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第1部
番外編【毒針のシアンは迷わない】2話
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話が広がりました。6話で完結予定です。
お付き合い頂ければ幸いです。
◆◆◆◆◆
そして迎えた【蕾のお茶会】に時間は戻る。
グリシーヌは、ガーデンテーブルでお茶を飲む主人の背後に控えながら憂鬱だった。
(アドリアン様はいつまで拗ねていらっしゃるのか。せっかく新調したドレスと礼服も台無しですね)
グリシーヌは紫と藤色を基調としたドレスを、アドリアンは青と紺を基調とした礼服を着ていた。
アドリアンの付き添いなので、グリシーヌのドレスは一目でそうとわかる地味で簡素なものだ。
アドリアンの方はと言うと、華美ではないが生地と仕立ての良さが如実に現れた素晴らしい装いである。
アドリアンは堂々と着こなしていた。十四歳にしては背が高く体格がいいのもあって、なかなかの若き貴公子ぶりだ。
見た目だけは。
『素敵な方ね』
『ブルーエ男爵家の三男ですって』
幼い令嬢たちが、チラチラと眼差しを向けて頬を染めている。
だが。
『話しかけてみたいわ……ひっ!』
『あの、ご機嫌よ……きゃっ!』
令嬢たちはアドリアンに睨まれて逃げてしまった。無理もない。怜悧な美貌ゆえ、睨むとかなりの迫力がある。むしろその場で泣き出さないだけ彼女たちは立派だ。
(自分より幼い御令嬢にもこの態度。縄張り争い中の野良犬より品がない)
アドリアンは、最低限の挨拶周りが済んでからこの調子だ。
不機嫌な顔で座ったまま、時に周りを睨みつけている。社交をする気はない。こんな場所にいたくないと態度で語っている。
グリシーヌは内心でため息を吐く。もう何度吐いたかわからない。
本来ならばブルーエ男爵家三男および騎士見習いとして、人脈を増やしたり強化したりすべきだというのに。
友人知人も遠巻きにしている。もしも、アドリアンがただの男爵家三男だったなら将来に悪影響が出るところだ。
(はあ……この甘えたの坊ちゃんは本当に……。この後の両陛下と殿下とのお茶会が不安で仕方ありませんね)
【影】仲間からの報告では、両陛下と王子殿下は楽しみにされている。しかし同時に、アドリアンの現状に懸念を抱いてもいた。
出来れば穏便に話して欲しいところだが。
(『暴言を放ったら意識を刈り取っていい』と言われてはいますが、出来ればそうしたくないですね)
その場合、アドリアンはこれまで通りに暮らせなくなるだろう。
両陛下たちは愛情深いが為政者だ。甘い判断は下すまい。
それだけ、アドリアンの立場は危うく弱いのだ。
(産まれたことすら隠された第二王子殿下。
自制心や王家への忠誠心に問題があるとされれば、幽閉されるか処刑されるかでしょう。それは流石に避けたいですね。アドリアン様への苛立ちはありますが、なんだかんだで情がありますし。苛立ってはいますが)
グリシーヌにとってアドリアンは、主人であり手のかかる弟か子供のような存在だ。産まれたばかりの頃からずっと見守ってきたのだ。
グリシーヌからすれば、恵まれた生まれ育ちのうえに甘えが抜けない坊ちゃんだが、近衛騎士になるため努力してきた姿や、本来の明るく優しい人柄もよく知っている。
(それに、アドリアン様がそのようになれば、王家、ブルーエ男爵家、アメティスト子爵家、騎士たちも深く悲しまれるでしょう。私がそうならないように立ち回らなければ)
グリシーヌは決心した。
そんな中、不穏な囁きが耳に入る。
『アンブローズ侯爵家の姉妹が……』
『まあ!あの妹君が?お可哀想に』
『魔力無しだからと手を上げた?何百年前の教育を受けているんだ?』
『いくらデビュタント前とはいえ、王城でかような愚を犯すとは……』
(アンブローズ侯爵家の長女が、植え込みに隠れて次女をいたぶっているのですか)
同情しつつ納得した。アンブローズ侯爵家長女、ララベーラは傲慢さと自己愛に満ちた少女だった。
ただでさえ、夜会用と見紛う華美なドレスのせいで悪目立ちしていたのに、ドレスは派手な赤に金糸の刺繍、装飾品は金とエメラルドをたっぷり使っていた。全体的に華美を通り越して下品ですらある。
ララベーラは、色々身につけたせいで重かったのだろう。挨拶では姿勢が崩れていたし、声も震えていた。
まあ、この【蕾のお茶会】は、デビュタント前の予行練習も兼ねている。
派手さも無様さもある程度は見逃される。それだけならば。
だが、あれは駄目だ。
(確かに爵位も血筋も問題ないのでしょうが……今代の王家が慈悲深いからと身の程知らずな)
見に纏う金とエメラルドは、明らかにシャンティリアン王子殿下の金髪緑目を意識している。
『シャンティリアン王子殿下の婚約者に相応しいのは私よ!』
『我が家の長女こそが王子妃に相応しい!』
などと、叫んでいるも同然の姿である。品性下劣といっていい。
(王妃陛下の注意と嫌味も通じていない様子でしたね。まだ幼い長女はともかく両親までアレでは、婚約者候補にすらなれないでしょう。
反面、次女のルルティーナ様は気品がありました)
両陛下と王子殿下に素晴らしい挨拶をした幼い淑女を思い浮かべる。立派な口上とカーテシーだった。
噂話がさらに耳に入ってくる。
『あの家が所作を……』
『公爵が……』
(なるほど。元より今代のアンブローズ侯爵家は嫌われ者。対立派閥はルルティーナ様を引き合いに出して長女を嘲ったと。怒り狂った長女はルルティーナ様を植え込みの影に引きずり込み暴力を……。愚かで見苦しいこと)
周囲は気付かぬふりで様子を見るばかり。
歴史と資産はあるが、悪名高いアンブローズ侯爵家の醜聞に色めきだっている。または、巻き込まれることを恐れているようだ。
両親であるアンブローズ侯爵夫妻はというと、どうやら社交に夢中で気づいていないらしい。
(気づいたところで、あからさまに格差をつけて育てている姉妹をどうするかわかりませんが)
ルルティーナは品のいいドレスを着ていたが、長女に比べ明らかに生地のランクが低く、装飾品の類もほぼ無かった。
(それにアンブローズ侯爵夫妻がルルティーナ様を見る目は、路傍の石に対するものより冷たかった。
恐らく、日常的に虐待されているのでしょう)
グリシーヌは深く同情した。
(助けて差し上げたいです。ですが、駄目です)
望みを抱いたと同時に切り捨てる。迷いはない。
アドリアンから離れるわけにはいかないのだ。
(せめて、早く助けが入るよう【影】に……)
密かに伝達しようとしたその時だ。
『グリシーヌ』
アドリアンがいきなり席を立ち、自分を呼んだ。すかさず近くまで歩み寄る。
『アドリアン様、いかがなさいましたか?』
強い意志を込めた眼差しがグリシーヌを射抜く。
『君の耳にも噂話は聞こえているのだろう?アンブローズ侯爵家のご令嬢が酷い目にあっている。助けに行くぞ』
『なりません』
グリシーヌは即、断った。ルルティーナのことは助けてやりたいが、アドリアンが必要以上に目立つのは得策ではない。
『なぜだ?』
『事件はすでに報告されています。間もなく保護されるでしょう』
『保護を待つ間に怪我を負うかもしれない。それに、あんなに小さな女の子が酷い目にあっているのに放ってなんかいられない』
『ごもっともなお言葉ですが、現状の貴方様はブルーエ男爵家の三男です。残念ながら、侯爵家の御令嬢とそのご友人の皆さまに対し抑止力にはなりません。かえって騒ぎが大きくなる恐れすらあります。
その場合、どう責任を取るおつもりですか?』
『……我儘を言っている自覚はある。俺の護衛である君に迷惑がかかることも……。だけど、俺はあの女の子を助けたいんだ』
アドリアンは頭を下げた。
『グリシーヌ。どうか頼む。行かせてくれ。騒ぎにならないよう手を尽くす。万が一の場合も、俺自身が責任を負う』
(あら。ずっと拗ねて意地を張ったままだと思っていましたが、違ったようですね)
グリシーヌはアドリアンへの評価を改めた。少しは周りのことを見て考えれるようになったらしい。
『仕方ありませんね。お手並みを拝見させて頂きましょう』
こうして、アドリアンとグリシーヌはルルティーナを助けに行った。
お付き合い頂ければ幸いです。
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そして迎えた【蕾のお茶会】に時間は戻る。
グリシーヌは、ガーデンテーブルでお茶を飲む主人の背後に控えながら憂鬱だった。
(アドリアン様はいつまで拗ねていらっしゃるのか。せっかく新調したドレスと礼服も台無しですね)
グリシーヌは紫と藤色を基調としたドレスを、アドリアンは青と紺を基調とした礼服を着ていた。
アドリアンの付き添いなので、グリシーヌのドレスは一目でそうとわかる地味で簡素なものだ。
アドリアンの方はと言うと、華美ではないが生地と仕立ての良さが如実に現れた素晴らしい装いである。
アドリアンは堂々と着こなしていた。十四歳にしては背が高く体格がいいのもあって、なかなかの若き貴公子ぶりだ。
見た目だけは。
『素敵な方ね』
『ブルーエ男爵家の三男ですって』
幼い令嬢たちが、チラチラと眼差しを向けて頬を染めている。
だが。
『話しかけてみたいわ……ひっ!』
『あの、ご機嫌よ……きゃっ!』
令嬢たちはアドリアンに睨まれて逃げてしまった。無理もない。怜悧な美貌ゆえ、睨むとかなりの迫力がある。むしろその場で泣き出さないだけ彼女たちは立派だ。
(自分より幼い御令嬢にもこの態度。縄張り争い中の野良犬より品がない)
アドリアンは、最低限の挨拶周りが済んでからこの調子だ。
不機嫌な顔で座ったまま、時に周りを睨みつけている。社交をする気はない。こんな場所にいたくないと態度で語っている。
グリシーヌは内心でため息を吐く。もう何度吐いたかわからない。
本来ならばブルーエ男爵家三男および騎士見習いとして、人脈を増やしたり強化したりすべきだというのに。
友人知人も遠巻きにしている。もしも、アドリアンがただの男爵家三男だったなら将来に悪影響が出るところだ。
(はあ……この甘えたの坊ちゃんは本当に……。この後の両陛下と殿下とのお茶会が不安で仕方ありませんね)
【影】仲間からの報告では、両陛下と王子殿下は楽しみにされている。しかし同時に、アドリアンの現状に懸念を抱いてもいた。
出来れば穏便に話して欲しいところだが。
(『暴言を放ったら意識を刈り取っていい』と言われてはいますが、出来ればそうしたくないですね)
その場合、アドリアンはこれまで通りに暮らせなくなるだろう。
両陛下たちは愛情深いが為政者だ。甘い判断は下すまい。
それだけ、アドリアンの立場は危うく弱いのだ。
(産まれたことすら隠された第二王子殿下。
自制心や王家への忠誠心に問題があるとされれば、幽閉されるか処刑されるかでしょう。それは流石に避けたいですね。アドリアン様への苛立ちはありますが、なんだかんだで情がありますし。苛立ってはいますが)
グリシーヌにとってアドリアンは、主人であり手のかかる弟か子供のような存在だ。産まれたばかりの頃からずっと見守ってきたのだ。
グリシーヌからすれば、恵まれた生まれ育ちのうえに甘えが抜けない坊ちゃんだが、近衛騎士になるため努力してきた姿や、本来の明るく優しい人柄もよく知っている。
(それに、アドリアン様がそのようになれば、王家、ブルーエ男爵家、アメティスト子爵家、騎士たちも深く悲しまれるでしょう。私がそうならないように立ち回らなければ)
グリシーヌは決心した。
そんな中、不穏な囁きが耳に入る。
『アンブローズ侯爵家の姉妹が……』
『まあ!あの妹君が?お可哀想に』
『魔力無しだからと手を上げた?何百年前の教育を受けているんだ?』
『いくらデビュタント前とはいえ、王城でかような愚を犯すとは……』
(アンブローズ侯爵家の長女が、植え込みに隠れて次女をいたぶっているのですか)
同情しつつ納得した。アンブローズ侯爵家長女、ララベーラは傲慢さと自己愛に満ちた少女だった。
ただでさえ、夜会用と見紛う華美なドレスのせいで悪目立ちしていたのに、ドレスは派手な赤に金糸の刺繍、装飾品は金とエメラルドをたっぷり使っていた。全体的に華美を通り越して下品ですらある。
ララベーラは、色々身につけたせいで重かったのだろう。挨拶では姿勢が崩れていたし、声も震えていた。
まあ、この【蕾のお茶会】は、デビュタント前の予行練習も兼ねている。
派手さも無様さもある程度は見逃される。それだけならば。
だが、あれは駄目だ。
(確かに爵位も血筋も問題ないのでしょうが……今代の王家が慈悲深いからと身の程知らずな)
見に纏う金とエメラルドは、明らかにシャンティリアン王子殿下の金髪緑目を意識している。
『シャンティリアン王子殿下の婚約者に相応しいのは私よ!』
『我が家の長女こそが王子妃に相応しい!』
などと、叫んでいるも同然の姿である。品性下劣といっていい。
(王妃陛下の注意と嫌味も通じていない様子でしたね。まだ幼い長女はともかく両親までアレでは、婚約者候補にすらなれないでしょう。
反面、次女のルルティーナ様は気品がありました)
両陛下と王子殿下に素晴らしい挨拶をした幼い淑女を思い浮かべる。立派な口上とカーテシーだった。
噂話がさらに耳に入ってくる。
『あの家が所作を……』
『公爵が……』
(なるほど。元より今代のアンブローズ侯爵家は嫌われ者。対立派閥はルルティーナ様を引き合いに出して長女を嘲ったと。怒り狂った長女はルルティーナ様を植え込みの影に引きずり込み暴力を……。愚かで見苦しいこと)
周囲は気付かぬふりで様子を見るばかり。
歴史と資産はあるが、悪名高いアンブローズ侯爵家の醜聞に色めきだっている。または、巻き込まれることを恐れているようだ。
両親であるアンブローズ侯爵夫妻はというと、どうやら社交に夢中で気づいていないらしい。
(気づいたところで、あからさまに格差をつけて育てている姉妹をどうするかわかりませんが)
ルルティーナは品のいいドレスを着ていたが、長女に比べ明らかに生地のランクが低く、装飾品の類もほぼ無かった。
(それにアンブローズ侯爵夫妻がルルティーナ様を見る目は、路傍の石に対するものより冷たかった。
恐らく、日常的に虐待されているのでしょう)
グリシーヌは深く同情した。
(助けて差し上げたいです。ですが、駄目です)
望みを抱いたと同時に切り捨てる。迷いはない。
アドリアンから離れるわけにはいかないのだ。
(せめて、早く助けが入るよう【影】に……)
密かに伝達しようとしたその時だ。
『グリシーヌ』
アドリアンがいきなり席を立ち、自分を呼んだ。すかさず近くまで歩み寄る。
『アドリアン様、いかがなさいましたか?』
強い意志を込めた眼差しがグリシーヌを射抜く。
『君の耳にも噂話は聞こえているのだろう?アンブローズ侯爵家のご令嬢が酷い目にあっている。助けに行くぞ』
『なりません』
グリシーヌは即、断った。ルルティーナのことは助けてやりたいが、アドリアンが必要以上に目立つのは得策ではない。
『なぜだ?』
『事件はすでに報告されています。間もなく保護されるでしょう』
『保護を待つ間に怪我を負うかもしれない。それに、あんなに小さな女の子が酷い目にあっているのに放ってなんかいられない』
『ごもっともなお言葉ですが、現状の貴方様はブルーエ男爵家の三男です。残念ながら、侯爵家の御令嬢とそのご友人の皆さまに対し抑止力にはなりません。かえって騒ぎが大きくなる恐れすらあります。
その場合、どう責任を取るおつもりですか?』
『……我儘を言っている自覚はある。俺の護衛である君に迷惑がかかることも……。だけど、俺はあの女の子を助けたいんだ』
アドリアンは頭を下げた。
『グリシーヌ。どうか頼む。行かせてくれ。騒ぎにならないよう手を尽くす。万が一の場合も、俺自身が責任を負う』
(あら。ずっと拗ねて意地を張ったままだと思っていましたが、違ったようですね)
グリシーヌはアドリアンへの評価を改めた。少しは周りのことを見て考えれるようになったらしい。
『仕方ありませんね。お手並みを拝見させて頂きましょう』
こうして、アドリアンとグリシーヌはルルティーナを助けに行った。
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