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ARKADIA──それが人であるということ──
ARKADIA────十六年前(その二十)
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「やあやあ。初めまして、だよね。現『輝牙の獅子』GM、元『六険』《S》冒険者────『紅蓮』の……えぇと、アルヴァ=レリウ=クロミア君?」
声も出せず、ただ硬直し固まるしかないアルヴァに、そんな声が呑気にもかけられる。男にも女にも聞こえる、性別というのを感じさせないどっちつかずな声色であった。
そしてそれは声色だけに留まらず、その見た目も同様で。アルヴァの椅子だというのに何の躊躇いも戸惑いもなく座る、白に限りなく近い金髪と、灰色とも何とも形容できない無色の瞳を持つその者は、一見すると幼い少女のようにも見えるし、かと思えば凛々しい青年かのようにも見えるし、だと思うと穏やかな老人に見える。他に見たことのない、独自な意匠が施された真白色の祭服らしき衣服を身に纏うその者は、外見すらもどっちつかずで、年齢もまるでわからない。
──コイツは、一体……!
無論、今日来客があるなどアルヴァは聞かされていないし、仮にあったとしてもアルヴァの許可もなしにこの組合の者が勝手に、それも彼女の執務室などで絶対に待たせないはずだ。
「はは。そんなに怖い顔をしないでくれたまえよ。勝手にこの部屋に入って、勝手にこの椅子に座ってることは謝るから。ほら、そんな扉の前で立ち止まってないで、もう少し前においで」
アルヴァの困惑と警戒を他所に、この部屋の主でもないのにその者は彼女を手招く。当然それにアルヴァが従うはずもなく────
「前に進め。死ぬぞ」
────逆にその場から離れようとした彼女の首筋に、冷たい鋭い何かの切先が押し当てられ、それと同時にすぐ背後からそんな少年の声が聞こえてくる。まだ変声期も訪れていないような、高くあどけない声音──しかし、そこに込められていたのは、到底似合うことのない確かな昏い殺意。
「ッ……」
アルヴァの頬に一筋の汗が伝う。少年の殺意は本物だ。このまま立ち止まっていれば、首筋に当てられている得物の切先を、少年は躊躇なく一息で沈み込ませることだろう。もしそうなった時の先にある結末など、アルヴァには容易に想像できてしまう。
ゆっくりと、アルヴァが一歩踏み出す。それに続いて、彼女の背後にいる少年も一歩踏み出す。そうして二人はある程度まで進んで、スッと祭服を纏う者が手を上げた。
「そこでいいよ。……さてさて。こんな物騒な真似をどうか許してほしいなぁクロミア君」
「……」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、その者はアルヴァにそう言う。その言葉に対して、アルヴァは何も返せなかった。刃物らしき切先を押し当てられている手前、下手な行動が取れないのだ。
黙るアルヴァに、特に気にした様子もなくその者は続ける。
「そう緊張しなくても……まあ首にそんな危ないのを当てられてちゃあ、それも無理だよね。うん。アクセル君、離れて」
「は?」
予想だにしないまさかの発言に、黙り込んでいたアルヴァが堪らず声を漏らすのと、彼女の首筋を圧迫していた冷たく鋭い切先の硬い感触が静かに消え失せるのは、ほぼ同時のことであった。アルヴァの背後に立っていたのであろう少年が、その言葉通りに離れたのだ。
咄嗟に、アルヴァは振り返る──予想通り、そこに立っていたのは少年であった。恐らくまだ歳は十か十一そこらか。灰色がかった白髪と、深みのある翡翠色の瞳が特徴的な、年齢の割に身長の高い子で、特注なのだろう真白色の礼服を着ていた。そしてつい先程までこちらの首筋に押し当てていたのであろう、これまた他に見たことのない意匠のナイフをその手に握っていた。
「これで緊張も解けるでしょ?ほら、リラックスリラックス」
「………」
まるで戯けるようにそう言う祭服の者を、アルヴァは怪訝な表情で見つめる。彼女には、この者の行動が理解できなかった。……いや、彼女でなくとも、この行動には誰であろうと首を傾げざるを得ないだろう。
交渉等において絶対的有利を意味する、こちらの生殺与奪の権を握っていたというのに、わざわざ自分からそれを手放す──本来なら愚か極まりない行動であるが、だからこそアルヴァにはそれが却って酷く、不気味この上ないと思えてしまう。
こんなあり得ない行動を取るということは、即ちそうしても特に問題はないと暗にこちらに示しているということ。仮に今すぐアルヴァが祭服の者に襲いかかろうが────この祭服の者は、それを退けられるのだということ。その手段を有しているということであり、そしてその手段こそが、恐らくこの礼服の少年なのだろう。
アルヴァの、冒険者としての勘が告げていた──このまだ年端もいかない少年に、自分は勝てないと。もしここで戦り合えば、確実に喰われる──とても信じ難いことではあるが……この少年がこちらに放つ殺気が、それを如実にアルヴァに知らしめていた。まだ魔法が扱えたのならば、また話は別だったのかもしれないが。
──明らかに子供が放てる殺気じゃない……クソ、何だって復帰初日にこんな目に遭ってるってんだい……!
災難ばかりに見舞われる己の不運を恨みながら、アルヴァは先程から止まらない冷や汗でじっとりと背中を濡らす。祭服の者はリラックスしろだとか抜かしていたが、こんな訳のわからない状況でそんなことができるほど、生憎アルヴァの肝は据わってはいない。
そんな彼女の内心を見抜くように、ニコニコとした朗らかな笑顔を少しばかり曇らせて、仕方なさそうに祭服の者が口を開いた。
「こっちはあくまでも一方的に話をしに来ただけなのにねぇ……アクセル君、クロミア君を虐めるのもそこまでにしなさい」
祭服の者がそう言った瞬間、アルヴァに向けられていた少年──アクセルの殺気が、まるで嘘のように掻き消えた。
「よしよし。これで今度こそリラックスできるかな?クロミア君」
また戯けるようにして言う祭服の者を、アルヴァはただ呆然と見つめる他なかった。そこで彼女はふと気づく。
──あの、ペンダント……。
祭服の者の首から吊り下げられているペンダント。そのペンダントトップにある白金の十字架。アルヴァはそれに微かな見覚えを感じて────ハッと、目を見開かせた。
「……アンタは、まさか……」
堪らずというようにわなわなと震える声を絞り出すアルヴァ。そんな彼女の推測を裏付けるかのように、祭服の者の朗らかな笑顔が、ニヤリと僅かに歪んだ。
「御名答」
声も出せず、ただ硬直し固まるしかないアルヴァに、そんな声が呑気にもかけられる。男にも女にも聞こえる、性別というのを感じさせないどっちつかずな声色であった。
そしてそれは声色だけに留まらず、その見た目も同様で。アルヴァの椅子だというのに何の躊躇いも戸惑いもなく座る、白に限りなく近い金髪と、灰色とも何とも形容できない無色の瞳を持つその者は、一見すると幼い少女のようにも見えるし、かと思えば凛々しい青年かのようにも見えるし、だと思うと穏やかな老人に見える。他に見たことのない、独自な意匠が施された真白色の祭服らしき衣服を身に纏うその者は、外見すらもどっちつかずで、年齢もまるでわからない。
──コイツは、一体……!
無論、今日来客があるなどアルヴァは聞かされていないし、仮にあったとしてもアルヴァの許可もなしにこの組合の者が勝手に、それも彼女の執務室などで絶対に待たせないはずだ。
「はは。そんなに怖い顔をしないでくれたまえよ。勝手にこの部屋に入って、勝手にこの椅子に座ってることは謝るから。ほら、そんな扉の前で立ち止まってないで、もう少し前においで」
アルヴァの困惑と警戒を他所に、この部屋の主でもないのにその者は彼女を手招く。当然それにアルヴァが従うはずもなく────
「前に進め。死ぬぞ」
────逆にその場から離れようとした彼女の首筋に、冷たい鋭い何かの切先が押し当てられ、それと同時にすぐ背後からそんな少年の声が聞こえてくる。まだ変声期も訪れていないような、高くあどけない声音──しかし、そこに込められていたのは、到底似合うことのない確かな昏い殺意。
「ッ……」
アルヴァの頬に一筋の汗が伝う。少年の殺意は本物だ。このまま立ち止まっていれば、首筋に当てられている得物の切先を、少年は躊躇なく一息で沈み込ませることだろう。もしそうなった時の先にある結末など、アルヴァには容易に想像できてしまう。
ゆっくりと、アルヴァが一歩踏み出す。それに続いて、彼女の背後にいる少年も一歩踏み出す。そうして二人はある程度まで進んで、スッと祭服を纏う者が手を上げた。
「そこでいいよ。……さてさて。こんな物騒な真似をどうか許してほしいなぁクロミア君」
「……」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、その者はアルヴァにそう言う。その言葉に対して、アルヴァは何も返せなかった。刃物らしき切先を押し当てられている手前、下手な行動が取れないのだ。
黙るアルヴァに、特に気にした様子もなくその者は続ける。
「そう緊張しなくても……まあ首にそんな危ないのを当てられてちゃあ、それも無理だよね。うん。アクセル君、離れて」
「は?」
予想だにしないまさかの発言に、黙り込んでいたアルヴァが堪らず声を漏らすのと、彼女の首筋を圧迫していた冷たく鋭い切先の硬い感触が静かに消え失せるのは、ほぼ同時のことであった。アルヴァの背後に立っていたのであろう少年が、その言葉通りに離れたのだ。
咄嗟に、アルヴァは振り返る──予想通り、そこに立っていたのは少年であった。恐らくまだ歳は十か十一そこらか。灰色がかった白髪と、深みのある翡翠色の瞳が特徴的な、年齢の割に身長の高い子で、特注なのだろう真白色の礼服を着ていた。そしてつい先程までこちらの首筋に押し当てていたのであろう、これまた他に見たことのない意匠のナイフをその手に握っていた。
「これで緊張も解けるでしょ?ほら、リラックスリラックス」
「………」
まるで戯けるようにそう言う祭服の者を、アルヴァは怪訝な表情で見つめる。彼女には、この者の行動が理解できなかった。……いや、彼女でなくとも、この行動には誰であろうと首を傾げざるを得ないだろう。
交渉等において絶対的有利を意味する、こちらの生殺与奪の権を握っていたというのに、わざわざ自分からそれを手放す──本来なら愚か極まりない行動であるが、だからこそアルヴァにはそれが却って酷く、不気味この上ないと思えてしまう。
こんなあり得ない行動を取るということは、即ちそうしても特に問題はないと暗にこちらに示しているということ。仮に今すぐアルヴァが祭服の者に襲いかかろうが────この祭服の者は、それを退けられるのだということ。その手段を有しているということであり、そしてその手段こそが、恐らくこの礼服の少年なのだろう。
アルヴァの、冒険者としての勘が告げていた──このまだ年端もいかない少年に、自分は勝てないと。もしここで戦り合えば、確実に喰われる──とても信じ難いことではあるが……この少年がこちらに放つ殺気が、それを如実にアルヴァに知らしめていた。まだ魔法が扱えたのならば、また話は別だったのかもしれないが。
──明らかに子供が放てる殺気じゃない……クソ、何だって復帰初日にこんな目に遭ってるってんだい……!
災難ばかりに見舞われる己の不運を恨みながら、アルヴァは先程から止まらない冷や汗でじっとりと背中を濡らす。祭服の者はリラックスしろだとか抜かしていたが、こんな訳のわからない状況でそんなことができるほど、生憎アルヴァの肝は据わってはいない。
そんな彼女の内心を見抜くように、ニコニコとした朗らかな笑顔を少しばかり曇らせて、仕方なさそうに祭服の者が口を開いた。
「こっちはあくまでも一方的に話をしに来ただけなのにねぇ……アクセル君、クロミア君を虐めるのもそこまでにしなさい」
祭服の者がそう言った瞬間、アルヴァに向けられていた少年──アクセルの殺気が、まるで嘘のように掻き消えた。
「よしよし。これで今度こそリラックスできるかな?クロミア君」
また戯けるようにして言う祭服の者を、アルヴァはただ呆然と見つめる他なかった。そこで彼女はふと気づく。
──あの、ペンダント……。
祭服の者の首から吊り下げられているペンダント。そのペンダントトップにある白金の十字架。アルヴァはそれに微かな見覚えを感じて────ハッと、目を見開かせた。
「……アンタは、まさか……」
堪らずというようにわなわなと震える声を絞り出すアルヴァ。そんな彼女の推測を裏付けるかのように、祭服の者の朗らかな笑顔が、ニヤリと僅かに歪んだ。
「御名答」
応援ありがとうございます!
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