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『極剣聖』と『天魔王』
DESIRE────とある酒場での一幕
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空を茜に染め上げ、傾いていた太陽は沈み切った。さすれば次に昇るのは月である。
今宵の月は満月。完全な球体となったそれが浮かび、幾数千個の綺羅星と共に黒々とした夜空を飾り上げる。
そう、朝昼夕が終わりを告げて、夜が訪た。金色が最も輝ける時間が、ようやく訪たのだ。
燦然と煌びやかに。映すもの全てが強光を放つ豪奢絢爛な街並み。そして自由奔放に跋扈する人々。
その誰もがスーツやドレスを身に纏い、日々ひた隠していた己が欲望を解き放つ。
嗚呼、今日も此処は欲が渦巻いている────
「はあぁ~~…………」
何処までも昏く沈んだため息が、長々と垂れ流されて、やがて宙に溶けて霧散する。そしてそれと同時に半分ほどの琥珀色の液体が注がれていたグラスが乱暴な手つきで持ち上げられ、その縁が薄赤色の唇に触れた途端、グイッと一気に傾けられた。
薄く開かれた隙間に、グラスの中身が流れ込む。半分とはいえ、それなりにあった量の液体が、瞬く間に消え去ってしまった。
「んっあぁぁ……」
瞬間焼けつくような感覚が喉を襲うが、大して気にならない。寧ろその感覚が心地良い。今、この時を自分が生きているのだという確かな実感を得られるのだから。
味わうことなど眼中無視した煽り飲みを終えて、ダンッと叩きつけるようにグラスをカウンターに置く。本来ならば店主から窘められかねない行為だったが、店が店だからか特に言及はされなかった。
「……………なにやってんだろうなあ、あたし」
カウンターに突っ伏して、切実に言葉を零す。その声は、若干の震えを孕んでいた。
ここは酒場『butterfly』。ラディウスに多く点在する酒場の中でも、常連が通う隠れた名店である。
そして今、この酒場のカウンターに突っ伏す女性の名はメアリ。メアリ=フランソワ。その年齢、二十二歳。
生まれ故郷はファース大陸にある田舎町。十八歳の時に夢を叶えるため、彼女はこの街に訪れた。そうして、四年という月日が流れたが──その結果がこれである。
「なんとか女優にはなれたけど、仕事は全然ないし、いつまで経っても無名のままだし……はあー……」
蜜柑色の瞳を潤ませ、メアリは陰鬱としたため息を吐き続ける。人生そう上手くはないとは常識であるが、ここまでとは彼女も思っていなかった。
「もう田舎に帰っちゃおうかなー……」
そうぼやきながら、もう一杯を頼もうとしたその時だった。
スッ──唐突に、横からグラスが流された。
「…………え?」
「あちらのお客様からです」
困惑しているメアリに店主が告げる。横を見やれば──いつからそこにいたのか、女性が座っていた。
変わった格好の女性であった。柔らかで厚みの感じる布の衣服……確かザドヴァ大陸の極東特有の、キモノという名前のものだったはず。
──なんて綺麗な人……。
同性ということを忘れて、思わずメアリは見惚れてしまう。そのキモノの女性は実に美貌的で、ゾクリとしてしまうような、例えるなら刃物のような美麗さを醸し出していた。
我を忘れてその顔を見つめていると、その女性もこちらの方に向いた。
「あっ…す、すみません」
慌てて謝罪し顔を逸らす。が、
「別に謝らなくてもいい。……お隣、失礼してもよろしいかな?」
逸らし終える前に、いつの間にか座っていた席からすぐ傍にまで歩み寄っていた女性にそう訊かれてしまった。その声音も鋭く研ぎ澄まされており、しかしそれでいて酷く優しくこちらの耳朶を打つ。
「どどどどうぞお構いなくぅうっ!」
相手は同性だというのに激しくときめいてしまう自分を感じながら、顔を真っ赤にしてメアリは声が裏返るのも構わずそう返す。そんな彼女に対して、キモノ姿の女性は柔かに、爽やかな笑顔を送った。
「ありがとう。では失礼」
そうしてメアリの真横の席に座る。瞬間、メアリの鼻腔を、仄かに甘い香りが擦り上げた。
──ひゃあああああああああっ
想像だにしない状況に、遂に彼女は暴走しかけたが、鉄の理性でなんとか抑える。平常心を保つことを最優先とし、高鳴ってしまった心を落ち着かせようとする彼女に、キモノ姿の女性は話しかける。
「私はサクラという。もしよかったら、君の名を聞かせてほしいな」
「あたっあたしの名前ですか!?メメ、メアリって言います!」
「メアリか。可愛らしい名前だ」
「かわ、可愛いらしいだなんて、そんな」
慌てふためくメアリにキモノの女性──サクラは微笑みながらも、次に憂いるような表情を浮かべた。
「実は先ほどから君の様子を見ていてね……君のようなお嬢さんが自棄になって酒を飲むのは感心できないな」
「そ、それは……その、すみません……」
サクラに指摘されて、メアリは羞恥と気まずさに板挟みにされてしまう。こんな綺麗な女性に、自分のあんな醜態を見られてしまっていたのだ。
──恥ずかしい……穴があったら入りたいとはこのことね……。
俯くメアリに、サクラは優しげに語りかける。
「謝る必要はない。寧ろ謝罪をするのは私の方さ。お節介を焼くためとはいえ、乙女の見せたくない姿をまじまじと眺めてしまった。すまない──けど、今日はその一杯で終わりにしてほしい」
そう言って、サクラは立ち上がった。それから店主に一言告げる。
「店主。勘定を」
「かしこまりました。こちらになります」
酒の代金を店主に渡し、そして店主からサクラは一枚の紙を受け取った。その紙を一瞥して、彼女はそれを懐にしまい込む。
そうして踵を返し、店内から立ち去る──その直前、サクラは振り返った。
「それとこれもお節介になってしまうが、悩みというのは誰もが抱え込む。それは当然のこと──しかしだからといって悩み過ぎるのはよくない。いっそのこと、開き直ってしまうのも一つの手だと私は考えるよ」
バタン──それを最後に、サクラは店から去っていった。
「………………開き、直る」
彼女の背中を見送って、メアリはそう呟きながら彼女から送られたグラスを覗き見る。そのグラスを満たしていたのは、自分の瞳と同じ蜜柑色の液体。
「……そうね。そうよね。あの人の言う通り──いっそのこと、開き直ってしまおうかしら」
そう言って、メアリはグラスを傾け、それを飲み干すと席から立ち上がった。
それから数年後、ラディウスにてとある舞台女優が話題となる。その名をメアリ=フランソワ。
たとえ遥か格上の主演者に対しても、歯に衣着せぬ己の全てをぶつけるかのような演技が話題を呼び、見事舞台『貧民街の貴女』の主演に抜擢されるが、そんな未来を現在の彼女が知る由もない。
今宵の月は満月。完全な球体となったそれが浮かび、幾数千個の綺羅星と共に黒々とした夜空を飾り上げる。
そう、朝昼夕が終わりを告げて、夜が訪た。金色が最も輝ける時間が、ようやく訪たのだ。
燦然と煌びやかに。映すもの全てが強光を放つ豪奢絢爛な街並み。そして自由奔放に跋扈する人々。
その誰もがスーツやドレスを身に纏い、日々ひた隠していた己が欲望を解き放つ。
嗚呼、今日も此処は欲が渦巻いている────
「はあぁ~~…………」
何処までも昏く沈んだため息が、長々と垂れ流されて、やがて宙に溶けて霧散する。そしてそれと同時に半分ほどの琥珀色の液体が注がれていたグラスが乱暴な手つきで持ち上げられ、その縁が薄赤色の唇に触れた途端、グイッと一気に傾けられた。
薄く開かれた隙間に、グラスの中身が流れ込む。半分とはいえ、それなりにあった量の液体が、瞬く間に消え去ってしまった。
「んっあぁぁ……」
瞬間焼けつくような感覚が喉を襲うが、大して気にならない。寧ろその感覚が心地良い。今、この時を自分が生きているのだという確かな実感を得られるのだから。
味わうことなど眼中無視した煽り飲みを終えて、ダンッと叩きつけるようにグラスをカウンターに置く。本来ならば店主から窘められかねない行為だったが、店が店だからか特に言及はされなかった。
「……………なにやってんだろうなあ、あたし」
カウンターに突っ伏して、切実に言葉を零す。その声は、若干の震えを孕んでいた。
ここは酒場『butterfly』。ラディウスに多く点在する酒場の中でも、常連が通う隠れた名店である。
そして今、この酒場のカウンターに突っ伏す女性の名はメアリ。メアリ=フランソワ。その年齢、二十二歳。
生まれ故郷はファース大陸にある田舎町。十八歳の時に夢を叶えるため、彼女はこの街に訪れた。そうして、四年という月日が流れたが──その結果がこれである。
「なんとか女優にはなれたけど、仕事は全然ないし、いつまで経っても無名のままだし……はあー……」
蜜柑色の瞳を潤ませ、メアリは陰鬱としたため息を吐き続ける。人生そう上手くはないとは常識であるが、ここまでとは彼女も思っていなかった。
「もう田舎に帰っちゃおうかなー……」
そうぼやきながら、もう一杯を頼もうとしたその時だった。
スッ──唐突に、横からグラスが流された。
「…………え?」
「あちらのお客様からです」
困惑しているメアリに店主が告げる。横を見やれば──いつからそこにいたのか、女性が座っていた。
変わった格好の女性であった。柔らかで厚みの感じる布の衣服……確かザドヴァ大陸の極東特有の、キモノという名前のものだったはず。
──なんて綺麗な人……。
同性ということを忘れて、思わずメアリは見惚れてしまう。そのキモノの女性は実に美貌的で、ゾクリとしてしまうような、例えるなら刃物のような美麗さを醸し出していた。
我を忘れてその顔を見つめていると、その女性もこちらの方に向いた。
「あっ…す、すみません」
慌てて謝罪し顔を逸らす。が、
「別に謝らなくてもいい。……お隣、失礼してもよろしいかな?」
逸らし終える前に、いつの間にか座っていた席からすぐ傍にまで歩み寄っていた女性にそう訊かれてしまった。その声音も鋭く研ぎ澄まされており、しかしそれでいて酷く優しくこちらの耳朶を打つ。
「どどどどうぞお構いなくぅうっ!」
相手は同性だというのに激しくときめいてしまう自分を感じながら、顔を真っ赤にしてメアリは声が裏返るのも構わずそう返す。そんな彼女に対して、キモノ姿の女性は柔かに、爽やかな笑顔を送った。
「ありがとう。では失礼」
そうしてメアリの真横の席に座る。瞬間、メアリの鼻腔を、仄かに甘い香りが擦り上げた。
──ひゃあああああああああっ
想像だにしない状況に、遂に彼女は暴走しかけたが、鉄の理性でなんとか抑える。平常心を保つことを最優先とし、高鳴ってしまった心を落ち着かせようとする彼女に、キモノ姿の女性は話しかける。
「私はサクラという。もしよかったら、君の名を聞かせてほしいな」
「あたっあたしの名前ですか!?メメ、メアリって言います!」
「メアリか。可愛らしい名前だ」
「かわ、可愛いらしいだなんて、そんな」
慌てふためくメアリにキモノの女性──サクラは微笑みながらも、次に憂いるような表情を浮かべた。
「実は先ほどから君の様子を見ていてね……君のようなお嬢さんが自棄になって酒を飲むのは感心できないな」
「そ、それは……その、すみません……」
サクラに指摘されて、メアリは羞恥と気まずさに板挟みにされてしまう。こんな綺麗な女性に、自分のあんな醜態を見られてしまっていたのだ。
──恥ずかしい……穴があったら入りたいとはこのことね……。
俯くメアリに、サクラは優しげに語りかける。
「謝る必要はない。寧ろ謝罪をするのは私の方さ。お節介を焼くためとはいえ、乙女の見せたくない姿をまじまじと眺めてしまった。すまない──けど、今日はその一杯で終わりにしてほしい」
そう言って、サクラは立ち上がった。それから店主に一言告げる。
「店主。勘定を」
「かしこまりました。こちらになります」
酒の代金を店主に渡し、そして店主からサクラは一枚の紙を受け取った。その紙を一瞥して、彼女はそれを懐にしまい込む。
そうして踵を返し、店内から立ち去る──その直前、サクラは振り返った。
「それとこれもお節介になってしまうが、悩みというのは誰もが抱え込む。それは当然のこと──しかしだからといって悩み過ぎるのはよくない。いっそのこと、開き直ってしまうのも一つの手だと私は考えるよ」
バタン──それを最後に、サクラは店から去っていった。
「………………開き、直る」
彼女の背中を見送って、メアリはそう呟きながら彼女から送られたグラスを覗き見る。そのグラスを満たしていたのは、自分の瞳と同じ蜜柑色の液体。
「……そうね。そうよね。あの人の言う通り──いっそのこと、開き直ってしまおうかしら」
そう言って、メアリはグラスを傾け、それを飲み干すと席から立ち上がった。
それから数年後、ラディウスにてとある舞台女優が話題となる。その名をメアリ=フランソワ。
たとえ遥か格上の主演者に対しても、歯に衣着せぬ己の全てをぶつけるかのような演技が話題を呼び、見事舞台『貧民街の貴女』の主演に抜擢されるが、そんな未来を現在の彼女が知る由もない。
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