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ARKADIA──それが人であるということ──

ARKADIA────十六年前(その十一)

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「てことで、今日一日フィーリアの面倒頼むよ」

 早朝。アルヴァは準備を済ませながら、そうジョシュアに言った。

「ああ。それはわかったけど……でも、急にどうしたんだい?」

 不可解そうな声音でジョシュアがアルヴァに訊ねる。彼の問いかけに対し、彼女は悩むかのように少しだけ黙って、それから静かに答えた。

「……ちょっと、思うことがあってね。それを確かめに行ってくる。じゃあ頼んだよ」

 そう答えて、アルヴァは自宅から出る。……できればフィーリアと言葉を交わしたかったが、この時間に起こすのは子供にとって苦だろうと、彼女は思い止めた。

 今日、アルヴァは向かう先は『世界冒険者組合ギルド』──経緯は、唐突なものであった。










 あの奇妙な黒衣の研究者、ヴィクターがマジリカを出てから、実に一ヶ月が過ぎた頃。様々な書類を捌いていたアルヴァは、ふと思い出した。

「……そういや、アイツが出てからもう一ヶ月か。まさか、本当にこんなあっさり諦めてくれるとは思いもしなかったね」

 アイツというのは、無論ヴィクターのことである。得体の知れない計画プロジェクトの為に、フィーリアが欲しいとほざき、何が何でも手に入れようとアルヴァに迫ったあの男。しかし結局それは叶わず、最終的に諦めこの街から出て行った。だがまだ何かしらの形で接触コンタクトを図ろうとするかもしれないと、それでもアルヴァは警戒して、気がつけば一ヶ月が経っていた。

 その間、何もなかった。逆に怪しく思えるくらいに、いっそ不気味なくらいに、何もなかったのだ。

 もう、ここは折れましょう──あの言葉はどうやら本当のことだったらしい。己が抱え込んでいた一抹の不安が杞憂に終わり、アルヴァは複雑な心境になる。ああいった輩は何をするかわかったものではないし、てっきり相当な根回しでもしてくるんじゃあないかと、彼女は考えていたのだ。というか、自分だったら間違いなくそうするだろうし。

 ともあれ、何もなく無事に事態が収束してくれる分には構いはしない。どうせだしこれを機にあんな人間のことなどすっぱり忘れてしまおう────そう、アルヴァが思った直後だった。



 ── フィーリアちゃんを──魔石の落し子を私に譲って頂けませんか?──



 不意に、ヴィクターのその言葉を、思い出した。

「………」

 瞬間、アルヴァの頭の中で、爆発でも起こしたかのように思考が広がる。それと同時に心の中で彼女は呟く。

 ──何で、気づかなかった……いや、気づけなかった?・・・・・・・・

 自分が信じられなかった。何故という思いが無限に湧いてきた。そうだ、それがおかしかったのだ。ジョシュアや他の者ならまだしも、自分は真っ先に気づくべきだった。気づかなければならなかった。

 そもそも、どうしてあの男はフィーリアを欲しがった?それは計画の為──いや、問題はそこではない。確かに、あの男はこう言っていた。フィーリアのことをこう呼んでいた────魔石の落し子、と。

「なんてこった……アタシは馬鹿か!?」

 この事実に今さらながら気づいた自分に、ひたすら苛立ち腹を立たせ舌打ちしながら、アルヴァは書類を放って椅子から立ち上がる。

「何で本当に気づけなかったんだ……全部、最初からおかしかったんだ……アイツがフィーリアのことを知っていたのが・・・・・・・おかしいことだったんだ!!」

 そう、全てはそこ。その一点。何故ならば、フィーリアという一人の少女の正体は。





 あの塔の調査に関わった人物や、『世界冒険者組合』の重役、それも限られた極一部の人物しか知られていない、極秘の超国家機密級の情報なのだから。





「まさか、あの男『世界冒険者組合』と繋がってたってのかい……!」

 信じられない面持ちでそう呟くや否や、もうアルヴァは居ても立っても居られなくなった。そこから先の彼女の行動は、迅速かつ性急であった。










 そうして、アルヴァが自宅を発って少し経った後、二階からトントン、と。ゆっくりと階段を下りる小さな足音が響いた。

「……あれ、ジョシュアおじさん……?」

 まだ寝呆けた声でそう言ったのは、フィーリアだった。どうやら起きてしまったらしい。

「フィーリア。起こしちゃったかな?ごめんね、こんな朝早くに」

「おかあさんは……?」

 ジョシュアにそう訊きながら、まだ眠気で少し足元をふらつかせながらも、フィーリアは彼に歩み寄っていく────その時だった。



 ガチャ──突然、ジョシュアが閉めたはずの家の扉の鍵が、ゆっくりと開けられた。



「ん……?」

 アルヴァが何か忘れ物でもして戻って来たのか──そう思い、ジョシュアは扉の方に振り返る。それとほぼ同時に、扉が開かれた。





「おや、おはようございます。確か、貴方はアルヴァ=レリウ=クロミア殿の御友人……でしたね」





 だが、そこに立っていたのは彼女ではなかった。一ヶ月前に、この街から去ったはずの、黒衣を纏った研究者──ヴィクターであった。

「な、き──

 思わずジョシュアが叫ぼうとした直前、ヴィクターが一瞬にして彼との距離を詰める。そして無防備にも晒されていた腹部に、一切の躊躇いもなく拳を突き刺した。

 ──ご、ぶっ?」

 腹部を中心に衝撃と鈍痛がジョシュアの全身に広がる──刹那。

 ドッ──まるで爆風でも直撃したかのように、彼の身体が後方に吹き飛んだ。

「がッ……」

 受け身も取れず、まともに壁に叩きつけられた後、そのままズルズルとジョシュアは床に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

「…………え?」

 床に伏したまま動かないジョシュアを、フィーリアはただ呆然とした様子で見つめる。そして彼女が前に顔を向けると。



「おはようございます。フィーリアちゃん」



 すぐ目の前に、ヴィクターが立っていた。

「い、いやっぁ……!」

 まるで声にならない悲鳴を上げ、フィーリアはその場から逃げ出そうとする。しかし、その前に。

 トッ──ヴィクターが、親指で彼女の顳顬こめかみを突いた。

 今度は悲鳴すら上げられず、気を失ったフィーリアの身体が倒れる──直前、そっと優しくヴィクターが抱き留め、そのまま抱え上げた。

「これで材料は揃いました。では、参りましょう」
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