狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

文字の大きさ
上 下
57 / 65

サフィーリアの願い

しおりを挟む
 翌朝、ラズワートは騎士一人と共にクレドゥール公爵邸に向かった。

「ようこそお越し下さいました」

 クレドゥール公爵は不在だった。ラズワートらを迎えた執事は下にも置かぬ丁寧な対応で奥へ招く。騎士は応接間で茶菓を頂戴することになった。本人はサフィーリアと会えぬことが不満だと目で訴えたが、無視する。
 二人きりで話すことがある。
 この邸宅は、王都中の貴族の邸宅の中で最も歴史がある。最初、ここに入った時は圧倒されたものだ。しかし、玄関、応接間、広間など、来客をもてなす空間以外は、過剰に華美たところはない。気品と過ごしやすさを両立した邸宅でもあった。主であるクレドゥール公爵以下、クレドゥール家の面々の人柄が現れていて好感を抱いたものだ。
 ラズワートにとって、王都で多少なりとも気を抜けれるのはアンジュール邸かクレドゥール邸だけだった。だが今は、初めて足を踏み入れた時以上の緊張を抱いている。

「サフィーリア様は温室でお待ちです」

 クレドゥール邸の温室は広く、中央に東屋がある。そこで住人が憩ったり、茶会を開く。今は茶会を開く機会も少なく、もっぱらサフィーリアが花を楽しみながら読書をするのに使われていた。ここに招かれるということは、信頼と親しみの表れでもある。
 東屋の中にはテーブルと椅子が設えられている。すでにサフィーリアは座っていた。去年より痩せているが、想像よりは元気そうな顔だった。

「ラズワート。良く来た。久しぶりだな。さあ、座ってくれ」

「ああ、失礼する」

 サフィーリアは朗らかに笑う。深い青色の目には、親しみが込められていた。ラズワートもいつも通り、そっけなくも親しみのこもった挨拶を返した。
 メイドが茶菓を給仕し、東屋の外で待機する。会話が聞こえるか聞こえないか、微妙な距離だ。サフィーリアは右手を差し出した。

「早速だが頼む」

 戸惑いつつも、あまりに華奢で繊細な手を両手で優しく包む。

「……ああ、わかった」

 ラズワートは身体強化魔法をかけた。淡い青色の光がサフィーリアを包み、その肉体を活性化させ回復していく。それでも、毒の後遺症も、傷ついた内臓も、完全には治らない。胸が張り裂けそうに痛い。
 ラズワートは他人に身体強化魔法をかけるようになってから、色々な事がわかるようになっていた。

(やはり……あと一、二年しか保たない)

 すでにサフィーリアも知っている事実であったが、あまりにもやるせ無かった。

「ラズワート、もういい。楽になった」

 右手が離れていく。先ほどよりも血色が良くなったサフィーリア。その顔が見れなくて俯く。

「気にするな。覚悟の上で私は毒を食らったのだ」

 手紙に書かれた一文のままの言葉だった。
 心臓が変な音を立てた。ラズワートの手がテーブルを掴む。純白のテーブルクロスに無惨な皺が寄り、茶器が揺れた。

「何故……」

 しわがれた声が出た。反して、サフィーリアの声は穏やかで、朗らかですらあった。

「何故、君が毒の出所を知った事に気づいたか?簡単さ。最近の手紙の文字は強張っていたし、王都に来る時は前もって知らせていたのにそれも無い。後はまあ、カマかけって奴だ」

 ラズワートは顔を上げ、サフィーリアと目を合わせた。穏やかな眼差しに気圧されながらも問う。

「それはいい。何故、わかっていて毒を?そのせいでお前は……」

「お祖父様の目を覚まさせるためだ」

 サフィーリアは語った。
 王城では、誰もが着飾り宝石を身に纏う。
 そしてサフィーリアは、宝石から持ち主の感情や記憶を読み取れる。
 だからサフィーリアは、早い段階でジャルル親子の企みに気づいた。アンジュール家が策略のためにそれを利用することも。
 ジャルル親子との会食の席、食事にはアンジュールの手の者が用意した毒が盛られ、毒見役も食べたふりをする。それをわかった上で、あえて毒入りの食事を食べた。
 理由は、忠誠を捧げるべき王家などすでに無いと、祖父であるクレドゥール公に悟らせるため。また、ルフランゼ王国滅亡後もクレドゥール家を存続させるためだった。

「お祖父様はずっと夢を見ておいでだった。それなりに有能だった先々王の夢を。変わらず献身し続ければ、いつか現王も目を覚まして善政を敷き、クレドゥール家に報いると……。叔父上と叔母上たちがいくら説得しても無駄だった。この国はもう滅ぶしかない。忠義より保身と転身の時だというのに……甘い夢に浸っておられた」

 サフィーリアの細い指がティーカップを摘む。音もなく紅茶を飲み、受け皿の上に戻す。洗練された仕草に動揺や怒りはない。優美な笑みを浮かべながら、恐ろしい過去を語る。

「だがお祖父様を殺したり、叔父上に簒奪させる訳にはいかなかった。当時のクレドゥール家にとってお祖父様は絶対であり、叔父上の立場はあまりに弱かったからな。だから、あの時の私はこれしかないと思った。もともと早死にするのは産まれた時から決まっていた。巡り合わせに感謝すらしたよ」

 結果、サフィーリアは服毒して寿命を縮めた上、理不尽な言いがかりで王城を追われた。のみならず、クレドゥール公爵も言いがかりをつけられて、家門ごと失脚した。そしてようやく、クレドゥール公爵はルフランゼ王家を見限り翻意を決意したのだった。

「全て私の手のひらの上という訳さ。毒の種類と盛られる量も知っていたから、死なずに済んだしな」

「アンジュールは……俺たちは……そこまでお前を追い詰めたのか……」

 結局は自分たちアンジュール家の策略によってサフィーリアは死ぬのだ。罪悪感と自己嫌悪に押し潰されそうになった。
 そんなラズワートに厳しい声が叩きつけられた。

「自惚れるな。ラズワート・ド・アンジュール」

 サフィーリアをまとう空気が変わる。青い目が怒りに輝いた。

「お前たちの策略が絡んでいたとはいえ、毒を盛ると決めたのは第二王子たちだ。そして私は毒を盛られたのではない。自分の意志で毒を食らったのだ。勝手に人をか弱い姫にするな!」

 ラズワートは自分の思い違いに気づいた。サフィーリアは自分が守らなければならない存在だと思っていたが、それは誤りだった。
 強い意志の力の持ち主だった。覚悟を持って生きる気高き人だった。
 ラズワートは、ほとんど無意識の内に胸に片手を当てる最敬礼の姿勢となり、無言で頭を下げた。
 サフィーリアは溜飲を下げたのか、少しだけ声が穏やかになる。

「大体、王侯貴族がここまで堕落したのは自らの怠慢と傲慢が原因だ。お前たちに翻意を抱かせたのも……現状の責は、我々王族にある」

「それでも他に手はなかったのか?こんなにも長く時間をかけ、多くの者の人生を曲げる以外になにか……」

「そんな事は知らんよ。時は戻らないし、もしもは無い。あるのは現実だけだ」

 サフィーリアはばっさりと切り捨てた。

「むしろ長期計画だったのは、当時のアンジュール辺境伯の慈悲……いや、期待だったかもしれない。自分たちの策略を見抜く。あるいは、自分たちの働きを正当に評価する優れた王族に、止められることを期待していたように感じる。私たちは期待外れだっただけだ」

 ラズワートは顔を上げ、拳でテーブルを叩いた。

「そんなことはない!少なくともお前は優れた王族だ!お前が王なら、俺たちは喜んで忠誠を誓っただろう!きっと父でさえ!」

 金混じりの青い目に涙が滲む。視界が歪む。

「だから俺は悔しい。お前が助からない事も、お前に忠誠を誓えない事も、俺たちが決められた道筋しか進めない事も悔しい」

 涙がぼたぼたと茶器やテーブルクロスに落ちる。テーブルに叩きつけたままの拳を、小さく繊細な手が包んだ。

「私も悔しい。毒で倒れてからやっと、好きに生きれた。好きなだけ石のことを調べたり、お前たち友人と手紙を交わしたり、お祖父様たちと心を開いて話せた……幸せだった。もっと生きたかった。けれど、選んだ道に後悔はない。その代償に得た自由と幸福なのだから」

 サフィーリアは優しい声と眼差しでラズワートを慰撫した。

「だからラズワート、お前も好きに生きろ。私に忠誠を誓いたかったというなら命令するから。優しいお前には難しい事だろうが、どうか好きに生きて幸せになって欲しい」

 言葉と儚い手の感触が、ラズワートの心にしみていく。ラズワートはひたすら泣いた。

◆◆◆◆◆

 翌年の春。サフィーリアはラズワートに輿入れし、その知識と人脈を大いに生かした。特に有名なのは、宝石『アンジュールの奇跡』の発見と産業化である。成功を見届けて安心したかのように、ラズワートが二十四歳の時に儚くなった。最後の半月は苦痛に苦しんだが、繰り返しラズワートに感謝を述べ、自分は幸福だったと告げた。
 ラズワートは私財を叩いて立派な葬儀を行い、丁重に埋葬した。
 そして、ある決心をした。

(全てを終わらせ、好きに生きる)

 脳裏に浮かぶのは、かつて見た夢と、焦がれた男の姿だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

君なんか求めてない。

ビーバー父さん
BL
異世界ものです。 異世界に召喚されて見知らぬ獣人の国にいた、佐野山来夏。 何かチートがありそうで無かった来夏の前に、本当の召喚者が現われた。 ユア・シノハラはまだ高校生の男の子だった。 人が救世主として召喚したユアと、精霊たちが召喚したライカの物語。

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

僕だけの番

五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。 その中の獣人族にだけ存在する番。 でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。 僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。 それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。 出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。 そのうえ、彼には恋人もいて……。 後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ
BL
親を亡くしたアルビノの小さなトラは、異世界へ渡った────…… 気がつくと知らない場所にいた真っ白な子トラのタビトは、子ライオンのレグルスと出会い、彼が「獣人」であることを知る。 獣人はケモノとヒト両方の姿を持っていて、でも獣人は恐ろしい人間とは違うらしい。 故郷に帰りたいけれど、方法が分からず途方に暮れるタビトは、レグルスとふれあい、傷ついた心を癒やされながら共に成長していく。 しかし、珍しい見た目のタビトを狙うものが現れて────?

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

処理中です...