感────否、確信があった。あったが、それでも僕の手足は僕の手足ではないかのように、僕の意思を聞かない。僕の意思が届かない。
そうしてだんだんと、頭の中もぼやけ始めて。いつの間にか何をしたかったのか、忘れ初めて。
こうして考えることも億劫になって。次第に虚無に染まって。僕は、真っ白になって。
そして────────
「なあ、クラハ」
────────酷く、懐かしい声が響いて聴こえた。
──……。
炎が、燃えている。とても、凄く熱い炎が、轟々と逆巻き燃え上がっている。
──……ッ。
それを感じ取った瞬間、僕の中で何かが一気に膨らみ、弾けた。
──……ぼ、くは……ッ。
このままではいけないと、必死に叫んでいる。このままで終わる訳にはいかないと、必死に訴えている。
──ぼく、は……ッ!
どれだけそうしようと思っても、あれだけ意思を以ても微動だにしなかった手が、足が、身体が。僅かに、ほんの僅かに動いていく。動かせていく。
──ぼくは……僕はッ!
頭の中を映像が駆け巡る。様々な記憶が、一気に、そして止め処なく溢れ出す。
『じゃあ、お望み通り二人同時に喰ってやるよお!!』
それが、最初だった。
『ならないんじゃあねえ!なれねえんだよ!!!』
そうだ。いつだって、そうだった。
『この糞餓鬼がぁッ!!下等生物の、分際でェッッッ!!!』
負けていた。結果的に見れば負けではないのかもしれないが、それでも負け続けだった。
それがどうしても、どうしようもなく、心の底から嫌だった。
『強く、なります』
言ったはずなのに。
『心配にならないくらいに』
そう、言ったはずなのに。
『不安なんて欠片程も覚えないくらいに』
確かに、そう、言ったはずなのに。
『そんな強い──漢に、僕はなります。なってみせます』
言った────誓ったはずなのに。だが、それでこの様だ。こんな自分が、本当に嫌になる。
強くならないといけない。ずっと、もっと。強く、強く。
じゃないと、また心配をかけさせることになる。また不安を覚えさせることになる。
『大丈夫か!?しっかりしろ、おい!』
『ごめん、クラハ……ごめん、なさい……!』
『お前の好きに、してくれ』
『……なあ、クラハ。俺って、なんなんだ……』
もう、ごめんだ。こんなのはもうたくさんだ。心配させるのは。不安にさせるのは────泣かせて、しまうのは。
──ごめんだ。そんなの、二度とごめんだ……!
腕を、手を伸ばす。前へ、前に。その先に見えるものを。在るものに届かせる為に。この手で掴み取る為に。今こうしなければ────僕は前に進めない。一生強くなれない。そんな予感が、ただひたすらに僕を突き動かす。
眩く輝くソレに、手を伸ばす。必死に伸ばし続ける。そして、遂に──────
「強く、なるんだああああああッッッ!!!!」
──────しっかりと、確かに掴んだ。
その日、ガラウ=ゴルミッドは目撃することとなる。そしてその光景を、彼は生涯忘れないだろう。
己を貫かんとした腕の巨槍は、群がっていた無数の腕諸共に吹き飛ばされ、魔石の像は迫り来るその一撃を打ち消さんと大剣を振るう。
大剣から放たれた魔力の斬撃は秒も経たずにかち合い、拮抗することもなく、何の抵抗も許されずに逆に呑み込まれ、その上で三つに束ねられた『厄災』──『三厄災』にまで到達した。
『三厄災』が軽々と浮き上がり、吹き飛び、その背後に生えていた巨大な魔石塊と激突し、それを粉砕してなお飛び続け、廃墟に突っ込み瞬く間に瓦礫の山に変えて、ようやく沈黙する。
派手に土煙が宙に舞う最中、地面に片膝を突くガラウが呆然と、まるで信じられないように呟く。
「お前、さんは……」
そう、彼は目撃者となったのだ──────
「始動開始────【超強化】」
──────伝説の、始まりの。
魔石のオブジェ──否、投影機が映し出す映像を、正確に言えば異形たる青年を模した魔石の像を眺めながら、一片の感情も込めずにアルカディアが言う。
「でもサクラさんにぶつけたとしても、数秒も稼いでくれないでしょうねえ。あの再利用の使い回し……とりあえず『三厄災』とでも呼びましょうか」
依然悪意に染まった笑みをそのままに、アルカディアはサクラに伝える。
「ですが、あの程度の冒険者たち相手ならば話は別。充分過ぎる程に充分、その役目を全うしてくれることでしょうねえ。ふふ、ふふふ……あっははは!」
楽しくて、愉しくて仕方ないというような笑いがアルカディアの口から勢い良く転び出る。異質極まりないその瞳を見開かせ、悪意が伝染した表情で、まるで唄うかのように彼女がサクラに語る。
「サクラさぁん!もしあの場に貴女がいたのなら、彼らが犠牲になることはなかった!代わりにこの世界が終わっていた!またその逆も然り!」
その場から駆け出しそうになる勢いで、アルカディアは続ける。
「彼らを見捨てることで、世界は救われる!だからこうして貴女はここにいる!此処に在る!それが、これが貴女の選択ですサクラさん!」
言って、アルカディアがその細い指先を突きつける。映像に目を奪われているサクラへと、迷いなく突きつけ、そして躊躇いなく言い放つ。
「私が憎いでしょう?恨めしいでしょう!?だったらその得物を抜け!その殺意を剥き出せ!」
子供のように爛々と瞳を輝かせ。その表情を高揚に薄ら赤く染めさせて。アルカディアは叫ぶ。
「私を殺してみせろ!理想を打ち砕いてみせろ!それを成すのは貴女において他はない!他なんて認めない!」
誰にも有無を言わせない鬼気迫る気迫を以て、彼女は叫び続ける。
「化け物を殺すのはいつだって英雄────だから、化け物な私を殺すのは、英雄のサクラさんです!!」
そのアルカディアの叫びに、サクラが口を開くことはなかった。彼女はただ黙って、投影機の映像を見ていた。
今、その映像の中で繰り広げられているのは、生命を燃やして刹那に煌めかす者の勇姿。その背に己ではない他の誰かを庇い、強大な敵の猛攻を一身に受け続け、耐え続けている者の、最期の輝き。
それを確と眼に焼き刻みながら、ようやっとサクラは口を開いた。
「フィーリア」
だがそれは、アルカディアが求めた言葉とは。
「やはりお前は──いや、君は勘違いをしている」
程遠く、そしてかけ離れたものだった。
「……勘違、い?」
理解不能とでも言いたげな声音で呆然と呟くアルカディアに、今度はサクラが語りかける。
「彼らは犠牲にはならない。そんな暴挙を、彼が許すはずがない」
「彼……?」
それが一体誰のことを指し示しているのか、アルカディアは刹那に思考し、直後サクラを嘲った。
「貴女ともあろう存在が、そんな夢想を惨めに抱きましたか。そんなことあり得るはずがない。あんな矮小に、その状況を打開できる訳がない」
まるで吐き捨てるかのように、彼女が続ける。
「第一、あの身の程知らずは────クラハ=ウインドアは『三厄災』相手に初手で終わってんですよ!そんな期待外れがどうこうするとでも!?」
不快感丸出しに投げられたその問いに、サクラは────再度アルカディアの方に振り返って、自信に満ち溢れる不敵な笑みを携えて、さも当然のように答えた。
「ああ、できるさ。どうこうするさ。そしてそれを知らぬ君ではない」
「ッ……何を、言って」
サクラの返事に、そこで初めてアルカディアが動揺を見せた。堪らずというように彼女はたじろいで、けれど即座に気丈に言い返す。
「あり得ない、決してそんなことあり得るはずがない!訳がない!私は何度だって────
だが、その途中。依然として投影機が映し出す映像が、アルカディアをより激しく、より強烈に、そして確実に動転させた。
────何、度だって……ッ!?」
その瞳を驚愕に思い切り見開かせるアルカディアに、サクラは背後の映像へ振り返ることなく、彼女を見据えてはっきりと告げる。
「存分に見届けることだ。絶望に立ち向かう、ほんの一握りの──故に砕けぬ希望を」
「馬鹿野郎ッ!!!」
突如として現れ出た、天使の如く頭上に輪を浮かべ、その背に八振りの大剣を握る八本の巨腕を生やす、青年を模した異形の魔石の像を目撃し、呆気に取られたクラハへガラウは怒号を飛ばす。凄まじく迅速な判断──だが、それでも遅かった。
魔石の像はその場にいる全員の視界にも映らぬ疾さで、クラハとの距離を詰めたかと思うと、無防備となっていた彼の腹部に躊躇いなく拳を突き立てた。
一拍の間を置いて、クラハの身体を衝撃が貫く。彼の背後に広がる広場の石畳を覆う魔石が悉く割り砕かれ、その石畳すらも総じて捲り上げられ、さらに下の地面までもが深々と、そして広大に抉られる。
衝撃が齎す被害はそれだけに留まらず、後方に建てられていた数々の廃屋や廃墟をまとめて破砕し────そしてその末に、クラハの身体がまるで冗談のように吹っ飛ばされた。
凄まじい勢いで宙を飛ぶクラハの口から、大量の血が吐き出される。鮮血で赤い放物線を描く彼はそのまま、元は何かの施設だったのだろう巨大な廃墟に突っ込む。直後轟音を立てて廃墟は崩落を起こし、一瞬にして瓦礫の山と化すのだった。
「ウインドア、様……!?」
思わずというようにリザが呟き、呆然とする彼女へ即座に得物たる戦鎚を構えたガラウが鬼気迫る様子で怒鳴る。
「余所見厳禁!!全力警戒!!!」
ガラウの叱咤に、ハッとリザが我に返る。その直後、クラハを殴り飛ばした魔石の像が動く。
ブンッ──魔石の像に生える巨腕の一本が、その場で大剣を振るう。刹那、刃を象った魔力が放たれ、その軌跡に存在するもの全てを両断しながらガラウたち冒険者へと差し迫った。
並の冒険者は当然として、《S》冒険者──それも名の知れた実力者であっても躱すことの叶わぬ魔力の斬撃。だがそれと相対するは『鋼の巨人』のガラウ=ゴルミッドと『虹の妖精』の『三精剣』────冒険者番付表上位にその名を連ねる彼らは伊達ではない。
各々が別々の方向へと瞬時に散り、直後魔力の刃がその場を断ち穿ち、そして粉微塵に爆散刺せた。
「【獄炎砲撃】ッ!」
「【大海砲撃】ッ!」
駆けながら、リザとアニャの二人はそれぞれ魔法を放つ。掲げられた彼女たちの手から大量の魔力が放出され、それらは大気を焦がす大火球と、大地を呑む大水球へと形を成し、魔石の像に飛来する。
直撃すればそれこそ一瞬で終わる程の威力を秘めるリザとアニャの魔法────だが魔石の像に当たる寸前、二人の魔法に異変が生じた。
リザの大火球が揺らぎ、アニャの大水球が波打ち、そして瞬く間に魔力の粒子へと戻され霧散してしまった。その光景を目の当たりにし、堪らずリザが声を上げる。
「無効化!?」
「驚いてる場合かァッ!!【衝撃壊・強】!!!」
動揺するリザを叱咤しつつ、ガラウは戦鎚を振り下ろし、魔石に覆われている石畳を叩きつける。瞬間彼が先程見せた強烈な衝撃波が発生し、今度は周囲に広がるのではなくその全てが一点に集中し、より強力になって魔石の像に向かう。
迫る衝撃波に対し、魔石の像は軽く大剣を振るう。先程見せたばかりの魔力の斬撃が飛び、ガラウの起こした衝撃波を容易く掻き消した。魔力の斬撃の勢いは衰える様子を全く見せず、ガラウへと差し迫る。
「まあそうだわなクソッ!」
短く悪態をつきながら、ガラウは咄嗟にその場から跳び退く。刹那、彼が立っていた場所を魔力の斬撃が駆け抜け、魔石と石畳と地面をまとめて断ちながら、その先にあったいくつかの廃屋と廃墟を両断する。
「いくらなんでも、出鱈目が過ぎる!」
「だったらウチが!」
堪らず泣き言を叫ぶアニャの隣で、『三精剣』三女であるイズが高らかに叫び、そして己の身に魔力を集める。彼女の魔力は雷となり、バチバチと弾けながら彼女の四肢へ伝わり、彼女の得物にも伝播する。
「【強化・属性付与】──一気に、行くよッ!!」
全身と得物の双剣に雷を纏わせ、イズは真っ直ぐに魔石の像を見据え、刹那彼女の姿がそこから消え去る。
虚空に閃光が弾けたその瞬間、魔石の像を雷が斬りつけた。雷の斬撃を受け、動揺したよう魔石の像が僅かに後ろへと退がる。
直後、今度は無数の雷の斬撃が幾重にも魔石の像に走る。雷が縦横無尽に魔石の像を駆け回る。
「【雷精乱舞】──ウチの動きは、如何なる存在だろうと捉えることは叶わない!」
雷の斬撃を何度も受けながらも、魔石の像はイズをなんとか離そうと大剣を振り回す。だがその動きはあまりにも鈍重で、文字通り雷と化した彼女をまるで捉えられない。
ようやく冒険者たちに訪れた優勢────それを噛み締めながら、イズが心の中で呟く。
──これなら、通じる。行けるッ!
だが、不意にリザが鋭く叫んだ。
「今すぐ離れて!イズ!!」
──え?
リザの言葉にイズが疑問符を浮かべたその時────突如、何かが彼女の足を掴んだ。
「え、な」
その感触に、咄嗟にイズが視線を向ける。己の足首を掴んでいたのは────一本の、腕。
それを認識した瞬間、イズの視界が急速にブレた。そして。
バガァンッ──イズの身体は、魔石に覆われた石畳へ、思い切り叩きつけられた。轟音と共に魔石と石畳が一気に割れ爆ぜ、彼女が叩きつけられた場所を中心に大規模なクレーターが発生する。
「がッ……ごぼ……ッ」
まるで全身の骨が砕けたかのような鈍痛と衝撃を受け、僅かに跳ねたイズは目をあらん限りに見開かせて、その口から大量の血を噴き出す。その血で顔や髪、衣服を赤く濡らして、彼女はそのまま力なく仰向けになり、ピクリとも動かなくなった。
そんな悲惨な末の妹の姿を目の当たりにして、リザが堪えられずに悲鳴を上げる。
「イズぅぅぅうううッ!!!」
「……妹を、よくもォォォオッ!」
リザとは対照的に、その顔を憤怒に染めさせ、アニャが刺突剣を構えその場から駆け出す。
「感情に動かされんじゃねえ馬鹿がッ!」
慌ててガラウが止めようと叱咤したが、既に遅い。魔石の像へと、アニャが突進を仕掛ける。
対する魔石の像はイズの足を掴み、そして彼女を時面へと叩きつけた腕を──何もない虚空から生えて伸びる腕を揺らす。すると魔石の像の周囲全体の空間が波紋を打つように揺らいで────瞬間、大量の腕が現れ出た。
「なん、だと……ッ!?」
まさに異様と表する他ない光景が、そこには広がっていた。無数の腕がそれぞれ全てバラバラに動き、しかし一瞬にしてある一点を目指し、殺到する。
言わずもがなその一点とは、アニャである。
「駄目ッ!?アニャ!!!」
リザがそう叫ぶのと、群がる腕がアニャを蹂躙するのはほぼ同時だった。
一本の腕がアニャの刺突剣を容易く圧し折り、そして残る無数の腕が彼女を取り囲む。姿が完全に見えなくなると、肉を打つ嫌に生々しい音が何度も響き、そしてそれに加えてグチャグチャと水音も混ざり始めたかと思えば、その下に鮮やかな血溜まりが広がり出した。
不意に音が止んで、それと同時にアニャを取り囲んでいた無数の腕も魔石の像の元へと戻っていく。そうしてリザとガラウの視界に晒されたのは────大きな血溜まりの上に立つ、血塗れのアニャの姿であった。
衣服はもはやボロ切れ同然と化しており、その下から覗く肌はどこを見ても血で濡れている。誰がどう見ても生死に関わる重症を負っているのは明白で、中でも特に、否応に目を引かれるのは──今にも千切れそうになっている、彼女の左腕であった。
アニャの身体が大きく揺れ、そのまま自らが作り出した血溜まりに倒れて沈む。そんな妹の凄惨極まる姿を目の当たりにして、リザの精神は遂に限界を迎えてしまう。
「嫌ぁぁぁっ!アニャぁぁぁ!イズぅぅぅ!嫌、嫌ぁああああっ!!」
得物たる刺突剣を有らぬ方向へ放り投げ、顔を両手で覆いながら現実逃避でもするかのように、わんわんと幼い子供の如く泣き出すリザ。そんな彼女を見てガラウは即座に声を出しかけて、だが戦鎚の柄を握り込み、そんな己を御した。
──なんだってこんな、ことに……!
そんなガラウの視界で、未だ魔石の像の周囲に浮かぶ無数の腕が、新たな動きを見せる。
不意に腕たちは上空へと伸び、そして急降下を始める。さながらそれは雨のようで、その下には先程倒れたアニャと、未だ意識の戻らぬイズがいた。
ガラウの背筋を悪寒が駆け抜けて、彼は瞬時に手に握る戦鎚で虚空を叩いた。
「させるかァ!!【衝撃壊・空】ッ!!!」
瞬間、強烈な衝撃が宙を走り、アニャとイズに降りかからんとしていた無数の腕へと到達し、それら全てを弾いてみせる。が、それも僅かなもので次の瞬間には元の軌道に戻ってしまう。
しかし、それでも生まれた刹那の隙。それを見逃すガラウではない。彼は咄嗟に【次元箱】を開き、空いている手を突き入れ、そしてそこから取り出したものを投げた。
「間に合い、やがれェエエエッ!!!」
ガラウが投げたのは、拳大の魔石。それは地面を転がり、アニャとイズの近くまで転がると独りでに砕けた。瞬間、その場から二人の姿が掻き消える。
ドドドドドッ──刹那、無数の腕が誰もいない地面を叩き、全て丸ごと粉微塵に帰す。
「リザ=ミルティック!妹二人連れて今すぐ逃げろ!生きて、ここから逃げ出せ!」
「え……?」
ガラウがそう叫んだ瞬間、瞳から光を失くし呆然と座り込んでいたリザのすぐ傍に、先程姿の消えたアニャとイズが現れる。だが依然として二人の意識は喪失したままであり、アニャに至っては今すぐにでも傷を塞がなければ死んでしまう程に出血していた。
そんな二人の──特にアニャの惨状を目の当たりにし、リザはさらに取り乱してしまう。
「嫌ァ!二人が、二人がぁ!」
「イズは助かる!アニャも治療すればなんとかなる!だから、いい加減にしろリザァ!!」
「嫌ァァァァァァ!」
「ぐッ……こんの、クソッタレェェェエエエ!!!」
リザに言葉が届かず、苛立ちのあまり咆哮するガラウ。その時、凄まじい勢いで無数の腕が彼らに迫った。
割り、抉り、砕き、潰し。地面はおろか周囲にある全てを悉く破壊しながら迫り来る、暴威を体現する腕の群れ。それをガラウは睨めつけ、そして彼は────戦鎚を己の傍らに突き立てた。
「正気を取り戻せ馬鹿野郎ォォォ!!!【敵意集中】ッ!【金剛体】ィィィイイイイイッッッ!!!!」
瞬間、ガラウの身体は鋼に──否、金剛に化す。そう思わず疑ってしまう程に、彼の身体が硬化する。
【金剛体】。それは数多く存在する防技の中でも、限られたごく僅かな近接職──重戦士にしか習得し得ない、防技の奥義の一つ。
金剛と化したその身は、真に鉄壁の防御力を誇る────そのガラウに、無数の腕が集中し、殺到する。
最初、ガラウが感じたのは重さと鈍さだった。【金剛体】を以てしても、完全には防ぎ切れぬ衝撃と威力。それが一度ならず二度、三度──そして何度も連続で襲ってくる。止まることを知らないその猛攻は、彼が纏う鎧を容易に打ち砕き、金剛と化している彼の肉体に確かなダメージを、着実に蓄積させていく。
もしガラウがその身を金剛としていなかったのなら、彼はとっくのとうに物言わぬ肉塊へと果てていたことだろう。
「ぐ、ぉ、ぉぉお……ッ!」
【敵意集中】にて腕の注意を引き、本来ならば一撃絶命必須の猛攻をその一身に受け止め耐えるガラウ。その背中を、リザは地面に座り込み、呆然自失に眺めていた。
「……もう、終わりよ。あんな化け物、勝てっこない……私たちも皆も殺されて、終わるのよ……」
光を失ったままの瞳で、絶望に呟くリザ。だが、戦意喪失している彼女に、苦し紛れにガラウが言葉をぶつける。
「生き、るのを……諦めるんじゃ、ねえェエッ!俺たちはまだ死んでない!まだ……終わってねェエエエエッ!!」
「……」
だが、しかし。そのガラウの言葉すらも、もはやリザに届くことはない。彼女の心を打つことはない。
──ク、ソ……!
やがて、ガラウの身体が押され始める。それでも彼はなんとか踏ん張ろうとするが、もう限界が近かった。
秒刻みに増す鈍痛。殺し切れない衝撃。それらがガラウの肉体と精神を磨耗させ、追い詰めていく。
そこに駄目押しと言わんばかりに、魔石の像がまた新たな腕を喚び出す。それも今度は先程以上の、大量を。
大量の腕は絡み合い、形を成す。それは遠目からであれば、薄青い一本の巨槍に見えた。巨槍を成した腕はグラリと大きく傾き、無数の腕に一方的に嬲られ続けているガラウへと狙いを定める。それを見た彼の頬を、一筋の汗が伝った。
──この状況で、あんなのを受けちまったら……!!
ガラウが旋律を覚えるのも束の間────腕の巨槍は勿体ぶることもなく、ただ真っ直ぐに飛来を始めた。宙を裂き貫きながら、彼を串刺しにせんと押し迫る。
無数の腕に殴られ叩かれながら、その光景をガラウは眺める。不思議と、それはゆっくりと遅かった。
確実に迫り来る絶対の死────それをあまりにも切実に、予感しながら。
気がつけば、僕の身体は沈んでいた。何処まで続く、何処までも暗く、そして昏い闇の中に。
手足が、動かない。動かせない。まるで泥濘に突っ込んだかのように重く。まるで鉛が如く重く。
沈んでいく。沈み続けていく。僕の身体が、底の見えぬ闇の果て──深淵の最果てに引き摺り込まれていく。
このまま沈み続けたら、もう一生戻れない。そんな予感────否、確信があった。あったが、それでも僕の手足は僕の手足ではないかのように、僕の意思を聞かない。僕の意思が届かない。
そうしてだんだんと、頭の中もぼやけ始めて。いつの間にか何をしたかったのか、忘れ初めて。
こうして考えることも億劫になって。次第に虚無に染まって。僕は、真っ白になって。
そして────────
「なあ、クラハ」
────────酷く、懐かしい声が響いて聴こえた。
──……。
炎が、燃えている。とても、凄く熱い炎が、轟々と逆巻き燃え上がっている。
──……ッ。
それを感じ取った瞬間、僕の中で何かが一気に膨らみ、弾けた。
──……ぼ、くは……ッ。
このままではいけないと、必死に叫んでいる。このままで終わる訳にはいかないと、必死に訴えている。
──ぼく、は……ッ!
どれだけそうしようと思っても、あれだけ意思を以ても微動だにしなかった手が、足が、身体が。僅かに、ほんの僅かに動いていく。動かせていく。
──ぼくは……僕はッ!
頭の中を映像が駆け巡る。様々な記憶が、一気に、そして止め処なく溢れ出す。
『じゃあ、お望み通り二人同時に喰ってやるよお!!』
それが、最初だった。
『ならないんじゃあねえ!なれねえんだよ!!!』
そうだ。いつだって、そうだった。
『この糞餓鬼がぁッ!!下等生物の、分際でェッッッ!!!』
負けていた。結果的に見れば負けではないのかもしれないが、それでも負け続けだった。
それがどうしても、どうしようもなく、心の底から嫌だった。
『強く、なります』
言ったはずなのに。
『心配にならないくらいに』
そう、言ったはずなのに。
『不安なんて欠片程も覚えないくらいに』
確かに、そう、言ったはずなのに。
『そんな強い──漢に、僕はなります。なってみせます』
言った────誓ったはずなのに。だが、それでこの様だ。こんな自分が、本当に嫌になる。
強くならないといけない。ずっと、もっと。強く、強く。
じゃないと、また心配をかけさせることになる。また不安を覚えさせることになる。
『大丈夫か!?しっかりしろ、おい!』
『ごめん、クラハ……ごめん、なさい……!』
『お前の好きに、してくれ』
『……なあ、クラハ。俺って、なんなんだ……』
もう、ごめんだ。こんなのはもうたくさんだ。心配させるのは。不安にさせるのは────泣かせて、しまうのは。
──ごめんだ。そんなの、二度とごめんだ……!
腕を、手を伸ばす。前へ、前に。その先に見えるものを。在るものに届かせる為に。この手で掴み取る為に。今こうしなければ────僕は前に進めない。一生強くなれない。そんな予感が、ただひたすらに僕を突き動かす。
眩く輝くソレに、手を伸ばす。必死に伸ばし続ける。そして、遂に──────
「強く、なるんだああああああッッッ!!!!」
──────しっかりと、確かに掴んだ。
その日、ガラウ=ゴルミッドは目撃することとなる。そしてその光景を、彼は生涯忘れないだろう。
己を貫かんとした腕の巨槍は、群がっていた無数の腕諸共に吹き飛ばされ、魔石の像は迫り来るその一撃を打ち消さんと大剣を振るう。
大剣から放たれた魔力の斬撃は秒も経たずにかち合い、拮抗することもなく、何の抵抗も許されずに逆に呑み込まれ、その上で三つに束ねられた『厄災』──『三厄災』にまで到達した。
『三厄災』が軽々と浮き上がり、吹き飛び、その背後に生えていた巨大な魔石塊と激突し、それを粉砕してなお飛び続け、廃墟に突っ込み瞬く間に瓦礫の山に変えて、ようやく沈黙する。
派手に土煙が宙に舞う最中、地面に片膝を突くガラウが呆然と、まるで信じられないように呟く。
「お前、さんは……」
そう、彼は目撃者となったのだ──────
「始動開始────【超強化】」
──────伝説の、始まりの。
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