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ラズワートの回想・四年前
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時は過ぎ、ラズワートが二十五歳の春にファルロと再会した。
スィルバネ砦での捕虜交換のための会合でだ。緊張感の漂う場ではあったが、姿を見れて身震いするほど嬉しかった。しかも、ファルロのラズワートを見る目には、相変わらず甘さが滴っている。おまけに、会合後に宴に招かれた。
珍しい美酒と美食、そしてファルロの甘い眼差しと声。
(低くて甘い、いい声だ)
ラズワートの心が溶けてゆき、普段はこぼさない愚痴めいた言葉がほろほろと落ちた。流石に何もかも話したわけではないが、大して酔ってもいないくせに口が軽くなっている。
(初めてまともに話せたから浮かれているな)
恥ずかしかったが、心は浮き立ち揺れるばかり。そんなラズワートを、ファルロは年上らしい余裕で受け止めてくれる。しかも、過ぎた言葉をたしなめてくれた。嬉しい反面、情けなくて謝ったが。
「貴方にならいくらでも困らされたいです」
ファルロの言葉と表情、いやその存在に眩暈がした。顔が、いや全身が熱い。大きな胸に飛び込みたい。
まだ出来ない。けれど我慢できなくなりそうだった。こんな自分は知らない。
ラズワートはなんとか声を絞り出した。
「貴殿といると、俺は俺でなくなりそうだ。不快ではないが……困る」
その時のファルロの眼差し。金色の目の熱さ。ラズワートが愛おしくてたまらないと叫んでいた。ラズワートは、どうか夢でも錯覚でもないようにと祈る。
ファルロたちと別れの挨拶を交わした時も、ルフランゼに帰る途中も、その後も、ずっと祈っていた。
祈る内に、決意が固まった。
きっと、死んだ父も家臣たちも怒るだろう。呆れるだろう。だがもう決めた。
決めてからは、早かった。
◆◆◆◆◆
帰還してすぐ計画を立てた。そして、領主館にリュビクら策略を知る重臣たちを集めて軍議を開き、計画を説明した。説明を聞いた全員が度肝を抜かれて青ざめる。
「国王と第二王子を誘導して俺を失脚させ、ゴルハバル帝国への人質にさせる。無論、あらかじめ皇帝陛下にはお伝えした上でだ」
アンジュール家の策略を完成させるにあたり、アンジュール領の正当な謀叛理由と、ゴルハバル帝国の侵攻理由が必要だった。後者はともかく、前者はどれも決め手にかけた。
「自分で言うのもなんだが、俺は辺境軍からも領民からも慕われている。その俺が冤罪で失脚し人質に出されたとあれば、謀叛を起こす正当性は充分だろう」
「た、確かにそうですが、これはあまりにも……」
「反対です!閣下の御身を犠牲にするなど本末転倒です!」
リュビクも焦りを隠せない様子で言い募る。
「そうです!この計略には私、リュビクをお使い下さい!閣下には王家打倒後もアンジュール家を盛り立てていく使命がございます!」
「いいや。俺は人質に出る。そして、アンジュール家には二度と戻らない」
時が止まった。ラズワートは淡々と続けた。
「これはアンジュール家を存続させるためだ。俺はサフィーリアと結婚する時に誓った。生涯、サフィーリア以外とは婚姻せず子も作らない。サフィーリアとの子供以外を後継者に指名することもないと。お前たちも誓いを見ていたはずだ」
「それは馬鹿王子どもの嫌がらせだろうが!」
リュビクが机を叩いて怒鳴る。が、ラズワートは揺らがない。サフィーリアの言葉が蘇る。
あれは確か、儚くなる二月ほど前のことだった。サフィーリアはもう出歩ける状態ではなかったので、寝台で横になっていた。ラズワートはその手を握り、苦しみを軽減させるために身体強化魔法をかけていた。
『ラズワート、私の命令を覚えているな?』
無言で頷いた。サフィーリアは満足そうに微笑む。
『お前の好きに生きろ。幸せになれ。その為なら私を利用して構わない』
(サフィーリア、俺に力を貸してくれ)
「いいや。俺はあの時、サフィーリアと俺自身に誓った。誰であろうとこの誓いを穢させはしない。俺が去った後のアンジュール家は、皆が認める新たな者が継いでいくのだ」
以降も激しい反対を受けたが、ラズワートは我を押し通した。
策略にせよ、軍権にせよ、領地運営にせよ、最終的な決定権はラズワートにある。結局、三年後の秋に実行することが決まった。
決定してからは、王都の手の者はもちろんゴルハバル帝国の事情を通しておくべき者に連絡したり、領内が出来るだけ混乱しないよう計画を練ったりと忙しく過ごした。
後は後継者の選定だけだが、ラズワートは口を挟まずに静観している。とはいえ、領主代行と司令官代行は指名した。現在、王都で暗躍している従兄弟イオリートが兼任する。
「後継者の指名ではなく代行の指名だから問題ないだろう」
屁理屈とわかっていて押し通した。そのままイオリートがアンジュール家を継ぐだろう。
イオリート・ド・ヴァンジュールは、人脈、語学、魔法、剣、馬術、交渉力、どれを取っても有能な従兄弟だ。おまけに父親のリュビクもいる。
アンジュール家を出ると決めたが、アンジュール領も辺境軍もラズワートの大切な故郷だ。誰もが幸せになれるよう、最後まで力を尽くすつもりで日々を過ごした。
スィルバネ砦での捕虜交換のための会合でだ。緊張感の漂う場ではあったが、姿を見れて身震いするほど嬉しかった。しかも、ファルロのラズワートを見る目には、相変わらず甘さが滴っている。おまけに、会合後に宴に招かれた。
珍しい美酒と美食、そしてファルロの甘い眼差しと声。
(低くて甘い、いい声だ)
ラズワートの心が溶けてゆき、普段はこぼさない愚痴めいた言葉がほろほろと落ちた。流石に何もかも話したわけではないが、大して酔ってもいないくせに口が軽くなっている。
(初めてまともに話せたから浮かれているな)
恥ずかしかったが、心は浮き立ち揺れるばかり。そんなラズワートを、ファルロは年上らしい余裕で受け止めてくれる。しかも、過ぎた言葉をたしなめてくれた。嬉しい反面、情けなくて謝ったが。
「貴方にならいくらでも困らされたいです」
ファルロの言葉と表情、いやその存在に眩暈がした。顔が、いや全身が熱い。大きな胸に飛び込みたい。
まだ出来ない。けれど我慢できなくなりそうだった。こんな自分は知らない。
ラズワートはなんとか声を絞り出した。
「貴殿といると、俺は俺でなくなりそうだ。不快ではないが……困る」
その時のファルロの眼差し。金色の目の熱さ。ラズワートが愛おしくてたまらないと叫んでいた。ラズワートは、どうか夢でも錯覚でもないようにと祈る。
ファルロたちと別れの挨拶を交わした時も、ルフランゼに帰る途中も、その後も、ずっと祈っていた。
祈る内に、決意が固まった。
きっと、死んだ父も家臣たちも怒るだろう。呆れるだろう。だがもう決めた。
決めてからは、早かった。
◆◆◆◆◆
帰還してすぐ計画を立てた。そして、領主館にリュビクら策略を知る重臣たちを集めて軍議を開き、計画を説明した。説明を聞いた全員が度肝を抜かれて青ざめる。
「国王と第二王子を誘導して俺を失脚させ、ゴルハバル帝国への人質にさせる。無論、あらかじめ皇帝陛下にはお伝えした上でだ」
アンジュール家の策略を完成させるにあたり、アンジュール領の正当な謀叛理由と、ゴルハバル帝国の侵攻理由が必要だった。後者はともかく、前者はどれも決め手にかけた。
「自分で言うのもなんだが、俺は辺境軍からも領民からも慕われている。その俺が冤罪で失脚し人質に出されたとあれば、謀叛を起こす正当性は充分だろう」
「た、確かにそうですが、これはあまりにも……」
「反対です!閣下の御身を犠牲にするなど本末転倒です!」
リュビクも焦りを隠せない様子で言い募る。
「そうです!この計略には私、リュビクをお使い下さい!閣下には王家打倒後もアンジュール家を盛り立てていく使命がございます!」
「いいや。俺は人質に出る。そして、アンジュール家には二度と戻らない」
時が止まった。ラズワートは淡々と続けた。
「これはアンジュール家を存続させるためだ。俺はサフィーリアと結婚する時に誓った。生涯、サフィーリア以外とは婚姻せず子も作らない。サフィーリアとの子供以外を後継者に指名することもないと。お前たちも誓いを見ていたはずだ」
「それは馬鹿王子どもの嫌がらせだろうが!」
リュビクが机を叩いて怒鳴る。が、ラズワートは揺らがない。サフィーリアの言葉が蘇る。
あれは確か、儚くなる二月ほど前のことだった。サフィーリアはもう出歩ける状態ではなかったので、寝台で横になっていた。ラズワートはその手を握り、苦しみを軽減させるために身体強化魔法をかけていた。
『ラズワート、私の命令を覚えているな?』
無言で頷いた。サフィーリアは満足そうに微笑む。
『お前の好きに生きろ。幸せになれ。その為なら私を利用して構わない』
(サフィーリア、俺に力を貸してくれ)
「いいや。俺はあの時、サフィーリアと俺自身に誓った。誰であろうとこの誓いを穢させはしない。俺が去った後のアンジュール家は、皆が認める新たな者が継いでいくのだ」
以降も激しい反対を受けたが、ラズワートは我を押し通した。
策略にせよ、軍権にせよ、領地運営にせよ、最終的な決定権はラズワートにある。結局、三年後の秋に実行することが決まった。
決定してからは、王都の手の者はもちろんゴルハバル帝国の事情を通しておくべき者に連絡したり、領内が出来るだけ混乱しないよう計画を練ったりと忙しく過ごした。
後は後継者の選定だけだが、ラズワートは口を挟まずに静観している。とはいえ、領主代行と司令官代行は指名した。現在、王都で暗躍している従兄弟イオリートが兼任する。
「後継者の指名ではなく代行の指名だから問題ないだろう」
屁理屈とわかっていて押し通した。そのままイオリートがアンジュール家を継ぐだろう。
イオリート・ド・ヴァンジュールは、人脈、語学、魔法、剣、馬術、交渉力、どれを取っても有能な従兄弟だ。おまけに父親のリュビクもいる。
アンジュール家を出ると決めたが、アンジュール領も辺境軍もラズワートの大切な故郷だ。誰もが幸せになれるよう、最後まで力を尽くすつもりで日々を過ごした。
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