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ARKADIA──それが人であるということ──
Glutonny to Ghostlady──〝暴食〟の余興
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アリシア=ゴーヴェッテンという一人の少女について、僕はよくは知らない。当然だ。なにせ今日出会ったばかりなのだから。
だが、それでも──彼女の言葉を聞けば、おおよそはわかる。彼女が一体どういう人間だったのか。
『お父様の屋敷を荒らす賊は、絶対に許さない……!』
父親思いの、
『ごめんなさい……どうか、逃げて……』
心優しい少女だったのだと、それだけはわかった。
父親に命を奪われたというのに、その父親を救うため。誰に頼ることもできず、ただ独り苦悩に苛まれ葛藤に身を焦がされながらも、己の心を自ら打ち砕きながらも、アリシア=ゴーヴェッテンは歩き続けた。その道の果てに、大切な父親が待っているのだと、そう信じて。
……だからこそ、僕は許せなかった。そんな健気な少女の心を弄び、決意を嘲笑い、想いを踏み躙ったこの魔神が、どうしても許せなかった。
「人の心を、想いを……玩具にするなクズ野郎……!」
後先のことなど考えずに、睨みつけながら僕はヴェルグラトに向かって、そう吐き捨てた。とてもではないが、そう言わずにはいられなかったのだ。もし身体が動かせていたら──言葉よりも先にその胸糞の悪い、不愉快に尽きる顔面を殴り飛ばしていたかもしれない。
「…………」
ヴェルグラトは、なにも言わなかった。ただ一瞬にして歓喜に満ちていた表情を無に変え、開いていた口を閉ざしていた。
間に沈黙が流れ────刹那、フッと僕の身体に自由が戻った。
「うわっ……!」
あまりにも突然だったので、前のめりになって倒れそうになる。が、問題はなかった。
ドッ──直後、腹部を思い切り殴りつけられたような、重い衝撃が叩いた。
「がはッ?!」
内臓のほとんどが圧し潰されたのではないかと思う間もなく、後ろの壁の方にまで僕は吹き飛ばされる。背中と壁が激突し、一瞬にして肺に残っていた空気が出尽くした。
そしてすぐさま横から同じような衝撃に殴打される。咄嗟に腕で防御したが、案の定無意味だった。
踏ん張ることを許されず、僕は今度はそのまま横に吹っ飛ばされ、輝きを放つ金貨の山に突っ込んだ。
「ぐ、あ…ぁ……!」
身体がバラバラになったかのような錯覚に襲われながらも、なんとか立ち上がろうとする。しかし、無情にも手足は僕の言うことを全く聞いてくれず、ただ金貨に埋もれながら呻くことしかできなかった。
そんな僕に目もくれず、ヴェルグラトは淡々と言う。
「身の程を知れ。口を弁えろ小僧。さっきも言ったが今私は機嫌が良い。本来ならば即座に物言わぬ肉塊にしてやるところだが、その分不相応な勇猛さにも免じてその程度に留めておいてやろう。……さて」
身体の自由は戻った。しかし、未だ手足に力が入らない。僅かに指一本を動かすので、今は精一杯だった。金貨の山から起き上がれずにいる僕に対して、なおもヴェルグラトは言葉を続ける。
「再びアリシアの魂を喰らったことで、貸し与えていた魔力も返ってきた。もはや今の私は、二百五十年の私とは比べ物にならん。これならばもう、あの男に遅れなど決して取らんはずだ!ふはははッ」
「……そ、れは……どういう……」
ヴェルグラトのその言い方は、彼が言う二百五十年前──彼を倒したという男が、まるで今も生きているかのようなものだった。
だが、そんなことはあり得ない。二百五十年も前の人物が、人間が未だに生きていることなど、絶対にない。もし本当に生きているのなら……それはもう、人間とは呼べない。
そんな僕の気持ちを見透かしたのだろう。金貨に埋もれたこちらにゴミを見るような眼差しを送りながら、ヴェルグラトが言う。
「一体どのような手段を取っているのかは見当つかんが、私にはわかる。二百五十年前に奴から受けた古傷が、今もなお疼くのだ。あの男は、確実にまだ生きている」
と、不意にヴェルグラトは指を鳴らす。パチンと乾いた音が地下室に響き渡ったかと思うと──彼の背後にある、壁を覆っていた影が霧散した。
光に照らされてもなお、全く見えないでいたそれに隠されていたものが露わとなり──堪らず、僕は目を見開いた。
「先、輩……ッ!?」
壁には、先輩がいた。未だ意識の戻らぬ先輩の姿が、そこにあった。先輩は、鎖で両手を縛られ壁に磔にされていた。
驚いている僕に、恍惚とした声でヴェルグラトが言葉をかけてくる。
「この娘は素晴らしいなあ実に素晴らしいぞ。ここまで穢れを知らぬ、純真無垢な魂は初めて見た。さっきも言ったが私はもう充分に力を取り戻したが……〝暴食〟の魔神として、是非ともこの魂は喰らいたい」
そんなことは、絶対にさせる訳にはいかなかった。今すぐにでも先輩を助け出したい──その一心で、なんとか僕は金貨の山から起き上がる。……しかし、それだけでやっとだった。
──先輩を、助けなきゃ……!
そう思い、未だ鈍痛響く身体に鞭を打つ。だが、無情にも僕の手足は、思うように動いてくれなかった。
「ほう。一応まだ立ち上がれるようだな。まあ、そうでないとつまらん」
焦る僕に、ヴェルグラトはそう言うと懐に手を入れ、そこから緑色の、小さな玉を取り出す。一体それがなんなのか、僕が疑問に思う前に、彼は僕に向かってそれを投げた。
緑の玉が、弧を描きながら僕の眼前にまで迫ったかと思うと、宙で粉々に砕け散った。散らばった破片は瞬く間に粒子と化し、僕の身体に降り注いでいく。それから少し遅れて──僕の身体を、淡い緑光が包み込んだ。
「な……」
直後、身体から鈍痛が抜け、それどころか感じていた倦怠感や疲労すらも消えていく。一瞬にして重かった身体は、まるで嘘のように軽くなった。
驚き困惑する僕に、ニヤニヤとしながらヴェルグラトが言う。
「余興だ、小僧。再三言うが今私はすこぶる機嫌が良い。よって、貴様に機会をくれてやろう。生きるか、死ぬか──その選択の、機会をな」
そう言うと、ヴェルグラトは宙に向かって手を突き出す。瞬間、奥にある財宝の山が揺れ、そこから一振りの黄金の剣が突き出て、宙に飛び出したかと思えばヴェルグラトの手に収まった。
柄を握り締め、ヴェルグラトは確かめるように黄金の剣を軽く振るう。そして、その切っ先を僕に向け言った。
「さあ、剣を抜け小僧。一つ、この〝暴食〟のヴェルグラト様と遊戯をしようじゃあないか」
だが、それでも──彼女の言葉を聞けば、おおよそはわかる。彼女が一体どういう人間だったのか。
『お父様の屋敷を荒らす賊は、絶対に許さない……!』
父親思いの、
『ごめんなさい……どうか、逃げて……』
心優しい少女だったのだと、それだけはわかった。
父親に命を奪われたというのに、その父親を救うため。誰に頼ることもできず、ただ独り苦悩に苛まれ葛藤に身を焦がされながらも、己の心を自ら打ち砕きながらも、アリシア=ゴーヴェッテンは歩き続けた。その道の果てに、大切な父親が待っているのだと、そう信じて。
……だからこそ、僕は許せなかった。そんな健気な少女の心を弄び、決意を嘲笑い、想いを踏み躙ったこの魔神が、どうしても許せなかった。
「人の心を、想いを……玩具にするなクズ野郎……!」
後先のことなど考えずに、睨みつけながら僕はヴェルグラトに向かって、そう吐き捨てた。とてもではないが、そう言わずにはいられなかったのだ。もし身体が動かせていたら──言葉よりも先にその胸糞の悪い、不愉快に尽きる顔面を殴り飛ばしていたかもしれない。
「…………」
ヴェルグラトは、なにも言わなかった。ただ一瞬にして歓喜に満ちていた表情を無に変え、開いていた口を閉ざしていた。
間に沈黙が流れ────刹那、フッと僕の身体に自由が戻った。
「うわっ……!」
あまりにも突然だったので、前のめりになって倒れそうになる。が、問題はなかった。
ドッ──直後、腹部を思い切り殴りつけられたような、重い衝撃が叩いた。
「がはッ?!」
内臓のほとんどが圧し潰されたのではないかと思う間もなく、後ろの壁の方にまで僕は吹き飛ばされる。背中と壁が激突し、一瞬にして肺に残っていた空気が出尽くした。
そしてすぐさま横から同じような衝撃に殴打される。咄嗟に腕で防御したが、案の定無意味だった。
踏ん張ることを許されず、僕は今度はそのまま横に吹っ飛ばされ、輝きを放つ金貨の山に突っ込んだ。
「ぐ、あ…ぁ……!」
身体がバラバラになったかのような錯覚に襲われながらも、なんとか立ち上がろうとする。しかし、無情にも手足は僕の言うことを全く聞いてくれず、ただ金貨に埋もれながら呻くことしかできなかった。
そんな僕に目もくれず、ヴェルグラトは淡々と言う。
「身の程を知れ。口を弁えろ小僧。さっきも言ったが今私は機嫌が良い。本来ならば即座に物言わぬ肉塊にしてやるところだが、その分不相応な勇猛さにも免じてその程度に留めておいてやろう。……さて」
身体の自由は戻った。しかし、未だ手足に力が入らない。僅かに指一本を動かすので、今は精一杯だった。金貨の山から起き上がれずにいる僕に対して、なおもヴェルグラトは言葉を続ける。
「再びアリシアの魂を喰らったことで、貸し与えていた魔力も返ってきた。もはや今の私は、二百五十年の私とは比べ物にならん。これならばもう、あの男に遅れなど決して取らんはずだ!ふはははッ」
「……そ、れは……どういう……」
ヴェルグラトのその言い方は、彼が言う二百五十年前──彼を倒したという男が、まるで今も生きているかのようなものだった。
だが、そんなことはあり得ない。二百五十年も前の人物が、人間が未だに生きていることなど、絶対にない。もし本当に生きているのなら……それはもう、人間とは呼べない。
そんな僕の気持ちを見透かしたのだろう。金貨に埋もれたこちらにゴミを見るような眼差しを送りながら、ヴェルグラトが言う。
「一体どのような手段を取っているのかは見当つかんが、私にはわかる。二百五十年前に奴から受けた古傷が、今もなお疼くのだ。あの男は、確実にまだ生きている」
と、不意にヴェルグラトは指を鳴らす。パチンと乾いた音が地下室に響き渡ったかと思うと──彼の背後にある、壁を覆っていた影が霧散した。
光に照らされてもなお、全く見えないでいたそれに隠されていたものが露わとなり──堪らず、僕は目を見開いた。
「先、輩……ッ!?」
壁には、先輩がいた。未だ意識の戻らぬ先輩の姿が、そこにあった。先輩は、鎖で両手を縛られ壁に磔にされていた。
驚いている僕に、恍惚とした声でヴェルグラトが言葉をかけてくる。
「この娘は素晴らしいなあ実に素晴らしいぞ。ここまで穢れを知らぬ、純真無垢な魂は初めて見た。さっきも言ったが私はもう充分に力を取り戻したが……〝暴食〟の魔神として、是非ともこの魂は喰らいたい」
そんなことは、絶対にさせる訳にはいかなかった。今すぐにでも先輩を助け出したい──その一心で、なんとか僕は金貨の山から起き上がる。……しかし、それだけでやっとだった。
──先輩を、助けなきゃ……!
そう思い、未だ鈍痛響く身体に鞭を打つ。だが、無情にも僕の手足は、思うように動いてくれなかった。
「ほう。一応まだ立ち上がれるようだな。まあ、そうでないとつまらん」
焦る僕に、ヴェルグラトはそう言うと懐に手を入れ、そこから緑色の、小さな玉を取り出す。一体それがなんなのか、僕が疑問に思う前に、彼は僕に向かってそれを投げた。
緑の玉が、弧を描きながら僕の眼前にまで迫ったかと思うと、宙で粉々に砕け散った。散らばった破片は瞬く間に粒子と化し、僕の身体に降り注いでいく。それから少し遅れて──僕の身体を、淡い緑光が包み込んだ。
「な……」
直後、身体から鈍痛が抜け、それどころか感じていた倦怠感や疲労すらも消えていく。一瞬にして重かった身体は、まるで嘘のように軽くなった。
驚き困惑する僕に、ニヤニヤとしながらヴェルグラトが言う。
「余興だ、小僧。再三言うが今私はすこぶる機嫌が良い。よって、貴様に機会をくれてやろう。生きるか、死ぬか──その選択の、機会をな」
そう言うと、ヴェルグラトは宙に向かって手を突き出す。瞬間、奥にある財宝の山が揺れ、そこから一振りの黄金の剣が突き出て、宙に飛び出したかと思えばヴェルグラトの手に収まった。
柄を握り締め、ヴェルグラトは確かめるように黄金の剣を軽く振るう。そして、その切っ先を僕に向け言った。
「さあ、剣を抜け小僧。一つ、この〝暴食〟のヴェルグラト様と遊戯をしようじゃあないか」
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