23 / 94
第1部
22話 パンセ
しおりを挟む
優しくも悲しい記憶の余韻が引いていき、私は意識を取り戻しました。
うたた寝をしていたようです。追憶の薬茶の副作用でしょう。
目の前には、新しく用意された美味しそうなお菓子とサンドイッチ、その向こうには難しい顔をしたシェルシェ様がいます。
シェルシェ様は顎に手を当てて首を傾げます。紫色の髪が揺れました。
その色が、誰かに似ていると初めて思いました。
「紫の髪と瞳、パンセという名前……。薬の女神……。やっぱりそうか。……あ、気づかれましたか」
「ルルティーナ様、お疲れ様でした。お食事をご用意いたしましたので、どうぞお召し上がり下さい」
「僕も食べる!難しい話は後にしましょう!」
シェルシェ様とシアンは表情を和らげて、食事を勧めて下さいました。
シアンが薬茶の直後だからと白湯を淹れてくれます。シェルシェ様には紅茶です。
「シアン、ありがとう。頂くわ」
「ありがとう。シアンさんのお茶美味しいから、僕好きだな」
私は、野菜たっぷりのサンドイッチでお腹を満たします。シェルシェ様はというと、ローストビーフのサンドイッチと卵のサンドイッチを、物凄い勢いで食べています。
シアンが目をすがめます。
「お野菜も食べないとカルメ様に叱られますよ」
「それ人参入りじゃん。食べると嫌な気分になるからやだ。今日だけ見逃して!」
シェルシェ様はプイッと、顔を逸らして拒否します。まだ十三歳の男の子だからでしょうか?シアンに対しては、いつも弟のように甘えるのでした。
サンドイッチを食べ終わり菓子に手を伸ばそうかという頃、シアンは紅茶を淹れてくれました。
「ありがとう。お菓子は紅茶で頂きたいと思っていたから嬉しいわ」
「よろしゅうございました。シェルシェ様もお茶のおかわりはいかがですか?」
「欲しいです!」
シアンは本当に、気遣い上手で頼もしい侍女です。シェルシェ様が甘えるのもわかります。
ほっこりしながら、シェルシェ様とケーキを食べます。
「ルルティーナ様、このケーキもとっても美味しいですね!」
「うふふ。そうですね……あら?でもこれは人参のケーキですよ。食べて大丈夫なのですか?」
「え?」
「はあ……。シェルシェ様は、結局はただの食わず嫌いなんですよ。これを機に、もっと野菜をお召しあがり下さいまし」
たわいもない雑談の後、シェルシェ様は真面目な顔に戻りました。
「ルルティーナ様。お話をお聞きして様々な事がわかりました。カルメ局長……僕の父方の祖母の推察が当たっていると思います」
カルメ様がシェルシェ様のお祖母様だという事は知っていますが、わざわざ「父方の」と言うところが引っ掛かります。
視線で先を促すと、シェルシェ様は居住まいを正しました。
「ルルティーナ様の師匠、ポーション職人パンセは恐らく僕の母方の祖母です」
「えっ?!ほ、本当ですか?」
「はい。恐らくは……。僕のこの紫色の髪、独特の色合いで珍しいでしょう?母の家系特有の色なんですよ」
確かにその通りです。
「それと【薬の女神】への祈りです。実は、【薬の女神】はほとんど信仰されていないんですよ」
「えぇっ!?そうなのですか!?」
「はい。我が国では様々な神々が信仰されていますが、全ての薬を司る【薬の女神】が広く信仰されていたのは何百年も前です。今では南部のごく一部でしか信仰されていません。
これは、治癒魔法を司る【癒しの女神】の信仰が強まると同時に同一視されたせいです」
シアンを見ると彼女も頷きます。
「私も【薬の女神】の名を聞いたのは、ルルティーナ様にお仕えしてからです」
「知らなかったわ。……では、シェルシェ様のお母様とパンセ様は、南部のご出身なのでしょうか?」
「はい。母方の祖母パンセについて、僕が知っている事をお話しますね」
パンセ様はヴェールラント王国南部辺境の、代々続く薬師の家系で生まれ育ったそうです。
生薬だけでなくポーションも作成できたパンセ様は【どんな薬でも作れる天才】【薬の女神の加護を受けた薬の聖女】と、評判だったそうです。
「事実、パンセは跡取りでもないのに【一族の秘薬】すら伝授されていたそうです」
パンセ様は、幼馴染の男性と結婚して薬師として独立し、シェルシェ様のお母様をご出産されました。そこまでは幸せな人生を歩んでいたようですが……。
「今から25年ほど前のことです。土地の豪商が、パンセをお抱え薬師にしようとしました。パンセが【一族の秘薬】を伝授されていると知った為です」
豪商の狙いに気づいたパンセ様は拒絶しました。ですが豪商は諦めず、脅迫するためにパンセ様の旦那様を冤罪で訴えます。
旦那様は投獄されてしまいました。もちろんパンセ様たち家族、友人知人は助けようとしたのですが……。
「祖父は逃げ出そうとして、冤罪だと知らなかった兵士によって殺されてしまいました」
「っ!なんて酷いことを!」
「全くです。パンセは怒り狂い……己の手で復讐を果たしました。全ての元凶である豪商を毒殺したのです。
そして僕の母と共に王都まで逃げ、知り合いの貴族に匿ってもらったそうです」
パンセ様親子は、屋敷の一室で貴族から頼まれた仕事をしつつ、穏やかに暮らしていたそうです。
しかし三年後、シェルシェ様のお母様だけ屋敷から出されました。
「混乱する母に貴族の使用人は説明しました。
『パンセ様は、新しい上級ポーションのレシピ開発に貢献されました。その報酬に、貴女様に新しい人生を用意することを望まれたのです』と。
母は別離を悲しみましたが、祖父はともかくパンセは歴とした殺人犯です。その娘だと知られれば、罪人に厳しいこの国では生きてはいけません」
こうしてシェルシェ様のお母様は、北部で最も栄えている都市で生きることになったそうです。
「母はこのことを、父、カルメ、僕ら子供にだけ話しました。貴族の名は言いませんでしたが、きっと今でも覚えているはずです。カルメ局長は、母を連れてくるか話を聞きだしているはずです。
特級ポーションの謎について、さらに詳しいことがわかりますよ」
◆◆◆◆◆
数日後、カルメ様は一人の女性を連れて帰りました。ふわふわした紫色の髪と、濃い紫色の瞳の女性です。
「お初にお目にかかります。私はビオラと申します。義母カルメから話を聞き、どうしてもルルティーナ様とお話がしたくて……ルルティーナ様!?」
緊張しているのか、少し眉を顰めているビオラ様。そのお顔を見て、私は笑いながら泣いてしまいました。
「ごめんなさい。ビオラ様が師匠にそっくりで、懐かしくて……」
「母に……そうですか、そう……うぅっ……!」
ビオラ様も泣いてしまいました。私たちは気が済むまで泣いて、笑い合いました。
ビオラ様の笑顔は、たった一度だけ見た師匠の笑顔とそっくりで。
私はやはり、また泣いてしまったのでした。
◆◆◆◆◆
ビオラ様は、一カ月ほど辺境騎士団に滞在することになりました。
ビオラ様もまた薬師兼ポーション職人なので、即戦力として活躍されています。また、多忙なカルメ様たちにかわり、私に医術と薬学を教えて頂くことになりました。
滞在の理由ですが。
「ルルティーナ様と、もっと母の思い出話をできればと……」
「ありがとうございます。私もです。どうか私のことはルルティーナとお呼びください。敬語も結構です。
ビオラ様はパンセ師匠のご息女であり、私の医術と薬学の師匠なのですから」
「そうですか……。では、ルルティーナさんとお呼びするわ。私のことも好きに呼んでね」
「では、ビオラ師匠とお呼びします」
ビオラ師匠は優しく微笑まれ、私は新しい師を得たのでした。
うたた寝をしていたようです。追憶の薬茶の副作用でしょう。
目の前には、新しく用意された美味しそうなお菓子とサンドイッチ、その向こうには難しい顔をしたシェルシェ様がいます。
シェルシェ様は顎に手を当てて首を傾げます。紫色の髪が揺れました。
その色が、誰かに似ていると初めて思いました。
「紫の髪と瞳、パンセという名前……。薬の女神……。やっぱりそうか。……あ、気づかれましたか」
「ルルティーナ様、お疲れ様でした。お食事をご用意いたしましたので、どうぞお召し上がり下さい」
「僕も食べる!難しい話は後にしましょう!」
シェルシェ様とシアンは表情を和らげて、食事を勧めて下さいました。
シアンが薬茶の直後だからと白湯を淹れてくれます。シェルシェ様には紅茶です。
「シアン、ありがとう。頂くわ」
「ありがとう。シアンさんのお茶美味しいから、僕好きだな」
私は、野菜たっぷりのサンドイッチでお腹を満たします。シェルシェ様はというと、ローストビーフのサンドイッチと卵のサンドイッチを、物凄い勢いで食べています。
シアンが目をすがめます。
「お野菜も食べないとカルメ様に叱られますよ」
「それ人参入りじゃん。食べると嫌な気分になるからやだ。今日だけ見逃して!」
シェルシェ様はプイッと、顔を逸らして拒否します。まだ十三歳の男の子だからでしょうか?シアンに対しては、いつも弟のように甘えるのでした。
サンドイッチを食べ終わり菓子に手を伸ばそうかという頃、シアンは紅茶を淹れてくれました。
「ありがとう。お菓子は紅茶で頂きたいと思っていたから嬉しいわ」
「よろしゅうございました。シェルシェ様もお茶のおかわりはいかがですか?」
「欲しいです!」
シアンは本当に、気遣い上手で頼もしい侍女です。シェルシェ様が甘えるのもわかります。
ほっこりしながら、シェルシェ様とケーキを食べます。
「ルルティーナ様、このケーキもとっても美味しいですね!」
「うふふ。そうですね……あら?でもこれは人参のケーキですよ。食べて大丈夫なのですか?」
「え?」
「はあ……。シェルシェ様は、結局はただの食わず嫌いなんですよ。これを機に、もっと野菜をお召しあがり下さいまし」
たわいもない雑談の後、シェルシェ様は真面目な顔に戻りました。
「ルルティーナ様。お話をお聞きして様々な事がわかりました。カルメ局長……僕の父方の祖母の推察が当たっていると思います」
カルメ様がシェルシェ様のお祖母様だという事は知っていますが、わざわざ「父方の」と言うところが引っ掛かります。
視線で先を促すと、シェルシェ様は居住まいを正しました。
「ルルティーナ様の師匠、ポーション職人パンセは恐らく僕の母方の祖母です」
「えっ?!ほ、本当ですか?」
「はい。恐らくは……。僕のこの紫色の髪、独特の色合いで珍しいでしょう?母の家系特有の色なんですよ」
確かにその通りです。
「それと【薬の女神】への祈りです。実は、【薬の女神】はほとんど信仰されていないんですよ」
「えぇっ!?そうなのですか!?」
「はい。我が国では様々な神々が信仰されていますが、全ての薬を司る【薬の女神】が広く信仰されていたのは何百年も前です。今では南部のごく一部でしか信仰されていません。
これは、治癒魔法を司る【癒しの女神】の信仰が強まると同時に同一視されたせいです」
シアンを見ると彼女も頷きます。
「私も【薬の女神】の名を聞いたのは、ルルティーナ様にお仕えしてからです」
「知らなかったわ。……では、シェルシェ様のお母様とパンセ様は、南部のご出身なのでしょうか?」
「はい。母方の祖母パンセについて、僕が知っている事をお話しますね」
パンセ様はヴェールラント王国南部辺境の、代々続く薬師の家系で生まれ育ったそうです。
生薬だけでなくポーションも作成できたパンセ様は【どんな薬でも作れる天才】【薬の女神の加護を受けた薬の聖女】と、評判だったそうです。
「事実、パンセは跡取りでもないのに【一族の秘薬】すら伝授されていたそうです」
パンセ様は、幼馴染の男性と結婚して薬師として独立し、シェルシェ様のお母様をご出産されました。そこまでは幸せな人生を歩んでいたようですが……。
「今から25年ほど前のことです。土地の豪商が、パンセをお抱え薬師にしようとしました。パンセが【一族の秘薬】を伝授されていると知った為です」
豪商の狙いに気づいたパンセ様は拒絶しました。ですが豪商は諦めず、脅迫するためにパンセ様の旦那様を冤罪で訴えます。
旦那様は投獄されてしまいました。もちろんパンセ様たち家族、友人知人は助けようとしたのですが……。
「祖父は逃げ出そうとして、冤罪だと知らなかった兵士によって殺されてしまいました」
「っ!なんて酷いことを!」
「全くです。パンセは怒り狂い……己の手で復讐を果たしました。全ての元凶である豪商を毒殺したのです。
そして僕の母と共に王都まで逃げ、知り合いの貴族に匿ってもらったそうです」
パンセ様親子は、屋敷の一室で貴族から頼まれた仕事をしつつ、穏やかに暮らしていたそうです。
しかし三年後、シェルシェ様のお母様だけ屋敷から出されました。
「混乱する母に貴族の使用人は説明しました。
『パンセ様は、新しい上級ポーションのレシピ開発に貢献されました。その報酬に、貴女様に新しい人生を用意することを望まれたのです』と。
母は別離を悲しみましたが、祖父はともかくパンセは歴とした殺人犯です。その娘だと知られれば、罪人に厳しいこの国では生きてはいけません」
こうしてシェルシェ様のお母様は、北部で最も栄えている都市で生きることになったそうです。
「母はこのことを、父、カルメ、僕ら子供にだけ話しました。貴族の名は言いませんでしたが、きっと今でも覚えているはずです。カルメ局長は、母を連れてくるか話を聞きだしているはずです。
特級ポーションの謎について、さらに詳しいことがわかりますよ」
◆◆◆◆◆
数日後、カルメ様は一人の女性を連れて帰りました。ふわふわした紫色の髪と、濃い紫色の瞳の女性です。
「お初にお目にかかります。私はビオラと申します。義母カルメから話を聞き、どうしてもルルティーナ様とお話がしたくて……ルルティーナ様!?」
緊張しているのか、少し眉を顰めているビオラ様。そのお顔を見て、私は笑いながら泣いてしまいました。
「ごめんなさい。ビオラ様が師匠にそっくりで、懐かしくて……」
「母に……そうですか、そう……うぅっ……!」
ビオラ様も泣いてしまいました。私たちは気が済むまで泣いて、笑い合いました。
ビオラ様の笑顔は、たった一度だけ見た師匠の笑顔とそっくりで。
私はやはり、また泣いてしまったのでした。
◆◆◆◆◆
ビオラ様は、一カ月ほど辺境騎士団に滞在することになりました。
ビオラ様もまた薬師兼ポーション職人なので、即戦力として活躍されています。また、多忙なカルメ様たちにかわり、私に医術と薬学を教えて頂くことになりました。
滞在の理由ですが。
「ルルティーナ様と、もっと母の思い出話をできればと……」
「ありがとうございます。私もです。どうか私のことはルルティーナとお呼びください。敬語も結構です。
ビオラ様はパンセ師匠のご息女であり、私の医術と薬学の師匠なのですから」
「そうですか……。では、ルルティーナさんとお呼びするわ。私のことも好きに呼んでね」
「では、ビオラ師匠とお呼びします」
ビオラ師匠は優しく微笑まれ、私は新しい師を得たのでした。
27
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。



【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。
112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。
ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。
ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。
※完結しました。ありがとうございました。

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる