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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────十六年前(その十五)

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「そういえば、何で君はあの子に『フィーリア』という名前を付けたんだい?」

 とある日の、とある昼下がり。マジリカ全体を見渡せる大橋にて、煙草タバコを吸うアルヴァに、唐突にジョシュアの質問が降りかかった。その唐突な彼の質問に、アルヴァは煙草を咥えたまま彼の方へ顔を向ける。

 数秒、二人は見つめ合う。互いの間で沈黙が流れ、それに堪え切れなくなったジョシュアが軽く頭を下げた。

「す、すまないアルヴァ。君の気を悪くするつもりはなかったんだ。ただ、ちょっと興味本位というか、君があの子を保護することになって、すぐあの名前を付けたものだから、気になって……」

 しどろもどろにそう言い訳をするジョシュアを、アルヴァは黙って見つめる。まるで試すような眼差しを送っていたかと思うと、すっかり短くなった煙草を口元から指先で摘み取って、ジョシュアから顔を逸らしゆっくりと紫煙を吐き出す。

「……まあ、アンタとも長い付き合いになったしね」

 顔を逸らして、マジリカの街並みを見下ろしながら、アルヴァは続けた。

「妹の名前だよ。アタシのね」

 それを聞いて、ジョシュアが目を丸くする。それから意外そうにアルヴァに訊ねる。

「アルヴァ、君妹が……いや、え、でも……」

 そう訊ねて、途中で察してしまったジョシュアは言い淀む。それを裏付けるように、何ら至って変わらないそのままの声音で、アルヴァが言った。

「ああ、いたさ。……四つの頃に、火事で死んだ」

 アルヴァがそう言った瞬間、大橋に風が吹く。その風に紫紺色の髪を揺さぶられながら、彼女は続ける。

「あの子ね、似てるんだ。そっくりってほどじゃないけど、雰囲気とかが似てるんだ。私の傍にずっとくっ付いて追いかけてくるところとかも、同じなんだ」

 そう続けるアルヴァの声は、何処か震えているように、ジョシュアには聞こえた。

「……目の前にいたんだ。助けられるはずだったんだ。……でも、私はフィーリアを助けられなかった。必死にこっちまで伸ばしてたその小さな手を、私は掴めなかった。掴んで、やれなかった」

「……アルヴァ」

 呆然と、ジョシュアはアルヴァに声をかける。だが彼女は振り返らなかった。

「わかってる。あの子フィーリアが妹なんかじゃないってのは、私だってわかってるさ。……でもね、そんなの関係ない」

 その声は、もう先程のように震えてはいなかった。そしてアルヴァはようやくジョシュアの方に振り返る。彼女の表情には、固い決意が浮かび上がっていた。

「私はもう、二度と離したりはしない。フィーリアの手を、絶対に離さない」



















 それは、在りし日の光景。記憶。それが、今アルヴァの中にある意志を、猛烈に滾らせた。もはや動かせそうにもなかった己の身体の奥底から、何か熱いモノが込み上がってくる。湧き上がってくる。

 ──ふざけんじゃ、ないよ。アタシはまだ、終われない……終わる訳には、いかない……!

 折れかけた己に叱咤し、アルヴァは下げてしまった手を、もう一度徐々に振り上げる。

 ──誓ったんだ。もう、あの手を離さないって……二度と、離したりなんかしないって!

 そして遂に、こちらの首を掴むヴィクターの黒い右腕を、アルヴァの手が掴む。何とか引き剥がそうと、彼女は微弱ながら力を込める。だが当然、彼の右腕はビクともしない。

 ──……どうなっても、いい。

 アルヴァの手に、力が籠る。

 ──この身体が使い物にならなくなっても、いい。ブッ壊れちまっても、構わない。

 ドクン、と。アルヴァの心臓が鼓動を打つ。打つ度、彼女の手に──いや、彼女の全身に、熱が籠もっていく。

 ──だから、だから……。

 その熱は限度なく、そして留まることなく上昇していき、やがて目に見えるようになる。

「……おや。これは、一体……」

 ヴィクターが首を傾げさせて、不思議そうに呟く。それも当然と言えば、当然のことだろう。何故なら──今、彼が見ているアルヴァの周囲の景色が、まるで陽炎のように揺らいでいるのだから。

 そして遅れて、ヴィクターは察知する。己の右腕の先が──アルヴァに掴まれている部分が、まるで火に炙られているように熱いと。

 瞬間、ヴィクターの本能が警鐘を全力で鳴らす。今すぐ右手に力を込めて、目の前にいる女の首を握り潰せと、彼に訴えかける。彼にとってこのような感覚を抱くのは生涯で初めてのことであり、だからこそ即座に彼は従おうとした────だが、それでも、もう手遅れであった。



 ブシャアッ──まるで水風船を破裂させたかのような音を立てて、ヴィクターの右腕が、アルヴァが掴んでいた部分が弾け飛んだ。



「……ッ!!」

 瞬く間に焼けるような激痛が、ヴィクターの右腕全体に走る。それに堪らず彼はたたらを踏んで一歩その場から退がり、そしてアルヴァの方へ顔を向け──驚愕と困惑に囚われた。

「その、姿は……一体、どういう……」

 視線の先に立つアルヴァを見て、ヴィクターが呆然とそう呟く。しかし、それも無理のないことだろう。

 何故ならば、今のアルヴァは────



「……ああ、ヴィクター。お前の言う通り、もう……終わらせよう」



 ────燃ゆる紫紺色の炎を、身に纏っていたのだから。

「燃えている……?いや、違いますね。その炎は、貴女の魔力ですか?」

 ヴィクターの問いかけに、アルヴァが答えることはない。ただ彼女は彼を睨めつけ、そして黙ってその場を蹴る。瞬間、やはり彼女の姿はそこから掻き消えて、ドロドロに融解した魔石やら、露出し焼け焦げた地面だけが跡のように残される。

 先程のような爆発は起きない。代わりに、次々と地面を覆う魔石がジュッと音を立て、融解していく。その光景を目の当たりにして、ヴィクターはまたも呆然と呟く。

「捉えられない……」

 そう、ヴィクターにアルヴァの姿は見えていなかった。己の目にも、右腕にある百個近くの目玉にも、彼女の姿が映ることはない。

「……ならば」

 ヴィクターがそう呟き、少し遅れて彼の右腕の目玉全てが一斉に閉じ、溶けるように消える。そして、突如彼の右腕が膨張した・・・・

 ──百近くの視野を有しても捉えられないほどの速度。当然本人も視界が利いていないはず。その中で取れる選択は……単純な直線の突撃。ここは下手に反撃するよりも、迎撃するのが最善でしょう。

 ヴィクターの右腕が膨張していく。太く、そして巨大化していく。その度に血管らしき管が表面に浮き出していく。

 ──伸縮性、可変性を捨て……質量の増長、密度の倍増、さらに巨大化と硬質化を重ね合わせる。

 ものの数秒──たったそれだけの間で、ヴィクターの黒い右腕は、まるで一本の柱と見紛うような代物になっていた。彼はそれを、ゆっくりと鈍重に構える。

 ──点による攻撃はその殺傷力こそ優れたものですが、命中率が低い。ここは点ではなく面……面で、押し潰しましょう。

 それと同時に、ようやっとヴィクターの視界にアルヴァの姿が映り込む。彼女は、紫紺色の炎を纏いながら、鬼気迫る表情で足を振り上げていた。

 秒も過ぎぬ、一瞬にも満たぬ刹那────アルヴァの足とヴィクターの拳が衝突する。瞬間、その間からとても人体から発せられたとは思えない音が響く。

 アルヴァの蹴撃と、ヴィクターの拳撃。両者の攻撃は凄まじい拮抗を周囲に見せつけ──しかし、その決着自体は味気なく、呆気ないものであった。

「どぉ、りゃあああああッ!!!」

 咆哮と共に、アルヴァがより蹴撃に力を込める。瞬間、ヴィクターの拳に小さな亀裂が入り──それは瞬く間に広がり、彼の右腕が木っ端微塵に砕け、彼が大きく体勢を崩す。その隙を、アルヴァが見逃すことはなかった。

 透かさずヴィクターの懐に入り込み、アルヴァは固く握り締めていた拳を、無防備にも晒されていた彼の腹部に、何の躊躇いも迷いもなく打ち込んだ。

 アルヴァの拳に打たれ、その部分が大きく凹み、衝撃と紫紺色の炎がヴィクターを貫く。側から見ても相当な威力を秘めた一撃──だが、その一発だけでアルヴァは終わらせなかった。

「ぉおおらああああぁぁッ!!!」

 咆哮を上げながら、アルヴァはヴィクターに拳を打ち込む。絶えず、何発も打ち込んでいく。彼女の拳が彼に沈む度に、紫紺色の炎が噴いては貫いていく。

 まさに死力を絞り出し、絞り尽くした怒涛の連撃ラッシュ────その前に、とうとう堪らずヴィクターの身体が大きく揺れ、傾いた。

 そのまま倒れる──直前。アルヴァが紫紺色の炎に絡み纏われた足を振り上げ、そして。



「フィーリアに、手ェ出してんじゃぁ……ねえェェェェエッッッ!!!!!」



 ヴィクターの鳩尾を蹴りつけた。
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