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第1部
番外編【毒針のシアンは迷わない】4話
しおりを挟むあの【蕾のお茶会】から六年後、今から三年前の春。
グリシーヌは別の姿と名前で、ミゼール領辺境騎士団団長アドリアン・ベルダールに仕えていた。
この当時、姿は金髪碧眼の男性騎士であり、名前はアズルであった。
グリシーヌ改めアズルは、アドリアンと共にアンブローズ侯爵家の調査に乗り出していた。
ポーション職人への虐待と密輸の疑いがあるためだ。
初夏のある夜。
アズルはアドリアンと共に変装して夜会に参加し、アンブローズ侯爵家の長女ララベーラに接触した。
ララベーラは春にデビュタントを迎えたばかりの十六歳。すでに爛熟した色気を備えている悪い噂に事欠かない女だった。
今宵も、さりげなく豊かな乳房を強調するドレスを身にまとい、金とエメラルドの装飾を付けている。
(九年前の事件を受け、デビュタントするまでは社交界に出なかったそうですね。その反動でしょうが、浅ましいというか何というか)
ララベーラは特に、治癒魔法での小遣い稼ぎと男遊びが酷いことで有名だ。
前者は違法行為で、後者は淑女にあるまじき貞操観念である。
アンブローズ侯爵夫妻は、男遊びには気づいていないらしいが、小遣い稼ぎは容認しているらしい。
(つくづくルルティーナ様以外のアンブローズ侯爵家は外道ですね。こんなのに話しかけたくはありませんが……)
ララベーラはこちらをこっそり値踏みしてから、わざとらしく身体をぐらつかせた。
アズルはすかさず腰を支えてやる。
『お美しいお方、お手をどうぞ』
『あら。ありがとうございます』
最初は淑女ぶっていたララベーラだったが、二人を見る目は情欲に濡れていた。
誰かと同じ金髪好きというのは本当だったらしい。
(成人したばかりでコレですか。都合がいいですが)
試しに誘うと、あっさりと別室に同行した。
おまけにアズルがすすめるまま酒を飲み、だらしなく乱れていく。
ソファの上、アズルの身体にしなだれかかりながら酒を飲むララベーラ。淑女の皮が完全にはがれていた。
『ねえー。もっとこっちにいらっしゃいよ。そっちの彼も』
『悪戯なお嬢様だ。今は彼より私に集中して欲しい』
アドリアンは顔には出てないが、完全に引いている。嫌だがアズルが相手をしてやるしかない。
ララベーラはさらに大胆になっていく。
『あははは!楽しいわぁ。ねえ、貴方たちって騎士なの?いい身体してるわねえ。うふふ。遊んであげてもよくってよ』
豊満な胸を見せつけるように身体をくねらせ、アズルの身体をまさぐる。
(うわあ。発情した獣か。こんなに容易く酒に乱れるとは。薬を飲ませるまでもなかったですね)
『ああん。逞しくって素敵。ねえ?私はリアン様のために純潔でいないといけないけど、胸で挟んであげたり口でしてあげるわよ?ふふ。それに後ろも準備して……』
『焦らないで美しい方。もっと貴女のことを教えて下さい』
(何を言っているんだこの女は。しかも無許可で王太子殿下を愛称呼びしていると言う噂まで本当だったのか)
などと呆れつつ、アズルはララベーラから情報を聞き出していった。
そして、とんでもない事実が発覚した。
ポーション職人について探りを入れていたのだが。
『うふふ。ここだけの話よ。うちで作らせているポーションは、魔力無しのクズが作っているの』
『は?』
辺境騎士団を救った上級ポーションを作成したのは、令嬢として大切に育てられているはずのルルティーナだった。
『しかも汚い小屋で!ボロボロになりながら作ってるのよ!ポーションだなんて下らない薬をよ?みっともなくて恥ずかしいわ!でも、気晴らしに叩くのには丁度いいわねえ……うふふ!思い出したら楽しくなっちゃった!』
しかも、裏庭の小屋に軟禁されてポーション作成を強要されている上、暴力にさらされているという。
『あはは!殴られた時のあのクズの顔は最高なの!必死に涙と声をこらえてて!嫌なことがあっても、あのクズを叩いたらスーッとするのよ!』
もう聞いていられなかった。アズルはララベーラを酔いつぶし、アドリアンと共に退出した。
一応、ララベーラの取り巻きに声をかけて騒ぎにならないようにしておく。
本当はこの女の醜態をさらしてやりたかった。いや、いっそ殺してやりたかったが、耐えた。
帰りの馬車の中。アズルもアドリアンも無言だった。
アズルは怒りと憎悪に震えている。
(アンブローズ侯爵家の外道共め!さては司法局にも協力者がいるな!みんなみんな私が殺してやる!)
『アズル、落ち着け』
『団長閣下!ですが……!』
アズルは煮えたぎる青と目が合い、息を飲んだ。アドリアンは、アズル以上に怒り狂っている。その怒りを必死で抑えながら、どうするべきか考えているのだ。
(そうだ。アズル。冷静になれ。あのお方をお救いするのだ)
『まずは、より深く調査して証拠を確保すべきだ』
この時点では、アンブローズ侯爵家の虐待や不正の確たる証拠がなかった。ララベーラの証言だけでは弱い。
『司法局も信用できない。俺たちで証拠を集めて国王陛下に訴える』
『仰る通りです。取り乱して失礼しました』
アドリアンは苦く笑う。
『構わない。俺も同じ想いだ。……しかし、夜会は不快なことばかりだな。コルナリン伯爵家と繋がりが出来たことは僥倖だったが』
『では、あの方々に協力を?』
コルナリン伯爵家は、アンブローズ侯爵夫人の生家だ。結婚後はほとんど交流が無かったが、最近になって使用人を斡旋するよう言ってきているらしい。
『何度か話してわかった。コルナリン伯爵自身はともかく、ご夫君はアンブローズ侯爵夫人に殺意を抱いている。そこを上手くくすぐり、利点を述べれば協力関係を結べるだろう』
アズルは密かに感動していた。アドリアンは成長し、強かになった。
他人の心の機微に疎かったのが嘘のような腹黒さだ。流石は、史上最年少の二十歳で辺境騎士団団長になっただけはある。
(私も負けてはいられませんね)
『アズル。アンブローズ侯爵家に潜入して欲しい。それにはまず、コルナリン伯爵家の協力が不可欠だ。力を貸してくれるな?』
『もちろんです。このアズルにお任せ下さい』
アズルは張り切って暗躍した。
再び姿と名前を変え、アドリアンの名代としてコルナリン伯爵家と交渉し、アンブローズ侯爵家に潜入する段取りをつけた。
こうして、騎士アズル改めメイドのシアンはアンブローズ侯爵家に潜入したのだった。
シアンは有能なメイドとして信用を得て、アンブローズ侯爵家の内情を調べ、密輸の有無とルルティーナの現状を探っていった。
密輸の証拠はあっさりと見つかった。
やはり、まどろっこしい輸送ルートは密輸を円滑に行うためだ。
シアンは調査ついでに見つけた隠し部屋で証拠をまとめながら、あまりの酷さに気が遠くなった。
アドリアンだけでなく王家へも報告しなければならない。
(アンブローズ侯爵は命が惜しくないのか!)
言うまでもなく、ポーションの密輸は大罪である。
(しかも【特級ポーション】と【上級ポーション】を大量に、よりにもよって【帝国】に流していただと?正気を疑いますね)
ヴェールラント王国と【帝国】は、和平こそ結ばれてはいるが良好とは言い難い。国交も最低限しかない。
なにより【帝国】は、周辺諸国を侵略することに血道をあげている。
実のところ、和平が結ばれてからも小競り合いや暗躍は無数にあるのだ。
アンブローズ侯爵は、その【帝国】にヴェールラント王国、いや全世界基準でも最上級と言っていいポーションを大量に流していた。
(これは謀叛に匹敵する大罪だ。アンブローズ侯爵家だけで出来ることではない。黒幕は恐らく……この情報は、下手に扱えば国が割れますね。誇り高くあるべき高位貴族が堕ちたものです。嘆かわしい……さらにはルルティーナ様にまであのような不当な扱いを!)
シアンは怒りのあまり目の前が暗くなった。
メイド仲間や下働きから聞くルルティーナの現状は、あまりに悲惨すぎる。
『魔力無しのルルティーナ』と蔑まれ、ララベーラに暴力を振るわれ、衣食住すらままならない。痩せ細った哀れな姿だという。
(お労しい。やはりあの時、無理にでも保護するべきだった。申し訳ございません。ルルティーナ様……)
シアンは、ルルティーナはきっとこの世の全てを恨んでいるだろうと思った。
けれど数日後、シアンが裏庭で見たルルティーナは違った。
小屋の外からうかがうだけでもわかる。ルルティーナは悲しみに暮れながらも、懸命に生きて働いていた。
(ああ、ルルティーナ様。貴女は変わっていない。気高く健気な淑女のままなのですね)
シアンは思い切って、ルルティーナの前に姿を現すことにした。
◆◆◆◆
『ルルティーナ様、おはようございます』
よく晴れた朝。小屋から出たところで挨拶されたルルティーナ。驚いたのち、おずおずと口を開く。
『あ、あの、どなたでしょうか?何か御用ですか?』
シアンはにっこりと笑いかけてお辞儀した。
『はじめてお目にかかります。私はシアンと申します。この度、アンブローズ侯爵家にお仕えすることになりました』
シアンにとっては再会、ルルティーナにとっては初めての出会いであった。
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