狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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ラズワートの回想・八年前【4】

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(あの男がこの程度で死ぬはずはない)

 ラズワートの予感は外れなかった。
 攻撃地点の崖上から悲鳴、弓矢が放たれる音、魔法を発動させる気配を感じた。次いで、念話で騎竜兵部隊が七割以上健在でこちらに向かっていると報告が入る。

「あの大楯が炎と雷撃を防いだか」

「はい。現場の者が言うには、氷の結界を張って防いだようです。大楯の素材は、恐らく氷晶龍の鱗と複数の鉱物。握り込みに針のようなものがあるので、傷口から魔力を通して獣人でも魔法を発動できるのだと思われます」

 優秀な魔法兵たちの分析に頷く。魔法を使いにくい、あるいは使えない者にも魔法を使わせ戦力とする。向こうも自分達と同じ発想に至ったのだなと感心する。
 同時に、黒煙と共に濃厚な殺気、吠え声、地鳴りが騎兵隊を襲い揺らした。

「ひぃっ!い、生きてやがる」

「く、来る」

 ラズワートは、この場にいる魔法兵たちを下がらせた。彼らは遠見や念話などで魔力と体力を消費している。ここからは騎兵の力を使う番だ。
 怯える者たちの声を聞きつつラズワートは馬を前に歩かせ、振り返って吠えた。

「辺境軍第一騎兵隊!第二騎兵隊!第三騎兵隊!聞け!」

 厳しい声に背を伸ばす騎兵たち。一人一人の顔を見ながら不敵に笑う。

「喜べ!相手はゴルハバルの騎竜兵部隊!グランドの岩人よりは骨がある相手だ!」

「ちょっ!ラズワート様!」

「……ははっ!確かに岩人は見た目ほど強くはありませんでしたね」

「そうそう。俺らの出番も控えめでしたし」

「魔法兵部隊の面目躍如でな。俺らは少し暴れれば済んだ」

 その岩人も、十年前なら強敵だった。本来ならばもっと苦戦していたはずだ。辺境軍は魔法兵も騎兵も兵士も確実に強くなっている。
 皆の目に自信と闘志が戻る。身体強化魔法、物質強化魔法を使える者が発動させ、淡い光と闘気が立ち上る。

「我らに恐れるものなどない!違うか!」

「違いません!」

「ゴルハバルの獣人の群れなど恐るに足りず!」

「ご命令を!突撃の許可を!ラズワート様!」

「意気や良し!辺境の騎士たちよ!我に続け!全隊突撃!」

 ───オオオオオォ!───

 ラズワートを先頭に、騎兵たちが砂埃を上げて駆ける。加速し、黒煙立ち込める谷底の奥へと入っていく。爆発音と、獣人たちの怒号が聞こえる。鋭い殺意が肌を斬りつける。

(奴だ。奴がいる!もう間もなく姿が見える!)

 青い光が人馬を包む。ラズワートは身体強化魔法と物質強化魔法を発動させ、剣を抜いた。煙の向こう。影が見える。そのうちの一つがファルロだと何故か確信した。
 瞬間、力強い声が耳朶を打つ。

「前方に敵影!迎え討て!」

 五年前に聞いた声だった。歓喜と興奮に鼓動が早鐘を打つ。煙を割って何かが飛び出た。剣で叩き落とす。壊れた大楯だと認識するか否か。騎竜兵の姿があらわになり、大剣がラズワートを斬りつけた。

 ───ガキィーン!───

 ラズワートの剣と大剣がぶつかり、火花が散る。
 はっきりと姿が見えた。間違いなく、あの男、ラズワートが焦がれた銀狼の獣人ファルロ・ルイシャーンであった。五年の歳月で渋みを増した顔に胸が締め付けられる。

(会いたかった!貴様は俺を覚えていないだろうが!俺は!お前とまた戦うこの日をどれだけ待ったか!)

 ラズワートは歓喜に震えそうになりながらファルロを睨む。ファルロは攻撃しつつ凶悪な笑みを浮かべ、語りかけた。

「お久しぶりですねアンジュール卿!いや、アンジュール辺境伯!お会いできて嬉しく思います!私は貴方との再戦を楽しみにしていました!」

 思いもよらない言葉。一瞬、頭の中が真っ白になった。次いで歓喜が湧くが。

「っ!……戯言を!」

 喜びに身を任せれる立場ではない。さらに、ファルロの攻撃はあまりに容赦がなかった。渾身の力を込めた剣の重み、鋭さは五年前より強烈だ。集中しなければ倒される。しかし、ファルロは攻撃するのも語りかけるのも止めない。

「五年前の貴方も!素晴らしかった!さらにお強く!お美しく!なられました!ね!」

「みえすいた世辞は!やめろ!はあ?美しい?なっ!なんのつもりだ!この痴れ者が!」

 まるで求愛だ。ラズワートは防ぎ、いなし、流し、鋭い剣撃を放ちながら怒鳴る。怒鳴らねば、動揺して剣先が鈍りそうだ。それだけ、ファルロの言葉は魅力的だ。

「私は本気です!ただただ貴方に魅せられている!」

 互いに目をギラつかせ、剣を振るった。ラズワートは周りを確認する。すでに混戦状態だが、騎兵たちは騎竜兵に引けを取らない戦いが出来ている。
 敵わないなら適度なところで引き、罠を仕掛けた地点に誘う。あるいは待機させている第四騎兵隊に合図を送り挟撃させることを考えていたが、しばらくその必要は無さそうだ。今は、ファルロとの戦いに集中すべきだろう。

「余所見とは余裕ですね!」

「くっ!このっ!」

 でなければ、殺される。だがそれは相手も同じだ。ファルロも強いが、ラズワートもそれに肉薄している。戦っていて楽しくさえあった。ラズワートは夢中になった。
 ゆえに、気づくのが遅れた。

「ヒヒィーーーン!ヒィン!」

 暴走した馬が鍔迫り合いをするファルロたちに突っ込む。ラズワートの馬が避けようと大きく動くが間に合わない。二人ともバランスを崩して落ちた。どちらも馬上と竜上に戻ろうとしたが、互いの相棒同士が熾烈な戦いを始めて不可能になった。
 それを認識した瞬間、二人は大地を踏み締め構え、互いに斬りかかった。
 ラズワートはしなやかに、鋭く、速く。
 ファルロは剛力を持って、強く、重く。
 ファルロが深く踏み込む。渾身の一撃。ラズワートは避け、横なぎに斬りつける。ファルロはたたき落とす。ラズワートは次の一手の前に、さらに加速した。

(この速さについてこれるか?)

 ファルロの背後に周り刺突を繰り出す。ファルロは間一髪かわし、振り返って斜め上から大剣を振り下ろす。

(っ!流石だ!)

 内心で讃えつつファルロの顔を見る。金の目は戦意を孕みつつも、甘く潤んで自分を見つめる。まるで愛しい者を見るようなそれに、先ほど言われた言葉たちが甦る。

『五年前の貴方も!素晴らしかった!さらにお強く!お美しく!なられました!』

『私は本気です!ただただ貴方に魅せられている!』

 カッと羞恥と怒りが湧いた。

「美しい?魅せられているだと?ふざけるな!俺の何を知っていると言うんだ!」

 渾身の力と速さを込めて攻撃を繰り出す。ファルロは満面の笑みで答え、迎え撃った。

「その強さです!本当にお強くなられた!どれだけ鍛錬を積んだのか!それにあの矢!騎兵たちの成長!アンジュール辺境伯!貴方は本当に素晴らしい!もっと貴方を教えて下さい!」

 真っ向から讃えられ、知りたいと言われ、ラズワートは逃げたくなった。同時に、この男の胸に飛び込んでしまいたくなった。他でもないファルロに、ずっと言って欲しいと思っていたと、言われてから気づいた。

(ああ!わかった!認める!俺はこの男が……!)

 けれど、それを伝えることは罪だ。ラズワートは口を引き締め、剣に想いを込めて振るった。
 熾烈な攻防を繰り返してどれだけ経ったか。ファルロは前と同じく獣化が進んでいた。ラズワートは攻防のはてに兜を失い、マントもぼろぼろだ。また、互いに傷まみれの血まみれだ。どれも浅い傷だが数が多い。そろそろ決着をつけなければと剣を構え直した。

(思う存分戦えてよかった。後はこの男を捕虜にできたら……あるいは俺が捕虜になったら……いや!何を不埒なことを!今は倒すことだけ考えろ!)

 だが両国の伝令が馬と騎竜に乗って走ってきたため、戦いを辞めざるを得なくなった。停戦協定が結ばれた旨を伝える勅書は、間違いなく本物だった。無論、両国共にだ。
 ラズワートは顔を盛大に顔を顰めた。

「……無視する訳には」

「いかぬでしょう。しかし、同感です」

 ファルロも同意し、大きな溜息をつく。盗み見た顔は人間体に戻っていた。その顔には、経験と年齢を重ねた男の渋みと憂いがあった。先ほどまでの好戦と喜悦に満ちた顔との落差にドキリとする。と、同時に不機嫌な尻尾がゆらゆらと揺れているのに和みそうになった。

(あ、愛らしい……いや馬鹿なことを考えるな!ラズワート!)

 無理矢理顔を引き締め、ファルロを睨みつけた。

「おい。色々と決めることがある。さっさと話し合うぞ」

 かなり素気なく言ったが、金色の目が輝く。途端に憂いも不満もファルロの顔から消えた。

「わかりました!少々お待ちください!」

 狼の耳はピンと伸び、尻尾も喜びを表してブンブンふられている。ラズワートは愛らしさと面白さに内心悶え、唇を噛んだのだった。
 その後ファルロは、騎竜兵部隊が単独で侵略した土地は放棄すると誓い、帰途についた。妥協点として悪くない。ラズワートたちは見送る形になった。

「それでは我々はこれで。いずれまた戦いましょう。……すでに貴方との再戦が待ち遠しいです」

 ファルロは切なさが滲む甘い笑みを浮かべた。ラズワートは蕩けそうな心を引き締める。顔をしかめたのか、ファルロ以外の騎竜兵部隊が怯えた顔になる。だが、ファルロはうっとりと見つめるばかりだ。
 だから、少しぐらいは素直になってもいいかと、自分を許してしまう。

「次こそ俺が勝つ。首を洗って待っていろ。……ルイシャーン卿」

 その時のファルロの顔を、ラズワートは生涯忘れないだろう。
 まるで朝日か何かだと思った。喜びに満ちた、底抜けに明るく温かい笑顔。

「ええ!必ず再戦しましょう!アンジュール卿!」

 ラズワートは、その笑顔と遠ざかっていく姿を目に焼き付けた。
 両軍とも損害が出た。負傷者は多く、死者も出た。だが、奇妙な爽やかさが残る戦いであった。
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