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ARKADIA──それが人であるということ──
Glutonny to Ghostlady──魔神覚醒
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「さてと、静かになりましたし早速始めますか」
バラバラに斬り刻まれ、もはや物言わぬ無数の肉塊へと化したヴェルグラトの生々しい落下音を聞きながら、大して気に留めない様子で真白の少女──フィーリアはそう呟く。そしておもむろに己の親指を自らの口元に近づける。
「あー…む」
口を小さく開き、近づけた親指にかぷりと噛みつき、歯で皮膚を軽く裂く。少し遅れて、彼女の親指から真っ赤な血が流れ出す。
親指を口から離すと、フィーリアはクラハの身体の上に掲げる。そして静かに、ゆっくりと彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「我が鮮血よ。我が魔力を糧に、この者を癒したまえ──【神の血】」
その言葉に続くようにして、フィーリアの親指から一滴の血がクラハの身体に垂れ落ちる。最初こそ特に変化はなかったが、次に驚くべき光景が繰り広げられる。
ボゴボゴと嫌に生々しい音と共に、クラハの身体が流動する。目に見える速さで彼がこの屋敷で負った傷が治り、筋肉やら骨やらも再形成されていく。
その中でも特に、否が応でも目を引かれるのは──右腕である。フィーリアの指摘通り、クラハの右腕の有様は酷いという言葉で片付けられるものではなく、たとえ魔法で回復したとしても確実に後遺症が残るほどのものだった。
……が、それはあくまでも一般的に使われる中での、最下級から最上級の回復魔法の場合である。今フィーリアが使った【神の血】であれば──問題はない。
元々、この魔法を使えるのは僧侶などの、主に回復職に限られている。それもその道を極めた上で、凄まじい修行を終えた超一流の回復職の者が、最短で五十年をかけてようやく習得できる魔法なのだ。
だがそれを『天魔王』──フィーリア=レリウ=クロミアは覆した。回復職ではなく、あくまでも魔道士に過ぎないはずの彼女は──信じられないことにこの魔法を十歳の時点で習得していた。
【神の血】の効果はまさに絶大で、どんな重傷でも、致命傷でも、難病でも不治の病でも──関係なく全て治癒することができる。失ってしまった腕や足ですら、瞬く間に再生させてしまう。その強力さは、『世界冒険者組合』から行使の制限をかけられているくらいである。
一度使用するのに膨大な魔力を必要とするそれを、しかしフィーリアは至って平然とした様子で振るい、傷がたちまち癒えていくクラハの様子を眺める。
「……特に問題はなさそうですね。良かった良かった」
【神の血】が上手く使用できたのを確認し、ホッと彼女は安堵の息を吐く。いかに『天魔王』といえど、緊張も抱くのである。
クラハとラグナの二人を包み込むようにして魔法の障壁を張ってから、フィーリアは背後を振り返った。
「それで、話があるのならどうぞ。もうやることやったんで、好きなだけ聞いてあげますよ。私優しいですから」
うんざりとするフィーリアの視界が捉えたのは、石床に蹲る血塗れの男の姿だった。苦しげに身体を震わせるその男は。やはり苦しげに声を上げる。
「ぐがああぁぁぁ……この、程度でぇ……私を……魔神を殺せると、思うなぁぁ…………!」
そう忌々しそうに呻きながら、血塗れの男──『七魔神』が一柱、〝暴食〟のヴェルグラトは立ち上がる。その顔もドス黒い血に塗れており、また蜘蛛の巣のように無数の血管らしき赤黒く細長い管が張っていた。
荒々しく呼吸を繰り返しながら、憤怒の形相で彼はフィーリアに続ける。
「小娘ぇええッ!貴様は私を、このヴェルグラト様を本気で怒らせたなぁあ!!もはや、そのことを後悔させる時間すら与えん、与えんぞぉぉぉおおおおおッ!!!」
ヴェルグラトがそう言うと、彼の足元に広がる血溜まりが不気味に脈動し、歪な無数の棘と化す。そして一瞬の間も置かずにその全てがフィーリアにへと射出された。
血の尾を引きながら、フィーリアの顔面に突き刺さらんとしたその全ての棘は、彼女の眼前にまで迫った瞬間、妙に乾いた音を立てて一本残らず折れ砕け散る。が、その様をヴェルグラトは見てもいなかった。
「うおおおおおおおおおっ!死ねええええぇぇ!!」
そう叫びながら、クラハでは決して捉えられない速度でヴェルグラトはフィーリアに迫る。広げられた両腕は、冒涜的に尽きる、真紅の異形と化している。
そんな彼の突進を見て、フィーリアは一言だけ雑に吐き捨てた。
「うっさ」
ボゴンッ──直後、ヴェルグラトの腹に巨大な風穴が空けられた。血と内臓が外に零れ落ち、彼はその口から大量の血を宙に吐き出す。
「ごおええ、がばあああ」
そのまま倒れそうになったが、間一髪ヴェルグラトは持ち堪える。そして腹に空いた風穴が新たに形成された血と内臓と肉によって塞がれるのと同時に、未だ血を口から垂らしながら彼が叫ぶ。
「殺すゥゥウウウウ!」
瞬間、彼の右腕が巨大な真紅の剣と化した。そしてそれをフィーリアに向けて、思い切り振り下ろす。それに対して、また彼女は一言を雑に吐き捨てた。
「しつこい」
グチュブチャッ──真紅の大剣が粉々に破砕されるのと全く同時に、ヴェルグラトの頭部が圧し潰れた。ビクビクと彼の身体が何度も痙攣を繰り返す。
「……で、話は終わりましたか?」
半ば呆れたようにそう訊ねるフィーリア。その問いかけに大して、未だ立ったままのヴェルグラトの身体はさらに激しく痙攣し始め──かと思うと、その上からなにも失くなってしまった首から、大量の血と肉が噴出する。天井を赤黒く汚しながらそれは宙で渦巻き、瞬く間に血塗れのヴェルグラトの頭部となった。
「ごむずめぇえええ……!!!」
宙に浮いているヴェルグラトが、憎悪のままにそう吐き捨てる。そして噴出する血に引っ張られ、グチャリと周囲に血を撒き散らしながら首にくっ付いた。そして彼の両腕がまたしても変化し──今度は切っ先鋭い槍となった。
それを構えながら、ヴェルグラトは血の入り混じった唾を吐き散らしながらあらん限りに叫ぶ。
「ごろじてやるぅうゔゔゔゔッッッ!!!!」
もはや理性の欠片すら手放してしまった彼の様子に、フィーリアはただ小さなため息を吐いて──心底面倒そうに、呟いた。
「もう聞き飽きました、それ」
瞬間、槍と化したヴェルグラトの両腕は粉砕され、彼の全身に穴という穴が穿たれ、顔の半分が消し飛んだ。遅れてそこら中から血が流れ出すのと同時に、彼が石床に力なく膝から崩れ落ちる。
そしてそのまま倒れかけたが、その寸前でなにも失くなってしまった両腕から血が噴き、そこからまた新たな両腕が生え、石床を突いた。……が、もうそれだけだった。
「ぜ、ぇ……ばぁぁ……」
石床に手を突いたまま、ヴェルグラトは動かない。もはや彼に、そんな体力は残されていない。
そんな彼をフィーリアはただ無関心に、興味などなさそうに無言で眺める。
先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように、地下室が静まり返る──しかし、それも数秒だけだった。
「……ひひ、ははは」
突然、ヴェルグラトからそんな声が上がる。彼の肩が、小刻みに揺れる。
「?」
そんな彼の様子に、フィーリアが疑問を抱く──瞬間。
「はははあっはっはひゃはっ!」
大声を上げて、ヴェルグラトは狂ったように笑い始めた。彼の笑い声が地下室に響き渡る。
──え?なに?
突如として急変した彼の態度に、フィーリアも堪らず困惑する。と、一頻り笑ってから、ヴェルグラトが言う。
「認める。認めてやる小娘。貴様は強い──今の私よりも」
「……今の?」
そのヴェルグラトの言葉には、含みがあった。それを感じて、そう呟くフィーリアに彼は言う。
「ああそうだ。今の私よりもだ。小娘、貴様が悪い。悪いんだ。その強さが、たかが人間の分際で愚かにも魔神をも超えてしまった、驕り高ぶったその強さが──貴様自身を確実な破滅へと導いてしまった」
言いながら、ヴェルグラトは身体を起こし、虚空に向かって手を突き出す。すると彼が突き出した手の上の空間が、捻れるように歪む。その現象の正体を、フィーリアはうんざりするほどに知っていた。
──【次元箱】……この人、一体なにを……?
フィーリアがそう思うのも束の間、その歪んだ空間からとあるものがヴェルグラトの手に吐き出される。それは──手のひら大の、水晶玉と非常に似通った球体の魔石。
それを受け止め、ヴェルグラトがこれ以上にないほどに口角を吊り上げる。
「これはあの男に対する切り札だったが……貴様に使ってやるぞ小娘。貴様にはそれだけの価値があると、私は判断した」
下卑た笑みを浮かべながらそう言って、ヴェルグラトはギュッと握り締める────虚空を。
「…………ん?」
そのことに違和感を覚え、ヴェルグラトが己の手元に視線をやる。そして思い切り目を見開かせた。何故なら、先ほどまでその手中にあったはずの、己の切り札である魔石が──消えていたのだから。
驚愕する彼の鼓膜を、わざとらしいまでに呑気な声が震わせる。
「へー、これが切り札ですかー」
その声にハッとヴェルグラトは視線を向ける。当然のことであるがその先にいるのは石床に座り込むフィーリアの姿で──先ほどと違う点を挙げるなら、彼女の両手が、ヴェルグラトが持っていたはずの魔石を頭上に掲げているということ。
「ば、馬鹿なッ!?いい一体いつの間にィ?!か、返せ!私のだぞッ!!」
もはや体裁を取り繕う余裕すら失くしてヴェルグラトが必死に喚く。まあそれも無理はない。己の切り札を、奥の手をフィーリアに奪われ、今に石床に叩きつけられそうになっているのだから。
もしそうなれば、ヴェルグラトの五十年は全て水の泡と化す────しかし、そんな彼の不安に反して、フィーリアはその手にある魔石を石床に叩きつけようとはしていなかった。興味深そうに、彼女はその魔石を眺めていたのだ。
「中に入っているのは……人間の魂ですね。それも大量の。なるほど、これはいわば膨大な魔力の塊みたいなものですか……ふーん」
フィーリアがそう呟き終わるのと同時に、パッとその手から魔石が掻き消える。そうヴェルグラトが認識した瞬間、彼の手に覚えのある重みが帰ってくる。
見てみれば、フィーリアに奪われてしまったはずの魔石が、そこにはあった。
「な……」
「返して欲しかったんですよね?ほら、言う通りに返してあげました」
信じられないように、ヴェルグラトは再びフィーリアを見やる。彼女は──依然、つまらなそうな表情を浮かべていた。
動揺しながらも、フィーリアにヴェルグラトは言葉を投げる。
「こ、小娘、貴様正気か?己が掴んだ千載一遇の機会を、貴様は自ら放り捨てたのだぞ?それがわかっているのか?」
「正確には返した、ですけどね。はい、別に構いませんよ。その魔石もただ少し珍しいってだけでそう大したものでもなかったですし、それを使って少しでもこの茶番が楽しめるようになるんでしたら、万々歳ですから」
「………………」
フィーリアは、明らかに舐め切っていた。『七魔神』が一柱、〝暴食〟のヴェルグラトを、舐め腐っていた。完全に格下の相手だと、そう認識していた。
そのことを改めて思い知らされ────ヴェルグラトはあまりの怒りに己の腸が煮え繰り返るどころか、もはや焼き焦げるような錯覚を覚え、しかし、この時絶対なる勝利を彼は確信した。
──その傲慢の前に、滅び去るがいい。
そう内心で吐き捨てながら、ヴェルグラトは叫ぶ。
「いい加減、この私を舐めるなぁああああああああ!!!!」
そして、手にある魔石を────思い切り握り砕いた。
パリンッ──不意に、メルネの背後にあったグラスが割れ砕け、ちょっとした悲鳴を彼女は上げる。
「な、なに?なんで急に……」
そう言いながら、飛び散った破片を彼女は慎重に拾い上げるのだった。
「……なんなんだ、あれは」
窓からとある方角を眺め、グィンは戦慄の声を漏らす。それは、彼は今まで歩んできた人生の中で、決して短くはないだろうその人生の中で──初めて目にする景色だった。
雲が、渦巻いている。その中心に突き立つ、光の柱。見ようによっては神聖に感じられるそれに対して、グィンは真逆の雰囲気を微かに感じ取っていた。
──奥底に感じる、この魔力の脈動……なんて、邪悪極まりないんだ……ッ。
今、彼の──かつて『六険』の一人に数えられたほどの冒険者であった彼の生存本能が警鐘を鳴らす。あの光の柱は、この世界に混沌を齎し、そして終末を迎えさせるものだと。
「くくく、はっはっはっはぁあッ!」
笑い声がこだまする。己は頂点に至ったのだという、高笑いがこだまする。
迸り荒れ狂い、溢れて噴き出す極光の中より、それはこちらに歩み来る。絶対の絶望をその身に携え、絶対の破滅を振るうために一歩を踏み出す。
今此処に顕現す。混沌を齎し終末を迎えさせる存在。
「小娘。貴様に滅びを与えてやる。この『七魔神』──否、『第六罪神』のヴェルグラト様が、な」
バラバラに斬り刻まれ、もはや物言わぬ無数の肉塊へと化したヴェルグラトの生々しい落下音を聞きながら、大して気に留めない様子で真白の少女──フィーリアはそう呟く。そしておもむろに己の親指を自らの口元に近づける。
「あー…む」
口を小さく開き、近づけた親指にかぷりと噛みつき、歯で皮膚を軽く裂く。少し遅れて、彼女の親指から真っ赤な血が流れ出す。
親指を口から離すと、フィーリアはクラハの身体の上に掲げる。そして静かに、ゆっくりと彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「我が鮮血よ。我が魔力を糧に、この者を癒したまえ──【神の血】」
その言葉に続くようにして、フィーリアの親指から一滴の血がクラハの身体に垂れ落ちる。最初こそ特に変化はなかったが、次に驚くべき光景が繰り広げられる。
ボゴボゴと嫌に生々しい音と共に、クラハの身体が流動する。目に見える速さで彼がこの屋敷で負った傷が治り、筋肉やら骨やらも再形成されていく。
その中でも特に、否が応でも目を引かれるのは──右腕である。フィーリアの指摘通り、クラハの右腕の有様は酷いという言葉で片付けられるものではなく、たとえ魔法で回復したとしても確実に後遺症が残るほどのものだった。
……が、それはあくまでも一般的に使われる中での、最下級から最上級の回復魔法の場合である。今フィーリアが使った【神の血】であれば──問題はない。
元々、この魔法を使えるのは僧侶などの、主に回復職に限られている。それもその道を極めた上で、凄まじい修行を終えた超一流の回復職の者が、最短で五十年をかけてようやく習得できる魔法なのだ。
だがそれを『天魔王』──フィーリア=レリウ=クロミアは覆した。回復職ではなく、あくまでも魔道士に過ぎないはずの彼女は──信じられないことにこの魔法を十歳の時点で習得していた。
【神の血】の効果はまさに絶大で、どんな重傷でも、致命傷でも、難病でも不治の病でも──関係なく全て治癒することができる。失ってしまった腕や足ですら、瞬く間に再生させてしまう。その強力さは、『世界冒険者組合』から行使の制限をかけられているくらいである。
一度使用するのに膨大な魔力を必要とするそれを、しかしフィーリアは至って平然とした様子で振るい、傷がたちまち癒えていくクラハの様子を眺める。
「……特に問題はなさそうですね。良かった良かった」
【神の血】が上手く使用できたのを確認し、ホッと彼女は安堵の息を吐く。いかに『天魔王』といえど、緊張も抱くのである。
クラハとラグナの二人を包み込むようにして魔法の障壁を張ってから、フィーリアは背後を振り返った。
「それで、話があるのならどうぞ。もうやることやったんで、好きなだけ聞いてあげますよ。私優しいですから」
うんざりとするフィーリアの視界が捉えたのは、石床に蹲る血塗れの男の姿だった。苦しげに身体を震わせるその男は。やはり苦しげに声を上げる。
「ぐがああぁぁぁ……この、程度でぇ……私を……魔神を殺せると、思うなぁぁ…………!」
そう忌々しそうに呻きながら、血塗れの男──『七魔神』が一柱、〝暴食〟のヴェルグラトは立ち上がる。その顔もドス黒い血に塗れており、また蜘蛛の巣のように無数の血管らしき赤黒く細長い管が張っていた。
荒々しく呼吸を繰り返しながら、憤怒の形相で彼はフィーリアに続ける。
「小娘ぇええッ!貴様は私を、このヴェルグラト様を本気で怒らせたなぁあ!!もはや、そのことを後悔させる時間すら与えん、与えんぞぉぉぉおおおおおッ!!!」
ヴェルグラトがそう言うと、彼の足元に広がる血溜まりが不気味に脈動し、歪な無数の棘と化す。そして一瞬の間も置かずにその全てがフィーリアにへと射出された。
血の尾を引きながら、フィーリアの顔面に突き刺さらんとしたその全ての棘は、彼女の眼前にまで迫った瞬間、妙に乾いた音を立てて一本残らず折れ砕け散る。が、その様をヴェルグラトは見てもいなかった。
「うおおおおおおおおおっ!死ねええええぇぇ!!」
そう叫びながら、クラハでは決して捉えられない速度でヴェルグラトはフィーリアに迫る。広げられた両腕は、冒涜的に尽きる、真紅の異形と化している。
そんな彼の突進を見て、フィーリアは一言だけ雑に吐き捨てた。
「うっさ」
ボゴンッ──直後、ヴェルグラトの腹に巨大な風穴が空けられた。血と内臓が外に零れ落ち、彼はその口から大量の血を宙に吐き出す。
「ごおええ、がばあああ」
そのまま倒れそうになったが、間一髪ヴェルグラトは持ち堪える。そして腹に空いた風穴が新たに形成された血と内臓と肉によって塞がれるのと同時に、未だ血を口から垂らしながら彼が叫ぶ。
「殺すゥゥウウウウ!」
瞬間、彼の右腕が巨大な真紅の剣と化した。そしてそれをフィーリアに向けて、思い切り振り下ろす。それに対して、また彼女は一言を雑に吐き捨てた。
「しつこい」
グチュブチャッ──真紅の大剣が粉々に破砕されるのと全く同時に、ヴェルグラトの頭部が圧し潰れた。ビクビクと彼の身体が何度も痙攣を繰り返す。
「……で、話は終わりましたか?」
半ば呆れたようにそう訊ねるフィーリア。その問いかけに大して、未だ立ったままのヴェルグラトの身体はさらに激しく痙攣し始め──かと思うと、その上からなにも失くなってしまった首から、大量の血と肉が噴出する。天井を赤黒く汚しながらそれは宙で渦巻き、瞬く間に血塗れのヴェルグラトの頭部となった。
「ごむずめぇえええ……!!!」
宙に浮いているヴェルグラトが、憎悪のままにそう吐き捨てる。そして噴出する血に引っ張られ、グチャリと周囲に血を撒き散らしながら首にくっ付いた。そして彼の両腕がまたしても変化し──今度は切っ先鋭い槍となった。
それを構えながら、ヴェルグラトは血の入り混じった唾を吐き散らしながらあらん限りに叫ぶ。
「ごろじてやるぅうゔゔゔゔッッッ!!!!」
もはや理性の欠片すら手放してしまった彼の様子に、フィーリアはただ小さなため息を吐いて──心底面倒そうに、呟いた。
「もう聞き飽きました、それ」
瞬間、槍と化したヴェルグラトの両腕は粉砕され、彼の全身に穴という穴が穿たれ、顔の半分が消し飛んだ。遅れてそこら中から血が流れ出すのと同時に、彼が石床に力なく膝から崩れ落ちる。
そしてそのまま倒れかけたが、その寸前でなにも失くなってしまった両腕から血が噴き、そこからまた新たな両腕が生え、石床を突いた。……が、もうそれだけだった。
「ぜ、ぇ……ばぁぁ……」
石床に手を突いたまま、ヴェルグラトは動かない。もはや彼に、そんな体力は残されていない。
そんな彼をフィーリアはただ無関心に、興味などなさそうに無言で眺める。
先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように、地下室が静まり返る──しかし、それも数秒だけだった。
「……ひひ、ははは」
突然、ヴェルグラトからそんな声が上がる。彼の肩が、小刻みに揺れる。
「?」
そんな彼の様子に、フィーリアが疑問を抱く──瞬間。
「はははあっはっはひゃはっ!」
大声を上げて、ヴェルグラトは狂ったように笑い始めた。彼の笑い声が地下室に響き渡る。
──え?なに?
突如として急変した彼の態度に、フィーリアも堪らず困惑する。と、一頻り笑ってから、ヴェルグラトが言う。
「認める。認めてやる小娘。貴様は強い──今の私よりも」
「……今の?」
そのヴェルグラトの言葉には、含みがあった。それを感じて、そう呟くフィーリアに彼は言う。
「ああそうだ。今の私よりもだ。小娘、貴様が悪い。悪いんだ。その強さが、たかが人間の分際で愚かにも魔神をも超えてしまった、驕り高ぶったその強さが──貴様自身を確実な破滅へと導いてしまった」
言いながら、ヴェルグラトは身体を起こし、虚空に向かって手を突き出す。すると彼が突き出した手の上の空間が、捻れるように歪む。その現象の正体を、フィーリアはうんざりするほどに知っていた。
──【次元箱】……この人、一体なにを……?
フィーリアがそう思うのも束の間、その歪んだ空間からとあるものがヴェルグラトの手に吐き出される。それは──手のひら大の、水晶玉と非常に似通った球体の魔石。
それを受け止め、ヴェルグラトがこれ以上にないほどに口角を吊り上げる。
「これはあの男に対する切り札だったが……貴様に使ってやるぞ小娘。貴様にはそれだけの価値があると、私は判断した」
下卑た笑みを浮かべながらそう言って、ヴェルグラトはギュッと握り締める────虚空を。
「…………ん?」
そのことに違和感を覚え、ヴェルグラトが己の手元に視線をやる。そして思い切り目を見開かせた。何故なら、先ほどまでその手中にあったはずの、己の切り札である魔石が──消えていたのだから。
驚愕する彼の鼓膜を、わざとらしいまでに呑気な声が震わせる。
「へー、これが切り札ですかー」
その声にハッとヴェルグラトは視線を向ける。当然のことであるがその先にいるのは石床に座り込むフィーリアの姿で──先ほどと違う点を挙げるなら、彼女の両手が、ヴェルグラトが持っていたはずの魔石を頭上に掲げているということ。
「ば、馬鹿なッ!?いい一体いつの間にィ?!か、返せ!私のだぞッ!!」
もはや体裁を取り繕う余裕すら失くしてヴェルグラトが必死に喚く。まあそれも無理はない。己の切り札を、奥の手をフィーリアに奪われ、今に石床に叩きつけられそうになっているのだから。
もしそうなれば、ヴェルグラトの五十年は全て水の泡と化す────しかし、そんな彼の不安に反して、フィーリアはその手にある魔石を石床に叩きつけようとはしていなかった。興味深そうに、彼女はその魔石を眺めていたのだ。
「中に入っているのは……人間の魂ですね。それも大量の。なるほど、これはいわば膨大な魔力の塊みたいなものですか……ふーん」
フィーリアがそう呟き終わるのと同時に、パッとその手から魔石が掻き消える。そうヴェルグラトが認識した瞬間、彼の手に覚えのある重みが帰ってくる。
見てみれば、フィーリアに奪われてしまったはずの魔石が、そこにはあった。
「な……」
「返して欲しかったんですよね?ほら、言う通りに返してあげました」
信じられないように、ヴェルグラトは再びフィーリアを見やる。彼女は──依然、つまらなそうな表情を浮かべていた。
動揺しながらも、フィーリアにヴェルグラトは言葉を投げる。
「こ、小娘、貴様正気か?己が掴んだ千載一遇の機会を、貴様は自ら放り捨てたのだぞ?それがわかっているのか?」
「正確には返した、ですけどね。はい、別に構いませんよ。その魔石もただ少し珍しいってだけでそう大したものでもなかったですし、それを使って少しでもこの茶番が楽しめるようになるんでしたら、万々歳ですから」
「………………」
フィーリアは、明らかに舐め切っていた。『七魔神』が一柱、〝暴食〟のヴェルグラトを、舐め腐っていた。完全に格下の相手だと、そう認識していた。
そのことを改めて思い知らされ────ヴェルグラトはあまりの怒りに己の腸が煮え繰り返るどころか、もはや焼き焦げるような錯覚を覚え、しかし、この時絶対なる勝利を彼は確信した。
──その傲慢の前に、滅び去るがいい。
そう内心で吐き捨てながら、ヴェルグラトは叫ぶ。
「いい加減、この私を舐めるなぁああああああああ!!!!」
そして、手にある魔石を────思い切り握り砕いた。
パリンッ──不意に、メルネの背後にあったグラスが割れ砕け、ちょっとした悲鳴を彼女は上げる。
「な、なに?なんで急に……」
そう言いながら、飛び散った破片を彼女は慎重に拾い上げるのだった。
「……なんなんだ、あれは」
窓からとある方角を眺め、グィンは戦慄の声を漏らす。それは、彼は今まで歩んできた人生の中で、決して短くはないだろうその人生の中で──初めて目にする景色だった。
雲が、渦巻いている。その中心に突き立つ、光の柱。見ようによっては神聖に感じられるそれに対して、グィンは真逆の雰囲気を微かに感じ取っていた。
──奥底に感じる、この魔力の脈動……なんて、邪悪極まりないんだ……ッ。
今、彼の──かつて『六険』の一人に数えられたほどの冒険者であった彼の生存本能が警鐘を鳴らす。あの光の柱は、この世界に混沌を齎し、そして終末を迎えさせるものだと。
「くくく、はっはっはっはぁあッ!」
笑い声がこだまする。己は頂点に至ったのだという、高笑いがこだまする。
迸り荒れ狂い、溢れて噴き出す極光の中より、それはこちらに歩み来る。絶対の絶望をその身に携え、絶対の破滅を振るうために一歩を踏み出す。
今此処に顕現す。混沌を齎し終末を迎えさせる存在。
「小娘。貴様に滅びを与えてやる。この『七魔神』──否、『第六罪神』のヴェルグラト様が、な」
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