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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────十六年前(その十三)

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 ヴィクターが視線を戻す頃には、既にアルヴァは彼の眼前にまで迫っていた。大きく振り上げられた足が、瞬く間にヴィクターの視界を埋め尽くす。

 ──これは回避できませんね。

 常人は当然として、並の《S》冒険者ランカーでは視界の片隅に捉えることすら叶わない、まさに瞬速と言っても過言ではない、アルヴァの蹴りを目の当たりにして、ヴィクターはそう判断すると全く同時に右腕を振り上げる。

 瞬間、アルヴァの足がその右腕を捉え、深々とめり込んだ・・・・・

 バキグチュッ──乾いた木の枝がし折れるような音と、肉が押し潰されるような、嫌に生々しい音が重なって、ヴィクターの右腕から鈍く響く。

「お、らぁあああッ!!」

 アルヴァが咆哮が大気を震わし、ビリビリと周囲一帯に響き渡る。彼女の蹴りを受けて、地面に付いていたヴィクターの足が微かに離れ、信じ難いことに彼の巨体が僅かながらも宙に浮いた。

 そしてそのまま────後方へと吹っ飛ばされた。一切の抵抗を許されずに、ヴィクターは魔石に覆われた壁に叩きつけられたのだ。

 ヴィクターの背中と壁の衝突音が響き、壁を覆う魔石全体にヒビが瞬く間に走る。そして秒も経たずに、それらは細かく砕け散った。

 それぞれが小さな欠片となった薄青色の魔石が、まるで粉雪のように舞って落ちる。それらを浴びながら、ヴィクターが静かに言う。

「……なるほど。これが『六険』第二位ですか。とてもではないですが、現役から退いているとは思えませんね。一応、耐衝撃ショック性も兼ね備えた防護服なのですが……それでも、私の右腕はご覧の有り様です」

 そう言うヴィクターの右腕は、拉げて凹み、奇妙な形に歪んでしまっていた。袖の色も赤黒く変色しており、袖口を伝ってポタポタと血が垂れ落ち、地面に赤い斑点を描く。一目見ただけでも、その腕がもはや使い物にならないということが理解できた。

 だが、己の右腕の惨状にヴィクターは特段驚きもせず、それどころか感極まったように身体を震わせていた。

「素晴らしい。本当に見事で素晴らしい蹴撃でした。……しかし、このままではこれからの活動に些かの支障をきたしますね」

 そう言って、ヴィクターが【次元箱ディメンション】を開き、手元に一本の、黒い液体で満たされた注射器を落とす。そしてそれを慣れた手つきで右肩に刺す────直前。

「そんなザマで上から物言ってんじゃないよ腐れ悪趣味クソ仮面マスクッ!」

 既に距離を詰め、間合いに入ったアルヴァが足を振り上げる。その狙いは、確実にヴィクターの頭部に定められていた。

 もしこれが先程のようにまた直撃すれば、間違いなくヴィクターの首が圧し折れることだろう。だが、二度も同じ攻撃を通用させるほど、この男は甘くなかった。

 アルヴァが足を振り上げた瞬間────彼女の足元が突如爆発した・・・・

「ぐあっ!?」

 壁と同じように魔石に覆われている地面が爆ぜ、アルヴァは難なく吹き飛ばされる。不幸中の幸いか、彼女の両足は無傷であったが、爆発の勢いで散らばった魔石の破片が、宙に浮いた彼女の全身を鋭く、細かく悪戯に切り刻んだ。

トラップです。先程貴女に蹴り飛ばされた際に仕掛けました」

 咄嗟に両腕で顔を庇いながら、地面に着地するアルヴァに、淡々とヴィクターが説明する。

 ──そんな暇なかったろうが……!

 切傷の痛みを堪えながら、心の中でアルヴァがそう吐き捨て、ヴィクターを睨めつけた。

「先日臨床実験を行ったばかりで、不安ですが……致し方ありません。多少の副作用は覚悟しましょう」

 全く不安そうには聞こえない声音でヴィクターはそう言うと、既に空になった注射器を放り捨てる。彼が放り捨てた注射器が地面に落下し、粉々に砕け散ったのと、それはほぼ同時のことだった。

 突如、ヴィクターの右腕の袖口から垂れ落ちていた血が止まる。かと思えば、次の瞬間まるで滝のような勢いで噴出した。

 瞬く間にヴィクターの足元に血溜まりが大きく広がり、ガクンと彼の身体が揺れる。その光景を目の当たりにして、アルヴァも堪らず面食らう──直後。

 明らかに致死量と思えるヴィクターの血溜まりが、黒く変色した・・・・・・

「!?」

 そのことに驚愕せずにはいられないアルヴァであったが、変化はそれだけには留まらなかった。黒い血らしきものとなったそれは、信じ難いことに────独りでに蠢き出し、ヴィクターの右袖の口に向かってその全てが殺到したのだ。

 ボコボコとヴィクターの右袖が音を立てながら異様に膨れ上がり、そしてバリッと破れて弾け飛ぶ。赤黒い布片がいくつも周囲に飛び散ら交う中、それ・・は外気に、アルヴァの視界に曝け出された。

「……なるほど。若干の痺れはありますが、ある程度自由は利きます。これならば制御も可能でしょうし、この結果は成功と言えますね」

 相変わらず淡々とした、感情の抑揚がない声でそう言うヴィクターであるが、そんな彼を──というよりは、それ・・を注視しながら、ゾッとしたような声をアルヴァが絞り出した。

「そりゃあ……何だ?ヴィクター、お前何をした……?」

 そのアルヴァの問いかけに、律儀にも丁寧にヴィクターが答える。

「これですか?これは私の新しい右腕・・・・・ですよ。貴女に蹴り潰されてしまいましたので、新しく生やし……いえ、この場合は移植したと言った方が正しいですか」

 その言葉通り、確かにそれ・・は腕を模していた。人間の腕の形をしていた。……その色が、腐った油のように黒いことと、時折不気味にその全体が波打つことを除けば。

「まだ違和感が残っていますが、じきに消えるでしょう」

 そう言って、何を思ったかヴィクターはその黒い右腕を振り上げる。そして、振り下ろした。



 ドゴォンッ──まるで、爆弾が爆発でもしたような轟音が響いて、この場どころか塔全体が揺さぶられる。ヴィクターの黒い右腕が殴りつけた場所を中心に、地面を覆う魔石も、そしてその下にあった地面すらも、等しく割れて、砕かれた。



「……な、っ」

 その余波は離れていたアルヴァの足元にも及び、魔石の表面に深い亀裂がいくつも走る。その様を目の当たりにしては、流石の彼女も戦慄せざるを得なかった。

「おや、大幅な膂力の上昇を確認。これは嬉しい誤算です」

 対し、ヴィクターは一切変わらない声音でそう言って、アルヴァを見やる。機械の頭部を模した仮面の目が、立ち竦む彼女を絡め取るように見つめる。

「これも貴重な体験です。元『六険』第二位、『紅蓮』の実力……是非、一度味わっておきたい」

 言って、ヴィクターは再度右腕を振り上げた。
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