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ARKADIA──それが人であるということ──

Glutonny to Ghostlady──闇、全てを呑みて

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「【五連闇魔弾フィフス・ダークスフィア】」

 淡々とした少女の呟きに続くようにして、前に突き出された手から五つの黒い球体が放たれる。それは大気を震わせ、抉り、そして侵しながら真っ直ぐに、正確に──床に倒れ伏す先輩の方へと、向かっていく。

 そんな光景を目の当たりにしながら、気づいた時にはもう僕の身体は動いていた。握っていた剣を放り出し、床を蹴りつけ、無我夢中で駆け出していた。

 なにも考えられなかった。他のことを考える余裕など、持ち合わせることができなかった。ただ必死に、あの魔力の塊が先輩の身体を吹き飛ばす前に、自分が辿り着くことしか、頭になかった。

 球体が先輩に迫る。昏倒し、これ以上になく無防備となっている先輩に、人の命を散らすには充分過ぎるほどの威力を秘めた球体群が迫る。

 僕は先輩に向かって、無意識に手を伸ばし、そして──────









「……まさか、本当に助けるなんて、思いもしなかったわ」

 奇妙とも、感心とも取れるような声音で少女が言う。そんな彼女の言葉を、ぼんやりとする意識の中で、僕は辛うじて聞き取った。

 結論から先に述べるなら、先輩は無事だ。見た限り、傷一つとない。それを確認し、背後に向けていた顔を、ゆっくりと僕は前に戻す。

 自分でも信じられなかった。咄嗟に駆け出せたとはいえ、正直な話──間に合うとは思っていなかった。

 だが、ギリギリ──本当のギリギリ、間に合った。飛来する【五連闇魔弾】から、横たわる先輩を庇うことができた。

 その事実を、現実を頭が受け入れた瞬間──全身を砕くような激しい鈍痛に危うくその場で倒れそうになった。

 すぐにも崩れかけている膝を、ありったけの根性となけなしの気力でなんとか支える。そして背後の先輩を隠すように、僕は両腕を広げ、少女を睨めつけた。

「…………」

 一瞬でも気を抜けば、失神するだろう僕を、少女は黙って見つめる。蒼い瞳が、じっと静かに、こちらのことを見据える。

 両者互いに、口を閉ざす。沈黙が寝室を満たし──数分。先にそれを破ったのは、僕だった。

「…こ、の……人、には」

 たったそれだけのことを言うのに、かなり手間取った。何度も噛みそうになるのを必死に隠して、絶対の意志を込めながら僕は彼女に告げる。

「指、一本……触らせない……ッ!」

 もう、僕に余力は残されていない。こうして立つだけで、精一杯である。とてもではないが戦えない──それでも、そう言わずにはいられなかった。

 虚仮威しでしかない僕の言葉を、少女はどんな風に受け取ったかはわからない。僕の虚勢を前に、彼女は嘲笑うこともなく、恐怖することもなく、ただ依然として黙ったまま──ゆっくりと、その場から歩き出した。

 もう一歩も動くことができない僕は、身構えることしかできない。そして身構えたとしても、その先からなにができる訳でもない。けれど決して退かず、ゆっくりとした足取りで迫る少女を睨みつけた。

 数分かけて、少女は僕の目の前にまで歩いてきた。そして彼女は──唐突に、両腕を静かに振り上げた。

 思わず身体を強張らせる僕に、少女の手が伸びる。それは首筋に近づき──そっと、指先で撫でた。こそばゆい感触に、堪らず足が震えた。

 ──な、なんだ!?

 てっきり喉笛でも掻っ切るつもりだと思っていただけに、僕は驚くを隠せない。そんな僕を他所に少女はそのまま両手を上げて──なんの冗談か、僕の頬に添えた。

 予想だにしていなかった行動に、僕の頭は混乱を極める。なにをしているんだと、僕をどうするつもりだと訊きたいのに、上手く口が動かせない。

 そんな僕を少女はやはり黙ったまま、見つめる。サファイアのような蒼い瞳に、たじろいでいる僕の顔が映り込む。

 再度訪れる沈黙──しかしそれはまたもや破られる。が、言葉によってではない。

 今度の沈黙を破り裂いたのは────突如として、その蒼い瞳から流れた、一筋の涙だった。

「っ?!」

 ギョッとする僕に、まるで信じられないように、頬に触れる手をわなわなと震わせながら、少女が閉じていた口を開く。

「嘘、でしょう……?こんなの、見たことない。ないわ……」

 呆然としながら、少女が続ける。

「何処までも澄み渡った、青空みたいに綺麗な心……なのに、どうして?ねえ、どうしてなの?」

 少女の声に、もはや憎悪は少しも込められていない。全く躊躇することなく顔を寄せて、彼女は僕に純粋な疑問をぶつけてくる。

「あなたの心には、亀裂がある。それも大きな、深い亀裂。普通ならもうとっくに砕けているはずなのに……どうしてまだ正気かたちを保っていられるの?あなたの心を、なにが支えているの?」

「…………」

 その問いに、僕はどう答えればいいのかわからなかった。ただでさえこうして立っているだけでもやっとなのに、心だとか、亀裂だとか急に言われても、それに対して答えを返すなど、できる訳がない。いやたとえ平常時であっても、無理だろう。

 ……しかし、たった一つだけ、少女の言葉の中に心当たりがある。それは────





『なにをしている、アリシア』





 ────唐突に、寝室に声が響き渡った。若い、男の声だった。

「ひっ…!」

 その声に、少女が微かな悲鳴を漏らす。そしてよろよろと、僕から数歩後退ずさる。

 ──きゅ、急にどうしたんだ?いやそれよりも、さっきの声は誰だ?

 周囲を見渡しても、今この部屋には僕と先輩、そして少女の三人しかいない。僕は男だが、言うまでもなくさっきの声の主ではない。

『そいつはもう動くことすらままならん。殺すのは容易いことだろう──だというのに、なにを手間取っている。アリシア?』

 またしても、寝室に姿の見えない男の声が響く。その声に少女──アリシアの顔が、みるみる青ざめていく。

「い、今!今すぐに殺します!」

『ならば、さっさと殺せ』

「は……はい!」

 男の声に急かされて、アリシアが再び僕に詰め寄る。いつの間にか、その手にはナイフが握られていた。

 顔面蒼白のまま、アリシアは僕の目の前に立つ。その時──彼女の背後で、真っ黒なものが蠢いた。

 それはまるで濃霧のように宙を漂い──かと思えば、素早い動きで僕に殺到する。それが僕の身体に纏わりついた瞬間、全身が固まった。

「っ!?……ぁ……!」

 指一本、全く動かせない。微動だにしない。まるで水中にいるみたいに全身が重い。呼吸が上手くできず、息苦しい。

 なにが起きたのかわからず、混乱する僕を他所に、あの男がまた響く。

『これならば確実に殺せるだろう。さあ、殺れ。アリシア』

 アリシアは、腕を振り上げる。ぶるぶると激しく震えており、手に握るナイフの切っ先が絶えず揺れていた。

 彼女は浅く荒い呼吸を繰り返し、僕を見つめる。その蒼い瞳は、懊悩するかのように揺れている。

 やがて、アリシアの腕の震えが止まった。

「……ッ、あ、あぁ…ッ!」

 それは苦悩の呻き。彼女が僕を殺すことを躊躇しているのは、明らかだった。そんな彼女の背中を押すように、男の声が響いた。



『父を、救いたいのだろう?』



 その言葉に、ハッとアリシアは瞳を見開かせる。そして、覚悟を決めたようにスッと細めた。

「………………ごめん、なさい」

 それだけ言って、アリシアは────ナイフを振り下ろした。















「……い」

 嗚咽混じりの、声。どうしようもなく震えた、その声が続ける。

「殺せ、ない……!もう、私はこの人を殺せない……ッ!」

 アリシアの悲痛な声が、静かに響く。彼女の振り下ろしたナイフは、空を切っていた。

「こんなに綺麗な心の持ち主を殺すなんて、私にはできない……!」

 アリシアの蒼い瞳から、止め処なく涙が溢れ零れ落ちていく。彼女の手からナイフが滑り落ち、床に突き刺さる直前、やはりそれは霧のように霧散した。

『………………そうか』

 男の声は、明らかに落胆しているようだった。次の瞬間、僕の身体に纏わりついていた感触が消え失せた。

 フッと身体が軽くなり、僕は前のめりに倒れそうになって、なんとか踏み止まる。呼吸も正常に戻り、肺に充分な酸素を取り込むために、何度も息を吸っては吐くのを繰り返す。

 そして顔を上げ────呆気に取られた。

「……え?」

 間の抜けた声が、無意識に僕の口から漏れる。ただ、そうすることしか、できなかった。



『残念だよ、アリシア。実に……残念だ』



 先ほど僕の身体に纏わりついていたのは、それだったのだろう。濃い靄のような、霧のような、濃淡のある影とも思える闇。その闇は不気味に蠢き、脈動しながら──アリシアの身体を貫いていた。

 彼女の腹部から生え出た闇が大きく揺れる。その光景を黙って見ることしかできない僕に、今にも消え入りそうな声でアリシアが力なく言う。

「ごめんなさい……どうか、逃げて……」

 それが、最期の言葉だった。アリシアから突き出た闇が一際大きく震えたかと思うと、次の瞬間爆発を起こしたかのように増大した。アリシアの身体が瞬く間に黒く染められ、呑まれていく。

 それだけでは終わらない。氾濫した川のように闇は寝室に溢れ、僕と先輩をも呑み込まんとする。

「せ、先ぱ──

 荒れ狂う闇に抗いながら、僕は先輩にへと手を伸ばす。しかし、未だ眠りから覚めぬ先輩の身体は──無慈悲にも、僕の目の前で闇に沈んだ。

 ──っ、ぁ」

 頭の中が、一瞬で真っ白に染まる。なにも考えられず、ただ虚空に手を伸ばしたまま──やがて、僕の視界は黒で満たされた。
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