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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────残景追想(その終──中編)

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 それはアルヴァが昏睡してから二週間が過ぎた頃。その日フィーリアはGMギルドマスター不在の冒険者組合ギルド、『輝牙の獅子クリアレオ』にいた。

 GM不在の中、それでも『輝牙の獅子』所属の冒険者ランカーたちは日常いつもと変わらず、それぞれに動いていた。依頼クエストの受注に、各々の装備確認、チームの面子メンバー確認と編成──だが、それは側から見れば誤魔化しのようにも思えた。

 GM、アルヴァ=レリウ=クロミア。頼りになる彼女が今ここにはいないという事実と現実は、少なからず冒険者たちに不安を与えている。だがそれでも彼らが日常を演じるのは、他でもないアルヴァの為だ。

 アタシがいなくなった程度でビビってんじゃないよ────辛気臭い雰囲気を誰よりも嫌うアルヴァがいかにも言いそうな台詞を、この場にいる誰もが心に思い浮かべ、それを支えと糧にして日々過ごしている。そんな者たちを、フィーリアは受付の方から遠目に眺めていた。

 ──……。

 向けるその眼差しに嘗ての明るさはなく、また放たれていた天真爛漫な雰囲気も、今や影に潜み、隠れてしまっていた。

「ねえ、フィーリアちゃん」

 と、そんな様子のフィーリアの元に一人の女性──『輝牙の獅子クリアレオ』の受付嬢たるリズティア=パラリリスがゆっくりと歩み寄る。その手には、グラスコップが握られており、その中を橙色の液体が満たしていた。

黄陽実サナサ果実水ジュースなんだけど、飲む……かな?」

 言いながら、リズティアはその手に持つコップをフィーリアに差し出す。が、フィーリアはチラリと視線をやったものの、小さく首を横に振った。

「……すみません。だいじょうぶです」

「そ、そう。わかったわ」

 申し訳なさそうに断ったフィーリアに対して、リズティアは気の良い笑顔で以てそう返す。……けれどその内心では、複雑な感情を抱いていた。

 ──フィーリアちゃん……前までは明るくて元気な子だったのに、な。

 我が『輝牙の獅子』GM、アルヴァが倒れてから二週間。たったそれだけの期間で、フィーリアの性格はまるで変わってしまった。それがリズティアの心に負い目を感じさせると同時に、如何にアルヴァ=レリウ=クロミアという存在が、今目の前に座る幼い少女にとって大きな心の支えで、そして拠り所であったかを改めて痛感させられた。

 何も別にリズティアはアルヴァの代わりになりたいなどとは思っていない。誰かが誰かの代わりになど、なれるものではない。その想いの在り方は傲慢──ただの自己満足だ。

 ただ、安堵してほしかった。自分は独りぼっちじゃない、孤独じゃない──リズティアはそう、フィーリアに思ってほしかった。少しでも彼女の不安や怯えを、拭い取りたかった。

 けれど、現実はこれである。

 ──……やっぱり、貴女じゃなきゃ駄目みたいです。だから、どうか早く……。

「戻って来てくださいよ、GM……」

 受付のカウンターにコップを置いて、そう悔しげにリズティアが呟いた、その瞬間だった。



 バンッ──突如、蹴破らんばかりの凄まじい勢いで、『輝牙の獅子』の扉が乱暴に開かれた。直後、一つの影が転がるように慌ただしく広間に飛び込む。



「な、何?」

 一体何事かとリズティアやフィーリア──この場にいる殆どの者が視線をやると、そこにいたのは────一人の男だった。

「た、大変だあっ!!は、早くなんとかしないと、この街が滅ぼされちまうぞッ!?」

 男は実に酷い格好であった。身に纏っている服はもはやボロ切れ同然で、まただいぶ長い間身体を清めていないのか、思わず顔を歪めてしまう程の異臭を周囲に放っている。

 まるで──というか浮浪者そのものの出立ちをしたその男は、酷く怯え恐慌しながら、そんな突拍子もないことを言いのけ、さらに続ける。

「お、俺は見たんだ見ちまったんだよこの目で、確かにはっきりと!お前ら冒険者ランカーだろ!?早くなんとかしろよ!で、でないと……でないとぉ!!」

「……貴方は」

 男の様子にその場にいる誰もが気圧される中、リズティアただ一人が冷静に彼を見つめ、そして気がついた。

 頭の中で思い起こされるのは、もはや遠い記憶。その見た目からいつしか『魔石塔』と呼ばれるようになったあの『創造主神の聖遺物オリジンズ・アーティファクト』の塔の調査。アルヴァを筆頭とした三名の冒険者ランカーによって構成された護衛隊と、セトニ大陸に居を構える『世界冒険者組合ギルド』本部より派遣された研究者たちによって、それは行われた。

 しかし、この調査終了後、アルヴァと共に行動した三名の冒険者はその行方を晦ました。捜索も行われたが、発見には至らないという結果に終わり、そしてなし崩し的に捜索は打ち切られ、彼ら冒険者は死亡したものと判断された。

 だが、『輝牙の獅子』の面々に現れた男こそ────その行方不明となり死亡者扱いとなった、冒険者の一人だったのだ。

「み、見たんだ……俺は、この目で……そうだ、あいつが、あいつ……」

 身体をふらつかせ、血と泥に塗れ赤黒く染まった片手で顔を覆いながら、男がブツブツとそう呟き、だがその途中で止まる。

「……あ、ああ、ああああ!」

 男の恐慌具合がより一層酷く悪化し、その全身がブルブルと激しく震え出す。彼の視線の先にいたのは────椅子に座り呆然としているフィーリアの姿であった。

「何で!?何でッ!?何で何で何でここにいる?ここにいやがるッ?!や、止めろ止めろ止めろ!あいつだ!あいつが全部やったんだ!塔も仲間も、あの医者も!あいつがッ!!」

 出鱈目な言葉を滅茶苦茶に吐き散らかして、涎を振り撒き、男が指差す。無論、その先にいるのはフィーリアで。指の間から覗く、男の血走った目が、ギョロリと彼女を捉えた。

「ひっ……!?」

 堪らず恐怖で顔を歪め、身を竦めたフィーリア。そんな彼女に、男はさらに、まだ幼い少女に対してかけるにはあまりにも無遠慮で、無体な言葉を叩きつけた。



「この、化け物めぇえッッッ!!!」



 言うが早いか。恐慌状態に陥っているとは思えない程洗練された動きで男は【次元箱ディメンション】を開き、震えておぼつかない己の手元へ抜き身の短剣を滑らせる。その柄を握り締め、そして衝動に突き動かされるようにその場から駆け出す。

 あまりにも突然かつ読めない男の行動を、『輝牙の獅子クリアレオ』の面々は止めることができなかった。ようやく動き出す頃には数秒が経過しており、そしてその数秒で男は椅子に座るフィーリアとの距離を詰め終えていた。

「ふぃ、フィーリアちゃんッ!?」

 慌ててリズティアが前に出ようとするが、遅い。フィーリアの眼前は──既に短剣の切先で埋め尽くされていた。

「うわぁあああぁぁあぁああああぁああっ!」

 男は涎と奇声を迸らせ、振り上げた短剣を何の躊躇も迷いもなく、容赦なしに眼下のフィーリアの顔面に突き立てる────直前。

「こ、こないで……こないでぇえっ!」

 バキバキバキッ──瞬間、フィーリアの悲鳴に呼応でもしたかのように。



 彼女の周囲を取り囲むようにして太く分厚い、薄青い魔石の柱が何本も連なって突き立ち、そしてその内の一本が男を吹き飛ばした。



「ぐぶべあ゛っ」

 抵抗もできなかった男が宙を飛び、そのままろくに受け身も取れず壁に叩きつけられる。ゴチャ、という嫌に生々しい音を立てた後、男は床に倒れ込み、そのままピクリとも動くことはなかった。

 静まり返る広間ロビー。誰もが沈黙する中、魔石の柱に囲まれているフィーリアだけが声を漏らす。

「あ……」

 その場にいる全員が、フィーリアを見やる。無数の目が、視線が彼女に注がれる。彼女を絡め捉える。

 其処にあったのは、呆然──驚愕────恐怖。未知に対する、畏れ。

 それら全てが不躾に、幼いフィーリアの身体に刺さる。幼いその心を突き刺す。

「ち、ちが……ちがう、の。わたし、しらない。こん、な。こんなの……」

 フィーリアは震える声を懸命に絞り出し、そう告げる。だが、直後潤んだその異質な瞳から透明な雫が流れ────瞬間、フィーリアが椅子から跳び降り脱兎の如く駆け出してしまった。

「フィ!……フィーリア、ちゃん……」

 ハッと我に返ったリズティアが慌てて呼び止めようとしたが、その時既にフィーリアの小さな背中は遠く、そして『輝牙の獅子』を飛び出してしまった。伸ばしたリズティアの手が、虚しく宙を掻く。

 ──……届か、なかった……届けられなかった……!

 手をゆっくりと振り下ろし、リズティアは悔しげに顔を歪めた。

「すみません、GMギルドマスター。やっぱり、私じゃあ……」

 リズティアが力なく呟くとほぼ同時に。先程まで全くの無反応だった冒険者ランカーの男の身体が、ビクンと跳ねた。

「……あ、ああ……駄目だ。どいつもこいつも、駄目なんだ。あの化け物は殺せない。殺せやしないんだ。化け物を殺すのはいつだって英雄だ……」

 ブツブツと不気味に呟きながら、そして四肢を僅かに痙攣させながらも、床に伏していた男はゆっくりと立ち上がる。その際に、ボタボタと血が垂れ、床を赤く染めた。

「俺ぁ……子供ガキの頃から憧れてた……夢見てたんだ。そうさ、俺は英雄になりたかったんだ。ヒヒッ、ヒヒヒ……」

 男の様子は、さながら幽鬼のようだった。右に左に身体を揺らしながら、男はそう言って不気味な笑いを溢す。そんな男に、堪らずというようにたまたま側にいた冒険者の一人が声をかける。

「お、おいお前、大丈夫か?」

 声をかけたその冒険者に、男はバッと勢い良く顔を向ける。壁に叩きつけられ、床に落下した際に強く打ちつけてしまったのか、その額からはダラダラと赤黒い血が止め処なく流れていた。

「俺はぁ!なりたかったんだ英雄に!だから、化け物を殺して、俺は英雄になるぅうッ!!!」

 もはや、誰の目から見ても男は正気ではなかった。尋常ではない恐怖をこれでもかと浴びた結果の末路。その姿がそこにはあった。

 狂気に駆られた男が、あまりにも自然な動作で腰に隠すようにして差していた剣を鞘から抜き、そして一切躊躇わずにそれを振るった。銀の刃が宙を滑り、軌跡の途中にあった、声をかけた冒険者の腹部をなぞる。

「……え?」

 そんな呆けた声に一拍遅れて。斬り裂かれた冒険者の腹部から鮮血が噴き出し、目の前にいた男とその周囲を赤く汚した。

「英雄にっ!英雄にぃッ!ヒャハ、ヒャハハハハァッ!!!」

 冒険者がその場で倒れる中、血に塗れながら男は高らかに笑う。血に濡れた剣をブンブンと振り回しながら、まるで夢を見て夢に憧れる少年のように。

「て、てめえ!やりやがったなこのキチガイ野朗!」

「早くそいつを取り押さえろ!」

「だ、誰か!誰か今すぐに手当てを!」

 一瞬にして騒乱の只中となった『輝牙の獅子』広間ロビー。それを引き起こした張本人たる男を取り押さえようと、複数人の冒険者が詰め寄る。が。

「させねえさせねぇぞ!英雄になるのはこの俺だ!英雄になっていいのは俺だけだ!あの化け物をぶっ殺して、英雄になれるのはこの俺なんだぁああぁああぁあッ!!!!」

 などと、支離滅裂に叫び散らしながら、男は迫る冒険者たちを手当たり次第に撫で斬っていく。狂気に満ちたその立ち振る舞いや言動とは裏腹に、男の剣捌きは卓越したもので、今この場にいる冒険者たちが到底敵うものではなかった。

「や、止め──ぐああっ」

「殺され──ギャッ」

「ひぃいっ──がふッ」

 阿鼻叫喚。地獄絵図。先程まであった日常は、非日常へと。悲鳴と怒号が合唱し、血飛沫が宙を舞う。そんな鉄錆臭い混沌の最中、男の狂笑が何処までも響く。

「横取りは許させねえ!あの化け物を殺すのは俺だ!他の誰にも殺らせねえ!殺らせるものかよぉおおおおッ!!!!」

 笑っていた男はそう叫ぶや否や、突如としてその場から冒険者組合の扉に駆けて向かう。その行手を遮る者はもはや誰もおらず、リズティアは今し方引き起こされた悪夢じみた目の前の現状を受け止められず、ただ放心し、血みどろの男の背中が遠ざかるのを黙って眺めることしかできない。そしてそれが完全に消え去る直前────男の目の前で、扉が勝手に開かれた。

 ──え……?

 瞬間、リズティアの視界に映り込むもう一つの姿──一体何の用があって訪れたのか、それはフィーリアと同い年くらいの、少女であった。

「英雄の行先を、遮るんじゃあねえよッ!」

 男の怒号に、その少女の全身がビクリと跳ね、その顔が上を向く。キョトンとした瞳の奥に映り込んだのは、もう人とは呼べない獣が銀色の凶器を振り翳す姿だけだった。

 その光景を前にして、リズティアが目を見開き即座に大声で叫ぶ。

「止めっ」



 ザシュッ──欠片程の躊躇いもなく、振り下ろされた刃が。僅かばかりの迷いなく一人の小さな少女の首を斬り飛ばすのは、それとほぼ同時のことであった。



「待ってろ化け物ぉおぉおおヒヒャハハハッ!」

 新たに鮮血を浴びながら、飛び出す男。その背後では少女の生首が宙を舞い、リズティアの視界を残酷にも占領する。

 数秒、遅れて。

「……ぃゃややゃゃぁあああぁ……っ!」

 悲痛と絶望に塗れた、リズティアの絶叫がその場に響き渡るのであった。
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