狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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ラズワートの回想・四年前と現在

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 瞬く間に季節は過ぎて夏になった。この年の夏は、遠征も魔獣狩りも領内での揉め事も少ない夏だった。
 ラズワートは領主館の執務室で資料をまとめたり、先送りにしていた案件を進めたり、今までの見直しをする日々を過ごしていた。
 そんなある日、リュビクに酒に誘われた。星が美しく輝き、爽やかな風が吹く夜だった。

「主従ではなく叔父と甥として話したい」

 ラズワートは二つ返事で同意した。きっと、家を出ることを反対する気だとあたりをつける。リュビクは初夏を過ぎたあたりから反対しないようになったが、折に触れて何か言いたそうにしていた。
 ラズワートは大人しくリュビクについていき居室に入った。リュビクの家は別にあるが、多忙なため領主館の居室にいる事の方が多い。執務室は別にあるため、ほとんど寝て起きるための部屋だ。
 中に入ると、小さなテーブルと椅子二つが目に入った。テーブルの上には明り取りのランプ、干し肉が山盛りになった皿、取っ手のついた陶器の酒壺が二つある。干し肉は一角牛の干し肉、酒壺の中身は麦酒だろう。リュビクのいつもの組み合わせだ。

(リュビク叔父のアレか……)

 一角牛の干し肉作りはリュビクの趣味だ。しかし、お世辞にも美味くはない。
 やたらと塩辛く香草の嫌な苦味が舌に残る。出来もまちまちで、生臭かったりカビ臭かったりもする。食べさせられた者は『一角牛への冒涜』『不味く作る天才』『親父の履き古した革靴』『もはや毒』などと罵る。それでも、鍛錬や魔獣退治で疲れ果てた後に生温い麦酒で流し込むと、例えようもない満足感があった。どう考えても空腹による錯覚だろうが。
 思えば、ラズワートが十六歳になった時に成人祝いだといってリュビクに酒を飲ませられたのも、この組み合わせだった。ラズワートは、初めての酒精の強烈さと、未知の味の干し肉に目を白黒させた。リュビクは大いに笑って背中をバシバシと叩いたものだ。

『これでお前も大人の仲間入りって奴だ!』

 リュビクは公的な場では節度と礼節を守るが、それ以外では豪放磊落を絵に描いたような男だ。若い頃は今以上に豪快で、屈託のない顔をよく見せてくれていた。
 懐かしさに目を細める。あの頃は、まさか自分がアンジュール家を出るとは夢にも思わなかった。
 ラズワートが感傷に浸っている間に、リュビクはどかりと椅子に座って酒壺の片方を取り、蓋を開けた。ラズワートも同じように座り、酒壺を掴んで蓋を開けた。

「「乾杯」」

 同時に干し肉に手を伸ばす。口に入れておや?と、首を傾げた。そして、噛みしめて目を見開く。
 びっくりするほど美味い。塩加減も、一角牛の風味も、固さも丁度いい。しかも、ただ口に入れるだけで香草だけではない良い香りが広がる。噛んでいくと肉が唾液で解れてゆき、さらに香りと旨味があふれる。しっかり味わい、飲み込む。香りと旨味が残っているところへ麦酒。爽やかな苦味が心地よく口内を洗い、喉を潤す。
 最高だ。

「美味いだろ」

 リュビクはにやりと笑って、ラズワートの無言の『どう作ったんだ。本当に自分で作ったのか』という問いに答えた。

「教えてもらったやり方だ。肉に塩と香草を揉み込んで寝かす。水で塩抜きしてからしっかり干して、乾いたら木を燃やした煙の中で干す。そうすると香りがつくし日持ちもする。手間がかかるが、なかなか美味いものが出来るな」

「ああ、この香りは燻製したからか……というかリュビク叔父、もしかして前まで塩抜きすらしてなかったのか?」

「おう。知らなかったからな」

「……とんでもない物を食わされてたな。まあ、今は美味いから許す」

「ははは!お前、相変わらず飯食ってる時はわかりやすいなあ」

「そうか?叔父上様ほどじゃないと思うが?」

 ラズワートはしれっと曰い、新しい干し肉を齧って麦酒をあおる。

「いやいやお前、配下にまで『銀の暴殺』に惚れてるのがバレてるじゃねえか。言われたくねえよ」

 うっかりむせかけた。リュビクは半目で麦酒を啜りながら話す。どうやら、この間の捕虜交換の時の宴で周りにバレていたらしい。そんなに露骨だったかと落ち込んだ。

「もともと疑ってた奴も多かったしな。お前が自覚してる以上に周りはお前を見てるし、お前に気を使ってるんだよ。何でかわかるか?先に言っとくが、忠誠心だけじゃねえぞ」

「俺がアンジュール領の領主で、辺境軍の総司令官だからだろ」

「馬鹿。お前の事が好きだからだよ。だから細やかな恋くらいそっとしといてやりたい。出来れば応援してやりたいんだよ」

 相手が男で獣人だということも、アンジュール領ではさほど問題では無いことと、ファルロがラズワートへの敬意と好意をダダ漏れにしていることも作用していると締めくくる。
 どう反応したらいいか分からず、ラズワートは麦酒を舐めるように飲んだ。

「俺たち皆が、お前が好きで大事だ。家を出るって言い出した時は、ヤケになってるんじゃないか、出さなくていい自己犠牲精神を出しちまってるんじゃないかって心配したぞ。まあ、何回か顔見て話してる内に違うってわかったけどよ」

 嬉しく無いわけではないが、戸惑いの方が大きい。ラズワートは物心ついてからずっと、意識して配下と領民から距離を取って来た。彼らも距離を保っていたし、ラズワートの内心にはあまり興味がないと思っていた。
 それも違うとリュビクは言う。

「お前は鈍いなあ。本当にそうだったら、家を出ると言った段階で謀叛を起こされてるぞ。皆、お前がいつも周りの為に働いて努力して気を張ってるのも、色々と苦労して苦しんでいることも……サフィーリア姫のことで傷ついているのも、わかっている。だからな」

 リュビクは真剣な顔になり、音を立てて酒壺を置いた。

「惚れた男を追っかけて家を出てもいいが、必ず幸せになれ。時々は顔を見せて、周りを安心させてやれ。何もかも放り出す気なら、それぐらい義務だと思ってやりとげろ。でないと俺たちが押しかけるぞ」

 リュビクは最後の一言だけ冗談めかして言い、豪快に干し肉を噛みちぎって酒壺をあおった。
 ラズワートも同じようにした。目頭が熱くなったのを誤魔化すために。

「……相手がいることだ。どうなるかわからん」

「いや大丈夫だろ。向こうもベタ惚れだし」

 根拠を聞くと変な顔になった。

「お前以上にあからさまだろうが。まさか気づいてない訳じゃないだろ?」

「まあ……な。だが、俺の願望による錯覚の可能性も……それに親子ほど歳が離れているのだ。俺のことを子供のように思っている可能性もある」

 リュビクは顔中で『何言ってんだコイツ』と表現し、大きなため息をついた。

「やっぱりお前、まだまだ坊やだ。さっさと大人になれよ」

 ラズワートは理不尽なものを感じつつ、言い返せなかった。

「この話題はここまでな。せっかくだから今まで話せなかったことを話そうぜ!」

 この後は愚痴と暴露話で盛り上がった。リュビクの新しい恋の話や、ラズワートの父アジュリートに対する恨みやら敬愛やらを打ち明けあう。どうやらアジュリートは、弟であるリュビクにとっても困った兄だったらしい。酒壺も干し肉も余剰がかなりあり、お互いが酔い潰れるまで飲んで騒いだのだった。
 翌朝、ラズワートは初めて怪我と病気以外の理由で執務を休んだ。 

◆◆◆◆◆

 そして季節は巡り三年後、ラズワートは全てを捨ててファルロを得たのだった。
 予定通り、人質としてゴルハバル帝国皇都に連れて来られた。
 最初は、皇帝アリュシアンに何か考えがあったらしく放置されていたが、狙い通りファルロに保護されることが決まった。保護されてからは、夢のように幸福で穏やかな日々を過ごした。やがて想いまで通じ合い、番にまでなれたのだ。
 しかも、第二王子ジャルルとルフランゼ王家への復讐も終わった。考え得る限りで最高の状態でだ。
 ラズワートは幸福と達成感の絶頂に至った。
 至ったが、それでも思ってしまう。

◆◆◆◆◆

 時は巡り現在。ラズワートは愛しい狼と見つめ合う。いつかのように言葉がほろほろとこぼれ落ちる。

「なあファルロ。ルフランゼ王家も王国も滅んだ。先祖の悲願も、俺の復讐も叶った。だが、本当にこれで良かったのだろうか」

 ファルロはラズワートの目をしっかり見て言った。金色の目は優しくも強い輝きを放つ。

「だからこそ、私と貴方は結ばれたのです。良かったに決まっているでしょう」

 ラズワートはあまりに迷いのない言葉に呆気に取られ、泣き笑いの顔になった。

「そうだな。良かった。これで良かったんだ」

『そうだよ。ラズワート』

 サフィーリアがそう言ってくれた気がした。都合のいい夢とわかっていて、そう思った。
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