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ARKADIA──それが人であるということ──
ARKADIA────その想い
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円形闘技場を切り抜けたサクラは、螺旋階段を上がっていた。最初に見た通り果てしなく続いており、サクラが数分駆けてもなお終わりが見えてこない。
「……」
『その先の先で、私は首を長くして待ってますからね』
果ての見えぬ螺旋階段を、何の比喩でもなく疾風の如く駆け上りながら、サクラはその言葉を静かに、脳裏に過ぎらせていた。
──フィーリア。やはり、君は……。
塔への門の時にも、そして先程の時も。他人からすれば普段通りに聞こえていたフィーリアの声だったが、しかしサクラにはわかっていた。そして恐らくこの場にいればクラハにも、ラグナにも。
今となっては結構な付き合いとなった三人ならばわかる。今のフィーリアは、確実に────
「……む」
────その時、この果ての見えぬ螺旋階段の終わりが、ようやっと見えた。そのことにサクラの思考が半ば無理矢理断ち切られる。
螺旋階段の先──そこで広がっていたのは、一体どういう造りなのか検討もつかない、明らかに物理的に不可能な大広間であった。さらに、比較的身長が高めなクラハよりも頭一つ分より高いサクラを優に超える、過剰と思える程に巨大で、だがそれに見合わぬくらいに質素な扉が構えていた。
そしてその扉の前には────二つの人影が立っている。その佇まいは、さながら扉を守護する番人のようである。
「……君たちは」
二人の番人について、サクラには覚えがあった。……ただ、彼女にある記憶の中と、今の姿には多少の違いがあった。
一人は腰に剣を下げた、漆黒の外套を身に包んだ仮面の者。顔を隠すその仮面の右側が、薄青い魔石でびっしりと覆われている。
一人は燕尾服を着た長身の優男。ただし微笑んだけで街行く女性の殆どを虜にしてしまうだろう顔の左側は、薄青い魔石によって覆われその魅力を損なってしまっていた。
その二人を見つめ、サクラはスッと瞳を細める。そして静かにため息を一つ吐いた。
「私も、退く訳にはいかないのだがな」
サクラが零したその一言が合図だったかのように、佇むだけだった仮面の剣士が動きを見せる。ややぎこちなく右腕を震わせたかと思えば、それがまるで嘘だったかのように瞬時に剣を鞘から抜き、俊敏にその場を蹴る。
刹那、サクラの眼前には鋭き切先が広がり。けれどその切先が彼女の瞳を突くことは叶わなかった。
切先がもはや誰もいない虚空を貫く。それを追うかのようにして、魔石の床に薄青い魔石が走る。その場から跳び去ったサクラの目には、その魔石群がいくつにも連なった、無数の鋭利な剣身のように見えていた。
およそ人類には到底見切ることなど不可能な突きを躱された仮面の剣士が、今度はその場で素早く剣──遠目から見れば魔石をただ粗く削った、しかし切先だけは異様なまでに鋭い無骨な棒──を振るう。
直後、続くように連なる魔石群がサクラを狙って無数に駆ける。その速度は人の視力などで到底捉え切れるものではなかったが、サクラからすればそう大したことはない。宙で体勢を整え刀の柄を握る────そのすぐであった。
「?」
空いていたサクラの左手が、突如として何かを指で摘み止める。視線だけやれば、サクラの指は一本のナイフを摘んでいた。銀製の、恐らく食事用のナイフ。続けて視線を動かすと、その先には腕を振りかぶった姿勢の、あの燕尾服の優男がいた。
透かさずサクラの目前にまで魔石群が迫る。もし呑み込まれでもしたら、人体など即座に細切れの肉片と化すだろう。
だがサクラはあくまでも冷静に、得物を鞘から抜刀。刹那、彼女のすぐ目の前にまで迫っていた魔石群の全てが残らず散り散りに吹き飛んだ。
刀を構えたサクラの元に、仮面の剣士が迫る。その接近に対応しようとした矢先、サクラの左手が細かく動く。視線だけをまたやれば、彼女の左手は器用にも数本の銀ナイフを掴み取っていた。
「……すまないが、私に飛び道具の類は通じないぞ」
いつの間にかある程度距離を詰めていた優男に対して、自分でも届くかどうかわからない言葉をサクラは告げる。そんな彼女に、仮面の剣士が斬りかかる。
ギィィン──鉄の刀と魔石の剣、材質の異なる二つの刃が衝突し、その間に黄色と青色の火花を咲かせた。
「……!」
仮面の剣士の一撃を受けたサクラの瞳が見開く。それから何かを察したかのようにスッと細めて、彼女は隙だらけとなっていた剣士の胴に一発の蹴りを入れる。
側から見ればそう大した威力はないだろうその蹴撃。しかしそれはあくまでも見た目だけで、生半可な者ではそれだけで再起不能にされる程の、強烈な威力をそこに宿していた。事実、人ならざる存在であるはずの仮面の剣士は為す術もなく、そのまま蹴飛ばされてしまった。
仮面の剣士との間合いを強引に離したサクラの元に、今度は燕尾服の優男が迫り来る。優男は彼女の距離をより詰めると同時に、数本の銀ナイフを投擲する。
宙を裂きながら己に飛来する銀ナイフを、サクラは実に落ち着いた様子で眺め、そして徐にまだ左手に持っていた銀ナイフを投擲した。
優男が投擲した銀ナイフと、今し方サクラが投擲した銀ナイフ。その二つの射線は全く同時に重なっており、刹那にもその切先同士が衝突を起こし、そして両方とも粉々に砕け散った。
まさに神業──しかし、燕尾服の優男は臆することなく、続け様に次々と銀ナイフを投擲する。そのどれもが様々な方向から、だが確実にサクラを狙っている。
サクラもまだ手元に残っていた銀ナイフを投擲し、前方から飛来するものを砕く。だがまだ多くの銀ナイフが彼女に迫っていた。
無数の銀ナイフがサクラの身体に突き刺さる────直前、サクラがその場で刀を振るった。言うなれば、それはただの素振りである。
だがサクラはそのただの素振りだけで、己が周囲に暴風を起こしてみせた。彼女に向かっていた銀ナイフの全てが巻き上げられ、彼方へと飛ばされてしまった。
けれど、それでも燕尾服の優男の戦意が削がれることはなく。今度は唐突に魔石の床に手を叩きつける。バンと音が張ると同時に、そこを起点として影が広がり、無数の触手のように蠢き飛び出した。
影の触手がサクラが立っていた場所に突き刺さる。当の彼女といえば、既に宙にいた。影の触手は群を成して、凄まじい速度と勢いで追跡を仕掛ける。
宙に浮くサクラは無防備──されど、影の触手群は彼女を捉えることができない。絡め取ろうしても、サクラはそれを紙一重で全てを躱してみせる。
躱しながら、サクラが燕尾服の優男との距離を詰める。刀を構えた彼女の様子に、これでは埒が明かないと判断したのか、不意に手に持っていた一本のナイフを振るう。瞬間、サクラを囲っていた影の触手群が優男の元へ戻り────その全てが、ナイフに集中した。
燕尾服の優男の手に握られているのは、もはや銀の食器ナイフなどではなかった。言うなれば、それは漆黒の細き刃を持つ、一振りの刺突剣。優男がその刺突剣を構え、その姿を見たサクラは口を開く。
「……上等ッ!」
その瞬間、サクラの背後から五本の魔石の柱が、彼女を包み込むように襲い来る。が、サクラがクルンと宙で回転したとほぼ同時に、それら全てが平等に砕かれる。
柱を砕き、サクラが視線を地上に戻す。だが、そこにはもう誰もいない。即座に前方に顔を上げれば、刺突剣を構える燕尾服の優男が目の前にいた。
サクラと優男。互いに得物を構えた両者が、宙の中で交差する。二人の姿が重なった、その瞬間。
キンッ──そんな音だけが、妙に静かに響いた。
直後、宙にいる優男の肩から鮮血が噴き出し、姿勢が崩れる。握っていた刺突剣が手元から滑り落ちて、その刃が真っ二つに折れた。
一方で着地したサクラの元に、彼女に遠方まで蹴飛ばされた仮面の剣士が迫り、その手に握った魔石の剣を振るう。瞬間、刃の如き魔石が連なってサクラを襲う。
目前にまで押し寄せる魔石群に向かって、サクラが刀で宙を薙ぐ。たったそれだけの動作で、彼女に押し寄せていた魔石群の全てが吹き飛ばされる。が、その影に隠れていた剣士がサクラに斬りかかる。
サクラの刀と仮面の剣士の剣が衝突し、再度黄と青の火花を散らす。それも一度のみならず、何度も、幾重にも。
数十にも及ぶ、人域を逸した斬り合いの末──先に退がったのは仮面の剣士の方であった。自らサクラとの距離を離した剣士のすぐ側に、一本の魔石の柱が突き立つ。
突如として突き立ったその柱に、仮面の剣士が己の得物たる魔石の剣を突き刺す。瞬間、柱から薄青い光が溢れて輝き出し────そして静かに崩れ落ちた。
「……ほう」
それを目の当たりにしたサクラが、思わず感嘆の息を漏らす。……否、刀剣を得物にし生きる存在であれば、そうせざるを得なかっただろう。
崩れた柱の中から現れたのは、もう無骨な魔石の棒などではない。それとは正反対の、精錬され何処までも鋭く、ただただ鋭く研ぎ澄まされた、正しく至高にして最高の一振りと評するに相応しい剣がそこにあったのだ。
真の姿を晒したその剣を、仮面の剣士がゆっくりと構える。対するサクラは刀を────今一度、鞘に納めた。
「その覚悟、確と見届けた」
言って、サクラもまたその場で構えを取った。両者互いに見合い、そして。
ダンッ──仮面の剣士が大広間の石床を蹴った。
「……」
サクラの背後で、仮面の剣士が剣を振り下ろした姿勢のまま静止していた。サクラもまた同じように、鞘に納めた刀の柄を握ったままその場で静止している。そうして数秒が過ぎて────ピシリと、剣士が未だ振り下ろしているままの剣に、亀裂が走った。
亀裂は瞬く間に剣身全体に広がり、そして硝子のように儚く砕け散る。落下する破片と欠片が薄青い魔力の粒子となって宙に霧散する途中で、保たれていた仮面の剣士の姿勢も崩れ、膝が石床を突く。
サクラは、苦い表情をその顔に浮かべ、仮面の剣士の方へと振り向く。その背中は陽炎のように揺らぎ、薄らぎ──消えかけていた。
「…………貴女に、託します」
それは、救いを乞う声だった。それは助けを求める言葉だった。短い末路の、そんな一言だけを残して。気がつけば、仮面の剣士の姿はサクラの視界から消え失せていた。
「……」
スッと瞳を細め、サクラは再度背後を振り返る。彼女の視線の先──宙で一足先に斬られた燕尾服の優男が、石床に伏しながらも、こちらを見上げていた。……だが、彼の身体もまた、半分以上が魔力の粒子に戻り、そして消えかけている。
剣士とは打って変わり、優男はサクラに対し何も言葉を伝えることはなかった。ただその顔に、半分魔石に覆われたその顔に酷く優しげな微笑みだけを浮かべて────やはり、サクラの視界から消え失せた。
「……受け取ったぞ、その想い」
それだけ言って、サクラは固く閉ざされていた大扉の方へ顔を向ける。大扉は、いつの間にか開け放たれていた。
一切先の見えぬ闇を見つめ、サクラは歩き出す。歩きながら、ぽつりと彼女は呟く。
「フィーリア。今、会いに行く」
そしてサクラは────闇に溶け、沈み、消えた。
「……」
『その先の先で、私は首を長くして待ってますからね』
果ての見えぬ螺旋階段を、何の比喩でもなく疾風の如く駆け上りながら、サクラはその言葉を静かに、脳裏に過ぎらせていた。
──フィーリア。やはり、君は……。
塔への門の時にも、そして先程の時も。他人からすれば普段通りに聞こえていたフィーリアの声だったが、しかしサクラにはわかっていた。そして恐らくこの場にいればクラハにも、ラグナにも。
今となっては結構な付き合いとなった三人ならばわかる。今のフィーリアは、確実に────
「……む」
────その時、この果ての見えぬ螺旋階段の終わりが、ようやっと見えた。そのことにサクラの思考が半ば無理矢理断ち切られる。
螺旋階段の先──そこで広がっていたのは、一体どういう造りなのか検討もつかない、明らかに物理的に不可能な大広間であった。さらに、比較的身長が高めなクラハよりも頭一つ分より高いサクラを優に超える、過剰と思える程に巨大で、だがそれに見合わぬくらいに質素な扉が構えていた。
そしてその扉の前には────二つの人影が立っている。その佇まいは、さながら扉を守護する番人のようである。
「……君たちは」
二人の番人について、サクラには覚えがあった。……ただ、彼女にある記憶の中と、今の姿には多少の違いがあった。
一人は腰に剣を下げた、漆黒の外套を身に包んだ仮面の者。顔を隠すその仮面の右側が、薄青い魔石でびっしりと覆われている。
一人は燕尾服を着た長身の優男。ただし微笑んだけで街行く女性の殆どを虜にしてしまうだろう顔の左側は、薄青い魔石によって覆われその魅力を損なってしまっていた。
その二人を見つめ、サクラはスッと瞳を細める。そして静かにため息を一つ吐いた。
「私も、退く訳にはいかないのだがな」
サクラが零したその一言が合図だったかのように、佇むだけだった仮面の剣士が動きを見せる。ややぎこちなく右腕を震わせたかと思えば、それがまるで嘘だったかのように瞬時に剣を鞘から抜き、俊敏にその場を蹴る。
刹那、サクラの眼前には鋭き切先が広がり。けれどその切先が彼女の瞳を突くことは叶わなかった。
切先がもはや誰もいない虚空を貫く。それを追うかのようにして、魔石の床に薄青い魔石が走る。その場から跳び去ったサクラの目には、その魔石群がいくつにも連なった、無数の鋭利な剣身のように見えていた。
およそ人類には到底見切ることなど不可能な突きを躱された仮面の剣士が、今度はその場で素早く剣──遠目から見れば魔石をただ粗く削った、しかし切先だけは異様なまでに鋭い無骨な棒──を振るう。
直後、続くように連なる魔石群がサクラを狙って無数に駆ける。その速度は人の視力などで到底捉え切れるものではなかったが、サクラからすればそう大したことはない。宙で体勢を整え刀の柄を握る────そのすぐであった。
「?」
空いていたサクラの左手が、突如として何かを指で摘み止める。視線だけやれば、サクラの指は一本のナイフを摘んでいた。銀製の、恐らく食事用のナイフ。続けて視線を動かすと、その先には腕を振りかぶった姿勢の、あの燕尾服の優男がいた。
透かさずサクラの目前にまで魔石群が迫る。もし呑み込まれでもしたら、人体など即座に細切れの肉片と化すだろう。
だがサクラはあくまでも冷静に、得物を鞘から抜刀。刹那、彼女のすぐ目の前にまで迫っていた魔石群の全てが残らず散り散りに吹き飛んだ。
刀を構えたサクラの元に、仮面の剣士が迫る。その接近に対応しようとした矢先、サクラの左手が細かく動く。視線だけをまたやれば、彼女の左手は器用にも数本の銀ナイフを掴み取っていた。
「……すまないが、私に飛び道具の類は通じないぞ」
いつの間にかある程度距離を詰めていた優男に対して、自分でも届くかどうかわからない言葉をサクラは告げる。そんな彼女に、仮面の剣士が斬りかかる。
ギィィン──鉄の刀と魔石の剣、材質の異なる二つの刃が衝突し、その間に黄色と青色の火花を咲かせた。
「……!」
仮面の剣士の一撃を受けたサクラの瞳が見開く。それから何かを察したかのようにスッと細めて、彼女は隙だらけとなっていた剣士の胴に一発の蹴りを入れる。
側から見ればそう大した威力はないだろうその蹴撃。しかしそれはあくまでも見た目だけで、生半可な者ではそれだけで再起不能にされる程の、強烈な威力をそこに宿していた。事実、人ならざる存在であるはずの仮面の剣士は為す術もなく、そのまま蹴飛ばされてしまった。
仮面の剣士との間合いを強引に離したサクラの元に、今度は燕尾服の優男が迫り来る。優男は彼女の距離をより詰めると同時に、数本の銀ナイフを投擲する。
宙を裂きながら己に飛来する銀ナイフを、サクラは実に落ち着いた様子で眺め、そして徐にまだ左手に持っていた銀ナイフを投擲した。
優男が投擲した銀ナイフと、今し方サクラが投擲した銀ナイフ。その二つの射線は全く同時に重なっており、刹那にもその切先同士が衝突を起こし、そして両方とも粉々に砕け散った。
まさに神業──しかし、燕尾服の優男は臆することなく、続け様に次々と銀ナイフを投擲する。そのどれもが様々な方向から、だが確実にサクラを狙っている。
サクラもまだ手元に残っていた銀ナイフを投擲し、前方から飛来するものを砕く。だがまだ多くの銀ナイフが彼女に迫っていた。
無数の銀ナイフがサクラの身体に突き刺さる────直前、サクラがその場で刀を振るった。言うなれば、それはただの素振りである。
だがサクラはそのただの素振りだけで、己が周囲に暴風を起こしてみせた。彼女に向かっていた銀ナイフの全てが巻き上げられ、彼方へと飛ばされてしまった。
けれど、それでも燕尾服の優男の戦意が削がれることはなく。今度は唐突に魔石の床に手を叩きつける。バンと音が張ると同時に、そこを起点として影が広がり、無数の触手のように蠢き飛び出した。
影の触手がサクラが立っていた場所に突き刺さる。当の彼女といえば、既に宙にいた。影の触手は群を成して、凄まじい速度と勢いで追跡を仕掛ける。
宙に浮くサクラは無防備──されど、影の触手群は彼女を捉えることができない。絡め取ろうしても、サクラはそれを紙一重で全てを躱してみせる。
躱しながら、サクラが燕尾服の優男との距離を詰める。刀を構えた彼女の様子に、これでは埒が明かないと判断したのか、不意に手に持っていた一本のナイフを振るう。瞬間、サクラを囲っていた影の触手群が優男の元へ戻り────その全てが、ナイフに集中した。
燕尾服の優男の手に握られているのは、もはや銀の食器ナイフなどではなかった。言うなれば、それは漆黒の細き刃を持つ、一振りの刺突剣。優男がその刺突剣を構え、その姿を見たサクラは口を開く。
「……上等ッ!」
その瞬間、サクラの背後から五本の魔石の柱が、彼女を包み込むように襲い来る。が、サクラがクルンと宙で回転したとほぼ同時に、それら全てが平等に砕かれる。
柱を砕き、サクラが視線を地上に戻す。だが、そこにはもう誰もいない。即座に前方に顔を上げれば、刺突剣を構える燕尾服の優男が目の前にいた。
サクラと優男。互いに得物を構えた両者が、宙の中で交差する。二人の姿が重なった、その瞬間。
キンッ──そんな音だけが、妙に静かに響いた。
直後、宙にいる優男の肩から鮮血が噴き出し、姿勢が崩れる。握っていた刺突剣が手元から滑り落ちて、その刃が真っ二つに折れた。
一方で着地したサクラの元に、彼女に遠方まで蹴飛ばされた仮面の剣士が迫り、その手に握った魔石の剣を振るう。瞬間、刃の如き魔石が連なってサクラを襲う。
目前にまで押し寄せる魔石群に向かって、サクラが刀で宙を薙ぐ。たったそれだけの動作で、彼女に押し寄せていた魔石群の全てが吹き飛ばされる。が、その影に隠れていた剣士がサクラに斬りかかる。
サクラの刀と仮面の剣士の剣が衝突し、再度黄と青の火花を散らす。それも一度のみならず、何度も、幾重にも。
数十にも及ぶ、人域を逸した斬り合いの末──先に退がったのは仮面の剣士の方であった。自らサクラとの距離を離した剣士のすぐ側に、一本の魔石の柱が突き立つ。
突如として突き立ったその柱に、仮面の剣士が己の得物たる魔石の剣を突き刺す。瞬間、柱から薄青い光が溢れて輝き出し────そして静かに崩れ落ちた。
「……ほう」
それを目の当たりにしたサクラが、思わず感嘆の息を漏らす。……否、刀剣を得物にし生きる存在であれば、そうせざるを得なかっただろう。
崩れた柱の中から現れたのは、もう無骨な魔石の棒などではない。それとは正反対の、精錬され何処までも鋭く、ただただ鋭く研ぎ澄まされた、正しく至高にして最高の一振りと評するに相応しい剣がそこにあったのだ。
真の姿を晒したその剣を、仮面の剣士がゆっくりと構える。対するサクラは刀を────今一度、鞘に納めた。
「その覚悟、確と見届けた」
言って、サクラもまたその場で構えを取った。両者互いに見合い、そして。
ダンッ──仮面の剣士が大広間の石床を蹴った。
「……」
サクラの背後で、仮面の剣士が剣を振り下ろした姿勢のまま静止していた。サクラもまた同じように、鞘に納めた刀の柄を握ったままその場で静止している。そうして数秒が過ぎて────ピシリと、剣士が未だ振り下ろしているままの剣に、亀裂が走った。
亀裂は瞬く間に剣身全体に広がり、そして硝子のように儚く砕け散る。落下する破片と欠片が薄青い魔力の粒子となって宙に霧散する途中で、保たれていた仮面の剣士の姿勢も崩れ、膝が石床を突く。
サクラは、苦い表情をその顔に浮かべ、仮面の剣士の方へと振り向く。その背中は陽炎のように揺らぎ、薄らぎ──消えかけていた。
「…………貴女に、託します」
それは、救いを乞う声だった。それは助けを求める言葉だった。短い末路の、そんな一言だけを残して。気がつけば、仮面の剣士の姿はサクラの視界から消え失せていた。
「……」
スッと瞳を細め、サクラは再度背後を振り返る。彼女の視線の先──宙で一足先に斬られた燕尾服の優男が、石床に伏しながらも、こちらを見上げていた。……だが、彼の身体もまた、半分以上が魔力の粒子に戻り、そして消えかけている。
剣士とは打って変わり、優男はサクラに対し何も言葉を伝えることはなかった。ただその顔に、半分魔石に覆われたその顔に酷く優しげな微笑みだけを浮かべて────やはり、サクラの視界から消え失せた。
「……受け取ったぞ、その想い」
それだけ言って、サクラは固く閉ざされていた大扉の方へ顔を向ける。大扉は、いつの間にか開け放たれていた。
一切先の見えぬ闇を見つめ、サクラは歩き出す。歩きながら、ぽつりと彼女は呟く。
「フィーリア。今、会いに行く」
そしてサクラは────闇に溶け、沈み、消えた。
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